津原泰水「ヒッキーヒッキーシェイク」(ハヤカワ文庫JA)は凄い本だ。今こそ多くの人に読まれるべきだ。この本が例の本。幻冬舎から2016年に刊行され、文庫化が予定されていながら、津原氏が「日本国紀」を批判して(かどうか)企画が流れた。それを早川書房で文庫化したわけである。帯には「この本が売れなかったら、私は編集者をやめます。」と早川書房の「塩澤快浩」名の「宣言」が書かれている。前代未聞の帯だが、なかなか売れてるようだから、塩澤さんも辞めないで済むだろう。
この本の「ヒッキー」というのは、「引きこもり」のことである。著者はあとがきで「みずからのヒキコモリ時代を僕に語り、あるいは書き送ってくださいました、元ヒッキーズ、現ヒッキーズ諸氏に、最大限の敬意と感謝を捧げます」と書いている。「引きこもり」を描いているからと言って、決して社会問題や教育問題の本じゃない。すごく面白いエンターテインメントだが、ジャンル不明。狭い意味ではミステリーでもSFでもない。視点がどんどん変わるから、読みやすいとも言えない。判りにくいわけじゃなくスラスラ読めるんだけど、全体構造が不明なのである。
ちょっと裏表紙を引用するとー。「人間創りに参加してほしい。不気味の谷を越えたい」ヒキコモリ支援センター代表のカウンセラーJJは、パセリ、セージ、ローズマリー、タイムという、年齢性別さまざまな4人の引きこもりを連携させ、あるプロジェクトを始動する。疑心に駆られながらも外界と関わろうとする4人だったが、プロジェクトは予想もしない展開を見せる。果たしてJJの目的は金か、悪意か、それとも? 現代最高の小説家による新たな傑作。
これでも判らないけど、それは要するに作品内部でも登場人物には判ってないという設定なのである。ラストになれば全部判る。途中までは、ヴァーチャルなアイドル創造みたいなプロジェクトかな、パソコンの話が結構面倒くさいなという感じ。途中で「架空の動物」を故郷の「猿飛峡」に創り出すという「ふるさと創生」みたいな話も出てきて。さらに「ジェリーフィッシュ」なる謎の「ヒッキー」の創ったウィルスの話になって。これは一体どうなるのと思うが、話がスピーディで面白いからどんどん読んでしまう。そしてラストになって「現代の黙示録」とでもいう構想にまとまって驚いてしまう。
題名だけど、これは「ヒッピーヒッピーシェイク」という歌から取ったと書いてある。イギリスのバンド、スウィンギング・ブルー・ジーンズによる1963年のヒット曲だというけど、僕は全然知らない。津原氏も1964年生まれなんだから、同時代的には知る由もない。またクラウス・フォアマンという人の装画「Hikky Hikky Shake」の制作と「同時進行」だったとも書かれている。フォアマンはザ・ビートルズの「REVOLVER」のジャケットを描いた人で、また解散後に「ジョン・レノン氏やジョージ・ハリスン氏の活動を支えたエレクトリック・ベース奏者としても名高い」ということだ。
(フォアマン装画による単行本)
このJJという謎めいたカウンセラーは、本名「竺原丈吉」という。姓は「じくはら」と読む。「天竺」の「竺」だと説明してるけど、こんな名字あるか。(慣れるまで、目がつい「笠原」と読んでしまう。)ヒッキーたちも「乗雲寺芹香」(じょううんじ・せりか)、「刺塚聖司」(いらつか・せいじ)、「苫戸井洋佑」(とまとい・ようすけ)とトンデモ名前ばっかり。ところが、途中であるエピソードが出てくる。竺原の高校時代の友人で作中で重要な役割を果たす「榊才蔵」の娘「径子」(みちこ)の話だ。「径子」という主人公が出てくるホラー小説が評判となり映画化もされた。そのため「径子」という名前に負のイメージが付いてしまった…。
この本の中には現実に起こった事件を思い起こす出来事がいろいろ出てくる。最後になると「ポスト3・11」小説の様相も現れてくる。「径子」の話も現実の出来事を思わせるが、そのとこで傷ついた人がいただろうとは気が回りにくい。この小説の遊びのようなネーミングも、つまりその名前で傷つく人がいないだろう突飛な名前を付けたんだと途中で気づく。凄く深い配慮があったのだ。
竺原はカウンセラーとして「引きこもりがいなくなったら失業しちゃう」などホンネなのか偽悪的な挑発なのか判らない言動をする。そんな竺原の過去はどんなものだったか。それが明かされるとき、この小説の深いたくらみに感動が湧き起こる。僕にはなんだかよく判らない部分も多いんだけど、「凄い」ということは判る。まあ映画「2001年宇宙の旅」みたいなもんか。(なお、登場人物の「パセリ」「セージ」「ローズマリー」「タイム」は言うまでもなく「スカボロ・フェア」である。僕がサイモン&ガーファンクルの歌で知った時には、ハーブの名前だとは全く知らなかった。)
この本の「ヒッキー」というのは、「引きこもり」のことである。著者はあとがきで「みずからのヒキコモリ時代を僕に語り、あるいは書き送ってくださいました、元ヒッキーズ、現ヒッキーズ諸氏に、最大限の敬意と感謝を捧げます」と書いている。「引きこもり」を描いているからと言って、決して社会問題や教育問題の本じゃない。すごく面白いエンターテインメントだが、ジャンル不明。狭い意味ではミステリーでもSFでもない。視点がどんどん変わるから、読みやすいとも言えない。判りにくいわけじゃなくスラスラ読めるんだけど、全体構造が不明なのである。
ちょっと裏表紙を引用するとー。「人間創りに参加してほしい。不気味の谷を越えたい」ヒキコモリ支援センター代表のカウンセラーJJは、パセリ、セージ、ローズマリー、タイムという、年齢性別さまざまな4人の引きこもりを連携させ、あるプロジェクトを始動する。疑心に駆られながらも外界と関わろうとする4人だったが、プロジェクトは予想もしない展開を見せる。果たしてJJの目的は金か、悪意か、それとも? 現代最高の小説家による新たな傑作。
これでも判らないけど、それは要するに作品内部でも登場人物には判ってないという設定なのである。ラストになれば全部判る。途中までは、ヴァーチャルなアイドル創造みたいなプロジェクトかな、パソコンの話が結構面倒くさいなという感じ。途中で「架空の動物」を故郷の「猿飛峡」に創り出すという「ふるさと創生」みたいな話も出てきて。さらに「ジェリーフィッシュ」なる謎の「ヒッキー」の創ったウィルスの話になって。これは一体どうなるのと思うが、話がスピーディで面白いからどんどん読んでしまう。そしてラストになって「現代の黙示録」とでもいう構想にまとまって驚いてしまう。
題名だけど、これは「ヒッピーヒッピーシェイク」という歌から取ったと書いてある。イギリスのバンド、スウィンギング・ブルー・ジーンズによる1963年のヒット曲だというけど、僕は全然知らない。津原氏も1964年生まれなんだから、同時代的には知る由もない。またクラウス・フォアマンという人の装画「Hikky Hikky Shake」の制作と「同時進行」だったとも書かれている。フォアマンはザ・ビートルズの「REVOLVER」のジャケットを描いた人で、また解散後に「ジョン・レノン氏やジョージ・ハリスン氏の活動を支えたエレクトリック・ベース奏者としても名高い」ということだ。
(フォアマン装画による単行本)
このJJという謎めいたカウンセラーは、本名「竺原丈吉」という。姓は「じくはら」と読む。「天竺」の「竺」だと説明してるけど、こんな名字あるか。(慣れるまで、目がつい「笠原」と読んでしまう。)ヒッキーたちも「乗雲寺芹香」(じょううんじ・せりか)、「刺塚聖司」(いらつか・せいじ)、「苫戸井洋佑」(とまとい・ようすけ)とトンデモ名前ばっかり。ところが、途中であるエピソードが出てくる。竺原の高校時代の友人で作中で重要な役割を果たす「榊才蔵」の娘「径子」(みちこ)の話だ。「径子」という主人公が出てくるホラー小説が評判となり映画化もされた。そのため「径子」という名前に負のイメージが付いてしまった…。
この本の中には現実に起こった事件を思い起こす出来事がいろいろ出てくる。最後になると「ポスト3・11」小説の様相も現れてくる。「径子」の話も現実の出来事を思わせるが、そのとこで傷ついた人がいただろうとは気が回りにくい。この小説の遊びのようなネーミングも、つまりその名前で傷つく人がいないだろう突飛な名前を付けたんだと途中で気づく。凄く深い配慮があったのだ。
竺原はカウンセラーとして「引きこもりがいなくなったら失業しちゃう」などホンネなのか偽悪的な挑発なのか判らない言動をする。そんな竺原の過去はどんなものだったか。それが明かされるとき、この小説の深いたくらみに感動が湧き起こる。僕にはなんだかよく判らない部分も多いんだけど、「凄い」ということは判る。まあ映画「2001年宇宙の旅」みたいなもんか。(なお、登場人物の「パセリ」「セージ」「ローズマリー」「タイム」は言うまでもなく「スカボロ・フェア」である。僕がサイモン&ガーファンクルの歌で知った時には、ハーブの名前だとは全く知らなかった。)