北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

旭川駅前が少しずつ変わってきました

2022-04-11 22:33:42 | Weblog

 

 春の挨拶回りで今日は旭川に宿泊。

 車を走らせていても山の雪も消えかけていて、ようやく春の訪れが感じられるようになりました。

 旭川では駅前のホテルに宿を取り買物公園を散策してみました。

 買物公園は親の転勤で僕が札幌から旭川に転校した年に誕生した歩行者専用道路であり同時に商店街が軒を連ねていて、開設当初はショッピングセンターのように人で人で大混雑の日々だったものです。

 僕が高校生の頃に都会のデパートとして進出し、憧れの場所だった西武百貨店はその役割を終え、今では西武の後は駐車場と高層のホテルになっています。

 建物が建て替わって新しくなるのは町が生きて新陳代謝をしている証拠です。

 そこに投資をして回収できる見込みがあるから投資をする人がいる。

 
 しかしそれにしても今はずいぶん静かになりました。

 夜8時過ぎとなると夜の照明もあって雰囲気は良いのですが、人がほとんど歩いていません。

 お店はそれなりに開いているのにお客さんが見えません。

 たまにいるのは学生さんのグループばかり。

 もう少し暖かくなったころにまた来てみましょう。
 

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打てるもんだなあ ~ ケガからの復帰後初の蕎麦打ち

2022-04-10 21:08:28 | 蕎麦打ち

 

 久しぶりに蕎麦を打ってみました。

 1月に手の怪我をしてから3か月。

 この間全く蕎麦打ちからは離れていたのですが、リハビリなどを経てようやく手の調子が少しずつ戻ってきたので久しぶりにチャレンジをしてみました。

 まずは家族3人分の600gからをおずおずと始めます。

 もう大丈夫じゃないかな、と思いながら始めてみると実際には、(ああ手首の関節がまだ少し痛いんだな)とか(この辺の動きがまだだな)という気づきがあって今の現状が分かりました。

 それでも粉の量が少量という事もあって、切る分にはそれほどの苦労もなく、まずまず細く長い蕎麦ができあがり。

 蕎麦粉は近くのお蕎麦屋さんから手に入れたもので、鮮度も良くてコシのある美味しい蕎麦が楽しめました。

 この間、蕎麦を食べるのには蕎麦屋さんへ行くしかなかったのですが、蕎麦打ちが何とかできそうだということが分かってほっとしています。

 蕎麦打ちと釣りができないとちょっと辛いところですが、逆にこれらができればまあまあ残りの人生は十分楽しめることでしょう。

 とにかく良かった、というのが本音です(笑)。

 

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都市に品格ある風景を ~ 都市計画学会支部総会を終えて

2022-04-09 23:13:26 | Weblog

 今日は日本都市計画学会北海道支部の総会がありました。

 この手の団体は年に一度、前年度の事業や予算運営、そして次年度の事業計画と予算計画を会員の総意を得て承認する必要があってその手続きの会合です。

 会議の進行は意義もなく淡々と終了しましたが、意見交換のところで「会員の数をもっと増やしてもっとまちづくり情報の輪を広げたいですね」という意見がありました。

 昔は地方自治体の職員の中に熱心な方がいたり、自治体そのものが会員登録をしていて職員を派遣するというようなこともあったのですが、最近は財政逼迫を理由にそうした機運がほぼなくなってしまいました。

 研究者は様々な情報を集めて研究をして、それらは行政や民間活動の実践の現場で行かされてこそ住民のより良い暮らしが実現する役割分担がありますが、そういう情報が雑誌や論文だけではなく、人の繋がりで得られるという機会を少なくしているのはもったいないなあ、と思います。


    ◆

 そんな総会でしたが、毎年『せっかく大勢が集まるのだから』ということで東京あたりの大学の先生をお招きして最前線の話題を講演していただくことが多くありました。

 最近はコロナのためにリモートで参加する会員もいれば、講演そのものも東京からリモートということが増え、そして懇親会もなし、ということで寂しい年が続いていました。

 しかし今年はコロナの間隙を縫って、東京から東京都市大学(旧武蔵工業大学)から坂井文先生をお招きして「都市アセット」というテーマで都市の再開発エネルギーを生かした地域マネジメントについて直接お話を伺えました。

 特にロンドンやニューヨークなどの事例は興味深かったのですが、どちらもそういう事業が発生したときのために、「そのときはこうしたいのでこれをやってもらおう」という事前のプランを持っていることが印象的でした。

 札幌も50年前の冬季オリンピックの時に建てたビルの多くがリニューアルの時期に来ていて、各所で五月雨的にビルが建て替わっていますが、その機会を捕まえてより良い空間づくりにつなげようという構想や事前のプランがあるようには見えません。

 品格ある都市の風景って、哲学を共有していないとなかなかできないのです。

 飛び跳ねる部分と我慢して抑制する部分のバランスをどうとるか。

 札幌ももう一度オリンピックをやりたいと思うなら、改めて世界都市にふさわしい都市とは何か、どんな風景や場が良いのかを哲学として持っていてほしいものです。

 
     ◆


 その後は本当に久しぶりの懇親会が催されて、コロナ明けを待ち望んでいた会員が大勢参加して大いに盛り上がりました。

 これこそ人が集うことの最大の楽しみですよね。

 あ~、本当に大勢の人たちとお酒を飲みながら話をしたのって久しぶりのような気がする。

 早くコロナが完全に収まって落ち着いてほしいものです。

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営業と接待の極意 ~ トークのメモ

2022-04-08 22:29:49 | Weblog

 

 いつもの床屋さんでの床屋談義。

 わが建設業界には若手が少ないんだ、という話をしたところ、「どこでも同じでしょうけれど、理美容業もなり手は少ないです」と言います。

「でも毎年何人も理美容の学校を卒業して資格を取るわけでしょう?」
「でもその全員が床屋になるわけではないですからね。僕のときだと10人いたとして床屋をやっているのは2人くらいです。後は皆別な仕事についてますよ」

「なぜ?やっぱり大変だから?」
「そうですね、最初は腕がないから給料も安いし、髪形を作るのが好きで面白いと思わないと長く続かないですね」

 ほかの知り合いの床屋さんでは18歳で入りたての男子がいたのですが、遅刻をしたり無断で休むことがあったりして、やっぱり辞めてしまったのだそう。

「向き・不向きって言いますけど、やっぱり仕事を面白いと思うかどうかなんだと思います」

 「之を知る者は、之を好む者に如かず
 之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」(論語雍也編 )
  

     ◆


「ところで床屋さんとなると、客とおしゃべりもしなくちゃならないでしょう?」
「はい、僕も最初は全く話すネタがなくて『はい、はい』くらいしか言えませんでした」

「今はとても上手に客に合わせたトークができるじゃないですか」
「僕、趣味だけは手広くて長続きしなかったものもたくさんあるんですが、まずはその趣味についていろいろ調べる癖があるんです。なので趣味の腕は上がらなくても知識だけはあるって感じで。なのでちょっとした話題を口にすると逆にお客さんの方からいろいろ教えてもらえて、耳学問が増えて話すことが増えてきてトークに慣れてきたんです」

 床屋さんは髪を切るだけじゃなくてお客をトークで癒すことも必要なのです。


「知ってますか?売れっ子になるクラブの女の子って、客が帰った後にその人とどんな話題の話をしたかをメモにして残しているんだそうです。それが次の使命に繋がるんだと」
「良くありそうな話ですね。床屋でも客とどんな話をしたかをカルテにめもしてあるんじゃないですか?」

「いえ、今はお客さんとの話を覚えていられるようになったものですから」

 そういって彼はにっこり笑いました。

 相手のことを覚えているというのは営業や接待の極意の一つですね。

 僕は挨拶回りでのトークの内容もメモしておくことにしています。

 後でそれが探せないという事もよくあるのですが(笑)。

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小樽の名物は寿司だけじゃない! ~ 南樽砂場のニシン蕎麦を堪能

2022-04-06 22:36:07 | Weblog

 年度変わりの人事異動もそろそろ落ち着くころと、道内全域の挨拶回りを始めました。

 今日は小樽市内を中心に走り回りましたが、お昼はJR南小樽駅の真ん前にあるお蕎麦屋さん「南樽砂場」で名物のニシン蕎麦をいただきました。

 「砂場」というのは大阪発祥の蕎麦店の系列で、「藪」「更科」とともに"のれん御三家"と言われている一大勢力なのですが、こちらもその一派なのかしらん。

 砂場という名前は、大阪城の資材置き場だった砂場に由来すると言われていますが、諸説あって確信はありません。

 店内は狭いながらも建物全体が醸し出すレトロな歴史の趣に浸れます。

 昭和も長かったけれど、昭和三十年代あたりの雰囲気に感じられますね。


      ◆


「ニシン蕎麦、暖かいので」と通ぶって注文すると、「更科にしますか、ちょっと太めの田舎にしますか?」と面の種類を訊かれます。

 通なら始めから面の種類も含めた注文をしていましたね(笑)。

 私はやはり蕎麦の風味を存分に味わいたいので「田舎で」ということになります。

 待つこと十分で、じゃじゃん! 大きなニシンの甘辛煮の乗ったニシン蕎麦が出てきました。

 汁を一口飲んでみると、とても甘く仕上げてあります。自分じゃここまで甘い汁はなかなか作る気になれません。

 蕎麦の面は黒っぽくて太くて、幅に多少の乱れのあるあたりいかにも手打ち蕎麦という感じが伝わります。

 ニシンの甘辛煮はちょっと固い感じでしたがこれもご愛敬。

 小樽の昭和レトロな店内で、ニシン蕎麦を食べるというのは観光地としての魅力は満点です。

 小樽観光なら寿司というのが定番っぽくなっていますが、歴史ある小樽の味を風景とともに楽しめるというのは、小樽の観光の懐の深いところ。

 ありきたりな小樽観光に飽きたら、ちょっとディープに入り込んでみてほしいところです。

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わが人生の到達点 ~ 献血ライフはこれで終了です

2022-04-05 22:10:09 | Weblog

 夕方に携帯電話が鳴ったので見ると赤十字血液センターからの電話でした。

「もしもし」
「こちらは北海道赤十字血液センターです。いつも献血にご協力いただきありがとうございます。今回は緊急のお願いで血小板献血にご協力いただきたくお電話を差し上げました…」

 最近はコロナのために集団献血ができなくなり血液も不足気味と聞きます。

 頻度の高い複数献血経験者にはこのような電話が時々届いて献血への協力を求められることがあるのです。

 私もこれまで100回以上献血をしてきて、協力したい気持ちはやまやまなのですがそれが難しい事情がありました。

「あのう、実は私正月に怪我をしまして、そのときに輸血を受けてしまったのですがそれならもう献血はできないと聞いたのですが…」
「あ、あ~、そうですか。大年残念ですが一度輸血を受けてしまった方からは献血は受けられないことになっております」

「ですよね。大変申し訳ないのですが、それでは私の電話番号も登録からはずしていただけますでしょうか」
「わかりました。これまでのご協力に感謝申し上げます」


     ◆


 正月の怪我で入院した際に私は輸血を受けてしまったので、もう献血はできない体になってしまいました。

 これまでの献血回数は123回で、これもまあ切りの良い数字かもしれません。

 実は内心、69歳のギリギリまでできるとして、150回へ届かせたいものだと思っていたのですが、どうやらここが私の献血ボランティアの最終到達点でした。

 まだまだ健康に自信がある皆さん、どうぞ私の分も献血に協力して差し上げてください。

 一足先に離脱します。

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あんぱんからの連想ゲーム ~ 今日はあんぱんの日でした

2022-04-04 22:13:51 | Weblog

 

 今日4月4日は「アンパンの日」だそうです。

 アンパンの元祖「木村」

 1875年(明治8年)4月4日、東京向島の水戸藩下屋敷でお花見をされる明治天皇・皇后両陛下に初めて「あんぱん」が献上されたのだそう。

 ちなみにこのときあんぱんを献上したのが当時銀座4丁目でパン屋を営んでいた木村屋で、明治天皇侍従の山岡鉄舟がことのほか木村屋親子をかわいがっていたことから献上の機会を得たもの。

 当時イーストがまだ日本にはなく、木村親子は工夫の末に酒種酵母を作り出してしっとりしたパンを作ることに成功。

 西洋から取り入れたものをジャパナイズし、元祖よりも良いものを作り上げるのが得意な日本の魔改造ですが、このあんぱんという奴はそんな和洋折衷の中でも最高傑作の一つではないでしょう。

 そしてこのとき献上されたあんぱんはことのほか明治天皇皇后陛下のお口に合い、引き続き献上を許されたとのことです。

 またこのときに明治天皇が行幸された水戸藩下屋敷は現在は墨田区の隅田公園になっています。

 天皇家では平安時代から宮中の花宴を代々開催していましたが、明治維新の混乱でなかなか開けなかったものをようやく再開することとし、その場所に選んだのが水戸藩下屋敷なのでした。

 残念ながらこの場所は大正12年の関東大震災で灰塵と化し、昭和6年の帝都復興計画に基づいて隅田公園となりました。

 しかしそれもまた第二次大戦の戦火で失われるなど往時の面影を思い出すことは難しいものです。

 戦火で貴重な遺産や風景が失われるのは実に痛ましい出来事です。

 ウクライナの貴重な歴史遺産が少しでも残されることを祈らずにはいられません。


     ◆


 あんぱんからの連想ゲームでしたが、今朝のラジオ番組HBCラジオの「朝刊さくらい」では、「今日はアンパンの日にちなんだ曲を一曲お届けします」と言って、「アンパンマンの主題歌」かと思いきや、"アン・ルイス"の『甘い予感』が流れました。

 アン(餡)・ルイスの『甘い予感』とはなかなかに秀逸です。

 センスの良い人はいるものですねえ。

 

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居酒屋の人出不足 ~ なかなか"あづましく"ならないね

2022-04-03 19:11:34 | Weblog

 

 まん延防止の実施期間中は、家の近くの馴染みの居酒屋も片肺飛行。

 平日は休みで、土日だけ夕方からテイクアウトをするという変則的な運営が続いておりました。

 まん延防止が解除されたことで馴染みのお店もようやく本格的に元通りの開店になり、昨日の土曜日に家族で久しぶりにその居酒屋へ行きました。

 孫連れという事もあり小上がりを予約して久しぶりの居酒屋料理を堪能しようという企てです。

 夕方6時にお店に着くともう店内はほぼ満席、常連さんたちもようやく我慢から解放された喜びに満ち溢れています。

 一方お店のスタッフの方は、ご店主の他に見慣れない女性が一人で切り盛りでまあ忙しそう。

 注文をしようにも、他のお客さんからの注文がひっきりなしでなかなか声を発するタイミングを見計らうのが難しい。

 おまけにこの女性スタッフもまだ新人さんのようで、いろいろと慣れないことばかり。

 日本酒を注文したところ後ろで「マスター、船中八策どこですかー?」「冷蔵庫のうえ~」と、まだものがどこにあるかもよくわからない様子。

 さらには冷で注文した日本酒は、普通ならマスの中に0.7合くらいのグラスを入れて、お酒を注いでこぼれたところを桝で受けるという提供の仕方だったところを、桝に並々とついでグラスが別に出てきました。

「あれれ、この出し方は違うよ(笑)」と言うと、後からご店主がやってきて「すみません、不手際だったみたいで。今二人でやっているものですからなかなか手が回らなくてすみません」と平謝り。

 そう言えば以前にいた学生のアルバイトさんも店が営業を休んでいたことで辞めてしまったのでしょう。

 入り口には「急募 アルバイト時給〇〇円」という張り紙が貼られていますがなかなか集まらないのでしょう。


      ◆

 結局この日は、注文した品もなかなか来なくて料理なしでお酒だけを飲む時間が長くなってしまい、「なんだかあづましくないね(笑)」という形で終了。

 お店が閉じてまた開いて、というのではそこで働く人たちの安定性が担保されなくて良い人材も集まりにくいことでしょう。

 経済は車がアクセルを吹かせば加速するように簡単には動いてくれません。

 一方でコロナの第6波はウィルスが置き換わりつつあり、第7波の声も聞かれます。

 コロナウィルスとの付き合い方もそろそろ社会的な折り合いをつけて、感染の防止と経済の安定のバランスを取れるようしっかりと議論してほしいものです。

 春らしい春になりますように。

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元服の適齢期 ~ 今日から18歳で成人に

2022-04-01 22:42:46 | Weblog

 

 今日から4月、令和4年、2022年の新しい年度が始まりました。

 今日からいろいろと新しい法律が施行されて制度が変わるのですが、代表的な変化が民法改正による成人年齢の引き下げです。

 140年ぶりの成年の定義の改正ということで、選挙権が得られるとか、親の同意がなくても一人で契約ができ、さらには10年有効のパスポートが取れるようになったり、公認会計士の資格を取得することができる、などということにもなるのだそう。

 また女性が結婚できる年齢はこれまでの16歳から18歳に引き上げられて、こちらは男女とも18歳以上ということになるのだそう。

 また、18歳で成年になれたとしても飲酒・喫煙・ギャンブルはこれまでどおり20歳から、ということで、肉体の年齢が成熟する段階と、精神の年齢が安定することとのバランスをとっているよう。

 まあ成人の権利が得られると言いながら、義務は増えるし庇護されることが少なくなるように見えるので、若い人たちって本当に大変だなあ、とやや同情的に思います。


        ◆

 
 我が国の歴史上の成人式と言えば、「元服」ですが、調べてみるとこの年齢って、貴族と武士、平民の別だとか、平安~江戸期までそれぞれに幅があるようです。

 それでも大体、12~18歳くらいで(諸説あり)、江戸期には女子にも成人の元服がはじまったのだそう。

 
 一方で、ではその頃の寿命はどうだったかということを見てみると、いまほど住民管理ができていたわけではないので、正確な記録はありません。

 それでも古い時代の平均寿命は、安土桃山時代で30歳前後、室町時代は15歳前後、鎌倉時代が24歳、といった説があるようで、おおむね30歳前後です。

 それが近世・近代になると江戸時代の平均寿命は32~44歳、明治・大正時代は44歳という説があります。

 ただこのように平均寿命が今よりもずっと若いのは、生まれた子供が早くに死ぬ確率が高かったことがあり、それが平均を下げているというわけ。

 逆に言えば、子供の時を無事に乗り切ればそれなりの寿命はあったことも想像できて、それならば50歳や60歳くらいまでは生きたろうし、そんな社会の元服が15歳や18歳ということは、概ね『人生の三割が子供、七割が大人』ということなのではないか、というのが私の説です。

 肉体が成熟し、今生きている社会とはどんなところかという理解や、そこでどうふるまうべきか、というあるべき姿を修めるにはそれくらいの時間がかかる、時間をかけるというのがまあ妥当な線なのではないか。

 そうなると、人生80年の現代日本社会では、成人になる年齢を24歳とか、あるいは大学卒業の22歳と言う風に、今の20歳よりもさらに後ろにずらすひつようがあるのではないか、とすら思います。

 でもそれだと、お酒の飲めたりギャンブルができる年齢が後ろにずれて不満がでる?

 どうせなら18歳から受けられる成人認定試験を設けて、早くに合格すればそこで成人になり、試験に落ちても22歳で自動的に成人になるというシステムはどうか。

 まあ試験に合格しないと結婚もできずお酒も飲めないとなると、若者からは総すかんでしょうね。


 成人かぁ、20歳の自分も今思えば未熟だったなあ。
 

 

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