ちょっと前だが、TOHOシネマズの宣伝で「お財布忘れ顔」というのがあった。財布を忘れた場合でも、「LINE Pay」で払えるという話だった。まあ大人のおじさんはクレジットカードで払うから関係ないんだけど、これを聞いて不思議な気持ちがした。だって若い人はスマホは忘れないのだろうか? 僕は財布を忘れることはないけど、スマホを忘れることは時々ある。財布は家で使わないけど、スマホは家でも見るから、急いでいると忘れることがあるのだ。
政府がデジタル庁というのを新設して、行政のデジタル化を進めるという。例えば、自動車の運転免許をデジタル化するという。Googleで「運転免許のデジタル化とは」で検索すると、「運転免許証がデジタル化されると、住所などの変更がオンラインで出来るようになったり、更新などの事務手続きの簡略化、スマホと一体化することで免許証の携帯が不要になったり、免許更新の時間短縮などの利点があるといわれている。」と出ている。

しかし、住所変更なんてそう頻繁にあることじゃない。事務手続きの簡略化と言われても、運転免許の性格上、視力検査や写真撮影には行かないといけないに決まってる。更新時の講習をオンラインで済ませられるようになるとも思えない。「免許証の携帯が不要になる」というのも、紙で持ち歩かなくていいだけで、今度はスマホの携帯義務が生じるはずだろう。免許証は財布に入れてるので、財布よりスマホを忘れることの方が多い自分には不便になる。
やがて「マイナンバーカード」と「運転免許」を一体化させるというけれど、それで何が便利になるのか。マイナンバーカードは期限が5年である。免許もゴールドなら5年だが、違反があって3年になったりすると、ズレてしまう。更新が面倒になるだけだ。そのうち「保険証」も「マイナンバーカード」と一緒にするという話だけど、これも同じだ。
(フィンランドの場合)
保険証は顔写真がいらないから、今は(保険料を払っていれば)役所から送ってくる。マイナンバーカードは写真入りだから、新たな写真を撮って更新手続きをしないといけない。元気だったら面倒だというだけで済むが、病気がちだったり障害を持っていたら更新手続きに行くのも大変だ。一番保険証が必要な人が不便になってしまう。「マイナポータルサイト」を見たら、保険証と一体化したら更新を忘れると保険証が失効しますなんて書いてあった。不便になるのである。
ある時期までは「新技術が登場すると便利になる」と言えた。いや、実際は新技術で不幸になる人はいつの時代も存在したわけである。産業革命によって失業した人もいるし、世界にイギリス製品があふれてインドの地場産業が壊滅した。無声映画に音が付いたら、弁士が失業した。しかし、一般的には無声映画が有声映画になり、白黒映画がカラー映画になり、フィルム映像がデジタル映像になる流れを止めることは出来ないだろう。しかし技術の進展が早過ぎると、「便利になったようで、新技術に付いていけない人には不便になる」ことが多くなる。コンピュータや携帯電話の歴史は大体そういう感じだった。
今度の「デジタル化」というのも、つまりは「不便になる」のではないか。今までの免許証や保険証でそんなに困っていたのか。マイナンバーカードと一体化すると、何が便利になるのか。それは「政府にとって便利になる」ということに過ぎないのではないか。どうもそんな感じがしてならない。それにスマホは壊れるものである。その前に買い換えろというのかもしれないが、それでも人為的に壊されたり、どこかに置き忘れたりすることは避けられない。そうすると自分の証明が全く出来ない。そういう事態が起こりかねない。
お金やカード類は「分散」しておく方がいい。投資と同じである。昔、財布をなくしたことがあって、困ったのは現金を失ったことではなくて、それ以上にカード類をなくしたことだった。永井荷風じゃあるまいし、全財産を持ち歩いている人は普通はいない。現金をなくしたり取られたりするのは困るけど、銀行やクレジット会社のカードがあれば、当面必要なお金は下ろせる。以後は現金とカードは別々にするようになった。僕は全部マイナンバーカードに入れるというのは心配だ。どこかでなくしたら、保険証も免許証もなくすなんて。紙で別々に持ってる方が安全だと思う。
「聖域なき行政改革」と本当に思っているなら、何年経っても持ってる人が増えないマイナンバーカードを見直したらどうなんだ。少なくとも「マイナポイント」なんて訳の判らない事業に多額の税金を投じる愚挙をこそ、早急に止めてはどうかと思うけど。
政府がデジタル庁というのを新設して、行政のデジタル化を進めるという。例えば、自動車の運転免許をデジタル化するという。Googleで「運転免許のデジタル化とは」で検索すると、「運転免許証がデジタル化されると、住所などの変更がオンラインで出来るようになったり、更新などの事務手続きの簡略化、スマホと一体化することで免許証の携帯が不要になったり、免許更新の時間短縮などの利点があるといわれている。」と出ている。

しかし、住所変更なんてそう頻繁にあることじゃない。事務手続きの簡略化と言われても、運転免許の性格上、視力検査や写真撮影には行かないといけないに決まってる。更新時の講習をオンラインで済ませられるようになるとも思えない。「免許証の携帯が不要になる」というのも、紙で持ち歩かなくていいだけで、今度はスマホの携帯義務が生じるはずだろう。免許証は財布に入れてるので、財布よりスマホを忘れることの方が多い自分には不便になる。
やがて「マイナンバーカード」と「運転免許」を一体化させるというけれど、それで何が便利になるのか。マイナンバーカードは期限が5年である。免許もゴールドなら5年だが、違反があって3年になったりすると、ズレてしまう。更新が面倒になるだけだ。そのうち「保険証」も「マイナンバーカード」と一緒にするという話だけど、これも同じだ。

保険証は顔写真がいらないから、今は(保険料を払っていれば)役所から送ってくる。マイナンバーカードは写真入りだから、新たな写真を撮って更新手続きをしないといけない。元気だったら面倒だというだけで済むが、病気がちだったり障害を持っていたら更新手続きに行くのも大変だ。一番保険証が必要な人が不便になってしまう。「マイナポータルサイト」を見たら、保険証と一体化したら更新を忘れると保険証が失効しますなんて書いてあった。不便になるのである。
ある時期までは「新技術が登場すると便利になる」と言えた。いや、実際は新技術で不幸になる人はいつの時代も存在したわけである。産業革命によって失業した人もいるし、世界にイギリス製品があふれてインドの地場産業が壊滅した。無声映画に音が付いたら、弁士が失業した。しかし、一般的には無声映画が有声映画になり、白黒映画がカラー映画になり、フィルム映像がデジタル映像になる流れを止めることは出来ないだろう。しかし技術の進展が早過ぎると、「便利になったようで、新技術に付いていけない人には不便になる」ことが多くなる。コンピュータや携帯電話の歴史は大体そういう感じだった。
今度の「デジタル化」というのも、つまりは「不便になる」のではないか。今までの免許証や保険証でそんなに困っていたのか。マイナンバーカードと一体化すると、何が便利になるのか。それは「政府にとって便利になる」ということに過ぎないのではないか。どうもそんな感じがしてならない。それにスマホは壊れるものである。その前に買い換えろというのかもしれないが、それでも人為的に壊されたり、どこかに置き忘れたりすることは避けられない。そうすると自分の証明が全く出来ない。そういう事態が起こりかねない。
お金やカード類は「分散」しておく方がいい。投資と同じである。昔、財布をなくしたことがあって、困ったのは現金を失ったことではなくて、それ以上にカード類をなくしたことだった。永井荷風じゃあるまいし、全財産を持ち歩いている人は普通はいない。現金をなくしたり取られたりするのは困るけど、銀行やクレジット会社のカードがあれば、当面必要なお金は下ろせる。以後は現金とカードは別々にするようになった。僕は全部マイナンバーカードに入れるというのは心配だ。どこかでなくしたら、保険証も免許証もなくすなんて。紙で別々に持ってる方が安全だと思う。
「聖域なき行政改革」と本当に思っているなら、何年経っても持ってる人が増えないマイナンバーカードを見直したらどうなんだ。少なくとも「マイナポイント」なんて訳の判らない事業に多額の税金を投じる愚挙をこそ、早急に止めてはどうかと思うけど。