尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「非拘束名簿式」になった理由ー参院選比例区考①

2019年07月13日 23時23分12秒 |  〃  (選挙)
 参議院選挙へ行くと「選挙区選挙」と「比例代表選挙」の2回投票する。「比例代表区」という「区」は法的にはないんだけど、まあ普通「比例区」なんて言うことが多い。この「比例代表選挙」の方法が判りにくい。前から判りにくかったけど、今回さらに判りにくく改定された。政治に関心がある人でも案外ちゃんと知らないで、間違ったことを言ったり書いたりする人がいる。だからここで説明しておくことにする。前にも書いてるんだけど、今回から出来た「特定枠」については書いてないから。

 画像検索したら上の図が出てきた。これを拡大してみれば判るわけだが、もう少し詳しく書いておきたい。まず、参議院がなぜあるのかがよく判らない。大日本帝国憲法では「貴族院」だった。現在の国会議事堂は1936年に完成したもので、二院制にふさわしいように作られている。世界には「一院制」の国も結構ある(スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、トルコ、韓国など)が、連邦制を取る国(アメリカやロシア)、身分制議会の歴史から続く国(イギリス)など二院制の国の方が多い。日米英など皆二院制だから、あまり深く検討されずに「貴族院を廃して選挙で議員を選ぶ」ことだけ考えたんだろうと思う。

 憲法で参議院議員は「任期6年」「3年ごとに半数改選」が決められている。しかし「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める」と選挙の方法は憲法には書いてない。当初は、「地方区」(150人)と「全国区」(100人)で行われていた。「地方区」は都道府県ごとに選ぶ。今の「選挙区選挙」のこと。「全国区」は全国を一つの選挙区として50人を選ぶという選挙だった。(50人ずつ改選する。1947年の選挙だけ、100人を当選とし51位以下を任期3年とした。)

 全国区はよく「残酷区」「銭酷区」などと呼ばれた。全国一つというのは広大すぎて、お金も体力も大変だというのである。選挙運動で知名度を高めるのは困難だから、初めから知られている「タレント候補」か、有力な支持団体がある「組織内候補」(自民党は医師会、遺族会、宗教団体など、社会党は労働組合)が圧倒的に有利だった。最後になった1980年の全国区では、市川房枝(無所属、女性運動家)がトップ当選、続いて青島幸男(無所属)、鳩山威一郎(自民、鳩山一郎元首相の長男、元大蔵次官)、宮田輝(自民、元NHKアナウンサー)、中山千夏(革自連、女優)、山東昭子(自民、女優)、大鷹淑子(自民、女優山口淑子の本名)と当時の日本人なら全員が知ってる超有名人がズラッと並んでいた。

 そこで制度改正の動きが起こり、1983年の参院選から「比例代表制度」が日本で初めて取り入れられた。日本では明治時代に選挙が始まった時から、「候補者名を有権者が自分で書く」やり方を取ってきた。これは世界的に非常に珍しい。「識字率が高い」からだと自慢げに言う人も多いけど、障がい者を選挙から遠ざけている。今後外国出身で日本国籍を取得する人も増えるだろうから、「○を付ける」「チェックする」といったやり方に変えることを真剣に検討した方がいい。それはともかく、1980年に初めて「政党名」を書く選挙が行われたわけである。(それにしても、有権者が自ら書くことは同じ。)

 これはどの政党を選ぶかを有権者が決めるという意味では判りやすい。でも、例えば自民党が18人当選する分の得票をしたとして、その18人はどう選ぶか。当時は「政党が順番を付けて届け出る」方式だった。つまり、その届け出に書かれていた順番で決まる。18位なら当選で、19位なら落選。どこかで当落が別れるのは仕方ない。でも自民党のような大政党で、順番が1位や2位なら絶対に当選する。もうそれは間違いない。まあ1位、2位じゃなくても、一桁台なら安心だろう。では15位だったら?16位は? フタを開けて見ないと判らないけど、自民党の支持率が低いと危ない。安心してはいられない。

 じゃあ自民党はその順位をどう付けたのだろうか。比例順位で当落が別れるんだから、候補者としても納得できる付け方じゃないと困る。比例トップで優遇して知識人を擁立したこともある。しかし、大方の場合、あまり文句が出ないような指標を作って、それを基に順位付けをする方式を取った。こうして候補者が有権者じゃなくて、順位を決める政党幹部の方ばかり気にするようになってしまう。「党員をたくさん獲得する」というのは指標の一つだ。確かに党勢を大きく伸ばした人ほど、順位が上になるというのは納得しやすい。でも、ここで大きな問題が起きた。支持者を名前だけ党員にして党費は候補者が出しておく。こういう「幽霊党員」が大量に存在するようになり、大問題になったのだ。

 2000年に当時の久世公堯(くぜ・きみたか)国務相(金融再生委員長、参議院議員、ちなみに作家の久世光彦の兄)が、この幽霊党員の党費をマンション会社に肩代わりしてもらっていた事実が発覚。一ヶ月足らずで大臣辞任に至るというスキャンダルがあった。そこで「拘束名簿式」(順番が最初に決まってる方式)は問題が多いとなった。代わりに「非拘束名簿式」、つまり順番は決まってなくて、選挙をやった後で得票の多い順で順位を決めるという方式に変わったのである。ただし、有権者は政党名でも投票できる。これはこれで問題もあるが、長くなったのでここで一回切ることにする。
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