尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

中野量太監督「長いお別れ」

2019年07月10日 21時57分39秒 | 映画 (新作日本映画)
 中島京子原作、中野量太監督の「長いお別れ」は、5月31日公開だから上映は終わりつつある。「旅のおわり世界のはじまり」より前に見てたけど、書くかどうか迷っていた。まあ不満はあるものの、よく出来ているのは間違いなから記録しておきたい。中野監督は前作「湯を沸かすほどの熱い愛」が素晴らしかった。今まではオリジナル脚本で作ってきたけど、今回は原作もの。話も割と淡々と進む。前作ほどの「爆発」がない。前作の宮沢りえは確かに「湯を湧かすほど」の熱量を発揮していたけれど。

 この映画は東(ひがし)一家の物語だ。元中学校長の東昇平山崎努)の70歳の誕生日に久しぶりに二人の子どもが集まる。アメリカで夫と子どもと住む長女の麻里竹内結子)。料理店を開きたい次女の芙美蒼井優)。二人に妻の曜子松原智恵子)が告げたのは、最近父の様子がおかしいということだ。認知症の兆候があるという。他の病気ならともかく認知症は早いなと思ったが、そういうこともあるんだろう。でも中学校長だから年金は安定しているだろうし、まだ妻は元気。次女が独身で不安定なのが問題だけど、だからこそ非常時には頼ることも出来る。

 話は2年ごとに語られる。大震災を挟んだ7年間の記録である。アメリカに住む孫は大きくなり、異文化の中で苦労している。一方、父はどんどん認知症が進んで行く。この二人は大きく変動するが、他の家族の変化は少ない。いや、細かく見れば、長女一家に波があり、次女の生活にもいろんな変化があった。でも「まあ、そういうことも人生にはあるさ」で済むかもしれないのに対し、老病人と子どもにとって7年間は長い。この一家は先に書いたように、経済的にも家族的にも、今の日本の中では恵まれすぎだと思う。そこがどうしても不満を感じるところだ。

 だが見方を変えると、そのことは「老い」にまつわる外的な悲惨さをあまり描かずに済む効果もある。つまり、山崎努演じる父親の「老い」だけをテーマとして見つめてゆくことになる。国語辞典を娘に貸し与えるところなどを見ると、この父親は国語教師だったのだろうか。いつも本を読んでいるんだけど、次第に岩波文庫「相対性理論」を上下逆さまに握るようになる。そういう成り行きを経て、人は老いてゆく。あるいは「帰る、帰る」と言うようになる。ここが家ですよと言っても帰るという。生家のことだと思い、小田急に乗って実家に連れてゆく。しかし、もちろん建て替えられているから、そこでも「帰る」と言う。

 冒頭に遊園地のシーンが出てくる。ラスト近くにその場面がまた出てくる。そこでやっと判る。回転木馬に女の子と乗っている父親こそ、子どもが小さかった時代に戻っていた父親の姿だった。山崎努の存在感の大きさが映画を支えている。案外賞にも恵まれていないんだけど、山崎努の今までの日本映画に対する貢献は非常に大きい。そろそろ「主演男優賞」を贈ってはどうだろうか。

 久しぶりの松原智恵子は若々しいが、若すぎる気もする。山田洋次映画なんかで同じような役柄を演じている蒼井優は、この映画でも儲け役。多くの主演賞を受賞した「彼女がその名を知らない鳥たち」のような「壊れた女」の方が似合うだろうが。岩井俊二の「花とアリス」で初めて見たときから何年経ったのだろう。こういう映画を見ると、実生活でも幸せになって欲しいなと思ってしまいますよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする