他の記事を用意していたが、菅内閣の驚くべき暴挙が明らかになったので、それを先に書きたい。「学者の国会」と言われる日本学術会議の会員について、学術会議推薦の会員候補6人が内閣に任命されなかったというのである。かつて聞いたことのない暴挙で、「そこまでやるか」的な公然たる「学問の自由」への攻撃だ。「学術会議? 何それ?」という人も多いと思うから、解説しながら意味を考えてみたい。自分には関係ない気がするかもしれないが、こういうところから「物言えぬ社会」が作られていくのだと思う。
(六本木の日本学術会議)
日本学術会議は、東京都港区六本木の国立新美術館の隣に建っている。設置されたのは1948年で、設置年度で判るように「戦後改革」の産物だ。日本の行政や国民生活に科学を反映させることを目的としたもので、二度と非合理な政策によって戦争の悲惨を繰り返さないようにという意味がある。学者委員による独立機関で、多くの提言、報告を出している。もっとも内閣はその提言に従う義務はないので、無視・軽視されてきたことが多いだろう。学術会議の提言がまともに生かされていたら、日本の学問、教育や政策一般が大きく変わっていたはずだ。
会員は210名で、任期は6年。105人ずつ3年ごとに改選される。現在は3部に分かれ、1部が人文・社会科学、2部が生命科学、3部が理学・工学になっている。さらにいくつかの専門委員会が置かれている。優れた研究が認められた学者が選ばれる「日本学士院」とは違う。1984年までは学者自身による公選制が取られていた。その当時は人文・社会科学系では政府に批判的な学者が連続して当選しやすかったのは事実だ。そこで1984年から「各学会の推薦」に変更され、2005年に「委員候補は学術会議が選任する」方式にさらに変更された。
つまり、ここで判ることは自民党内閣は一貫して学術会議を敵視して「骨抜き」を図ってきたということだ。しかし、それでも「候補の任命を拒否」などと言ったあからさまな暴挙を行ったことはなかった。「学術会議」の自治自律を踏みにじることは、いくら何でもやり過ぎだと思われたんだろう。最高裁や内閣法制局と違って、学術会議には政府を拘束する権限がない。時々政府に都合の悪い提言などがあっても、スルーしちゃえばいいと思われていたのかもしれない。
(加藤官房長官の会見)
加藤官房長官は定例記者会見で「会員の人事などを通じて、一定の監督権を行使することは法律上可能になっている。直ちに学問の自由の侵害にはつながらないと考えている」と語っている。さらに午後の会見で「任命する立場に立って、しっかりと精査していくのは当然のことだ」「あくまで、総理大臣の所轄に関わるものであり、任命についての仕組みもあるので、それにのっとって対応している」などと語ったと報道されている。
学術会議は内閣府の所管になっている。2005年までは総務省(省庁再編前は総理府)だった。2006年に総務大臣を務めた菅首相だが、当時直接担当したわけではない。しかし、第2次安倍政権以後は直接でなくても所管に含まれていた。確かに法的には首相が任命を拒否出来るのかもしれないが、あまりにもレベルが低い。自分に逆らった官僚は左遷させた菅氏らしい狭量さと言うべきか。だが官僚は大臣の下にあるが、学者は首相の下にいるわけじゃない。
拒否された中には松宮孝明立命館大教授(刑事法学)や小沢隆一東京慈恵医大教授(憲法学)がいた。松宮氏は参議院の参考人質疑で「共謀罪」について批判したという。小沢氏は衆議院の中央公聴会で安全保障関連法について批判したという。それぞれ3年前、5年前のことである。それが理由だとしか考えられないが、何という執念深さだろうとゾッとする思いがした。学者は学問的良心に従って、国会に呼ばれたら自分の信じるところを表明しなければならない。これでは「御用学者」にならない限り、学術会議会員には選ばれないということになる。これが「学問の自由」の侵害でなくて何なのか。
(梶田隆章新会長)
東京新聞の記事によれば、他に拒否された人として3人挙っている。岡田正則早稲田大教授(行政法学)、宇野重規東京大教授(政治学)、加藤陽子東京大教授(歴史学)である。もう一人いるはずだが、今の時点ではよく判らない。法学関係は知らないけれど、宇野重規氏や加藤陽子氏までがパージされるのかと日本が恐るべき状態になっていることに驚いた。(もう一人は芦名定道京都大院教授(キリスト教学)だった。10.2追記。)
人文・社会科学だけの問題ではない。自然科学系の学問の方が予算額も大きく、政府の干渉も著しい。単に「学問の自由」だけが心配ということではなく、こういう一つ一つの問題で「あれは学者の問題だから」みたいに思って見過ごしていると、やがて誰もが口をつぐむ社会になってしまう。「重要な問題なのでしっかりと対応する必要があると考えている」と語る梶田隆章新会長にはしっかりと取り組んで欲しいと思う。

日本学術会議は、東京都港区六本木の国立新美術館の隣に建っている。設置されたのは1948年で、設置年度で判るように「戦後改革」の産物だ。日本の行政や国民生活に科学を反映させることを目的としたもので、二度と非合理な政策によって戦争の悲惨を繰り返さないようにという意味がある。学者委員による独立機関で、多くの提言、報告を出している。もっとも内閣はその提言に従う義務はないので、無視・軽視されてきたことが多いだろう。学術会議の提言がまともに生かされていたら、日本の学問、教育や政策一般が大きく変わっていたはずだ。
会員は210名で、任期は6年。105人ずつ3年ごとに改選される。現在は3部に分かれ、1部が人文・社会科学、2部が生命科学、3部が理学・工学になっている。さらにいくつかの専門委員会が置かれている。優れた研究が認められた学者が選ばれる「日本学士院」とは違う。1984年までは学者自身による公選制が取られていた。その当時は人文・社会科学系では政府に批判的な学者が連続して当選しやすかったのは事実だ。そこで1984年から「各学会の推薦」に変更され、2005年に「委員候補は学術会議が選任する」方式にさらに変更された。
つまり、ここで判ることは自民党内閣は一貫して学術会議を敵視して「骨抜き」を図ってきたということだ。しかし、それでも「候補の任命を拒否」などと言ったあからさまな暴挙を行ったことはなかった。「学術会議」の自治自律を踏みにじることは、いくら何でもやり過ぎだと思われたんだろう。最高裁や内閣法制局と違って、学術会議には政府を拘束する権限がない。時々政府に都合の悪い提言などがあっても、スルーしちゃえばいいと思われていたのかもしれない。

加藤官房長官は定例記者会見で「会員の人事などを通じて、一定の監督権を行使することは法律上可能になっている。直ちに学問の自由の侵害にはつながらないと考えている」と語っている。さらに午後の会見で「任命する立場に立って、しっかりと精査していくのは当然のことだ」「あくまで、総理大臣の所轄に関わるものであり、任命についての仕組みもあるので、それにのっとって対応している」などと語ったと報道されている。
学術会議は内閣府の所管になっている。2005年までは総務省(省庁再編前は総理府)だった。2006年に総務大臣を務めた菅首相だが、当時直接担当したわけではない。しかし、第2次安倍政権以後は直接でなくても所管に含まれていた。確かに法的には首相が任命を拒否出来るのかもしれないが、あまりにもレベルが低い。自分に逆らった官僚は左遷させた菅氏らしい狭量さと言うべきか。だが官僚は大臣の下にあるが、学者は首相の下にいるわけじゃない。
拒否された中には松宮孝明立命館大教授(刑事法学)や小沢隆一東京慈恵医大教授(憲法学)がいた。松宮氏は参議院の参考人質疑で「共謀罪」について批判したという。小沢氏は衆議院の中央公聴会で安全保障関連法について批判したという。それぞれ3年前、5年前のことである。それが理由だとしか考えられないが、何という執念深さだろうとゾッとする思いがした。学者は学問的良心に従って、国会に呼ばれたら自分の信じるところを表明しなければならない。これでは「御用学者」にならない限り、学術会議会員には選ばれないということになる。これが「学問の自由」の侵害でなくて何なのか。

東京新聞の記事によれば、他に拒否された人として3人挙っている。岡田正則早稲田大教授(行政法学)、宇野重規東京大教授(政治学)、加藤陽子東京大教授(歴史学)である。もう一人いるはずだが、今の時点ではよく判らない。法学関係は知らないけれど、宇野重規氏や加藤陽子氏までがパージされるのかと日本が恐るべき状態になっていることに驚いた。(もう一人は芦名定道京都大院教授(キリスト教学)だった。10.2追記。)
人文・社会科学だけの問題ではない。自然科学系の学問の方が予算額も大きく、政府の干渉も著しい。単に「学問の自由」だけが心配ということではなく、こういう一つ一つの問題で「あれは学者の問題だから」みたいに思って見過ごしていると、やがて誰もが口をつぐむ社会になってしまう。「重要な問題なのでしっかりと対応する必要があると考えている」と語る梶田隆章新会長にはしっかりと取り組んで欲しいと思う。