安曇野は、かな書きなら「あづみの」が正しい
しかし「あづみの adumino」で漢字変換するとパソコンも携帯電話も「安曇の」となる
「あずみの azumino」と打ち込むとしぶしぶ「安曇野」と表示される。毎度消化不良である
街中の看板は「づ」表記「ず」ありとまちまちですが・・・・
「信州」に観光的な集客性があるように「安曇野」も大変響きのよい言葉です
安曇は、九州・福岡からやって来た安曇氏の開拓により拓けたといわれています
松本平に続く安曇平とも呼ばれていた
安曇野は臼井吉見著「安曇野」で初めて「平」から「野」と表現されて、一躍有名になった
経緯があります
新信州人としては、疑問がある
その1
JR梓橋駅のホームに看板があります。松本からやってくると
「ほう、そうかここから安曇野なんだ」と感激しました
梓川から北を安曇野、南は松本市だからこれは分かる
梓橋から先のJR大糸線の駅には、ここから~~、つまりここで「安曇野」は終わり!を
あらわす看板を見つけられなかったので、JR松本駅に聞いてみました
「そのような看板はありません、梓橋駅の看板もいつからあるかも分からない
JR東日本でもわからなかった」とのことで、国鉄時代の作品ではないかと想像しています
(梓橋駅の係員も知らなかった)
その2
安曇野とはどこからどこまでの範囲を示すのか?
沿線でいえば穂高町までというのと大町市も入るという説があるらしい
大町市役所観光課の説明で納得しました
・北は大町市南の高瀬川から南は梓川までの肥沃な平野を安曇野といい、
おいしい安曇野米の産地である
・大町と北の小谷村、白馬村などは「北の安曇野」ともいえるが、
どちらかというと山岳地帯であって野というイメージではない
私なりの結論
伝説的な有明山、象徴的な常念岳からずっと扇状に高瀬川へ向かって伸びる台地を安曇野と呼ぼう
このあたりでも標高500メートルほどある
そうして南北に流れている高瀬川から東の山へ向かう明科町と池田町の田園も含めよう
池田町の山手から眺める平野と北アルプスに落ちる夕日の美しさといったら・・・・
土地を探している時に常念岳を眺める明科町を勧められたことがあり
今なら「さもありなん」と非常によく理解できます
JR大糸線での範疇駅数は、観光基地の賑やかな穂高駅や無人駅もあり、13駅となる
写真上:朝夕はやや賑やかな豊科駅 由緒ありそうな駅舎の看板
写真左:池田方面の山からの朝日(雲海と飛行機雲) 写真右:安曇野の稲穂
安曇野を大町から木崎湖まで含める本がありました
ああだこうだ田舎はとかく暮らしにくいと言いながら、やっぱり離れられないんだろうなと読み取れる
1978年刊行本です。27年後の今どんな思いか聴いてみたい
ところがその後いくつかの本を読み、ネットで見つけた情報から推察した結果
「小太郎伝説」(日本昔話の/龍の子太郎にそっくり)など民話、伝説からみて
大町は安曇野でしょうね
海洋の安曇族により開拓されたという伝説、
大昔安曇野は湖につかっていたが小太郎によって平野になった、
海のない穂高町の穂高神社で「御船祭り」があり、そして境内には「小太郎の像」がある
これで少しまとまったみたいです
穂高神社の氏子が住む地域はまちがいなく安曇野です(当然過ぎるか)
安曇野は「安曇族」「小太郎伝説」と有明山伝説「八面大王」で形成されているのです
しかし「あづみの adumino」で漢字変換するとパソコンも携帯電話も「安曇の」となる
「あずみの azumino」と打ち込むとしぶしぶ「安曇野」と表示される。毎度消化不良である
街中の看板は「づ」表記「ず」ありとまちまちですが・・・・
「信州」に観光的な集客性があるように「安曇野」も大変響きのよい言葉です
安曇は、九州・福岡からやって来た安曇氏の開拓により拓けたといわれています
松本平に続く安曇平とも呼ばれていた
安曇野は臼井吉見著「安曇野」で初めて「平」から「野」と表現されて、一躍有名になった
経緯があります
新信州人としては、疑問がある
その1
JR梓橋駅のホームに看板があります。松本からやってくると
「ほう、そうかここから安曇野なんだ」と感激しました
梓川から北を安曇野、南は松本市だからこれは分かる
梓橋から先のJR大糸線の駅には、ここから~~、つまりここで「安曇野」は終わり!を
あらわす看板を見つけられなかったので、JR松本駅に聞いてみました
「そのような看板はありません、梓橋駅の看板もいつからあるかも分からない
JR東日本でもわからなかった」とのことで、国鉄時代の作品ではないかと想像しています
(梓橋駅の係員も知らなかった)
その2
安曇野とはどこからどこまでの範囲を示すのか?
沿線でいえば穂高町までというのと大町市も入るという説があるらしい
大町市役所観光課の説明で納得しました
・北は大町市南の高瀬川から南は梓川までの肥沃な平野を安曇野といい、
おいしい安曇野米の産地である
・大町と北の小谷村、白馬村などは「北の安曇野」ともいえるが、
どちらかというと山岳地帯であって野というイメージではない
私なりの結論
伝説的な有明山、象徴的な常念岳からずっと扇状に高瀬川へ向かって伸びる台地を安曇野と呼ぼう
このあたりでも標高500メートルほどある
そうして南北に流れている高瀬川から東の山へ向かう明科町と池田町の田園も含めよう
池田町の山手から眺める平野と北アルプスに落ちる夕日の美しさといったら・・・・
土地を探している時に常念岳を眺める明科町を勧められたことがあり
今なら「さもありなん」と非常によく理解できます
JR大糸線での範疇駅数は、観光基地の賑やかな穂高駅や無人駅もあり、13駅となる
写真左:池田方面の山からの朝日(雲海と飛行機雲) 写真右:安曇野の稲穂
安曇野を大町から木崎湖まで含める本がありました
ああだこうだ田舎はとかく暮らしにくいと言いながら、やっぱり離れられないんだろうなと読み取れる
1978年刊行本です。27年後の今どんな思いか聴いてみたい
ところがその後いくつかの本を読み、ネットで見つけた情報から推察した結果
「小太郎伝説」(日本昔話の/龍の子太郎にそっくり)など民話、伝説からみて
大町は安曇野でしょうね
海洋の安曇族により開拓されたという伝説、
大昔安曇野は湖につかっていたが小太郎によって平野になった、
海のない穂高町の穂高神社で「御船祭り」があり、そして境内には「小太郎の像」がある
これで少しまとまったみたいです
穂高神社の氏子が住む地域はまちがいなく安曇野です(当然過ぎるか)
安曇野は「安曇族」「小太郎伝説」と有明山伝説「八面大王」で形成されているのです