チェコのヴァーツラフ・マルホウル監督の「異端の鳥」(The Painted Bird)という映画を見た。169分もある長い映画で、それも今どき珍しく白黒の35ミリフィルムで撮られている。その緊張に満ちた映像美は半端ない。しかし、それ以上に内容が衝撃的というしかない手強さだ。見ていて全く退屈をせずに見続けた。原作がいわく付きなんだそうだが、それは後で知った。最近紹介した多くの映画と違って、誰もが見るべき映画ではないが、「アート映画」ファンなら絶対に見逃せない。
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紹介文をそのままコピーすると、「東欧のどこか。ホロコーストを逃れて疎開した少年は、預かり先である一人暮らしの叔母が病死した上に火事で叔母の家が消失したことで、身寄りをなくし一人で旅に出ることになってしまう。行く先々で彼を異物とみなす周囲の人間たちの酷い仕打ちに遭いながらも、彼はなんとか生き延びようと必死でもがき続ける――。」今読むと、そうだったのかと思うが、映画を見ていると何だか判らないけど、幼い少年がずっといじめられている。行く先々でとんでもない暴力にあい続ける。あまりの暴力描写に付いていけない人も多いらしい。
少年はどこの村へ行っても、「ジプシーかユダヤ人か」とさげすまれる。親は収容所を逃れるため一人だけでも子どもを救おうとしたらしい。しかし寄る辺なき少年はあちこちの村をさまよい歩き、いろんな家に身を寄せる。だがどこでも村人が貧しく心も閉ざされている。粉屋の男は嫉妬深く、鳥売りは情事の相手が村人に迫害される。司祭だけは優しかったが、司祭に頼まれて預かった男は虐待者で、少年は口をきくことが出来なくなった。こういうことを書いていても映画の凄さは伝わらない。まさに「地獄めぐり」である。その凄まじさは比類なきレベルに達している。
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作中にドイツ軍とソ連軍が出てくる。さすがに軍人はドイツ語とロシア語だというが、他の村人は「インタースラーヴィク」というスラヴ語系人工言語を使っているという。「東欧のどこか」であって、原作者のポーランドでも、監督のチェコでも、映画が撮影されたウクライナやベラルーシなどのどこでもなく、一種の普遍的、象徴的な物語だと示すためだという。パンフの沼野充義氏の文を読むと、いくつかのスラヴ語を知っている沼野氏にはかなり判ったという。
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原作者のイエジー・コジンスキーは1933年にポーランドで生まれたユダヤ人で、1957年に出国し各国を転々とした後にアメリカに渡った。その時点で無一文のうえ、英語は全く話せなかったという。その後作家となり、1953年に「異端の鳥」(かつて角川文庫で出たときの邦題。現在は「ペインティッド・バード」として訳されている)を発表した。自伝的内容と思われ大評判となったが、その後自伝ではないことが判っている。さらに盗作説、ゴーストラーター説などもあるらしいが、作家は1991年に自殺している。映画「チャンス」(1979)の原作もこの人。
「異端の鳥」では意味不明だが、物語の中で鳥売りの家にいたときのエピソードに、ペンキを塗られた鳥が出てくる。放された鳥は群れに戻ろうとするが、鳥たちは受け入れない。沢山の鳥たちに突かれボロボロになって落ちてくる。これが「少年」を象徴するんだろう。そして少年だけでなく、異質なものを受け入れず迫害する人間社会をも意味するんだと思う。普通の場合ならナチスの「被害者」として描かれるべき村人だが、少年にとってはその村人が一番恐ろしい。ソ連軍やドイツ軍の方がまだしも親切だったという衝撃。
ヴァーツラフ・マルホウル監督は数年かけてこの映画を作った。3作目だというが、今までの作品は知らない。この作品はチェコのライオン賞(アカデミー賞)で作品、監督など8部門で受賞したほか、ヴェネツィア映画祭でユニセフ賞を受けた。案外国際的に恵まれない感があるのは、残酷描写に賛否両論があるのと長いモノクロ映画で地味だからだろう。だけど、この映画の芸術的完成度は非常に高いと思う。
特に撮影のウラジミール・スムットニーは「コーリャ、愛のプラハ」などの名手で素晴らしい映像だ。俳優は少年は俳優じゃないが、他にはハーヴェイ・カイテル、ウド・キアー、ジュリアン・サンズなど国際的なキャスティングをしているが、見ている間は気付かなかった。
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紹介文をそのままコピーすると、「東欧のどこか。ホロコーストを逃れて疎開した少年は、預かり先である一人暮らしの叔母が病死した上に火事で叔母の家が消失したことで、身寄りをなくし一人で旅に出ることになってしまう。行く先々で彼を異物とみなす周囲の人間たちの酷い仕打ちに遭いながらも、彼はなんとか生き延びようと必死でもがき続ける――。」今読むと、そうだったのかと思うが、映画を見ていると何だか判らないけど、幼い少年がずっといじめられている。行く先々でとんでもない暴力にあい続ける。あまりの暴力描写に付いていけない人も多いらしい。
少年はどこの村へ行っても、「ジプシーかユダヤ人か」とさげすまれる。親は収容所を逃れるため一人だけでも子どもを救おうとしたらしい。しかし寄る辺なき少年はあちこちの村をさまよい歩き、いろんな家に身を寄せる。だがどこでも村人が貧しく心も閉ざされている。粉屋の男は嫉妬深く、鳥売りは情事の相手が村人に迫害される。司祭だけは優しかったが、司祭に頼まれて預かった男は虐待者で、少年は口をきくことが出来なくなった。こういうことを書いていても映画の凄さは伝わらない。まさに「地獄めぐり」である。その凄まじさは比類なきレベルに達している。
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作中にドイツ軍とソ連軍が出てくる。さすがに軍人はドイツ語とロシア語だというが、他の村人は「インタースラーヴィク」というスラヴ語系人工言語を使っているという。「東欧のどこか」であって、原作者のポーランドでも、監督のチェコでも、映画が撮影されたウクライナやベラルーシなどのどこでもなく、一種の普遍的、象徴的な物語だと示すためだという。パンフの沼野充義氏の文を読むと、いくつかのスラヴ語を知っている沼野氏にはかなり判ったという。
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原作者のイエジー・コジンスキーは1933年にポーランドで生まれたユダヤ人で、1957年に出国し各国を転々とした後にアメリカに渡った。その時点で無一文のうえ、英語は全く話せなかったという。その後作家となり、1953年に「異端の鳥」(かつて角川文庫で出たときの邦題。現在は「ペインティッド・バード」として訳されている)を発表した。自伝的内容と思われ大評判となったが、その後自伝ではないことが判っている。さらに盗作説、ゴーストラーター説などもあるらしいが、作家は1991年に自殺している。映画「チャンス」(1979)の原作もこの人。
「異端の鳥」では意味不明だが、物語の中で鳥売りの家にいたときのエピソードに、ペンキを塗られた鳥が出てくる。放された鳥は群れに戻ろうとするが、鳥たちは受け入れない。沢山の鳥たちに突かれボロボロになって落ちてくる。これが「少年」を象徴するんだろう。そして少年だけでなく、異質なものを受け入れず迫害する人間社会をも意味するんだと思う。普通の場合ならナチスの「被害者」として描かれるべき村人だが、少年にとってはその村人が一番恐ろしい。ソ連軍やドイツ軍の方がまだしも親切だったという衝撃。
ヴァーツラフ・マルホウル監督は数年かけてこの映画を作った。3作目だというが、今までの作品は知らない。この作品はチェコのライオン賞(アカデミー賞)で作品、監督など8部門で受賞したほか、ヴェネツィア映画祭でユニセフ賞を受けた。案外国際的に恵まれない感があるのは、残酷描写に賛否両論があるのと長いモノクロ映画で地味だからだろう。だけど、この映画の芸術的完成度は非常に高いと思う。
特に撮影のウラジミール・スムットニーは「コーリャ、愛のプラハ」などの名手で素晴らしい映像だ。俳優は少年は俳優じゃないが、他にはハーヴェイ・カイテル、ウド・キアー、ジュリアン・サンズなど国際的なキャスティングをしているが、見ている間は気付かなかった。