参院選の結果について3回書いてきた。ネットや新聞に細かいデータが載っているけれど、なかなか見ないことが多い。だからデータ確認を中心に書いてきたけど、最後に話題を呼んだ「山本太郎新党」についての考えを書いておきたい。僕が「山本太郎新党」とあえて書くのは、党名を最初に聞いたときの驚きと違和感があって、党名を書きたくないからだ。今後党名変更を真剣に考えて欲しいと思う。
まあ仕方ないから書くことになるが、新党「れいわ新選組」は比例代表で2議席を獲得した。228万票ほどで、全体の4.55%に当たる得票を獲得した。社民党の2倍以上あるから、確かに出来たばかりの新党ととしては大健闘である。山本太郎はそれまで自由党(「生活の党と山本太郎となかまたち」が2016年10月に改称)に所属していたが、2019年4月10日に月末の統一地方選終了後に離党し、参院選に独自の政党で臨むと発表した。政治団体そのものは4月1日に設立されていたようだ。その後1ヶ月で寄付金が1億円に達し、徐々に擁立候補も発表されていった。
(演説する山本太郎)
それにしても3ヶ月しかない。そして2議席を獲得したわけだが、当選者は特定枠で届け出た重度の身体障害者候補2人だった。山本太郎自身は議席を失ったわけである。山本太郎は個人票を99万票も獲得していて、これは個人名の史上最多票落選者だ。その結果は大方のところ予想通りで、僕も比例代表の仕組みを書いた時に、山本太郎は最多票落選者だろうと書いた。僕が思うに「特定枠」を一人にしていたら、「山本太郎に議席を」ともっと燃えて結果的に3議席に届いたのかもしれない。
政策評価の前に党名問題。近年は「特別な意味を持つイデオロギー用語」を意図せずに使う例が多い。今回の場合、「れいわ」も「新選組」も特別な意味を持つ。まず「れいわ」だが、元号を党名に使うセンス自体が理解できない。「令和新時代」などと政権側が政治利用しているときに、野党側から元号ブームを支えた感がある。言うまでもなく、「元号が変わった」ことは「時代が変わった」ことを意味しない。国民主権の日本では、安倍首相が続いている以上「同じ時代」である。そもそも元号を使用すること自体にイデオロギー的な意味がある。若い世代には「平成最後」とか「令和新時代」とか平気で使う人が結構いるが、現代風「皇国史観」になってしまわないか。
「新選組」に関しては「新しい時代に新しく選ばれる政党になるため」と言う意味だとしている。「新撰組」と書かないのはそのためだというが、「選」と「撰」は同じく「選ぶ」という意味だし、そもそも幕末の「新選組」でも当人たちが両方使っている。ロゴも新選組隊旗をイメージして作られたというから、やはり幕末の新選組を意識して付けたわけだ。「新選組」に関しては、2018年に「新選組とは何だったのか」という記事を書いた。そこで僕が理解したところでは、新選組は「尊皇攘夷の志士」集団でありつつ、幕末京都の政局で「一会桑政権の暴力装置」でもあった。
(ロゴと新選組隊旗)
ある種の「義士」ととらえる人もいるようだが、僕にはやはり京都で人を殺し回った印象が強い。それも権力側の走狗として。全国で4.55%なんだから、多くの都道府県では3%~4%台の得票だった。そんな中で2%台なのは和歌山と山口である。和歌山はともかく、山口で2.9%だったのは、首相のお膝元で自民が50%もあったからだけではなく、やはり幕末の長州藩弾圧イメージがあるからではないのか。そして一番心配なのは、「れいわ新選組」も「尊皇攘夷」にならないかということだ。
さて政策の方だけど、今のところ「典型的なポピュリズム運動」じゃないかと思う。ポピュリズムは字義通りでは「人民主義」「大衆主義」だが、言葉の使い方としては「大衆迎合主義」に近い。アルゼンチンのペロン元大統領などが代表とされる。ただし、僕はポピュリズムだから悪いとは言わない。どんな主張だってしていいし、政策の整合性、予算措置などすべてはっきりしてなければ対案を出すな等と言うのは、支配者側の言葉である。人はどんな要求を出してもいい。だけど、実現可能性の道筋ははっきりさせておかないと行けない。「緊急政策」もあれば、「長期的政策」もある。
具体例を一つだけ指摘しておく。「奨学金チャラ」は実現できない。なぜなら「憲法違反」だからだ。その理由を説明し出すと長くなるが簡単に言っておくと「法の下の平等」と「経済活動の自由」である。でも高等教育の教育ローン問題は深刻である。だから当事者が「チャラ」運動をするのはいい。そのことで学生支援策も拡充していく。だけど、奨学金を得たものは対価として「大卒資格」(学士)を手に入れる。だからチャラにしたら不平等なのである。ただ昔は大学卒なら「一流企業」に就職でき、奨学金も返還しやすかった。そういう社会システムが崩壊したことが問題なのだ。学生はまだ声が出せるが、チャラにして欲しい困窮者はもっといるだろう。
まあ仕方ないから書くことになるが、新党「れいわ新選組」は比例代表で2議席を獲得した。228万票ほどで、全体の4.55%に当たる得票を獲得した。社民党の2倍以上あるから、確かに出来たばかりの新党ととしては大健闘である。山本太郎はそれまで自由党(「生活の党と山本太郎となかまたち」が2016年10月に改称)に所属していたが、2019年4月10日に月末の統一地方選終了後に離党し、参院選に独自の政党で臨むと発表した。政治団体そのものは4月1日に設立されていたようだ。その後1ヶ月で寄付金が1億円に達し、徐々に擁立候補も発表されていった。
(演説する山本太郎)
それにしても3ヶ月しかない。そして2議席を獲得したわけだが、当選者は特定枠で届け出た重度の身体障害者候補2人だった。山本太郎自身は議席を失ったわけである。山本太郎は個人票を99万票も獲得していて、これは個人名の史上最多票落選者だ。その結果は大方のところ予想通りで、僕も比例代表の仕組みを書いた時に、山本太郎は最多票落選者だろうと書いた。僕が思うに「特定枠」を一人にしていたら、「山本太郎に議席を」ともっと燃えて結果的に3議席に届いたのかもしれない。
政策評価の前に党名問題。近年は「特別な意味を持つイデオロギー用語」を意図せずに使う例が多い。今回の場合、「れいわ」も「新選組」も特別な意味を持つ。まず「れいわ」だが、元号を党名に使うセンス自体が理解できない。「令和新時代」などと政権側が政治利用しているときに、野党側から元号ブームを支えた感がある。言うまでもなく、「元号が変わった」ことは「時代が変わった」ことを意味しない。国民主権の日本では、安倍首相が続いている以上「同じ時代」である。そもそも元号を使用すること自体にイデオロギー的な意味がある。若い世代には「平成最後」とか「令和新時代」とか平気で使う人が結構いるが、現代風「皇国史観」になってしまわないか。
「新選組」に関しては「新しい時代に新しく選ばれる政党になるため」と言う意味だとしている。「新撰組」と書かないのはそのためだというが、「選」と「撰」は同じく「選ぶ」という意味だし、そもそも幕末の「新選組」でも当人たちが両方使っている。ロゴも新選組隊旗をイメージして作られたというから、やはり幕末の新選組を意識して付けたわけだ。「新選組」に関しては、2018年に「新選組とは何だったのか」という記事を書いた。そこで僕が理解したところでは、新選組は「尊皇攘夷の志士」集団でありつつ、幕末京都の政局で「一会桑政権の暴力装置」でもあった。
(ロゴと新選組隊旗)
ある種の「義士」ととらえる人もいるようだが、僕にはやはり京都で人を殺し回った印象が強い。それも権力側の走狗として。全国で4.55%なんだから、多くの都道府県では3%~4%台の得票だった。そんな中で2%台なのは和歌山と山口である。和歌山はともかく、山口で2.9%だったのは、首相のお膝元で自民が50%もあったからだけではなく、やはり幕末の長州藩弾圧イメージがあるからではないのか。そして一番心配なのは、「れいわ新選組」も「尊皇攘夷」にならないかということだ。
さて政策の方だけど、今のところ「典型的なポピュリズム運動」じゃないかと思う。ポピュリズムは字義通りでは「人民主義」「大衆主義」だが、言葉の使い方としては「大衆迎合主義」に近い。アルゼンチンのペロン元大統領などが代表とされる。ただし、僕はポピュリズムだから悪いとは言わない。どんな主張だってしていいし、政策の整合性、予算措置などすべてはっきりしてなければ対案を出すな等と言うのは、支配者側の言葉である。人はどんな要求を出してもいい。だけど、実現可能性の道筋ははっきりさせておかないと行けない。「緊急政策」もあれば、「長期的政策」もある。
具体例を一つだけ指摘しておく。「奨学金チャラ」は実現できない。なぜなら「憲法違反」だからだ。その理由を説明し出すと長くなるが簡単に言っておくと「法の下の平等」と「経済活動の自由」である。でも高等教育の教育ローン問題は深刻である。だから当事者が「チャラ」運動をするのはいい。そのことで学生支援策も拡充していく。だけど、奨学金を得たものは対価として「大卒資格」(学士)を手に入れる。だからチャラにしたら不平等なのである。ただ昔は大学卒なら「一流企業」に就職でき、奨学金も返還しやすかった。そういう社会システムが崩壊したことが問題なのだ。学生はまだ声が出せるが、チャラにして欲しい困窮者はもっといるだろう。