尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

記録映画「作兵衛さんと日本を掘る」

2019年07月27日 22時29分49秒 | 映画 (新作日本映画)
 熊谷博子監督の記録映画「作兵衛さんと日本を掘る」が「ポレポレ東中野」で長期上映されている。5月末に始まって、今も続いていて、8月2日までは12時半と18時の2回上映。15時半には前作「三池 終わらない炭鉱(ヤマ)の物語」もやっている。8月3日からは17時20分からになり、8月9日で終了。最近やっと見たんだけれど、これは必見だった。日本社会を深く掘り進んでいる。非常に面白い。世界記憶遺産に登録された山本作兵衛(1892~1984)の絵がいくつもクローズアップされるのが貴重だ。

 かつて日本の産業と生活を石炭が支えていた。近代化の基盤となり、戦後も「傾斜生産」と呼ばれる「まず石炭増産」という経済政策がとられて経済復興を支えた。日本のどこに炭田があるのか。僕らの世代頃までは、小学校の社会科の授業で必須の知識だった。「筑豊炭田」「夕張炭田」「常磐炭田」等々。(「炭田」という言葉も死語だろうなあ。)60年代になると、エネルギー革命が進んで石油が時代の中心になった。石炭は「斜陽産業」と呼ばれ、炭鉱が閉鎖されるたびに、抗夫たちは解雇された。

 僕の小学生時代はまだ学校が石炭ストーブだった。学校の裏に石炭小屋があり、日直が帰りに石炭を補充する。バケツを持っていき、山になった石炭をシャベルですくう。手で触ると真っ黒になるのである。そんな石炭をいつから見なくなったのか。今の若い人は見たことがない。そんなレアものになっている。60年代まで参院選挙全国区では、社会党から出る「炭労」候補がいつも最上位にあったものだが、どんどん組織が衰えて行った。そんなことを知るものも少ないだろう。

 昔は炭鉱だったところに夕張の「石炭の歴史村」(現在は夕張市石炭博物館)、「いわき市石炭化石館」などが作られ、僕も見たことがある。それらは貴重な施設だけど、それだけでは労働者のリアルな姿はなかなか伝わらない。地の底でどんな働き方がされてきたのか。山本作兵衛は筑豊地方で炭鉱夫として働き、絵筆を取ったのは60代半ばだった。専門的な絵の教育は一切受けていないが、2000枚を超える絵で炭鉱の労働や生活を描いた。それらの絵はどこかで見たとしても、あまりに多いから流してしまう。今回は映画だから、カメラでズームアップすることが出来る。拡大してみると、一切手を抜かず細部のリアルを重視した姿勢がくっきりと浮かび上がる。

 そして、映画のもう一つの大きなテーマが「地の底から見た日本」である。筑豊に住み着いた記録作家の上野英信森崎和江、あるいは父のすごした「筑豊文庫」に移住した英信の息子、上野朱などに触れられている。そして作兵衛さんの語る「底の方は少しも変わらなかった」との言葉。監督も「中に描きこまれた労働、貧困、差別、戦争の記述、共働き抗夫の家事労働に至るまで今と同じだ」と書いている。炭鉱が閉山して、かつての筑豊地方は日本で一番生活保護受給率が高いなどと言われた。貧困地帯とみなされて、イメージの悪化した「筑豊」という地名も行政に消されかかったという。

 そんな地底から描く日本近現代史として、すごく貴重だ。100歳を超えて、かつての思い出を語る老女性など驚くようなエピソードがいっぱい。簡単にまとまる素材ではなく、前作から7年かけてまとめられた熊谷監督の傑作ドキュメンタリーである。映画はむしろ淡々と進むが、奥が深いなと感じさせる。「民衆史」の豊かさを実感出来る映画だった。機会があったら見逃さないで欲しいと思う。
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