蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

ラダック・・・ラマユル滞在

2014年07月03日 | 海外旅日記
ラマユル地域は、かつて巨大な湖が干上がって出来た黄色い岩石がぼこぼこと盛りあがり不思議な光景を見せるので「月のような世界」と呼ばれています。
月に行ったことがないので検証の仕様はないが・・・とにかく荒涼とした山岳大地でした。
ラマユル・ゴンパ遠景



ラマユルのゲストハウス「ドラゴンホテル」の食堂。みんなで一緒に食事をします。
宿泊者にはインド人男性がいたようだったが、夕食も翌朝食も我々だけで頂いた。

テーブルや、カーペットを敷いて座る台などは伝統的なチベット仕様です。
ミラズハウスも同じです。


建物はかなりの年代ものですが、食器棚は新たに作りつけしたようで、年代物の重厚な食器、道具類が並んでいた。


この壺もかなりの年代物。はったい粉のような粉がはいっていて、チャイに使うらしい。


夕食のカレー


トゥクパ


朝食



前後するが、夕食前にラマユル寺を見学

道ばたの家の前にて。顔がパキスタンのフンザで見かけた子供の顔に似ている。
歴史をひもとけば、あるいは流れてきた民族かもしれない、確信はないが・・・・


チベット族の男性。右足を斜め前に構える立ち姿。
ミラズハウスのお婆様は左足を斜め前に構える立ち姿。
何か理由があるかもしれない。


勤行中のお堂
ブオォ~とラッパの低音がお腹に響く。
小坊主達はパックジュースのようなものを飲んでいたり、隣同士でおしゃべりしたりと、今日の勤行はのんびりと悠長な風景。


はにかむというより斜に構える、撮影慣れした小坊主達か?


星空も見ずに眠りこけた。
相変わらず快眠快食快便の日々が続く・・・

明日は月世界の風景を眺めながら、3725mのプリンキティラ峠を目指しワンラ村へ抜けるトレッキング。


それでもオーナー&ガイドは、我々に高山病予防薬は飲まなくてもよいという。

付録
道中でよく見かけるマニ石。
お経が掘られており専門の石工がいます。勿論何を彫るか注文できます。
エべレスト街道でもいろいろな色彩文字がありました。


翌日、トレッキングに出発直後の路傍で偶然石工の仕事現場に出くわした。













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4 コメント

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Unknown (はぐれ雲)
2014-07-06 20:58:49
「チベット問題を読み解く」買って読みましたよ。
ここはインドなんですね。でも中国と国境が近い。
民族や文化が支配されないことを望みます。

蔵くらさんの旅は行ってみたいところばかりです。
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チベットの人々 (蔵くら)
2014-07-07 10:29:54
チベットの歴史をあまり詳しくないまま、ダラムサラやラダックに行っていました。
インターネットで「ラダックの歴史」検索に詳しくあります。
私が投宿しているミラズハウスの2階に仏間があり、仏像と14世の写真が飾られていました。
ラダックにも難民センターはありますが、ダラムサラほどの深刻さは感じられませんでした。

ダライ・ラマ14世が迫害されインドのダラムサラ(ラダックから見てずっと西の山手)で亡命政府を開いている地域の人々は、チベット本国で中国から虐待をうけ迫害された僧侶や、未来を信じる親から離れヒマラヤを徒歩で越えて難民となった子供たちです。

1998年と99年にダラムサラを旅行した折、ラダックの存在を知り昨年と今年の2回も訪ねるきっかけとなりました。難民支援のレストランのマネジャーがラダック出身だったのです。
よろしければ当ブログのふらり旅日記を・・・・・


現役を離れられたら、是非お出かけください。ほっこりな毎日を過ごせますよ。
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ほりでーゆ (ひらりん)
2014-08-03 18:27:22
8月4日、昼過ぎから2時過ぎまでほりでーゆに寄る予定です。
返信する
安曇野へようこそ (蔵くら)
2014-08-03 19:10:09
予想より暑いでしょう。

お知らせありがとうございます。
お会いしたいです。伺います。

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