「糸」のような大ヒット作品は、まあ見てもいいけど見なくてもいいかなと思っていた。でも「悪党」を見て瀬々敬久監督の並々ならぬ演出手腕を改めて実感して、「糸」も見ておこうと思った。4月公開予定が8月に延期され、それももう終盤に近づいている。この映画を菅田将暉、小松菜奈じゃなくて、(あるいは中島みゆきの主題歌でもなく)監督の瀬々敬久目的で見る人はほとんどいないと思うが、やはり演出や編集の素晴らしさを心から満喫できるメロドラマだった。

中島みゆき「糸」をモチーフにオリジナルストーリーを作ったもので、ちょうど「平成元年」に生まれた高橋蓮(菅田将暉)と園田葵(小松菜奈)の出会いと別れを描いている。北海道で出会い、東京で再会し、沖縄、シンガポールとさすらいながら、北海道で再会できるのか。「観光映画」でもあるような美しく壮大な映像を背景に、現代の「君の名は」が展開される。(この「君の名は」は菊田一夫原作のすれ違いメロドラマである。)
中学1年生のとき、美瑛の花火大会で出会う。蓮は「サッカー日本代表になって世界で活躍する」というが葵は「平凡な人生を送りたい」と答える。それによって、エンタメ作品の文法により、二人の人生が逆になるだろうことが示される。以後、ストーリーに触れることになるが、まあファンだから見る人はもう見ただろうし、文法通りだからネタを書いても許されるだろう。葵は家庭的に恵まれないが、東京でキャバクラ嬢をしているときに救ってくれる人が現れる。(美人は得なのである。)しかし、社長の彼はリーマンショックでお約束の運命をたどる。

友人の結婚式で再会した二人は、葵に彼がいて別れていく。蓮はサッカーを諦めて地元のチーズ工房に勤めていて、先輩の桐野薫(榮倉奈々)と親しくなる。やがて結婚して子どもが出来るが、薫には腫瘍が見つかる。何としても子を産むと頑張るが、やがて薫の病気は再発する。果たして助かるのだろうかなどと心配する意味はなく、葵と奇跡の再会をするために薫は消える運命にある。しかし、二人の子どもはとても「いい子」に育つ。薫は娘に「泣いている人を見たら抱きしめてあげるんだよ」と語り、スーパーで買い物中に悲しみがいっぱいになった蓮を娘が抱きしめる感動シーンにつながる。
(父親を抱きしめる幼い娘)
葵は友人に誘われてシンガポールでネイリストになる。挫折を超えて成功をつかむが、今度は裏切られる。挫折して日本へ帰る前、日本食堂でまずいカツ丼を食べる小松菜奈をカメラがずっと見つめ続ける。店内には「糸」が流れている。(映画の中で4回流れるうち3回目。)多くの人が書いているが、このカツ丼シーンはそれだけでも見る価値がある名シーンだ。
一方で、その後の蓮はチーズ作りに賭けるが、なかなか成功しない。しかし娘の何気ない一言で美味しいチーズが出来て東京のレストランで採用される。東京に来た蓮、日本に帰った葵。二人は同じ時に新宿にいるけれど、新宿駅西口の中央公園の歩道橋の上と下で出会えない。一つのフレームに二人をとらえた名場面である。
こういう風にお約束的に進行するが、お涙頂戴の一歩手前で立ち止まる。その節度あるセンチメンタリズムがなかなか快い。それが演出の手腕というもので、菅田将暉と小松菜奈だから当然クローズアップも多いんだけど、時々驚くようなロングショットに切り替わる。その編集リズムが気持ちいいのである。寄せと引きのリズムが北海道やシンガポールで展開されるとき、とても上質のメロドラマが成立するのである。カツ丼シーンと同じくらいの名シーンが函館空港の「もしもしコーナー」。実際にあるものだそうで、搭乗手続きを経た後で両方で話すことが出来る。
(函館空港の「もしもしコーナー」)
上出来のメロドラマは世の中に必要で、こういう映画を通して若い世代がいろいろと感じていけばいいと思う。虐待や貧困の問題とか、アジアで働く意味とか、子ども食堂とか、悲しみを抱えて生きていくことなどについて。それらはナマで語っても、上手には伝わらない。プロの技術で、巧みに構成されたときに初めて多くの人の心を打つ。その意味で瀬々敬久が時たまこういうのを作るのは意味があると思う。小松菜奈は若い時期の代表作になると思う。(しかし今年の女優賞は長澤まさみにあげたい。)僕は榮倉奈々は助演女優賞の有力候補だと思った。
最後に書いておくが、この映画は発想に大きな問題がある。中島みゆき「糸」はいいけど、それを「平成史」に重ねると言われても、元号の問題性もあるが、僕なんか年代が全然判らないのだ。「昭和」はもちろん判る。しかし、「平成」は西暦でしか認識してないから、それが一体何年のことなのか、映画を見ていて混乱してしまうのである。特に21世紀になって起こった「同時多発テロ」「リーマンショック」「東日本大震災」など、平成何年の出来事かすぐには言えない人は多いんじゃないか。それに「平成元年」生まれの設定だから、実質18年ほどの物語なのである。

中島みゆき「糸」をモチーフにオリジナルストーリーを作ったもので、ちょうど「平成元年」に生まれた高橋蓮(菅田将暉)と園田葵(小松菜奈)の出会いと別れを描いている。北海道で出会い、東京で再会し、沖縄、シンガポールとさすらいながら、北海道で再会できるのか。「観光映画」でもあるような美しく壮大な映像を背景に、現代の「君の名は」が展開される。(この「君の名は」は菊田一夫原作のすれ違いメロドラマである。)
中学1年生のとき、美瑛の花火大会で出会う。蓮は「サッカー日本代表になって世界で活躍する」というが葵は「平凡な人生を送りたい」と答える。それによって、エンタメ作品の文法により、二人の人生が逆になるだろうことが示される。以後、ストーリーに触れることになるが、まあファンだから見る人はもう見ただろうし、文法通りだからネタを書いても許されるだろう。葵は家庭的に恵まれないが、東京でキャバクラ嬢をしているときに救ってくれる人が現れる。(美人は得なのである。)しかし、社長の彼はリーマンショックでお約束の運命をたどる。

友人の結婚式で再会した二人は、葵に彼がいて別れていく。蓮はサッカーを諦めて地元のチーズ工房に勤めていて、先輩の桐野薫(榮倉奈々)と親しくなる。やがて結婚して子どもが出来るが、薫には腫瘍が見つかる。何としても子を産むと頑張るが、やがて薫の病気は再発する。果たして助かるのだろうかなどと心配する意味はなく、葵と奇跡の再会をするために薫は消える運命にある。しかし、二人の子どもはとても「いい子」に育つ。薫は娘に「泣いている人を見たら抱きしめてあげるんだよ」と語り、スーパーで買い物中に悲しみがいっぱいになった蓮を娘が抱きしめる感動シーンにつながる。

葵は友人に誘われてシンガポールでネイリストになる。挫折を超えて成功をつかむが、今度は裏切られる。挫折して日本へ帰る前、日本食堂でまずいカツ丼を食べる小松菜奈をカメラがずっと見つめ続ける。店内には「糸」が流れている。(映画の中で4回流れるうち3回目。)多くの人が書いているが、このカツ丼シーンはそれだけでも見る価値がある名シーンだ。
一方で、その後の蓮はチーズ作りに賭けるが、なかなか成功しない。しかし娘の何気ない一言で美味しいチーズが出来て東京のレストランで採用される。東京に来た蓮、日本に帰った葵。二人は同じ時に新宿にいるけれど、新宿駅西口の中央公園の歩道橋の上と下で出会えない。一つのフレームに二人をとらえた名場面である。
こういう風にお約束的に進行するが、お涙頂戴の一歩手前で立ち止まる。その節度あるセンチメンタリズムがなかなか快い。それが演出の手腕というもので、菅田将暉と小松菜奈だから当然クローズアップも多いんだけど、時々驚くようなロングショットに切り替わる。その編集リズムが気持ちいいのである。寄せと引きのリズムが北海道やシンガポールで展開されるとき、とても上質のメロドラマが成立するのである。カツ丼シーンと同じくらいの名シーンが函館空港の「もしもしコーナー」。実際にあるものだそうで、搭乗手続きを経た後で両方で話すことが出来る。

上出来のメロドラマは世の中に必要で、こういう映画を通して若い世代がいろいろと感じていけばいいと思う。虐待や貧困の問題とか、アジアで働く意味とか、子ども食堂とか、悲しみを抱えて生きていくことなどについて。それらはナマで語っても、上手には伝わらない。プロの技術で、巧みに構成されたときに初めて多くの人の心を打つ。その意味で瀬々敬久が時たまこういうのを作るのは意味があると思う。小松菜奈は若い時期の代表作になると思う。(しかし今年の女優賞は長澤まさみにあげたい。)僕は榮倉奈々は助演女優賞の有力候補だと思った。
最後に書いておくが、この映画は発想に大きな問題がある。中島みゆき「糸」はいいけど、それを「平成史」に重ねると言われても、元号の問題性もあるが、僕なんか年代が全然判らないのだ。「昭和」はもちろん判る。しかし、「平成」は西暦でしか認識してないから、それが一体何年のことなのか、映画を見ていて混乱してしまうのである。特に21世紀になって起こった「同時多発テロ」「リーマンショック」「東日本大震災」など、平成何年の出来事かすぐには言えない人は多いんじゃないか。それに「平成元年」生まれの設定だから、実質18年ほどの物語なのである。