蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

安曇野の宝「残月集」

2005年11月18日 | 安曇野とその周辺
11月18日の写真追加のため更新

早朝 まさしく朝焼けの有明と残月、残月集の世界を撮影できた


惚れた弱みの有明山考
移住の決め手にもなった有明山の風景に神社が絡むのは当然であるが、
私にとっては宗教的にどうとか山岳信仰崇拝者とかではなく、ほとんど
成り行きだった。
神社は有明山の麓にあり、有明山をご神体とする山岳信仰神社である。
山頂には奥社があり、中岳本社に手力雄命 大己貴命 八意思兼命の三神を、
南岳本社に天照大神、天細女命 金毘羅大神の三神が祀られています

ずっと古くから別の地にあった(第8代天皇の時代に造営された)神社を
明治21年岡村阜一氏が再興したのが現在の有明山神社である。


■有明山神社再興記念の和歌「残月集」のあゆみ

歌人・矢野口保邦のお孫さんの恂氏が、現在も当時の地所にお住まいです
話を聞くことができました

手作り文集「残月集」  明治30年8月1日発行。
発行者 岡村阜一(南穂高村)、
編纂者 歌人・矢野口保邦(有明村)・林親良(豊科村)の三氏だった。
おそらく企画から発行まで8~10年くらいがかかっていると思われます。
全国各地の高位高官や歌人から「有明山」「ありあけ」にちなむ和歌を収集し、
編集発行した文集である

茶色の和紙表紙で、毛筆の筆跡は保邦氏と確認されています
歌人として冷泉為紀に師事した縁もあり、信州歌壇の先駆けだった
矢野口保邦氏の功績は大きいでしょう。
それにしても通信手段や時代背景から考察して、宮中や高位高官(男爵など)
はじめ全国から収集されたのは大変なことだと察せられる。
ハガキで募集し、矢野口家に郵送されてきた色紙・短冊が1200余首。
中にはお断りもあったろうし、返信なしもあったでしょうから発送はがきの総数は・・・・。

・明治30年発行の文集(穂高図書館でコピーしたもの)

  
自費出版(おそらく3氏の)だったという。
明治20年代にこれだけの事業(収集と出版)ができたのは、他には伊勢神宮だけしか
考えられないと、関係者の間では驚異的なことと言われています。

送られてきた色紙・短冊の原本は有明山神社に奉納され、京都で表装された「残月集」は
社宝として保管されていました。

それを目にしたのがきっかけで、立派な平成15年版「残月集」は発行された


その過程で、締め切り後に郵送されてきた短冊を、矢野口氏宅で預かっておられた
80首の存在も明らかになりました。
新発見の短冊は寄付され、現在は有明山神社に奉納されています。

現在平成15年発行の「残月集」は穂高の図書館で借りられますが、手作り文集
「残月集」は禁持出文書扱いです

矢野口氏宅前から見る安曇野と有明山は、明治30年当時とあまりかわらない風景かもしれない




毎年7月中旬頃、有明山神社主宰(安曇野の各地区が年番で開催準備し引率してくれる)
の登山と頂上にて祭礼が行われている。
祭礼とは直接関係ないが、「有明山登山」の参考にしてください。きっと山に登りたくなるサイトです
コメント (1)
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