昨日のホッケの一夜干しに続いて、今日は三枚におろしたホッケをフライにしてもらいました。
活〆と血抜きを十分にしているので身が白く、柔らかくて実に美味しい。
食レポは下手ですが、これ以上何を書いても仕方がありません。
こちらも、おすそ分けすればきっと喜んでもらえるに違いありません。
これならもっとたくさん釣っておくんだったなあ。
北海道の春の恵みです。
昨日のホッケの一夜干しに続いて、今日は三枚におろしたホッケをフライにしてもらいました。
活〆と血抜きを十分にしているので身が白く、柔らかくて実に美味しい。
食レポは下手ですが、これ以上何を書いても仕方がありません。
こちらも、おすそ分けすればきっと喜んでもらえるに違いありません。
これならもっとたくさん釣っておくんだったなあ。
北海道の春の恵みです。
午前中は人間ドックで、絶食で鼻からの胃カメラに臨みました。
最近の細い胃カメラは体への負担が少なくて良いので、腕の良い病院を身近にしておきたいところ。
以前にも受信したことのある病院なので、残っている以前の記録と突き合わせて弱い胃のケアについてアドバイスをしてくれました。
さて、夜にはようやくホッケにありつくことができました。
「一夜干し」とは言いますが、ここで干したホッケの水分を適切に飛ばさないと、身が水っぽかったり、逆に干からびてしまったりと難しいところなのです。
今日のホッケは指で触ってみるとこんな感じですが、少しだけ干したりない感じかな。
【ホッケの干し具合】
でもまずは焼いて食べてみましょうか。焼くとこんな感じで、春のホッケはとっても脂がのっています。
【ホッケが焼けました】
やっぱり食べてみると、もう少しだけ干した方が良かった感じです。ほんの少しだけなのですがね。
でも確かに春ホッケは美味しい。脂が美味しくて皮まで食べてしまいました。
なので食べ終わった写真はありません(笑)
まちなかへ行くのに今年初めてシェアサイクルの「ポロクル」を利用しました。
昨年までは白い自転車でしたが、今年は赤い電動自転車が導入されました。
料金体系は、今までと同様に観光客のような1回会員向けの「一回一時間150円」というものがありますが、法人会員には「月額2千円」のライトプランまたは「月額4千円」のプレミアムプランが用意されています。
わが舗装事業協会は月額2千円のライトプランを申し込んであって、今日が初めての利用です。
今年のポロクルが変わったのは、スマホアプリによる自転車の確認と予約ができるようになったこと。
アプリに法人会員の情報を登録しておくと、近くのサイクルポートの場所とそこに何台の自転車があるかがわかります。
そのうえで、予約をすると自転車の番号と4桁の番号が送られてきて、サイクルポートで予約してあった自転車にその番号を入力すると鍵が解除されるというシステム。
以前のようにカードキーをかざすようなシステムからは大幅に改善されています。
さて、そういうことが分かった後で、使い勝手の良くなった赤いポロクルを借りました。
さっそうと市内を移動して目的の場所へ向かいました…が、なんと目的のサイクルポートが満車で返却する場所がありません。
電話でサポートに連絡をして「どうしたらよいでしょうか」と尋ねると、「残念ながら、そこへは停められませんので、近くの別のポートへ返却をお願いします」と言われてしまいました。
このような自転車の偏在は、事務局が把握して移動したりしているのですが、それが間に合わなかったようで、こういうこともあるものだ、というところです。
返却は、指定の場所に自転車を止めて鍵をかけるだけで返却が完了。
さらには、今回は横浜市や千代田区など他の自治体との連携も進んでいるようで、他の自治体でも使える場所が増えているようです。
シェアサイクルを使って、省エネと快適を両立させましょう。
昨日釣った大漁のホッケを捌くのに、今日半日かかりました。
干しかごも3段で15枚しかはいらないので、数枚は室内で干しています。
昨日のホッケは、同行のYさんに指導を受けて、美味しく食べるために現場で血抜き作業をしました。
いわゆる「活〆」というやつで、半分生きている状態で血を抜くのです。
具体的にはまず「脳天〆」と言って、魚の目の少し後ろから脳にナイフを刺して脳の働きを止めます。
これで体が動かなくなり、体のエネルギーを使うことがなくなってうまみが残るのだそう。
次にえらの後ろの幕を切り開いて、ここから血がでやすくします。
これだけでも魚の体内の血はかなり出るのですが、最後にしっぽの手前で背骨を断裂させます。
最後に魚を海のたまり水の中でフリフリさせて放血を促します。
この作業を現地の釣りあげてすぐの生きている状態で行うことで、血液が身からなくなり、捌いた時の身は真っ白になります。
そしてそのおかげで血液の鉄分の味はせず、体内のアミノ酸のうまみも味わえるのです。
今日捌いた魚には、Yさんが捌いたものと初めて作業する私が〆たものとが混在していたのですが、魚を開いてみると、Yさんが捌いた魚はまさに身が真っ白。
【Yさんの〆たもの】
しかし私が捌いた魚は、確かに身はそこそこ白いのですが、よく見ると背骨の上下に血の筋が残っているものがあり、これは下手な活〆の証です。
【私が〆たもの。色が違うね】
練習のためにはまた爆釣と行きたいところですが、もうこの春にホッケ釣りに行くチャンスはないかな。
こういう〆かたの経験を一つずつ積んで、釣った魚を少しでもより美味しく食べたいところ。
まずは早く食べてみたいのですが、夜の飲み会が続いて口に入らないのが残念です。
GWもいよいよ残すところあと二日になり、友人のYさんと示し合わせて積丹方面へ法花釣りに行くことにしました。
GWだしおまけに日曜日とあって、「早出をして早めにポイントに着くことにしましょう」ということで、朝2時半にYさんの車で私を拾ってから、西へ西へと車を走らせました。
目指すポイントには4時ころに到着。もう先行者が何人かいて、こちらがしかけの用意をしているうちにもう釣りあげています。
「魚はいるようですね」 いやがうえにも期待が高まります。
撒き餌を始めて、二人とも釣り上げたのはまずガヤ。
水は透明で魚の姿もはっきり見えますが、どうやらガヤばかりです。
「これはガヤ祭りかなあ」とおもいつつも、少し経つとホッケの群れが我々の目の前に現れました。
こういうときは少量の撒き餌をコンスタントに繰り返して、群れを他に逃さないのがコツです。
そのうちYさんが一匹ゲット。と、ここから一気に本日のホッケ祭りの始まりでした。
なにしろ濃い群れが目の前に控えていて、釣れるのを待っているのか、というくらいのラッキーな状態に。
最初のうちは、仕掛けの選択で少々もたつきましたが、それが定まってからはほぼ"一投一匹"のすごい状況になりました。
釣った魚はスカリというカゴに入れて海の中に貯めていたのですが、さすがに「これ以上釣っても、後の処理が大変だな、そろそろ上がりますか」ということで、7時過ぎには釣りを終えました。
ただし、ここからは釣った魚の下処理を現場で行います。
釣った魚は生きの良いうちに血抜きを適切に行っておくと、実に美味しく食べられます。
もっとも、釣り場から車まで運ぶのも一苦労で、車に戻ったところで数を数えると、55匹ありました。
実は釣っている最中に、あまり大きくないものはリリースをしていましたし、それを見た隣のおじさんが「もったいない、それならくれませんか」というので何匹か分けてあげたこともあったりで、二人で60匹以上を釣った計算です。
私史上最大の春のホッケ祭りになりました。
◆
魚を分ける段になって、Yさんは以前から何匹も釣り上げているので、「家の冷蔵庫に空きがないので、小松さんが多く持って行ってください」ということで、37匹をもらって帰ってきました。
さていよいよこれを捌くのもなかなか大変です。
今日は夕方に孫のこどもの日を祝おうとお呼ばれをしていたので、それまでの間にフライ用にと3枚におろしましたが、10匹が関の山。
あとは明日の作業です。
さて、結果的に爆釣になりましたが、仕掛けのチョイスや針の大きさ、エサの良しあしなど、いろいろな気づきも多く、その面でも有意義な釣りになりました。
今日も良い一日でした。
今回の掛川訪問では、掛川市役所のシティプロモーションが話題になりました。
ある方は「一生懸命ホームページを作っていますよ」と言い、ある方は「でもホームページづくりで満足しているかも」と言います。
シティプロモーションと言うと、目的は掛川の名前を売り込んで有名にすることや、結果としての観光客の増加や観光消費の増額、最後は移住や定住民の増加、ということになるのでしょう。
その手段としてホームページや印刷物、SNSなどでの情報発信ということが考えられて、そういった刷り物やホームページの画面ができればあたかも仕事をした気になるものです。
しばしば出来の悪い上司は「あなたのやった仕事の成果をきちんと説明して欲しい」という要求をし、部下はパンフレットやきれいにデザインされたホームページを見せてご納得をいただく。
しかし本当は、わが町のファンを増やすための地道な努力こそが本来の活動なのだと思います。
例えば、「今回はあなたに会いに来ました」という友達をたくさん作ること。
そのために紹介したい、合わせたい面白い友達を地元でたくさん作ること。
一緒になって地域を回って、一緒に新しい発見をして自分のまちを面白がること。
そういう目には見えない関係性をたくさん作って、それを自分の財産だと思うこと。
決して理念ではなく、それを実践するということなのです。
◆
僕の掛川の記憶は、掛川を去った15年前でほぼ止まっているのですが、あのとき掛川でスローライフ運動をやったことは良い思い出です。
そして、そのスローライフ運動を面白がって全国からやって来た人たちは、掛川の人たちとのふれあいやおもてなしに感動して「また来るね」と言って喜んでくれたものです。
それがとても面白かった。あのときの全国の友達の中には、今でもSNSなどで繋がっている人がたくさんいます。
シティプロモーションって本当はそういうことなのだ、ということが今の若い人たちに伝わるでしょうか。
いや、伝えていかないといけないし、働き方改革が叫ばれてもお休みの日でもそうやって一緒に遊ぶようなことが大事なのですが、これを言うと市役所ではパワハラになるのかな。
やっぱり外の人が言わないと伝えられないことになってしまったでしょうか。
15年前の掛川は本当に面白かったのです。
今回の四国旅行の最後の締めは掛川訪問。
2か月ほど前に、掛川の隣町の御前崎町の友人が札幌へきて、そのときに「5月には初ガツオが食べられるのでぜひ来てください」と言われていたのがどうしても気になって、今回の旅の最後に組み入れたのです。
四国からの旅は神戸でレンタカーを返して終了し、新神戸から新幹線で掛川までやってきて昨夜は掛川の友人たちと久しぶりの旧交を温めあい、楽しい時間になりました。
掛川を離れてからもう15年になりますが、運がよかったのはちょうど掛川にいた頃にブログが流行りだしたことと、それを応用にフェイスブックなどのSNSが世に出てきたこと。
結局SNS上での繋がりと、その時の友人関係がずっと続いているのがありがたいところ。
おまけに、掛川の友人に「車を貸してくれませんか」と聞いてみたところ、「小松さんだったら、車で案内してくれる知り合いがいるでしょう。ちょっと当たってみますよ」と言ってくれて、また折よく「それなら僕が案内しましょう」と、友人のTさんが申し出てくれました。
持つべきものはよき友であります。
◆
今日の行程は御前崎方面を中心に、掛川にいた時もあまりしっかりとみられなかったところに行きたい、とTさんに相談して、私の希望以上のところも案内してくれました。
昨夜「キャンピングカーを買ったんです」と自慢していたK君の家を飛び込みで訪ねてご自慢のキャンピングカーを見せてもらったり、地域にしっかり根差した活動をしているお寺さんを訪ねて天井画を見せてもらったりと、地域をめぐる訪問旅のスタイルは、掛川にいた時のことがよみがえってくるようです。
御前崎では「この時期に初ガツオを食べるならここでしょう」というお店を地元の友人が紹介してくれて、ちゃんと初ガツオも食べられました。
身に鉄分が多くて、生きが下がると匂いが出てくるカツオは地元で採れたて新鮮なものを食べるのが一番。こういう刺身はなかなか食べられるものではありませんでした。
その後は静岡県最南端の御前崎で灯台見学。旅は「端っこ」を極めたくなるものですが、今日は特に風が強くて閉口しました。
その次に、今は合併して牧之原市になった旧相良町の歴史資料をたくさん置いてある牧之原市資料館へ。
ここで「田沼意次さんは蝦夷地開発を行った最初の方で、北海道の恩人と思い、ここへ来たかったのです」というと、資料館の担当の女性は大いに喜んでくださって、喜々として館内を案内してくださいました。
意見交換をして共通の思いは、田沼意次の今日の評価は賄賂政治家というネガティブなイメージが残念だというものです。
彼は天明年間を通じて飢饉や打ちこわしに悩まされ、さらには後ろ盾であった将軍家治の死去により失脚したのですが、彼の後に老中となった松平定信が、前任の田沼に対して否定的な態度を貫いたことで、彼の悪役としての評価が固まってしまった感があります。
田沼の後の松平は、当時のロシアの南下などの国防上の危機も全く意に介しませんでしたが、逆にロシアの南下を危険と感じて蝦夷地に対する関心を高め、さらには海産物生産や農業の発展の可能性などに期待をした田沼の方がずっと賢明だったと感じるところであり、現代北海道に住む我々も、田沼意次を恩人と考えるべきでありましょう。
彼はここ相良において藩主として善政を敷き、民衆に大いに称えられているわけで、有能な政治家であったことは疑う余地がありません。
今日は、そんな田沼意次にまつわる歴史に、旅の最後に触れることができて充実した幸せな一日になりました。
特に旅先で「札幌から来ました」と敢えて強調をすると、どこへ行っても「よくぞまあそんな遠いところから来てくださいました」ととても感謝をされる事がよくわかりました。
これを私は「遠距離砲」と名付けましたが、遠距離砲は効きます。そしてさらに地元の偉人を褒めるとさらに効果は倍です(笑)。
今日の旅で会って、旅を支えてくれた友人の皆さんに大感謝です。
無事札幌にたどり着きました。お世話になりました。
香川県の高松市に泊まって、今日は朝から金毘羅神宮へのお参りです。
朝早くにホテルを出て、金毘羅さんのところについたのは8時20分くらい。
何でもよい、とばかりに、空いているお土産屋さんの駐車場に飛び込んで、とにかく車を停めて参拝の長い階段を上り始めました。
700段以上もある階段を上り終えて参拝を済ませたところで境内では、天皇陛下の即位をお祝いする記帳所が開設されていました。
早速妻と二人して記帳を行いましたが、金毘羅さんは海と航海の神様です。
日本の令和の時代が、穏やかな船出となるように祈るばかりです。
◆
さて平成の御代が終わりましたが、数えてみると平成の時代の日数は、11,070日だったのだそうです。
そこで、では昭和の時代を11,070日生きた人の誕生日は、というと、なんと昭和33年9月18日なのだそう。
私は9月19日なので一日違いでビンゴを逃しました。
ということで、令和になった今日一日を足して、ちょうど11,070日の折り返しとなりました。
まさかここまで私にとっての昭和と平成が近かったとは。
さて、それでは令和の時代を頑張って作り上げてゆきましょう。
金比羅さんで記帳をしたときは雨でしたが、不浄なものを洗い流すような、令和の初日となりました。