尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「星の子」、原作も映画も傑作だけど、

2020年10月17日 23時18分14秒 | 映画 (新作日本映画)
 今村夏子原作の「星の子」が大森立嗣監督・脚本で映画化された。原作(朝日文庫)は持っていたので、映画を見る前に読んでみた。どちらも傑作だ。原作は時系列で進行するが、映画は主人公の15歳時点に始まって過去が挿入される。原作のエピソードを全部映像化すると時間が超過するから、普通は適宜省略する。この映画も同じだが、内容的なエッセンスはほとんど原作通り。意図したものも同じだと思うが、読み取りは見るものに任されている。

 今村夏子(1980~)は「こちらあみ子」(2011)が芥川賞候補になって評判を呼んだ。読んでみたが、僕にはよく判らなかった。しばらく作品がなかったが、「あひる」(2016)、「星の子」(2017)が続けて芥川賞候補になり、2019年に「むらさきのスカートの女」で芥川賞を受賞した。文庫「星の子」に小川洋子との対談があるが、小説を書く技術のようなものがなくて書き始めたので最初は書くのが難しかったようなことが語られていた。「星の子」は会話中心だが、かなり練られている。

 今村夏子の小説は、登場人物の目が見たままに描写されている。主人公の林ちひろは未熟児で生まれ、全身にかゆみが出て泣き止まない赤ちゃんだった。父親が職場で悩みを相談すると、「落合さん」はそれは水が悪いと断言し、この水を使うと良いと言われる。その貰った水でちひろを拭いてあげたら、やがてウソのように腫れがひいていった。その水は「金星のめぐみ」といって、「ひかりの星」という宗教団体のものだった。以後、両親は信仰に熱中し仕事も変わる。

 「怪しい宗教」と思った姉の「まーちゃん」はそんな親に反発する。「おじさん」(母親の兄)と姉が結託して、段ボール箱に入ってる水の中味を公園の水道水に変えてしまう「事件」が起きる。おじさんは「これで目が覚めただろう」と言うが、両親はおじさんに二度と来るなと言う。映画では詳しく描かれないが、この間両親は何度か引っ越して貧しくなっていく。小学校でも孤立することが多く、姉の生活も荒れていく。落合さんの家に時々行くけれど、そこの長男は引きこもりになっている。

 やがて学校でも友だちができるが、ちひろは学校にも「金星のめぐみ」を持って行っている。小学生の時、「ターミネーター2」を見て、エドワード・ファーロングに夢中になった。何度かクラスメイトを好きになったけど、全然目じゃない感じ。そして中学3年になる。映画はそこから始まる。ちひろ(芦田愛菜)は新任の数学教師「南先生」(岡田将生)に夢中になった。2年生と3年1・2組の授業を担当するという。女子テニス部の顧問だというから、テニス部に入部しようと部長に言うと3年生は募集してないと言われる。授業中は南先生の似顔絵を描いている。
(南先生の新任あいさつ)
 ある日、友だちの「なべちゃん」(新音)が卒業文集委員になって文章を直していた。ちひろも手伝うと、なべちゃんのボーイフレンド新村君もやって来る。3人で遅くなってしまったら、南先生が下校指導に来る。新村君が先生、車で送ってよなどと言う。そこから物語で一番深刻な場面になるが、ここでは書かない。そして学級担任がインフルエンザで休んで南先生が代理で学活に来る。そこでちひろが手ひどく叱責されるのだが、その間の心の揺れは原作の方が一人称で書かれている分理解しやすいかもしれない。
(なべちゃん、新谷君と3人で)
 ラストは宗教の研修旅行。そこで部屋が別なのでちひろは両親になかなか会えない。最後の最後になって、永瀬正敏原田知世の両親と一緒に星を見に行く。これらのシーンを通して、ちひろの心の中は描かれない。姉は妹が病弱だったから親が宗教にはまり込んで家が崩壊したと思っている(らしい)。だから高校も辞めて家出してしまう。しかし、ちひろは親を愛しているし、宗教も反発はしていない。ただ疑問が全くないわけでもないらしい。一方で、おじさんは両親と絶縁しても、ちひろを心配している。高校へはおじさんの家から通学してはどうかと提案するがちひろは今の家から通うという。
(星を見つめるちひろと両親)
 予告編で芦田愛菜が「作品を見て、心がぽっと温かくなって頂けたらうれしいです。」と言ってるが、これは心が温かくなる映画ではない。むしろ「不穏な感じ」が漂う物語だと思う。芥川賞の選評を見ると「虐待」だと言っている人もいるが、虐待とは言い切れないだろう。両親からすれば、ちひろの病気が治ったという実体験から宗教を信じたのである。その後の生活が苦しくなっても、それは試練だと思っているだろう。主観的には不幸ではなく、子どもにも愛情を注いでいる。「糸」の小松菜奈やドラマ「悪党」の新川優愛が演じた役柄は本当の虐待だったけれど。

 しかし、この宗教は一般的には「怪しい宗教」だ。物語内では「金星のめぐみ」に卓効があったことになっているが、奇跡のパワーが詰まった水なんかない。それにいろいろと高額なものを売りつけるらしい。子どもたちに優しい教団の人気者、海路さん高良健吾)や「昇子さん」(黒木華)にも問題があったという噂が子どもたちに飛び交っている。学校にも「金星のめぐみ」を持って行ってるから怪しく思われている。風邪を引かないはずが、やはり風邪気味になっている。

 「毒親」とか「虐待」と言わずとも、親が自分の信念体系を子どもに押しつけることは多い。親が挫折したスポーツや芸能をやらせるとか、難関大学入学を期待するとか…。ちひろを通して世界を見ていると、大人になっていく痛みが伝わってくる。それを芦田愛菜が好演しているけれど、ある意味ではイメージがぴったりすぎて同情し過ぎてしまうかもしれない。「芦田愛菜」という情報をシャットアウトして映画を見ることは不可能だし、今では原作を読むときも顔が浮かんでしまうだろう。しかし、その「描かない」ことで描く手法を映画でもうまくいかした大森立嗣監督の才能をよく感じ取れる。
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