2020年9月の訃報特集。チェコの映画監督イジー・メンツェルについて別に書いた。今月はそれもあって、外国人(在日外国人)から書きたい。9月の訃報の中で世界政治に最も大きな影響をあるのは明らかにルース・ベイダー・ギンズバーグだ。9月18日没、87歳。1993年に女性として二人目のアメリカ連邦最高裁判事に任命された人だ。連邦最高裁の重要な役割は知っているが、去年まではさすがに判事の名前までは記憶してはいなかった。しかし、劇映画「ビリーブ」とドキュメント映画「RBG」が日本でも公開されたので、この重要な人の名前を覚えることになった。(映画のことは、「「RBG」と「ビリーブ」、米最高裁の闘う女性判事」に書いた。

この人のすごいところは、単にリベラル派の代表だったり、女性の権利の擁護者だったというだけではない。先のドキュメント映画にも描かれているが、特にトランプ時代になって一種のポップスター(大衆的な人気者)扱いされたのである。「RBG」と呼ばれて、その名で画像検索すればたくさんの「イコン」が見つかる。50年代に大学で学んだ時はまだ女性法律家がほとんど存在しなかった。その後、裁判における性差別の撤廃に努めてきた。ガンを公表しながら執務していたが、大統領選前に亡くなったのは無念だったろう。
フランスの歌手、ジュリエット・グレコが9月23日に死去、93歳。戦後フランスを代表する「シャンソン」歌手だった。もう「戦後」イメージのシャンソン歌手は誰もいないだろう。サルトルやボーヴォワールがいたサン=ジェルマン=デプレのカフェやナイトクラブに、長い黒髪と黒ずくめの衣装で現れた伝説的歌手だった。代表曲は「枯葉」で、シャンソンのイメージそのものとなった。コクトーの映画「オルフェ」などにも出演した。俳優のミシェル・ピコリなど3回の結婚歴があり、マイルス・デイヴィスとの恋愛もあった。日本公演も22回を数えるという。

上智大学名誉教授、イエズス会司祭の哲学者、アルフォンス・デーケンが9月6日に死去、88歳。1959年に来日し、1973年に上智大学教授となった。80年代になって「死生学」を唱え、死を意識して「いのち」を考える重要性を説いた。当時の日本ではまだガン告知はしないとか、死をめぐる議論は避ける風潮が強かった。その中でデーケン教授の「死の哲学」は、ホスピス設立や終末期ケアにも大きな影響を与えた。多くの著書があり、講演も人気だった。

イギリスの劇作家、脚本家のロナルド・ハーウッドが9月8日死去、85歳。自らの経験をもとに、名優の付き人をめぐる舞台劇「ドレッサー」で有名になった。その後は映画の脚色を多く手掛け「戦場のピアニスト」で米アカデミー脚色賞を受賞した。他にも「イワン・デニーソヴィチの一日」「オリバー・ツイスト」や「潜水服は蝶の夢を見る」などがある。
(ロナルド・ハーウッド)
フランスの料理家ピエール・トロワグロが23日に死去、92歳。兄のジャンとともに、ロアンヌに開いたレストラン「トロワグロ」はミシュランガイドで長く三つ星を獲得した。その日に仕入れた素材を生かす「ヌーヴェル・キュイジーヌ」の先駆け。銀座で「マキシム・ド・パリ」の初代料理長を務め、日本でも大きな影響を与えた。今も系列の「カフェ・トロワグロ」が新宿にある。
(ピエール・トロワグロ)
・アメリカの人類学者、デヴィッド・グレーバーが2日死去、59歳。「負債論──貨幣と暴力の5000年」、「官僚制のユートピア──テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則」、「ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事」などなかなか興味深いタイトルの著書がある。ウォールが選挙運動の「我々は99%」のスローガンの発案者というが、名前を知らなかった。
・フランス出身の俳優、マイケル・ロンズデールが21日死去、89歳。「007/ムーンレイカー」や「薔薇の名前」などに出演。
・オーストラリア出身の歌手、ヘレン・レディが29日死去、78歳。5年前から認知症の診断を受けていたという。1972年に「アイ・アム・ウーマン」が全米1位となり、オーストラリア人として初のグラミー賞を受賞した。大衆文化やフェミニズム運動にも大きな影響を与えたとされる。


この人のすごいところは、単にリベラル派の代表だったり、女性の権利の擁護者だったというだけではない。先のドキュメント映画にも描かれているが、特にトランプ時代になって一種のポップスター(大衆的な人気者)扱いされたのである。「RBG」と呼ばれて、その名で画像検索すればたくさんの「イコン」が見つかる。50年代に大学で学んだ時はまだ女性法律家がほとんど存在しなかった。その後、裁判における性差別の撤廃に努めてきた。ガンを公表しながら執務していたが、大統領選前に亡くなったのは無念だったろう。
フランスの歌手、ジュリエット・グレコが9月23日に死去、93歳。戦後フランスを代表する「シャンソン」歌手だった。もう「戦後」イメージのシャンソン歌手は誰もいないだろう。サルトルやボーヴォワールがいたサン=ジェルマン=デプレのカフェやナイトクラブに、長い黒髪と黒ずくめの衣装で現れた伝説的歌手だった。代表曲は「枯葉」で、シャンソンのイメージそのものとなった。コクトーの映画「オルフェ」などにも出演した。俳優のミシェル・ピコリなど3回の結婚歴があり、マイルス・デイヴィスとの恋愛もあった。日本公演も22回を数えるという。


上智大学名誉教授、イエズス会司祭の哲学者、アルフォンス・デーケンが9月6日に死去、88歳。1959年に来日し、1973年に上智大学教授となった。80年代になって「死生学」を唱え、死を意識して「いのち」を考える重要性を説いた。当時の日本ではまだガン告知はしないとか、死をめぐる議論は避ける風潮が強かった。その中でデーケン教授の「死の哲学」は、ホスピス設立や終末期ケアにも大きな影響を与えた。多くの著書があり、講演も人気だった。

イギリスの劇作家、脚本家のロナルド・ハーウッドが9月8日死去、85歳。自らの経験をもとに、名優の付き人をめぐる舞台劇「ドレッサー」で有名になった。その後は映画の脚色を多く手掛け「戦場のピアニスト」で米アカデミー脚色賞を受賞した。他にも「イワン・デニーソヴィチの一日」「オリバー・ツイスト」や「潜水服は蝶の夢を見る」などがある。

フランスの料理家ピエール・トロワグロが23日に死去、92歳。兄のジャンとともに、ロアンヌに開いたレストラン「トロワグロ」はミシュランガイドで長く三つ星を獲得した。その日に仕入れた素材を生かす「ヌーヴェル・キュイジーヌ」の先駆け。銀座で「マキシム・ド・パリ」の初代料理長を務め、日本でも大きな影響を与えた。今も系列の「カフェ・トロワグロ」が新宿にある。

・アメリカの人類学者、デヴィッド・グレーバーが2日死去、59歳。「負債論──貨幣と暴力の5000年」、「官僚制のユートピア──テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則」、「ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事」などなかなか興味深いタイトルの著書がある。ウォールが選挙運動の「我々は99%」のスローガンの発案者というが、名前を知らなかった。
・フランス出身の俳優、マイケル・ロンズデールが21日死去、89歳。「007/ムーンレイカー」や「薔薇の名前」などに出演。
・オーストラリア出身の歌手、ヘレン・レディが29日死去、78歳。5年前から認知症の診断を受けていたという。1972年に「アイ・アム・ウーマン」が全米1位となり、オーストラリア人として初のグラミー賞を受賞した。大衆文化やフェミニズム運動にも大きな影響を与えたとされる。