「敵基地攻撃能力」を日本が保有するべきだというする議論が進んでいる。7月31日に、自民党の国防部会と安全保障調査会が政府に対する提言案を了承したのである。河野防衛相は「敵基地攻撃は自衛の範囲」だと述べているが、常識的に考えてみれば全く理解出来ない。ところで、今「敵基地攻撃能力」と書いたけれど、自民党の提言では「相手領域内でも弾道ミサイル等を阻止する能力の保有を含めて、抑止力を向上させるための新たな取り組み」なんて、判ったような判らないことが書かれている。しかし、これは「敵基地攻撃能力」そのものだろう。
この提言には、以下のような「前置き」がちゃんと書かれている。「憲法の範囲内で」「国際法を遵守しつつ」「専守防衛の考え方の下」に進めるのだという。普通の常識を持つ人には理解不能だと思う。現行の憲法9条の範囲内にあるとは全く思えないし、「専守防衛」と「敵基地攻撃」は両立不能の考え方だろう。「専守防衛」の考え方の下、「相手領域内の弾道ミサイル等を阻止する」って、それはすでに「専守防衛」ではない。「攻められる前に攻めるのは自衛である」というのは、まさに倒錯的な世界観だ。相手から見れば、それは「攻撃」そのものである。
「相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる攻撃的兵器を保有しないなど、自衛のために必要最少限度のものに限る」などとも書かれている。これが本当なら、かえって危険性を増すだろう。相手国には日本を攻撃可能な弾道ミサイル等が存在する。それを「自衛のために必要最少限度」な兵器でこちらから先に攻めちゃうというのである。それでは反撃されて壊滅してしまうんじゃないか。しかし、まあ「専守防衛」の中には「空母」も認められると解釈する日本政府のことだから、恐らく「必要最少限度」を超えた兵器を保有するということなんだろう。
この議論はもともと「イージス・アショア」の配備断念から起こった議論だ。イージス・アショアとは、陸上に設置されるミサイル防衛システムのことである。それを政府は秋田県と山口県に配備しようとしていた。今は細かく書かないけれど、2019年の参院選で秋田選挙区で自民党現職が落選するなど反対運動が続いていた。しかし、6月に河野防衛相が配備断念を発表した。非常に高額のものだが、トランプ大統領との関係もあり、僕は安倍政権での配備断念は難しいのではないかと思っていた。しかし、それと「敵基地攻撃能力」はどんな関係があるのか。
「イージス・アショア」が本当に「日本防衛」のためならば、何故秋田県と山口県に配備される予定だったのか。「日本」を守るためなら、日本の政治や経済の中心を防衛するため別の地域に配備するべきだ。言うまでもなく、イージス・アショアというのは、「北朝鮮」の「長距離弾道ミサイル」が「米国本土」や「グアム島」を攻撃目標としたときに、そのミサイルを迎撃するというのが目的だろう。もともと「自衛」じゃないのである。そんなに「北朝鮮」や「中国」が攻撃してくるというなら、日本海側にあれほど原子力発電所を持ち続けていることが理解出来ない。
「敵」が日本を攻撃するとして、それが事前にはっきり判るのだろうか。日本は島国だから、陸上を戦車隊が侵略してくることは起こらない。かつて1990年夏に、クウェート国境にイラク軍が集結したような「攻撃事前事態」は起こりようがない。国連加盟国である「朝鮮民主主義人民共和国」には、個別的自衛権があるから短距離ミサイルを開発・配備する権利はある。それ以上の中長距離弾道ミサイルを開発するのは国連安保理決議違反だが、実際には持っている。しかし、それを発射することが事前に判るはずがない。
かつて「人工衛星の発射」と称して実験したときも、事前に発表しているから日本政府も準備していたがリアルタイムで警報を出すことは出来なかった。実戦だったら、何の予告もなく発射されるんだろうから、「敵基地攻撃能力」を持っていても、まずその能力を持つ基地を先にミサイル攻撃されるだけだ。もし本当に「相手の攻撃意思」がつかめるんだったら、その時点で「外交的努力」をすることが出来るはずだ。なんで外交で解決できないと決めつけて、先に攻撃するしかないと発想が先走るんだろうか。何か他に目論んでいることがあるのだろうか。
これ以上書くまでもないんだけど、「敵基地攻撃能力」は憲法の「平和主義」の原則に反する。近代日本で、(ほぼ)すべての戦争は日本の「奇襲攻撃」で始まった。時には日本軍の謀略から始まったことも多い。そういう歴史を無視した無謀な考え方としか思えない。それに「日米安保」をどうするんだろうか。僕は日米安保を(少なくとも現状のままで)支持するものではないが、今までの政府の方針は「世界最強のアメリカがバックに付いていることが、最大の抑止力」だったんじゃないか。日本が「敵基地攻撃」が出来るんなら、「日本防衛のための米軍」は不要になる。遠からず米側から安保が変容を迫られるということを暗示しているんだろうか。
この提言には、以下のような「前置き」がちゃんと書かれている。「憲法の範囲内で」「国際法を遵守しつつ」「専守防衛の考え方の下」に進めるのだという。普通の常識を持つ人には理解不能だと思う。現行の憲法9条の範囲内にあるとは全く思えないし、「専守防衛」と「敵基地攻撃」は両立不能の考え方だろう。「専守防衛」の考え方の下、「相手領域内の弾道ミサイル等を阻止する」って、それはすでに「専守防衛」ではない。「攻められる前に攻めるのは自衛である」というのは、まさに倒錯的な世界観だ。相手から見れば、それは「攻撃」そのものである。
「相手国国土の壊滅的な破壊のためにのみ用いられる攻撃的兵器を保有しないなど、自衛のために必要最少限度のものに限る」などとも書かれている。これが本当なら、かえって危険性を増すだろう。相手国には日本を攻撃可能な弾道ミサイル等が存在する。それを「自衛のために必要最少限度」な兵器でこちらから先に攻めちゃうというのである。それでは反撃されて壊滅してしまうんじゃないか。しかし、まあ「専守防衛」の中には「空母」も認められると解釈する日本政府のことだから、恐らく「必要最少限度」を超えた兵器を保有するということなんだろう。
この議論はもともと「イージス・アショア」の配備断念から起こった議論だ。イージス・アショアとは、陸上に設置されるミサイル防衛システムのことである。それを政府は秋田県と山口県に配備しようとしていた。今は細かく書かないけれど、2019年の参院選で秋田選挙区で自民党現職が落選するなど反対運動が続いていた。しかし、6月に河野防衛相が配備断念を発表した。非常に高額のものだが、トランプ大統領との関係もあり、僕は安倍政権での配備断念は難しいのではないかと思っていた。しかし、それと「敵基地攻撃能力」はどんな関係があるのか。
「イージス・アショア」が本当に「日本防衛」のためならば、何故秋田県と山口県に配備される予定だったのか。「日本」を守るためなら、日本の政治や経済の中心を防衛するため別の地域に配備するべきだ。言うまでもなく、イージス・アショアというのは、「北朝鮮」の「長距離弾道ミサイル」が「米国本土」や「グアム島」を攻撃目標としたときに、そのミサイルを迎撃するというのが目的だろう。もともと「自衛」じゃないのである。そんなに「北朝鮮」や「中国」が攻撃してくるというなら、日本海側にあれほど原子力発電所を持ち続けていることが理解出来ない。
「敵」が日本を攻撃するとして、それが事前にはっきり判るのだろうか。日本は島国だから、陸上を戦車隊が侵略してくることは起こらない。かつて1990年夏に、クウェート国境にイラク軍が集結したような「攻撃事前事態」は起こりようがない。国連加盟国である「朝鮮民主主義人民共和国」には、個別的自衛権があるから短距離ミサイルを開発・配備する権利はある。それ以上の中長距離弾道ミサイルを開発するのは国連安保理決議違反だが、実際には持っている。しかし、それを発射することが事前に判るはずがない。
かつて「人工衛星の発射」と称して実験したときも、事前に発表しているから日本政府も準備していたがリアルタイムで警報を出すことは出来なかった。実戦だったら、何の予告もなく発射されるんだろうから、「敵基地攻撃能力」を持っていても、まずその能力を持つ基地を先にミサイル攻撃されるだけだ。もし本当に「相手の攻撃意思」がつかめるんだったら、その時点で「外交的努力」をすることが出来るはずだ。なんで外交で解決できないと決めつけて、先に攻撃するしかないと発想が先走るんだろうか。何か他に目論んでいることがあるのだろうか。
これ以上書くまでもないんだけど、「敵基地攻撃能力」は憲法の「平和主義」の原則に反する。近代日本で、(ほぼ)すべての戦争は日本の「奇襲攻撃」で始まった。時には日本軍の謀略から始まったことも多い。そういう歴史を無視した無謀な考え方としか思えない。それに「日米安保」をどうするんだろうか。僕は日米安保を(少なくとも現状のままで)支持するものではないが、今までの政府の方針は「世界最強のアメリカがバックに付いていることが、最大の抑止力」だったんじゃないか。日本が「敵基地攻撃」が出来るんなら、「日本防衛のための米軍」は不要になる。遠からず米側から安保が変容を迫られるということを暗示しているんだろうか。