尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

森政捻『戦後「社会科学」の思想』を読む

2020年10月31日 22時54分28秒 | 〃 (さまざまな本)
 NHKブックスから出た森政捻(まさとし)著『戦後「社会科学」の思想』を読んだので、よく判らないところが多いながらも感想を書いておきたい。3月に出たが好評だったようで、僕が買ったのは6月に出た第2刷である。小説ばかり読んでるので、ちょっとメンドー感じがして放っておいた。戦後の「教養」の歴史を読んだから、ついでにこの機会に読もうと思ったのである。これは誰もが読むべき本じゃないが、丸山真男鶴見俊輔などを読んできた人には、興味深いと思う。

 森政捻氏は東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授と出ている。最近は大学のセンセイの肩書きが長くて困る。専攻は政治・社会思想史。この本は東大教養学部の「相関社会科学基礎論Ⅰ」という学部2年次後半から4年次までの入門的な授業のノートが元になっているという。東大の授業だから難しいとも言えるが、入門だから大丈夫とも言える。岩波新書の「日本の思想」(丸山真男)は昔は教科書に載っていたものだが、今では難しく読めないという人がいるらしい。その意味ではこれも難しい本になるかもしれない。

 ここで「社会科学」と言っているのは、経済学政治学法学社会学などだが、そういう個別学問を超えて「戦後日本をいかに分析し、未来を構想するか」といった問題関心を共有した「戦後思想史」を意味している。「人文科学」という概念もあって、今問題の「日本学術会議」では第1部が「人文・社会科学」となっている。人文科学は、歴史学地理学哲学宗教学言語学教育学なんかを指すことが多い。だから、この本では「戦後歴史学」は全く出て来ない。唯物史観民衆史「アナール」派「近代化論」などが触れられないのは残念だ。
 
 目次に沿って紹介すると、Ⅰ部が『「戦後」からの出発』と題され、第1章『「戦後」の意味と現代性』では「現代」の意味や「戦後」について考える。第2章が『丸山真男とその時代』、第3章が『日本のマルクス主義の特徴と市民社会論』。第4章の『ヨーロッパの「戦後」』で実存主義やフランクフルト学派が取り上げられる。その後に「補論」として『鶴見俊輔と「転向」研究』が置かれている。このように、丸山真男(あるいは大塚久雄)、日本のマルクス主義(「講座派」の独自性)、そして「思想の科学」のプラグマティズムという取り上げ方は、戦後思想史の「常識」に沿っている。
(丸山真男)
 丸山真男の政治思想史が細かく検討されるが、今となっては研究が進んでヨーロッパや日本に関する丸山のとらえ方には問題もあるんだという。しかし、戦後になされた「日本ファシズム」の解明は今も重大な意味を持っている。後に多数なされた丸山批判も過不足なくまとめられていると思った。旧軍隊の内務班における「抑圧委譲」というとらえ方は、今も非常に有効だと示される。21世紀になって、丸山や大塚が想定していた「ヨーロッパ」も大きく変貌したが、「近代」の概念は決して安易に「超克」してはいけない重みを増していると僕は思っている。
(鶴見俊輔)
 それに続いて、アダム・スミスマルクスマックス・ウェーバーの受け取り方が検討され、またサルトルなどの実存主義にも触れられる。今となっては判りにくいとしても、マルクス主義やサルトルなどが切実に受け止められた事情が理解出来ないと「戦後」は意味不明となる。そして「現在地」の理解もおかしくなる。「転向」という概念も同様で、「共産主義から日本主義への屈服」として非難や屈辱の的だった「転向」概念をプラグマティックに再検討した鶴見俊輔らの研究は「共同研究」という方法とともに重要な意味を持った。

 続いて「Ⅱ部」の『大衆社会の到来」では、第5章『大衆社会論の特徴とその「二つの顔」』で、エーリッヒ・フロムリースマンハンナ・アレントなどが検討される。そして安保闘争後に登場した松下圭一の大衆社会論が扱われる。「補論」として「大衆社会期論のいくつかの政治的概念について」として「多元的社会」や「エリート論」を扱う。ここまでは昔はよく雑誌などに「戦後思想の必読書」などと特集されていて、それで知ったものが多い。今はそういうものがないので、概観の紹介書が求められているのだろう。

 さて、問題はその後の1970年以後で、「Ⅲ部」が『ニューレフトの時代』で第6章『奇妙な革命』、第7章が『知の革新とある。ニューレフトを「新左翼」とすると、日本では党派間の内ゲバやテロの印象が強くなる。しかし、マルクス主義の権威が「大衆社会の登場」や「ソ連や中国の実態」から墜落していった後で、あらゆる権威に疑問を突きつけた思想としては、今もなお渦中にあると言っていい。フェミニズムやセクシャル・マイノリティの問題もその時代から発している。マルクーゼ真木悠介(見田宗介)らの見解を振り返ったり、マルクスの読み直しなど刺激になる見解が多い。
 
 そして、その後「先進国」では「高度成長」が終わり、多くの国で新保守主義、新自由主義が登場した。「Ⅳ部」が『新保守主義的・新自由主義的転回』が第8章『新保守主義の諸相』、第9章『新自由主義と統治性の問題』となる。この箇所は興味深いんだけど、外国の理論家の紹介が多く、僕には今一つ理解出来なかった。若い世代には読書の手引きとして役立つだろう。この時代はまさに現代そのものなので、なかなか見取り図を描きにくいということもある。それに日本の現状を取り上げて論じる「保守思想家」が少ない。日本では「思想なき社会」になってしまって、「保守派」も保守思想を主張するより情緒的な復古論をつぶやく人が多い。

 そんな時代に現代思想史を書くのは大変だったろうと思う。個人的に言えば、欧米の思想家の言説検討は役立つけれど、日本のアジア主義的な系譜、アジアへの関心や連帯運動が薄いと思う。名前は出ているが、僕は丸山真男と鶴見俊輔を論じるならば、同じぐらい竹内好(たけうち・よしみ)にも触れたい。また「近代化論」へのアンチとしての「民衆史」の動向も重要だと思う。それにしても、「戦後リベラル」が退潮し「新自由主義」が登場した流れを多くの人が理論的に振り返るきっかけになる本じゃないかと思う。お勉強する気がある人は是非チャレンジを。
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