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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「みんなの党」参議院議員はどこへ行ったか

2019年07月12日 23時06分00秒 |  〃  (選挙)
 「政党」は「私的結社」でありながら、日本でもっとも影響力の大きな組織(の一つ)である。近現代の歴史は政党が基本となる。前から政党の盛衰を書いてみたかったけれど、長くなりそうで書く気にならなかった。自民党から共産党まで、いろんな歴史がある。自民、公明、共産などはまだしも、10年前に政権を取った民主党がどういう経路をたどって「立憲民主党」と「国民民主党」(及びその他の人々)に別れていったのか。1993年に自民党を離党して以来、小沢一郎氏が順番に何という政党に所属していたのか。知らなくてもいいかもしれないが、自分はそういうトリビアに興味があるわけだ。

 今回は「みんなの党」を取り上げる。「みんなの党」に特別な関心があるわけじゃない。ただ、「今はもうない」から書きやすい。6年前の参院選の時はまだあったから、その時に「みんなの党」から当選した議員は今回どうするんだろう。そんなことを思ったのも、調べてみたきっかけだ。2009年の民主党政権が出来た衆院選直前に、自民党の渡辺喜美(わたなべ・よしみ)が離党して、無所属議員の江田憲司とともに新党を結成した。それが「みんなの党」の発足である。自民から山内康一、民主から浅尾慶一郎が参加した。準備不足だったが、東京で柿沢未途が比例区で当選して、5議席を獲得した。
(川田龍平が入党、左から江田、川田、渡辺)
 2010年参院選では、なんと10議席を獲得した。選挙区で3、比例区で7である。公明党が9議席で、つまり「みんなの党」の方が多かった。比例区票でも民主党、自民党に続き、第3党。公明党が第3党じゃなかったのは非常に珍しい。この時点が「みんなの党」の短い絶頂期である。2013年参院選では、選挙区4、比例区4の8議員が当選して、計18議席となった。しかし、比例区の得票は第6位。共産党よりも少ない。理由は簡単で、2012年末に結成された「日本維新の会」が比例区で6議席を取ったからだ。

 「日本維新の会」は、地方政党「大阪維新の会」が国政に乗りだし、石原慎太郎らの「太陽の党」と合同して作られた。2012年衆院選で一躍54議席を獲得し、第3党となった。「みんなの党」を含めて、もう誰も覚えていないような経過をたどって分裂を繰り返した。「結いの党」とか「維新の党」とか、もう誰も判らないだろう。「みんな」と「維新」は協力と対立を繰り返した。そもそも2012年衆院選の前に、「維新」から出馬したいと「みんな」の参院議員3人が離党を表明したのである。2013年12月になると、渡辺代表と江田幹事長の対立が激化、ついに江田グループが離党するに至る。

 2014年3月に、渡辺代表が参院選前に化粧品会社DHCの社長吉田嘉明から3億円を借りていたことが発覚した。2012年衆院選前にも5億円を借りていた。政治資金として届け出ていないため、違法ではないかと追求された。結局「個人的な借り入れ」として法的には不問になったが、政治的ダメージとなり代表を辞任した。浅尾慶一郎が代表となったが、2014年末の衆院選を前に路線対立が激しくなり、解党するに至った。「自民党でも民主党でもない」という位置取りに意味があるように見えた時代は短かった。民主党政権下で、「立ちあがれ日本」とか舛添要一の「新党改革」などが結成された。渡辺喜美や舛添要一が自民党に残っていたら、彼らが首相だったのかもしれない。

 衆議院議員全員を見ていると長くなるから、最初に当選した5人だけ見ておきたい。
渡辺喜美 2014年衆院選で落選、2016年参院選比例区に「維新」から当選。2017年都議選で「都民ファーストの会」を支持して除名。「希望の党」には参加せず、現在、無所属の参議院議員
江田憲司 2013年に離党、「結いの党」結成。2014年「維新の党」、2016年「民進党」、2017年衆院選には無所属で当選。「無所属の会」を経て、院内会派「立憲民主党・無所属フォーラム」。
浅尾慶一郎 2014年衆院選に無所属で当選。2016年自民党の院内会派に入会、2017年自民党入党。2017年衆院選は自民党は山本朋広を公認し、無所属で立候補して落選。
山内康一 神奈川9区の自民党議員から、離党して「みんなの党」比例北関東ブロックで2009年、2012年に当選。解党後、民主党に入党、2014年衆院選に埼玉13区から出馬し落選。2017年衆院選に福岡3区で立憲民主党から立候補して比例区で当選。
柿沢未徒 2009年衆院選で「みんなの党」から比例区で当選。2012年は「みんな」、2014年は「維新の党」で東京15区から当選。一時は「維新の党)幹事長を務めるも解任。民進党を経て、2017年衆院選は「希望の党」から比例区で当選。「国民民主党」に参加せず無所属。現在、院内会派「社会保障を立て直す国民会議」所属。

 四分五裂状況がよく判る。こうやって詳しく見ると大変すぎるので以下は簡単に。
2010年参院選当選、2016年の政治行動
松田公太(東京)  「日本を元気にする会」を経て、2016年は出馬せず政界引退。
水野賢一(千葉)  「無所属クラブ」を経て民進党。2016年は民進党から出馬して落選。
中西健治(神奈川) 2016年は自民党推薦の無所属で当選。追加公認を受けて自民党参議院議員

柴田巧(比例)  16年民進党から比例で落選。17年衆院選「希望の党」で落選。19年維新から比例区立候補
江口克彦(比例) 16年は立候補せず政界引退 
上野宏史(比例) 12年参院辞任、維新から衆議院比例当選。14年落選。17年自民党から比例区当選
寺田典城(比例) 16年立候補せず。17年秋田知事選に立候補して落選。
小野次郎(比例) 16年民進党から出馬して落選。
小熊慎司(比例) 12年参院辞任、維新から衆院当選、14年維新の党、17年希望で当選。国民民主党衆院議員
桜内文城(比例) 12年参院辞任、維新から衆院当選。14年次世代の党、17年希望から出馬して落選。
真山勇一(比例) 12年繰り上げ当選。16年民進党から神奈川で当選。立憲民主党参議院議員
藤巻幸夫(比例) 12年繰り上げ当選。14年死去。
山田太郎(比例) 12年繰り上げ当選。16年「新党改革」から立候補して落選。19年自民党比例区で立候補。
田中茂(比例)  14年繰り上げ当選。解党後、自民党会派入会、16年立候補せず。

2013年参院選当選、2019年の政治行動
松沢成文(神奈川) 次世代の党、希望の党を経て、19年「日本維新の会」から立候補中。
行田邦子(埼玉)  解党後は無所属、希望の党を経て、19年は立候補せず。埼玉県知事選立候補予定。
薬師寺道代(愛知) 無所属クラブを経て、19年は立候補せず、自民党から次期衆院選出馬予定。
和田政宗(宮城)  次世代の党を経て、自民党入党。19年は自民党から比例区立候補中。

川田龍平  結いの党、維新の党、民進党を経て、19年は立憲民主党から比例区立候補中。
山口和之  「日本を元気にする会」を経て、維新の会入党。19年維新から比例区立候補中。
渡辺美知太郎 無所属を経て、自民党会派入会。19年、那須塩原市長選に出馬して当選。
井上義行  「日本を元気にする会」を経て、自民党会派入会。19年は自民党から比例区出馬中。

 大分細かな話になって、選挙、政治家ウォッチャー以外は関心がないかと思う。以上を総計してみる気もないけど、結局「自民党に戻った」が一番多いように思う。「維新」に居場所を求めたものが次ぐ。江田憲司グループは「結いの党」「維新の党」「民進党」を経て、立憲民主党に属する人も多い。「希望の党」から「国民民主党」入りしているのは小熊慎司だけだろう。「みんなの党」に関わって、分裂を繰り返したあげく議席を失った人も多い。まあ渡辺喜美を「改革者」だと錯覚したことが「人を見る目」がなかった。ブームはあっという間に去るものだ。今回の参院選で何人が当選することやら。
コメント
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