最近はテレビを見ていても、司会者や評論家たちが事件や現状への怒りをぶちまけるシーンが多くて、ちょっと食傷気味。確かに目を覆いたくなるような殺人事件の報道などを見ると、犯人への憤りを感じはするけれど、それがすべて社会や政治が悪いせいでもあるまいとも思うのです。
社会や政治が悪ければ世の中の人が皆悪人になるわけではなくて、みなそこに一人の人間としての責任や判断があるはずで、そこを考慮の外に置いて、世の中のせいにするというのはある種の責任転嫁ではないかな、と思います。
※ ※ ※ ※
北海道に縁のある文学者に内村鑑三(うちむらかんぞう)という人がいますが、彼が「聖書之話」という著書の中で、「日本人の浅さ」について電気ウナギにたとえた話が残っています。
彼は「日本人は浅い民である。彼らは、喜ぶにも浅い。怒(いか)るにも浅い」民である、と言います。
そして、「彼らは『深く静かに怒る』ことができない。まことに彼らは、『永久に深遠(しんえん)に怒る』ことが、いかに正しく崇高なことかをさえ知らない。ゆえに、彼らの反対は恐ろしくない。彼らが怒った時には、怒らしておけば、それでよいのである。電気ウナギが貯めている電気を放散すれば、そのあとは無害になるように、日本人は怒るだけ怒れば、その後は平静の人となるのである」という趣旨のことを述べているのです。
自分自身も「その通りだなあ」と同感して、ブログではあまり怒らないように心がけています。
ブログでの怒りの表現は、当事者として「自分も参加してそれを変えて行こう」という深く静かな怒りではなく、明日は消えてしまう一時の感情のように見えてしまいます。
怒った文章を読んでもらうよりは、前向きな何かを見つけ出す方が建設的なのではないでしょうか。
※ ※ ※ ※
それにしても、最近の電気ウナギは大臣の一人や二人をしびれさせるのは簡単なようですね。ビリビリッ…!うーん。
社会や政治が悪ければ世の中の人が皆悪人になるわけではなくて、みなそこに一人の人間としての責任や判断があるはずで、そこを考慮の外に置いて、世の中のせいにするというのはある種の責任転嫁ではないかな、と思います。
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北海道に縁のある文学者に内村鑑三(うちむらかんぞう)という人がいますが、彼が「聖書之話」という著書の中で、「日本人の浅さ」について電気ウナギにたとえた話が残っています。
彼は「日本人は浅い民である。彼らは、喜ぶにも浅い。怒(いか)るにも浅い」民である、と言います。
そして、「彼らは『深く静かに怒る』ことができない。まことに彼らは、『永久に深遠(しんえん)に怒る』ことが、いかに正しく崇高なことかをさえ知らない。ゆえに、彼らの反対は恐ろしくない。彼らが怒った時には、怒らしておけば、それでよいのである。電気ウナギが貯めている電気を放散すれば、そのあとは無害になるように、日本人は怒るだけ怒れば、その後は平静の人となるのである」という趣旨のことを述べているのです。
自分自身も「その通りだなあ」と同感して、ブログではあまり怒らないように心がけています。
ブログでの怒りの表現は、当事者として「自分も参加してそれを変えて行こう」という深く静かな怒りではなく、明日は消えてしまう一時の感情のように見えてしまいます。
怒った文章を読んでもらうよりは、前向きな何かを見つけ出す方が建設的なのではないでしょうか。
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それにしても、最近の電気ウナギは大臣の一人や二人をしびれさせるのは簡単なようですね。ビリビリッ…!うーん。