尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

尾瀬の燧岳登頂30年ー日本の山⑦

2019年07月29日 22時18分38秒 |  〃 (日本の山・日本の温泉)
 参院選が終わったばかりだが、今まで一番記憶にある参院選はいつだろうか。多くの人は衆院選は覚えていても、参院選はあまり記憶にないかもしれない。衆院選だったら、2005年の「郵政解散」や2009年の「政権交代」を記憶している人も多いだろう。ところで、僕はちょうど30年前の1989年の参院選が一番記憶にある参院選だ。この時はリクルート事件、消費税、牛肉・オレンジの自由化に加えて、宇野宗佑首相の女性問題まで飛び出して、自民党がボロ負けした。改選126議席中、自民党は36議席しか獲得できず、初めて過半数を割り込んだ。社会党の土井たか子委員長は「山が動いた」と語った。

 この時の参院選が思い出に残っているのは、選挙結果のためばかりではない。7月23日の投票が終わり、本来ならもう夏休みだから翌日の勤務をあまり気にせずに開票速報を聞いてればいい。だけど、この時は翌日が中学2年生の林間学校だったのである。早朝に集合してバスに乗る。行き先は尾瀬だ。遅れるわけにはいかない。バスで寝ればいいやとラジオを聞いていた。(テレビはなかった。)
 「翌朝は生徒率いて尾瀬へ向かう その前の夜の開票速報」(当時作った短歌)

 長いこと教員をしてきて、「仕事でしか行ってない場所」がかなりある。研修センターとかそういう場所ではない。行事引率で結構あちこちいくのである。実は東京ディズニーランドユニバーサル・スタジオ・ジャパンも仕事でしか行ってない。北は札幌羊ヶ丘展望台のクラーク像から、南は沖縄の「ひめゆりの塔」まで、仕事でしか行ってない場所がある。そして、尾瀬の燧岳(ひうちだけ)もこの時林間学校で登ったきりである。尾瀬は車で行くのが大変なので(何日も駐車しておかないといけない)、つい敬遠してしまう。尾瀬にはもう一つ、至仏山という「百名山」があるけど、こっちは未だ登ってない。
(尾瀬ヶ原から見た燧岳)
 この時以外でも尾瀬へ行く林間学校は経験した。しかし、それは尾瀬の外に泊まって、中日に日帰りで尾瀬の一端に触れる旅行だった。1989年は違った。尾瀬の中の山小屋に泊まった。この時は5クラスだった。200名を超える生徒を一度に泊めてくれる山小屋はなかった。そこでコース別に3つの山小屋に分宿したのである。そんな計画がよく実施出来たものだと今は思う。体調が悪い生徒、ケガした生徒が出た場合、すぐに病院に連れて行けない。それだけの計画、準備、生徒・教員の態勢がないとできない。「天地人」そろわないと成功しない。そして、大成功した、と思う。

 燧岳のことを全然書いてない。地名でいえば福島県檜枝岐(ひのえまた)村になる。標高2356Mで、これは東北以北で最高峰になるという。尾瀬ヶ原はその前に個人でバスで行ったことがあった。行くのは大変だけど、湿原に咲く花々の美しさは表現する言葉がない。見るものの心を解放する。そして木道を歩きながら前方を見れば燧岳、後ろを振り返れば至仏山、二つの「百名山」を仰ぎながら爽快な木道歩きが続く。燧岳を見れば、その秀麗な姿に一度は登りたくなる。

 登山口はいくつかあるが、大きく分ければ尾瀬沼から登るコースと、尾瀬ヶ原から登るコースになる。尾瀬沼から登る方が出発点の標高が高い。本当はそっちに女子が良かったんだけど、山小屋の収容数と登山コースの希望者数がうまく合わず、男子が尾瀬沼山荘、女子が東電小屋になってしまった。(さらに別コース組が元湯山荘。)男子登山組はバスで沼山峠まで行って尾瀬沼へ。他の生徒は尾瀬御池でバスを降りてひたすら小屋を目指す。いま地図を見ると、元湯山荘まで約3時間、東電小屋まではさらに30分はかかる。早朝出発とはいえ、こんな長時間行動がよく出来たもんだと思う。

 翌日は、見晴(下田代十字路)から女子登山コースを引率した。正直言えば、山の様子は全く覚えてない。休みながら振り返ると尾瀬ヶ原が絶景だったなとかすかに記憶するぐらい。登りに差し掛かってから、頂上までは3時間半もある。5月下旬の中間テストの時期に実地踏査はしているものの、その時期はまだ登山できない。だから初めて登るのである。まあ今まで書いたように、僕は北岳、穗高岳や大雪山などを登っている。コースのはっきりしている夏山は、慎重に登れば大丈夫だと思う。今回は全員登山じゃなく、希望でコースを組んでいる。むしろ元気な生徒をセーブしながら、一定のリズムで登る方が大変。頂上で男子登山組と合流である。それを目指して、ひたすら登る。

 教師はいろんなことをやらされる。その中で、自分なりに一番プロだと思ってるのは「旅行行事」だ。社会科の教員だからということで、関わった学年の全ての行事担当をやってきた。この時も単に引率したんじゃなくて、事前計画からずっと担当してきた。でも、山小屋泊りにしようという案が出たときは、僕も大丈夫かなと思わないではなかった。中学一年生の最初に決めるのである。もちろん学年で勝手に実施するんじゃなくて、宿泊行事は校長名で教育委員会に実施計画を届け出て、承認が必要だ。教育行政もそんなに神経質に現場に干渉していなかった時代なんだろう。

 燧岳のことはあまり覚えてないけど、この時の林間学校は計画段階からよく覚えている。初めは生徒もそんなに乗ってなかった。何しろ歩かされるし、山小屋だから美味しいものがあるわけじゃない。自然を守るためとして、シャンプー禁止。これは尾瀬に泊まる人全員同じだが、生徒には不満だろう。ところが、行ってみたら尾瀬の美しさに多くの生徒も感動した。咲き誇るニッコウキスゲに感嘆の声を挙げた。疲れた生徒の持ち物は元気な生徒が持ってあげて、一緒に頑張った。この自然を守るためならシャンプーは禁止だねと生徒から言い出した。林間学校が終わった後で、校長のところに「素晴らしいところに連れて行ってくださりありがとうございました」という感謝の手紙が親から届いたのである。

 天安門事件の記事を書いたときに、そうか参院選やベルリンの壁崩壊も30年なのかと思った。だから尾瀬燧岳登山も30年なんだなあと思い当たった。7月は燧岳を書こうとその時から思っていた。この時の林間学校は僕の行った宿泊行事の中でも一番思い出にある。そう思っていた生徒もいたようで、卒業時に夏に尾瀬に行こうと呼びかけたら賛同する生徒があった。夏休みに何人かとキャンプに行ったのも思い出にある。僕も若かったなあ。そんなことをしてたんだから。
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