尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

黒沢清監督「旅のおわり世界のはじまり」

2019年07月08日 22時06分06秒 | 映画 (新作日本映画)
 世界的に評価されている黒沢清監督の新作「旅のおわり世界のはじまり」をちょっと前に見た。最近も映画は見てるけど、古い映画の方が多いかな。内外の新作もあまり納得できないことが多かった。この映画もちょっとどうかなと思うシーンがかなりあるが、舞台となるウズベキスタンの風景が美しい。主演の前田敦子が素晴らしいし、いろいろ考えさせされることも多いから取り上げておきたい。

 俳優はほとんど5人だけ。日本からテレビのヴァラエティ番組の取材でウズベキスタンを訪れた4人と現地の通訳。リポーターの葉子(前田敦子)、カメラマンの岩尾(加瀬亮)、ディレクターの吉岡(染谷将太)、ADの佐々木(柄本時生)、そして通訳のテムル(アディズ・ラジャボフ)。テムル役はウズベキスタンの国民的俳優だと言うけど、全然話せない日本語のセリフを一生懸命こなして不自然さを感じさせない。終盤に日本語を勉強した理由を感動的に語る。

 それはシベリアに抑留された日本兵が作った劇場の話である。シベリアから中央アジアのタシケントに移され、建設工事に従事させられた。しかし日本兵は今でも使われる立派な建築物を残した。撮る予定のものがうまく撮れずに困っていた時に通訳が紹介したのだ。実はシベリア抑留史に有名な出来事だけど、ディレクターはうちの視聴者は関心ないと全然取り合わない。その前に葉子が劇場に紛れこんで、夢のようにさすらう美しいシーンがある。同じ劇場ではないかと葉子は乗り気なんだけど。

 冒頭から「湖にいるという怪魚」が全然見つからない。漁師は女がいると魚は寄ってこないという。街中にある小さな遊園地では、ひたすらグルグル回る遊具で葉子は疲れ切る。遊園地の係は「未成年の女の子を何回も乗せれば死んでしまう」と忠告するが、ディレクターは「未成年じゃないし、自分で判ってやってる」と取り合わない。実際、気持ち悪くなった葉子だが、撮影になると笑顔に変わってレポートする。日本側スタッフはいつも時間に追われていて、何でもお金で解決しようとする。そしてウズベキスタンの悪口を言ってる。でもなんだか日本人の方が変である。

 葉子は異国で戸惑い、孤独である。スタッフとも離れて、現地をさまよう。ある日、町をさまよいながら山羊を見る。翌日撮るものがなくなったときに葉子は「山羊を解放する」というアイディアを出す。山羊を買い取って、原野に放すというんだけど、野生動物じゃない家畜を何もない原野に放してどうするんだろう。こういうように、「日本」と「ウズベキスタン」のカルチャーギャップを描かれる。その中で葉子は自分がやりたいことは何なのか、見つめ直してゆく。そして自分は「歌うこと」を求めているんだと判る。日本に帰ればミュージカルのオーディションで「愛の讃歌」を歌うという。大自然の中で歌いあげる前田敦子の姿をとらえて、映画は終わってゆく。前田敦子にとってエポックメイキングな作品だろう。

 黒沢清はホラー映画が多いが、この映画は一応ホラー色が全然ない。一応というのは、地元の警察に追われて逃げ惑う葉子の姿など、ある種のホラー映画的な要素もあるから。でも黒沢映画に多い超現実的な恐怖は出てこない。だけど、日本の現実と切り離され、言語的な理解が不可能な環境に投げ入れられること、それは本質的な意味で「ホラー」なのかもしれない。作りとしては、ドキュメンタリータッチ。ほとんどバラエティ番組のメイキング映像だ。それが作られたものだから、劇中劇的な面白さがある。それにしても、ヴァラエティ番組がくだらないことには驚いてしまう。

 ウズベキスタンは旧ソ連の中央アジア地域の政治的、文化的な中心にある国だ。大昔のシルクロードの道筋でもあり、有名なサマルカンドはこの国。葉子は最初にサマルカンドのバザールで迷い歩く。タシケントのバザールでも猫を追いかけて警察に追われる。このバザールという迷宮が映画の一番大きなテーマと言ってもいいだろう。それはどこの国でもいいんだろうが、黒沢監督に機会が与えられ自由に撮影できた。映画の中のテレビスタッフはウズベキスタンを世界の辺境にように見ている。でもタジキスタンやキルギスの山奥ならともかく、タシケントやサマルカンドはむしろ世界の中心だろう。日本を顧みるためにも面白い映画だった。
コメント
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