星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

距離と不在と…:『愛おしい骨』キャロル・オコンネル著/『嵐が丘』エミリー・ブロンテ

2018-12-03 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
12月になりました、、 早3日…

週末やや臥せっていたらアドヴェントカレンダーの窓を開けるのも忘れてます…(笑) 
、、こうして師走は疾走(失踪)していくのですね、、



お天気予報は曇りだったけど、 思いがけなく夜明けの空が綺麗でした。。

 ***

先週からの本のつづきは読んでいます。 …でも じつはもう一冊 並行して読んでいる本があるのです。


『嵐が丘』エミリー・ブロンテ 新潮文庫 田中西二郎訳

もう少し古い版も持っていますが この表紙のヒースクリフとキャサリンが好きです。 これは92年に映画化された時の表紙ですね、、 アーンショー家に拾われてきたロマ(ジプシー)の子ヒースクリフはレイフ・ファインズ、 この家の娘キャサリンはジュリエット・ビノシュ。。
でも映画は見てないんです… 本当のところ『嵐が丘』をちゃんとじっくり読んだ事がなくて…(恥) 映画を先に見るわけにはいかないと、、。

、、昔、大学の必要にかられて読んだ事は読んだのですが 人物造形の強烈さと愛憎劇を味わえなかった(共鳴する心境じゃなかった)、、 必要にかられて読むような本ではないですね、、 だから いつかはちゃんと読みたいと思いつつ……

 ***

、、今年 ミステリー作品をたくさん読んできて、 夏の終わりに キャロル・オコンネルの『愛おしい骨』(創元推理文庫)を読みました。


表紙の画、素敵だと思う…


二十年ぶりに故郷へ戻った青年が主人公。 子供時代に弟と森へ出かけ 弟は消え、彼だけが家へ帰ってきた。 弟の失踪から二十年経ち、 なぜか家の玄関の前に骨が届くようになる… 、、そう始まるミステリー小説なのだけど、、

、、事件解決への謎解きよりも、 この青年が戻った故郷の町 そこの人々がなんとも不可思議というか強烈で、、。 なんとなくツインピークスに出てくるような 謎めいた奇妙な人々… 、、読んでいくうちにこれらの謎めいた人物たちの過去が複雑に絡み合っていく愛憎劇と(そのなかには青年自身の二十年越しのまだ行き着いていない愛も) そして弟の未解決の死の謎が 次第に明かされてくるのですが、、

、、奇妙な人々の愛のかたちが およそ尋常とは言えないにもかかわらず、 表面(世間的)には見えない想い、 二十年、それ以上 在り続けた想い、、 決して普通に見えないこれらも《純愛》なのだと思わせられ…… その純愛になんだか心動かされました。。
年齢、 婚姻、 性差、 生死、、 隠れていること、 離れていること、 憎むこと、 傷つけること、 叶えられないこと、、 失うこと、、

あまりに突拍子もなくて 映像にしたらコメディになりかねないような部分もあったのですが、、 秋が過ぎて細部を忘れかけても 愛のかたちは胸に残り続けました。

、、 それで 『嵐が丘』が今なら読めるかな… と。。

 ***

先週からの本の続きに ロマン主義の核心ともいえる事が書かれていて、、(だから今日はタイトルを伏せます) その部分は音楽のロマン派について述べた部分なのだけど、 私が読んできた英国ロマン主義の文学にもまさに当て嵌まると思い……

それは 《距離》と 《不在》と… もうひとつ…

距離とは 対象との地理的距離でもあり、 立場的距離でもあり、  時間的距離でもあり、 生命の距離でも、、

不在とはそのまま、 今ここにいないことや、 もはやいないことや、 初めからいないこと(非在)も、、

もう一つは… 本の中では別の言葉で書かれていましたが、、 ここでは「追想」としておきましょう、、 距離を想い、 不在を想い、、 振り返り、 記憶を辿り、 回想し、 夢をみる、、 
そして「想う」ことで 距離を 不在を、、 なんとか手繰り寄せようとする。。

 ***

今年、メアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン(あるいは現代のプロメテウス)』の出版から200年ということで、 『メアリーの総て』という映画がつくられましたね。 『フランケンシュタイン』は現代のSFホラーにつながる小説ですが、 自然描写と、《彼》の想いが、 大変美しい小説です。 《旅》の物語でもあり、 叶えられない愛の物語でもあります。


『嵐が丘』の出版は1847年(でも物語の舞台は1770年代~1802年)。 ロマン主義の時代への追想のような、、。 ロマン主義の核心を踏まえつつ でも、 時代も距離も不在も生死も すべてを越えていく物語。

  My love for Linton is like the foliage in the woods: time will change it, I'm well aware, as winter changes the trees. My love for Heathcliff resembles the eternal rocks beneath: a source of little visible delight, but necessary. Nelly, I am Heathcliff! He's always, always in my mind: not as a pleasure, any more than I am always a pleasure to myself, but as my own being.

 「あたしはヒースクリフです!」


ようやく このキャサリンの叫びに心から共感できます… 心から。。 いつか自分の墓碑銘にしたいくらい… (笑・墓所は要りませんけれど)

そして、、 この台詞の中の 《樹》の喩えと 《巌》の喩え、、

距離も不在も生死も すべてを越えて eternal と always へ…



明日からまたつづきを読む《旅人》の本へも つながります。。

深まる秋に…:『深い森の灯台』『夜を希う』マイクル・コリータ

2018-09-14 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
長かった夏も終わったようです…

この夏はミステリーだけを読んでいました。。 現実から逃避するためと、 世界中を旅するためと、、。。 
前に、 ある土地で起こる犯罪についても、 その土地の歴史や文化や人が生きて来た土地の記憶と無縁ではない、、ということを書いた気がしますが、、 エンターテイメントの犯罪小説の奥に見える その国その土地ならではの自然の営みや暮らしぶりや 人々のものの考え方を味わうのが好き。。 たとえ 拳銃の弾がとびかっていても、、 それはお話の中だけだとわかっているから。。。 その悲劇が現実化している場所が確かにあることを 読み終えて我に返って思い出し、、 やりきれない思いに沈むこともしばしばだけれど、、

でも、、 ミステリー好きの友と、 (ヴァランダーの女への迫り方ってほんとダメよね…)とか、 (ウールのセーターにフラノ地のスラックスで海岸散歩するダルグリッシュには 草の種=バカ とかいっぱいくっついちゃってるのよ、きっと) なんて妙なところで話が盛り上がったりして、、 (意地のわるい楽しみ方デスね…)

 ***

今回は 北米の 深い森と湖のミステリーをふたつ。



『深い森の灯台』マイクル・コリータ 原題 The Ridge
『夜を希う』    同上      原題 Envy The Night
 (青木悦子訳・創元推理文庫)

二冊載せましたが べつにシリーズものではありません。全く別のお話。

先に読んだ方が 『深い森の灯台』で、書かれたのはこちらのほうが新しく、 2011年 コリータ29歳での作品。 
『夜を希う』は2008年 26歳での作品。。 早熟のミステリー作家なんです。

『深い森の灯台』はケンタッキー州ソーヤー郡の 山深い森に独り住み、 森の中に灯台を築いて周囲に煌々と夜の光を投げかけ続ける奇妙な男、、 その死から始まるサスペンス。

この地でかつて起こった事件に関わった保安官代理、 このソーヤー郡の百年余りにわたる歴史を伝え続けてきた地元新聞の記者、 この地に自然動物保護施設をつくった女性、、 などなど次々に登場し、 森の灯台の周囲に謎と恐怖が満ちていく…

森の灯台、、という設定も興味深いように、 この作家さん 冒頭の話のつかみがとっても巧い。 状況の描写、 自然描写もうまいし、 登場人物の会話も おもわせぶりな台詞を小出しにしながら 何が起こっているのか明かさず引っ張る、、 

8歳くらいからミステリー作家にお手紙を出し、 スティーヴン・キングを大変尊敬していたという早熟の少年だったらしく、 どんどん読ませる文章力も。。 それで巧いなぁ… と思って、 ただ『深い森の灯台』は スーパーナチュラルな要素が強い、 ホラーに近いミステリーなので、、 私としては超自然的要素の無い事件のほうを読みたく、、 『夜を希う』を手に取りました。

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『夜を希う』は、 ウィスコンシン州のウィローフローウィッジ(Willow Flowage)という湖をめぐるたいへん美しい場所が舞台の、 ハードボイルドサスペンス。

主人公が作家さんの当時の年齢とほぼ同じ、 25歳くらいで若々しくてかっこいい。。 でもその出生と育ちには重い重い血の継承が…。 あとFBIやら、 プロの殺し屋たちやら、、 最初はいったい何が起こっているのか、 この青年にまつわる過去に何があったのか、、 ぜんぜんわからないまま次々に人物が絡んでいくのは 『深い森の灯台』同様、、 話のつかみは最高なんだけど… 
ただ、 こちらの方が若書きというか こなれていないせいか、、 話の順序が混乱しやすく、本当はずっしりと重いものを抱えた人物たちなのだが、 その理由が明かされない
がゆえに苦悩の深さが今一つ読み手に伝わりにくい。。

読み終えて、、 もう一度振り返って やっと積年の苦悩の謎が解けるのですが…

でも、 美しい自然描写も良かったし、 心になにか抱えて生きてきたこの青年の、 この年代らしいほのかなラブストーリーもあって、、 血なまぐさいわりには瑞々しい読後感でした。

 ***

『深い森の灯台』の舞台でもある ケンタッキー州の自然動物保護区のサイト。
小説にも出てくる、 Mountain Lions 、、ほんとうにいるのですね⤵
https://fw.ky.gov/Wildlife/Pages/Mountain-Lions.aspx

この小説 The Ridge を検索していたら、 作者さんのインタビューが npr で見つかりました。 いつも音楽紹介で聴いているインディペンデントラジオ局でこういう若手作家さんの紹介もしていたのですね
Sanctuary Of Suspense: A Lighthouse On 'The Ridge' 

『夜を希う』のほうは、 ウィスコンシン州の The Willow という湖と森の美しい場所
https://dnr.wi.gov/topic/lands/willowflow/
↑こちらの picture gallery で美しい湖やフィッシングの写真が見られます。 小説の舞台はまさにこういう場所でした。


、、 自分も 生まれ育ちがわりと自然児なので、 全面結氷した湖まで徒歩で山を登ってスケートをしたり、 キャンプをしたり、、 針葉樹の森や湖の朝靄や 夜の嵐や、、 いろいろ体感としての記憶があります。 そのことが 何十年も経って大人からもう老境に近く(?)なりつつある今、 その記憶があることがすごく嬉しい。。


山はもう すっかり秋、だろうな…


ノワールなモノローグが流れる…:『ピアニストを撃て』デイヴィッド・グーディス

2018-09-01 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
 「どうかピアニストを撃たないでください」

・・・この本の解説(ミステリ評論家 吉野仁)の冒頭に、 上の言葉が書かれている。。 アメリカ西部開拓時代の酒場には、 こう書かれた紙が貼ってあった、と。

吉野氏の解説のつづきにも、 オスカー・ワイルドがアメリカを旅した時、 この言葉の張り紙を目にした事が書かれている。 、、ここを読んでいて、 私もこの文言を前に読んでいた事を思い出しました。


『ピアニストを撃て』 デイヴィッド・グーディス著 真崎義博訳
ハヤカワポケットミステリ 2004年

原題 'Down There' (Shoot the Piano Player)

 ***

先の解説では 西部開拓時代、「当時はピアニストを東部からわざわざ招いており、彼らは貴重な存在だったからだ」 と説明している。

…あ、 そういうことだったんだ、、 と私はやっと納得しました。 どうしてかと言うと… オスカー・ワイルドの講演記 「アメリカの印象」(『ユリイカ』所収)で読むと、


「ピアニストを撃たないで。 最善をつくしているのですから」

という張り紙をワイルドは見た、、と書かれていたので、 だから、私は 酒場の酔っぱらった荒くれ男が ピアニストが下手だとかいちゃもんをつけて それで撃ち殺してしまうのかなと思っていたのです。
、、でも、 上記の吉野氏の解説を読んで、 どうやらピアニストに腹を立てて撃ち殺す(のもあったかもしれないけれど)ほかに、 荒くれガンマン同士の喧嘩のとばっちりで、 流れ弾に当たってピアニストが犠牲になるのを避けようと、 そういう意味らしい、と。。 

だいたい酒場のピアノは壁際に置かれて ピアニストはその前に坐るので、 お客たちに背中を向けているのです。 だから、 客同士の騒ぎに咄嗟に気づかないかもしれない、、 それに東部から来ているピアニストは拳銃だって持ってないかもしれない、、 だから 
 「どうかピアニストを撃たないでください」 、、って事だったんだ。。 成程。



 ***

本書『ピアニストを撃て』は、 西部開拓時代の物語でも 西部ガンマンの話でも無くて、 時代は1950年代のフィラデルフィア、 ポート・リッチモンドの労働者たちが集まる酒場の物語。。 でも、 先の開拓時代の「ピアニストを撃たないで下さい」という文言はきっと有名な文言なのでしょうね、、 それを知っていると踏まえての上で このタイトル、、 『ピアニストを撃て』

、、この小説は フランソワ・トリュフォー監督の映画で有名なのだそうです。
「ピアニストを撃て」(1960年)Wiki>>
… でも映画のほうは見ていないし、 舞台がフランスに変わっていたりするので、 あくまで小説の感想だけ書きます。 ただ いかにもヌーヴェルヴァーグの仏映画に似合いそうな、 そんな小説だというのは間違いないです。

、、 物語は、 二人組に追われた男が逃げ惑いながら酒場に飛び込んでくる場面から始まります。 金曜の夜、 労働者たちでテーブルは満員の酒場、、 追われてきた男はへとへとになりながら音楽のするほうへ… ピアノの音色のほうへ…


 「おれだ」男はミュージシャシンの肩を揺すった。「ターリーだ。お前の兄貴、ターリーだ」
 ミュージシャンは音楽を奏でつづけていた。ターリーはため息をつき、ゆっくりと首を振った。彼は思った、こいつには聞こえない。 まるで雲のなかにいるようだ、こいつを動かせるものは何もない。


、、 この追われている兄貴と、「雲のなかにいるよう」な 無関心な弟=ピアノ弾き、 そして酒場の喧騒、、 そういった描写がとてもいいんです。 モノクロームな画面、 切羽詰まっている兄貴がまくしたてる言葉、、 無関心に、 穏やかに笑って、、 あるいは肩をすくめて、、 ピアノに向かいながら兄貴の言葉を遣り過ごしている弟…

 「だめだ」エディは静かに言った。それが何にしろ、おれを巻き込まないでくれ」

 ***

この小説の要は 文体なのだと思います。 事件=サスペンスの筋書きを追っているだけだと何てことは無いストーリーに思えるかもしれないけれど、、 大事なのは台詞と、 心の中の言葉=モノローグ。 それが全て。

、、 とにかく、 このピアノ弾きの空虚感がとても際立っていて… それはきっと、 厄介ごとの種ばかり重ねてきた兄貴達と縁を断って、 酒場の隅っこに居場所を見つけ、 闇に紛れるようにしてピアノを黙って弾く、、 そうしていれば何にも巻き込まれずに済む、、 兄貴だけでなく、 酒飲み達の喧嘩やもめ事にも。。 とばっちりを受けずに生きていくこと… 「ピアニストを撃たないでください」 、、そういう風に危険から逃れて生きていく術を、 エディは身につけたんだ、、たぶん、、 きっとそれが唯一の方法、だったんだと思う。。。

ピアノ弾きエディは言葉に出さず、 心の中で思いを反芻する。 兄貴のこと、 それから女のことも、、 同じ酒場で働いているウェイトレス、、

 「…なのに、どうしたんだ? 何で、こんなふうに考えているんだ? 関わらないほうがいい。 カーヴの多すぎる道路みたいなものだし、第一、おまえは自分のいる場所もわかっていないじゃないか。 それにしても、彼女があまり話したがらないのはなぜだ? それに、滅多に笑顔を見せないのはなぜだ? …」

 ***

、、 そんな空虚な 「雲のなかにいるよう」な ピアノ弾きエディが 否応なく事件に巻き込まれてしまう物語なんだと思って読んでいったら、、 じつは そればかりではなかったのですよね。。。 エディ自身の過去… つづきは書けないけれど…

ピアノ弾きの名はエディ、、 エディ=本名はエドワード。 そう! エドワードなんです。 (ここからは小説と離れた話になってゴメンなさい)

上の西部劇風の酒場の写真。 クイックシルバー・メッセンジャー・サービス(Quicksilver Messenger Service)の1969年のアルバム 「Shady Grove」のライナーにあった写真を借りました。 そこにいるピアニストは ニッキー・ホプキンスさん。 ニッキーの代名詞は《エドワード》 

どうしてニッキーのニックネームが《エドワード》なのか、というのは この「Shady Grove」のウィキに載っていますが、 ストーンズとのセッションの中でブライアン・ジョーンズがニッキーに発した言葉 「Eの音をくれ!」が聞こえなかったことから来てるみたいですね⤵
https://en.wikipedia.org/wiki/Shady_Grove_(Quicksilver_Messenger_Service_album)

「Shady Grove」にも収録されている ピアノインスト曲「Edward, The Mad Shirt Grinder」 この副題の The Mad Shirt Grinder がどういう意味なのか、 私知らないんですけど、、 いつも大人しく隅っこでピアノを弾いていたエドワード(ニッキー)のイメージと 《The Mad Shirt Grinder》、、 なんだかこの二面性が…

、、こじつけですけど 『ピアニストを撃て』のエディ=エドワードにも繋がっていくイメージなのです、、 これ以上は書けませんけれど…

、、 カートゥーン雑誌が大好きだったというニッキー・ホプキンスさん、、 スタジオで出番を待っている間ずっと隅っこで大人しく漫画を読んでいたというニッキー。。 もしかして、パルプフィクション出身のこの作家のペイパーバック「Down There」(1956)を読んでいた… なんて想像したら、、 ちょっと面白いな。。

 ***

思いきり話は脱線してしまいましたが、、 『ピアニストを撃て』、、 ピアノの黒鍵と白鍵のごとく白黒のフィルムノワールな世界観。 
エドワードのモノローグと 女との会話(ダイアローグ)の対比や、、 夜の闇に包まれた街と そこに降ってくる雪の白…

そして、、 この物語に出てくる女がまた良いんです。。 場末の労働者ばかりが集まる酒場に普通こんないい女(ウェイトレス)はいないよ… そればかりか、 エディが住む同じアパートにいる女(娼婦)だって こんな理想的な女は普通いないよ… って思うんだけど、、 (理想的、というのは 見た目だけではなくて、 自分の境遇に対して強くて信念があって、 だけど優しい)
、、パルプフィクションだから、、ね。。 有り得ないくらいいい女でも良いよね、、


ところで、 この作家 デイヴィッド・グーディスさん、 いろんな作品が映画化されているらしいです、、 Wiki>>
↑上記の日本語のウィキには載っていないけれど(翻訳本が出ていない)、、 ジャン・ジャック・ベネックス監督の映画 『溝の中の月』(ウィキ>>) の原作 「The Moon in the Gutter」もこの人の本らしい。 ナスターシャ・キンスキーとジェラール・ドパルデューのこの映画、、 たしかビデオで見てるはずなんだけれど全く内容が思い出せなくて… ナタキンの美しさだけが朧に残っているだけ…

『溝の中の月』も 小説の言葉で読んでみたいなぁ…

だって、、 ナスターシャ・キンスキーみたいな美しい(しかも強さのある)人はもうなかなかいないもの、、 『ピアニストを撃て』に出てくるウェイトレスも、 娼婦も、、 ナタキンだったら どちらを演じても …たぶん 理想的だと思う。。

 ***

9月になりました。 夜が次第に長くなっていきます。。


夜のモノローグに 

耳を澄ませましょう… 
 

罪なき人はいない…:『さよなら、ブラックハウス』ピーター・メイ

2018-08-16 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
お盆休み、、 久しぶりに故郷へ帰られた方も多いかと。。。

自分が育った町や村、、 変わらない風景や すっかり変わってしまった場所、、
ずっと会えずにいた友、 或は できれば会いたくなかった人… 
、、離れていた年月が長ければ長いほど、 故郷へ帰る時の想いは複雑になっていくものかもしれません。。 そんな物語を読みました。

日本では十数年ぶりに昔の同級生が帰って来たりするのも こんなお盆の季節かもしれませんし、 海外では逆に、 今の季節、夏の終わり… 9月からの新年度へ向けて故郷を去ろうとしている別れの季節なのかもしれません。。
今年はお盆の帰省はしませんでした、、 同級会も今年は無し。。 故郷を離れて私ももう二十年余、、 この物語を読みながら、 心にちくちく… 針の疼きが止みませんでした。。



『さよなら、ブラックハウス』ピーター・メイ著 青木創・訳
(ハヤカワ・ミステリ文庫 2014年)

 ***

スコットランド エジンバラ市警の刑事フィンは、 ある殺人事件の捜査にあたる為 十八年ぶりに自分が生まれ育った島へ派遣される。 ヘブリディーズ諸島のアウター・ヘブリディーズと呼ばれる西側の群島の中で、 最も北に位置する「ルイス島」(Isle of Lewis)が彼の故郷だった。

、、ヘブリディーズ諸島で思い出すのが、 5月に書いたアン・クリーヴスさんのシェトランド諸島を舞台にした ペレス警部シリーズの事(>>)。 『水の葬送』の中でヘブリディーズ諸島が出て来ました。 重複になるけれど、 サンディが言っていた言葉…

「…われわれとはまったくちがいます。かれらはゲール語をしゃべるし…文化もちがう。ヘブリディーズ諸島では、日曜日に酒を飲めない。ヘブリディーズ人とシェトランド人に共通点があると考えることができるのは、イングランド人だけです」

、、まさにこの 《全く違う》ヘブリディーズの島の文化や暮らし、、 それを読んでみたいと思ってこの本を手にしたのです。 それにぴったりの本でした。 ルイス島の厳しい自然環境、 古くは中世から受け継がれてきた暮らしぶり、 厳格な宗教に根ざした規律、、 そして世界でこの島の男たちだけが晩夏に行う《グーガ狩り》(guga hunt)という「シロカツオドリ」の幼鳥を狩る猟… 

これら初めて読むこの島の文化が、 主人公フィンのこれまでの人生や 彼の幼友達らの成長の過程にとてつもなく大きな影響を与え、、 少年時代の記憶抜きには この島で起こった現在の事件も解くことは出来ないのです。。 
そして、 18年前に《故郷を捨てた》ように離れたフィンにとっても、 この帰郷は自分のこれまでの人生と再び向き合わざるを得ない《事件》となっていきます。 ルイス島という小さな地域で共に育った者たち… その子供たちがどう大人になっていったのか、、

 ***

上の写真でもわかりますが、、 ちょっと早川書房さんへ苦言。。 この表紙のイラストは作品のイメージに全く合っていません。 私もヘブリディーズ諸島への関心が無かったら、 このイラストを見て本を手に取ろうとはまず思わないです。。 ライトノベルではないのですから… 殆んどの男性ミステリ読者はタイトルと表紙で避けてしまうでしょう…

この本の舞台、 ルイス島のあるアウター・ヘヴリディーズについてはウィキを(>>) 厳格な宗教のことなど載っています。

そして、 ルイス島の風景を探していて、 なんと この本の著者さんによるルイス島紹介映像があって吃驚しました。 本のプロモーションでこういう事もするのですね。 見てみたら、 本当に (あ、あの場面、 あの場所)という所が一杯だったので 読んでいない方も 読み終えた方もぜひどうぞ…
The Blackhouse (2011) by Peter May
流れている音楽は、 スコットランドの民族音楽のバンド「カパーケリー」だそうです。 言葉はゲール語でしょうね…

、、以前読んだ J・M・シングの『アラン島』(>>)にも少し似ている気がする。 あちらはアイルランドの西だけれど…

ルイス島の映像を見ていると、、 なんだか泣きそうになってしまいます。。 なぜかはわからないけれど、、 自分が決して行けない場所、 どんな憧れを持っていたとしても私には決して暮らしていけない場所、、 だからかな。。 だから、 この島から逃げていくようにエジンバラへ行ったフィンの気持ちもわかるような気がする… でもこういう場所で育ったら、 どこへ行って記憶から締め出したとしても 決して忘れることは無い場所だろうなと思う。 自然の厳しさや人間関係も含めて、、きっと。。

 ***

事件を追う現在のフィンと、 子供時代の回想とが交互に現われ、、 それによって読者はこの島の多くのことを知っていく… ミステリとしても成長物語としても読み飽きないドラマティックな展開ですが、、 読後感は苦い、、です。

前に書いたM. L. ステッドマン『海を照らす光』(>>)が、 どこにも「悪人」はいないのに 「愛」のために、「相手への想い」のために 誰かを傷つけ裏切ってしまう… そういう悲しみに苛まれる物語だったとしたら、、 この『さよなら、ブラックハウス』は、、 出てくる全ての人がなんらかの「罪」を犯している、と言えるかもしれない。。 それも身勝手な 自分の為の「罪」。。 キリスト教の「七つの大罪」にも当て嵌まるような… 主人公フィンでさえ。。

、、 子供から大人になっていく時代、、 何故あんな事を言ったのか(或は言えなかったのか)… どうして心に反する行動をとったのか… 誰にでもある事だと思う。 でも それは自己本位の身勝手な罪。。 殺人事件とは関係がなくても、、 そんないろんな人の隠された罪が見えてくる、、 だけどほんとうに罪のない人間などいるだろうか(自分も含めて)、、 と 息苦しい気持ちにもなる。

、、物語の重要な部分を占めるのが先に書いた《グーガ狩り》の場面。 営巣地の幼鳥を捕まえて殺す、、というこの伝統の猟も「罪」であると非難する動物愛護の運動家も登場します。 実際、 動物保護か、伝統継承かの議論の末、 一年に2000羽の捕獲だけが許されているそうです
Western Isles' Sula Sgeir guga hunt 'sustainable'(BBC)

生きていく為の食糧がほかに選択できる現代、 guga huntが必要なのか、 食べたいという身勝手な欲望なのか、 それとも先祖から受け継がれた伝統を消さない為なのか、、。 日本人にも無縁でない問題ですが、 それは置いて、、 この《グーガ狩り》の場面と《事件》とが見事に絡んで結末へ至ります。

 ***

だけど、、 ミステリとはいえ、、 (それはあまりに身勝手じゃないか)と思ってしまう人物が多くて… (刑事フィン、、君もだ)

(読んだ人だけわかるように書きますが)、、 物語の最初に出てくる「女の人」と、 物語の最後に出てくる「青年」、、 なんだか あの二人だけが全く罪が無いのに、、 なんにも悪くないのにあんなに心に傷を負って… 可哀想でならない。。 あんな扱いで終わってしまっていいの…? あの二人のこれからの人生が心配でならないよ。。。 

もし 続編でこのひとたちの「その後」が判るなら良いけど、、 このまま物語から消えてしまったら つらいなぁ。。

、、 きっと 作者は こういう思いも含めて、、 人が生きる「罪の深さ」を、 島で生きる厳しさと共に 考えさせてくれているのだと、、 そう思いたい。。 (けど、 この著者さんは脚本家でもあるそうなので、 不幸なドラマティックさが過剰な気も ちょっとする。。 いつか続編読んで考えよう…)

 ***


 「わたしの子供時代は虹だらけだったように思える。 たいていは二重の虹だった。 その日わたしたちが見たのも、泥炭地の上ですみやかに形を結び、藍色の空のいちばん暗い部分を背景にして鮮やかに輝く虹だった」


上に書いたルイス島の動画でも 「虹」がちらっと映っています。 Isle of Lewis と rainbow で検索すれば二重の虹の画像もたくさん見られます。。 

やっぱり、、 見てみたいなぁ、、 本物のルイス島の虹。。



こちらは都会の切り取られた空…


上層の雲にすこしだけ 秋の気配…

どこか棄てきれない…『楽園の世捨て人』トーマス・リュダール

2018-08-11 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
立秋も過ぎ、、 お盆休みに入る週末ですね。。
、、けど、 お盆にもお休みにも縁の無いわが家なのでごく普通の毎日が続いております。

読書記録、、 ほんとうは7月に書いた『奥のほそ道』リチャード・フラナガン著 について書いておきたいのだけれど、、 第二次大戦時の重いテーマの物語。 筆力も、 構成も、 ブッカー賞にふさわしい力作と解りつつも、 私には大きな疑問ばかりが残る作品でした、、 日本軍による戦争犯罪行為、残虐行為を否定も正当化もする気は私は全くないし、 犯罪行為は償わねばならず、 人を虐げて生き長らえる人間ならば罪を背負い 悔やみ 苦しまねばならないと そう思う。。 けれども、 この作品にはあまりに疑問に思う部分が多く、 著者の意図するものは何だろう… 著者はここからどのような文学的視野を(効果を、 展望を、と言ってもよい) 読者に求めているのだろう… と ただただ疑問で、、

そのことを年長者のかたに(先にお読みになっていたし…) メールで問うてみたのだけれど、、 まだまとまった感想を書くには至れない。。 だからまだ書きたくない。。 、、Amazon.com(英語版)の読者レビューなどを見れば、、 なるほどそうだろうな、、と思われる感想が読めるけれども、、 戦争文学の意味を考えた時、 やはり私には疑問が残る。。 誰かに訊いてみたいとも思うし、、 著者の発言とかいずれ読める機会とかあれば、、 だから今はまだ…

 ***

そんなことでずっと頭を悩ませていて何も書けないまま、、 でも ほかにミステリなどとうに読み終えているものが数冊あるので、 ちょっと書いておかないと何を読んだか忘れちゃう。。。



『楽園の世捨て人』 トーマス・リュダール
(ハヤカワポケットミステリ 木村由利子訳、2017年)

北欧ミステリの最高峰「ガラスの鍵」賞 受賞の傑作! と裏表紙にはあります。 内容は… 「母国デンマークを捨て、大西洋に浮かぶカナリア諸島で暮らすタクシー運転手兼ピアノ調律師のエアハート。…」(ハヤカワオンラインより>>

カナリア諸島(The Canary Islands)ですよ、、 楽園の島々、、 その中のフエルテベントゥーラ島が舞台(こんなところらしいです、、ウィキ>>

真夏のビーチでの読書にぴったりでしょう…?(←ほんとか? 笑)

、、でも、 さきほどの内容紹介の一文だけでも 「母国デンマークを捨て?」 「タクシー運転手兼ピアノ調律師??」 なにそれ…、、 このおっさん 年は68歳くらいだったかしら? なぜこのような世捨て人になってカナリア諸島にいるのか、、 なぜピアノの調律が出来るのか、、 だって パソコンも使えないし、 メールも打てない、 携帯も持ってないし、、、 しかも、(ちょっとネタばれだけど) この人 手の指が一本無い。。 何故かわからない、 デンマークにいた時に何かあったらしい、、

わからないこどだらけ。。 でも何故かタクシー運転手なのに ある事件の謎を追おうとする。 それは生後三か月の乳児が遺棄された事件、、。 なぜこの事件が引っ掛かるのか、 そこもよくわからない。。(乳児遺棄が特別に凶悪な事件だとも思えないところが逆に自分のその認識がおかしいのか、とか思ってしまう…)
きっとこのおじさんの過去と何か繋がりが??

… と思って読むのだけれど、、 デンマークのこと、 指のこと、 ピアノのこと、、 それからこのおじさんのよくわからない人脈… 、、 思いつくままにおっさんは行動を開始する、、と また新たな謎や事件が周辺にずるずると…

、、 上下段組みのポケミスで580頁という ひたすら長いミステリなのですが、、 おっさんの謎がわからないばかりに、、 だんだん意地になって読み続け、、 後で考えたら、 このおっさんがパソコンが使えていたら 途中300頁は節約できた、、ということに気づきました(笑) おっさんが魅力的なわけでもなく、、 でも裏に何かがありそうで、、 この島も美しいリゾートの裏面がありそうで、、 
おっさんが愛飲する デンマーク仕込みのカクテル「ルムンバ」 ココアとラムのカクテル? (Wiki>>

そして おっさんがこの島の大富豪に指名されて毎月調律をする高級ピアノ、 ファツィオリ(Wiki>>) この一族がまた謎…

次々に出てくる謎と、この島のどこか怪しい無国籍な熱気と混沌… そういう描き方がきっとうまいのでしょうね、、 おっさんにまんまと巻き込まれてイライラしながらも意地のようにひたすら読み続け、、 結局…… !!


、、 事件は解けた、が おっさんの謎はなにひとつ解けなかった…!!

どうやらこの作品は三部作になるそうで、 デンマークでは2冊までは出版されているそう。。 もし、 このまま翻訳されなかったら、 こんなに長く付き合わされたおっさんの謎が… 

、、 それはあまりにも悔しいので どうかどうか出版・翻訳されますように。。


著者トーマス・リュダール氏のエージェントの紹介ページがありました⤵
http://www.nordinagency.se/clients/fiction/thomas-rydahl/

 ***

アン・クリーヴスさんのペレス警部シリーズ、、 ヘニング・マンケルさんの刑事ヴァランダーシリーズ、、 大御所P・D・ジェイムズ女史による警視ダルグリッシュシリーズ、、 いずれも中年独り者のおじさん達、、 警視ダルグリッシュシリーズはまだ読み始めたばかりなので あと十数冊は楽しめます。。 今年いっぱいは《独り者のおっさん》達が 我が心の愛人、でいてくれます… 笑

、、 スコットランドのシェトランド諸島、 厳寒のスウェーデン、、 ロンドンスコットランドヤード、、と 土地柄や人柄を知る楽しみも、、。 今回のカナリア諸島も、、 大瀧詠一さんの歌のイメージとはまた違った不思議な一面を見せてくれました。。


、、 もうしばらくの よい夏を・・・
 

5月はミステリの月① アン・クリーヴス〈シェトランド四重奏〉『青雷の光る秋』と、新シリーズ『水の葬送』

2018-05-21 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)


この5月前半に読んだミステリー作品から…

じつは今月、 とある会合に出席する予定でいました。 文学会というか、読書討論会というか、 旧知の仲間の会。。 けれども各人の仕事の都合により不可能となり、 それまで課題の為に読んできた本やメールのやりとりなど離れて、、 ちょっと疲れた頭をそこから遠い遠い 異国のミステリの世界へ没入させて、 我を忘れて逃避していたい(陶酔していたい…かも) などと思ったのです。
純文学作品も好きですが、 ミステリ作品も好きですから。。

 ***

まず最初は…

『青雷の光る秋』アン・クリーヴス(創元推理文庫・玉木亨訳)
 2013年
 
『大鴉の啼く冬』『白夜に惑う夏』『野兎を悼む春』につづく〈シェトランド四重奏〉の最終作。 前3作品は前に一気に読んだのですが、 他にやることが出来て、この作品だけ未読のまま、、早数年。。 ずっと気になっていたのです、四部作のラスト。。 
4作品に登場する《ペレス警部》(離婚歴があって、前3作品の中で新しい愛が進行中)…のその後も分からないままで、、

〈シェトランド四重奏〉作品は、 スコットランド北東部にある シェットランド諸島の本島やその周辺の小さな島々が舞台になっています。 主人公のペレス警部は、 本島ではなくフェア島というものすごく小さな島の出身。。 だけれども、その先祖には面白い伝承があって、 その昔 スペインの無敵艦隊の船がこの近くで難破し、、 島人たちが幾人かの船員を救出した、と。。 その生き残りが島に住み着き、ペレス家になったと…(ペレスと翻訳されていますが Perez スペイン系の苗字なんですね) だからペレス警部は黒髪で、 肌の色も浅黒くて… (私が脳内で想像する姿は… 俳優のハビエル・バルデムさんとか?)

だから、 何代かずっとシェットランドで生活していながら ペレス警部は自分がどこかよそ者という意識が消えない。 前の結婚の喪失感も(赤ちゃんを流産した事から二人の間に生まれた溝…) 自分は誰かを本当に幸せにすることは出来ないのではないか、という不安も、 警部という職業も島で暮らして居ながら、 島の人々とは冷静な距離を置かなければならないという立場、、 こうして生きていくのか、 或は故郷の小さな島へ戻ってひっそりと農場を受け継ぐのか… 〈シェトランド四重奏〉はそれぞれの事件以前に、 こういったペレス警部のアイデンティティが根底の物語としてあり、 だから人間の物語としても興味深く読み続けられたのです。。

前置きが長くなってしまいました…
今回の舞台は、面積たった5.61km2というフェア島(Fair Isle)。 シェトランド諸島の本島から《8人乗り》の飛行機で行くという、 ちっちゃなちっちゃな島… ペレス警部の生まれ故郷です。 フェアアイルセーターで有名ですね。 …そこへペレス警部はとうとう再婚しようという彼女を 自分の両親に会わせる為、連れていくのです。 それが小説の冒頭。

フェア島とはこんな島です
https://www.shetland.org/plan/areas/fair-isle

小さなフェア島だけれど、ここにも北と南に二つの灯台が出てきます。 イングランド・スコットランド小説で灯台が出てくると、必ず設計者を確認する癖がついてしまって… R.L.スティーブンソン家が代々、灯台設計技師だったから (ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』のところで書きましたね>>

事件の舞台にもなる北の灯台、Fair Isle North Lighthouse は、1892年 David A & Charles Stevenson による建造。R.L.スティーブンソンの従兄弟さんたち。
https://www.nlb.org.uk/LighthouseLibrary/Lighthouse/Fair-Isle-North/

ペレス警部の実家から見える南の灯台も 1891 by David A. and Charles Stevenson (cousin of author Robert Louis Stevenson)…とのこと。 灯台内部の写真もいっぱいあって、、 百年以上使われている灯台がたくさんまだ存在しているんですね、、 見ているとわくわくします(灯台好き♡)
http://www.southlightfairisle.co.uk/thelighthouse.asp

フェア島はバードウォッチングで有名だそうで、 小説では島を訪れる研究者やマニアたちが珍しい鳥を初めて目視する栄誉や興奮についても書かれているのも面白くて、、 それがそんなに凄いことなの…?と(それが事件の謎にも関係しそうで…)。。 
ウィキを見たらバードウォッチング発祥はやはり英国とのこと。 小説にも出てくる北の灯台近くには、バードウォッチャーの為の立派なゲストハウスもあります(此処も登場します)⤵
http://www.fairislebirdobs.co.uk/

こんな風に、 シェトランド諸島の自然やそこに住む人々の暮らしを小説の中から知ることも、 (謎解きよりむしろ私には興味ある)最近のミステリ読書の大きな楽しみなのです。 北欧やアイスランド、 英国のこういう本土とは離れた島々… そのような想像を掻き立てられる遠い場所の自然や、そに住む人々の暮らし、 文化や伝承。。

… 嵐で交通が遮断されたフェア島は、 小さな島ゆえの親密な人間関係と、先にも書いたバードウォッチャー達、 (嵐で閉じ込められた)そのお互い同士が疑い合うのは密室劇さながら。。 アン・クリーヴスさんは女性だからか、 心理描写の裏表、 妬みとか気後れ、 羨望、虚栄心… それが密かな憎悪へ… という内面の描写が巧みです、、 (私も女だからか、 自分の嫌な部分を感じてしまうような女性心理の薄暗さに うわぁ…と辛くなりそうな時もありますけど)

… ミステリ作品ですから内容には触れません。。
『青雷の光る秋』で〈シェトランド四重奏〉は一応一区切り、、となっているのですが、 ペレス警部をめぐる物語はまだ続きが出ていて、 すでに翻訳されていました。 すぐに読むことが出来て、、 ほんとうに良かったです、、 理由は… もちろん『青雷の光る秋』を読めばわかります。。

 ***

『水の葬送』アン・クリーヴス
 創元推理文庫 2015年

 『水の葬送』を読むためには、 前作の『青雷の光る秋』、 できれば〈シェトランド四重奏〉を読んでいたほうが絶対良いと思います。。 特に今回の『水の葬送』でのペレス警部の心のありようは、 何も知らないとなかなか理解しづらいものがあるでしょうし。。

今回は一番大きなシェトランド諸島の本島と、まわりの島々の名前もたくさん出て来ます… そして、ヘブリディーズ諸島ウィスト島出身の新しい登場人物リーヴス警部が加わります。 もちろん、ペレス警部の長年の部下サンディもいます。
シェットランド諸島や ヘブリディーズ諸島… 私たちにはスコットランドの周りにある島々、としか認識できないし、 日本人にはイングランドもスコットランドも(アイルランドさえも) ぜんぶ英国と一括りに考えてしまいそうですが、 ペレス警部の長年の部下サンディは言います

 「…ウィスト島の連中は、われわれとはまったくちがいます。かれらはゲール語をしゃべるし…文化もちがう。ヘブリディーズ諸島では、日曜日に酒を飲めない。ヘブリディーズ人とシェトランド人に共通点があると考えることができるのは、イングランド人だけです」

…こういう 細かな地域性がとても興味深いです。。 シェトランド人のサンディが、 英国本土へ電話をかけて、 イングランド本土の人が喋る発音が聞き取れない… というのは驚きます(標準語じゃないの??)。 確かに、英国の中心であるロンドンでさえ、 ロンドン訛りって聞き取りにくいのですよね… 、、このような違いが色々とあるから、 喋り方ひとつで、 出身地、階層、職業、どんな教育を受けてきたかまで… 推測されてしまうのは、、 やはり英国って階層社会なんだな、、と強く強く思います。 (ロックミュージシャンでさえ、 発音で生まれ育ちがわかってしまうのですものね… アメリカツアーに出ると階層うんぬんと言われないのでラクだって、 中流出身の英国バンドがインタビューで言っていたのを思い出します)

話が逸れましたが…
これまでのシェトランドシリーズ同様、 島じゅう知り合いのような密な人間関係に加え、 今回は再生エネルギー誘致という現代英国の問題も背景にあり、、 事件の動機が愛憎劇なのか、政治的陰謀か、 事件がどっちに繋がるか最後まで謎なのは新しい視点でした。

今度のシリーズに加わっていく、 新しいリーヴス警部が、ヘブリディーズ諸島のヒッピーの共同体で生まれ育ったと書いてあって、スコットランドにヒッピーコミューンなんてあるの?と不思議だったのですが…
前に、 映画『ウィッカーマン』とアシッドフォーク再燃の関係という記事が 音楽誌のサイトに載っていて…
http://clashmusic.com/features/time-to-keep-your-appointment-acid-folks-unrelenting-renewal
映画の舞台がヘブリディーズの島にあり、ドルイド教が素材ということで、 この記事には島の民間伝承(ウィッカーマン、いわゆる人身御供)やゴシックホラーとの関連性などが書かれていて… 
小説内には詳しい事は書かれていないけれど、 ヒッピーコミューンでの生まれがリーヴス警部になにがしか傷というか反面教師的な思い出になっているようで… もしかしたら、 リーヴス警部が育ったコミューンというのは 映画『ウィッカーマン』に出てくるような、そういうイメージもあるのかな… などと。。 リーヴス警部は次の作品にも登場するようです。 その生い立ちの謎も、 今後かかわってくるのでしょうか、、

ヘブリディーズ諸島で知ったことをもうひとつ…
ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』の舞台は、ヘブリディーズのスカイ島だというので、スカイ島の灯台も調べてみました。
此処の Neist Point Lighthouse も R. L. Stevenson.の従兄弟さんの設計でした。
https://www.isleofskye.com/skye-guide/top-ten-skye-walks/neist-point-lighthouse

ほんと、、 白い灯台がぽつんと建つ岬の風景って、 どこを見ても胸に迫るものがありますよね、、(私だけ…?) 何故だろう… 行きたくても行けないから…? 私の前世って灯台守だったの…?(笑) それとも海鳥かな…


ミステリとしては、、 今回 石油エネルギーVS再生エネルギーというジャーナリスティックな視点も加わりながら、 謎の解明としてはすこ~し物足りない部分があったのが残念です。 
でも、アン・クリーヴスさん、新刊がこの5月末に出るそうで 『空の幻像』、 さらなる新たなシェットランドの物語に期待したいです。


ペレス警部の人生も続きます… まだまだ、、 

この先も(この先こそが)、、 何かまた起こりそうな気配…


、、 そして人生はつづくんですよね。。 命ある限り… 


すべてを越えて…  生きていく
それがわたしたち命ある者にとっての共通の課題。。


『空の幻像』読んだらまた書きます。 上の写真に載せた他の作品についても、、出来たらまた。。



ジャズとバイユーのニューオーリンズ:『アックスマンのジャズ』

2018-01-23 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)


『アックスマンのジャズ』レイ・セレスティン著 北野寿美枝・訳 ハヤカワポケットミステリ 2016年

1919年のニューオーリンズで、斧を使った連続殺人が街を震撼させていた。新聞社に犯行予告を送りつけて来たのはアックスマン。。 実際に起きた未解決事件をもとにしたミステリ。

、、連続殺人とか 猟奇的な事件の小説はあまり好かないのですが、、 友が読んでいたこの本。 1919年の実際のニューオーリンズで起こった事件、、 という点にちょっと興味を持って、、 (残酷?)と訊いたら、、 事件はそれなりに残酷だけれど、 事後の検証部分しか出てこないということだったので、、 なんとか読めるだろうと。。

ちょうどその前に私が読んでいたのが、 パステルナークの『物語』、、1914~17年革命直前のロシア。  以前載せた『プロコフィエフ短篇集』 プロコフィエフが日本経由でアメリカへ亡命したのが1918年。 
昨12月に載せた M. L. ステッドマン『海を照らす光』の主人公は、 第一次大戦(1914年から1918年)で深く心に傷を負って灯台守になった男、、でしたね、、。 なんだかこういう風に、 ヨーロッパ、 オーストラリア、 ロシア、と同時代を横滑りしていって 第一次大戦直後のニューオーリンズを舞台にした物語だったので 読んでみようかなと。

ハヤカワの紹介文にもある通り(>>) 三者がそれぞれに犯人を追っていく、 複数視点での描き方が複雑で、 なかなかに頭を使うミステリでした。 刑事はアイリッシュ系、 マフィアと関係のある元刑事はイタリア系、 探偵の卵のような女の子は黒人ジャズミュージシャン (ルイス・アームストロング君)と一緒に、、 それぞれに事件を追っていくのですが、 かかわっていく人脈も、 イタリア系、 クレオール、 黒人、 アイリッシュなどの移民、 それからバイユーというルイジアナ特有の低湿地帯に暮らすヴードゥーを信仰する人たち、、

いろんな人種のいろんな職種・裏稼業の人々がいっぱい出てくるので、 場面が変わるたび (この人、なにじんでどこ系の人だったけ…) と神経衰弱で前にめくったカードを思い出すように 自分の記憶力が試されました。。。

事件は実際のもので、 「ジャズを聴いてない者は殺す」という犯行予告文も 実際に送り付けられたもの。 その事は興味を引くけれども、 その犯行の理由は全くわかっていないし、 この本のなかで三者が繰り広げる推理もまったくのフィクションだから、、 この未解決事件に何らかの決定的な解決を与える事が この小説の主眼ではないのですね。 この小説の魅力といえば、、 1919年のニューオーリンズという土地の特色・特異性、、 これだけの複雑な人種や 多様に入り混じった文化、 マフィアもそうだけれど アメリカという国の中にありながら 禁酒法などにしても法の支配が完全には行き届いてはいない闇を抱えた社会、、 そういう土地の複雑さを、地理、文化、人種、風俗、音楽、料理…いろいろと知ることができる点にあるのだと思いました。

 ***

あぁ、、 と気づかされたのが、、

古い農園跡に暮らす老人が かつての美しかったクレオール文化を昔語りする場面で、 ふいにラフカディオ・ハーンの言葉を引用するところ。。 読み飛ばしてしまいそうだけれど、この老人が語る時代は まさにハーンが新聞記者としてニューオーリンズで10年余りを暮らしていた時代だったのでした。

日本では「怪談」で有名な小泉八雲が、 日本に来る前に ニューオーリンズの何に惹かれて十年余りを暮らしていたのか、、 何も知らないし、 殆んど考えたこともなかったけれど、、 この小説にも出てくる 「バイユー」という深い湿地帯、、 そして「ブードゥー」の神秘、、 都市化、近代化から取り残されたそういう土着の文化があったことが ハーンの関心とつながっていたのかな、、と 初めてそんなことも感じました。
(このミステリのストーリーとハーンとは直接関係はなかったですが)

「ニューオーリンズとラフカディオ・ハーン」という企画展の時の記事>>

ラフカディオ・ハーンがアメリカ時代に書いた 小説二篇『チータ』と『ユーマ』の翻訳。
『カリブの女』(河出書房新社) - 著者:ラフカディオ ハーン ALL REVIEWS

 ***

ここからは、 個人的な関心のある 「音楽」の話題もふくめて…

「ジャズを聴いてない者は殺す」 という犯行予告に怯えて、 ニューオーリンズではその当時 アックスマンのジャズ、という新しい曲がつくられて街中で奏でられたのだそうです。 その曲も楽譜つきで動画にのっていました。
The Axman's Jazz by Joseph John Davilla (1919, Ragtime piano)


、、こういうジャズの黎明期のようすも興味深かったですし、、 さきほど書いた「バイユー」という この土地特有の低湿地帯の様子、、 そこに暮らすブードゥーの医術を施す美しい女の人が出てくるのですが、 この女性がとても魅力的で、、 
怖い事件を追う物語のなかで、 この女性が出てくる場面だけは バイユーの森の奥に隠されたやすらぎの秘境なのでした。。 

、、 読み終えて、、 (読んだのは先週です)

読んでいた時も「バイユー」という言葉がずっと引っ掛かっていたんですが、 二日くらいして はっと思い出したんですよね、、 (こういう自分の記憶の出入りもちょっと不思議な感じがしますが)、、 「バイユー」= bayou

トム・ペティが歌っていた歌、だったんですよね。。 このブログにも前に書いていました、、「Lover of the Bayou」という歌のことも。。(>>) もともとはザ・バーズの曲です。 こちらで聴けます⤵
The Byrds - Lover Of The Bayou

ググっていただければ歌詞も出てきます。 この歌詞にもヴードゥーの気配がありますね。。

トムとマイクとベンモントさんが一緒に演っていたマッドクラッチでのこの曲のMV⤵
Mudcrutch - Lover Of The Bayou
、、 いま この映像を見るのはつらいな。。  、、 トムの馬鹿… って どうしても思ってしまう、、


もうひとつ、、
この小説を読んで思い出した歌がありました。 、、浅川マキさんの 「朝日楼」
、、 あの歌で 「愛した男」は どこへ行っていたのか、、 どうして帰らなかったのか、、
「アタシ」がたどり着いたのが なぜ「ニューオーリンズ」だったのか、、
この小説のなかで描かれるいろいろと考え合わせると あぁ、、と ようやく胸を突かれる思いで分かる気がしました。

アニマルズのバージョンは女性の歌ではなくて、 男性の歌になっているんですよね。 それもやはりニューオーリンズで、 ギャンブラーの話。。 「朝日楼」の女性(少女かも)とか、、 ギャンブラーに身を落とし囚われる、、 そういうリアルさも、 この小説読んで街の描写とともに実感できたことのひとつかな。。


ミステリの謎解きとは別の部分で なんだかいろいろと感じることのできた読書でした。。




今朝の黎明、、


なんだか 東京じゃないみたい。。


あたたかくして、、 

心がぽっとあたたかくなる曲を聴きましょうか…  昨日 見つけた美しいギター。。 マイク・ブルームフィールドのスライドのインスト曲 「When I Need You」

、、あ この曲知ってる、、 と思ったら オリジナルは Leo Sayerさんの歌。。 どちらもお薦め…

 

ヨハン・テオリン:北欧ミステリ エーランド島四部作

2016-07-13 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)





6月に、 スウェーデンのミステリ作家 ヨハン・テオリンのエーランド島4部作を まとめて読みました。

黄昏に眠る秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
冬の灯台が語るとき (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
赤く微笑む春 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
夏に凍える舟 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

スウェーデンのバルト海側にある島、 エーランド島という同じ場所を舞台に、 物語の季節を、 秋・冬・春・夏 に設定した4部作。  、、ヨハン・テオリンの本は 数年前に読んでみたいな、と思ってはいたものの、、 手にすることなく、 当時はまだ4部作だというのも知らず、、 そのままになっていました。

新聞に 北欧ミステリとヨハン・テオリンの事が載ったのが 今年の5月(朝日デジタル>>) 
エーランド島、という スウェーデン本土とは違う場所を舞台にしていることや、 ↑記事にもあるように、 「地元の幽霊話や民話」も素材になっていることを知って、 ちょうど今年、4部作最後の「夏」編が翻訳されたのもわかったので、 良い機会と思って読みました。

最初の『黄昏に眠る秋』を読んだら、 独特の落ち着いた雰囲気、 エーランド島という場所の魅力に惹かれて、 次から次へと あっという間に 4冊まとめて読んでしまいました。 事件に遭遇する登場人物は 1作ごとに変わっていくし、 物語も独立しているので、 1冊ずつ ばらばらに読んでも問題ない作品だとは思いますが、 島の住人の中には 4作にわたって同じ人物が出てきたりするので、 出来れば1作目から読んだ方が楽しみがあるかな・・・ それに、 登場人物の名前を私はすぐ忘れるので、 忘れないうちに4作一気に読んでよかったかも。。。

 ***

北欧ミステリというと、 『ドラゴン・タトゥーの女』の「ミレニアム」シリーズが真っ先に頭に浮かび、 あの映画は好きだったけれど、 残酷な殺人とか、 猟奇的なのは ちょっと苦手なので躊躇したけれど、、 
ヨハン・テオリンの作品は 確かに事件は起きるのですが、 殺人犯の行動に焦点があるのではなくて、 事件によって 大切な存在を失った者、 心に傷を負った者、 喪失や謎や虚無感に苦しみながら それでも日常の時間を生きなければならない者の心情を丁寧に描いているので、 だから あまりミステリを読んでいるという感覚がありませんでした。

以前に此処に載せたことのある、 スウェーデン文学のラーゲルレーフ(>>)にも、 やはり通じるものもあると思うし、、 それは 善悪の認識のありかたとか、 その土地や自然にもとづく人間の魂のありかたとか、、 
人間はその個人が生まれた限られた時間の中だけで生きているのではなくて、 その土地の長い歴史、 地域性、 自然環境、 そういうものの中で 人と人との関係性がつくられていって、 怖ろしい事件もそうした固有の歴史の中で起こるのだ、と、、、 (スウェーデンに限らず それは当たり前のことではあるんですが、、 米国には米国独自の歴史があって犯罪の歴史も無縁ではない、と…) 、、そうした 「歴史」「風土」「伝承」 といった人の暮らしの背景を丁寧に描いてくださっているので、 文学としてちゃんと成り立っていると思えるのです。

 ***

先月、 夏至の日に 厳寒の冬の物語を読んでいた、、と 書いていたのは(>>) 『冬の灯台が語るとき』 を読んでいたときで、、 

愛する人を喪失した悲しみと、 何故 そういう目に遭わなければならなかったのか、という言いようのない怒り、苦しみを背負った ひとつの家族の悲劇を描く一方で、、 灯台のあるその海辺に生きた前世紀の人々の過去の物語とも行きつ戻りつして、、 その過去との 「行きつ戻りつ」の読み方が、、 読者が物語を 咀嚼して、 考えて、 人物と一体化して 彼らの悲劇や喪失感、やるせない思いに共感するのに役立つ、、、  結果的にそれが 「浄化」につながる、、 深い物語だな、、と思って読んでいました。

4部作、 どれをとっても同様の印象の、 どれもエンターテイメントとしても面白い作品でしたが、、 

* 喪失の悲しみと、謎を追う過程を丹念に描いた 「秋」編、
* その土地、その海に、かつて生きた人々にも思いをはせる 「冬」編、
* エルフや取替え子など、伝承の存在の持つ意味や、 現代人(都会人)の病理を描いた 「春」編、
* 故郷、血族、国家、人のアイデンティティの意味や、大戦の時代から21世紀へ時代の意味を問う 「夏」編、

一作ごとに 描くスケールが拡がり、、 視点がジャーナリスティックになっていったように感じます。
でも、、 この4部作は 21世紀(ミレニアム)を迎える前で物語は終わっているのですよね。。 ここに生きる人たちが、 どんな21世紀=今 を生きるのか、、 それとも、 もうエーランド島は21世紀の文学の場にはならないほど 変わってしまったのか、、 ヨハン・テオリンさんが どんな小説を このあと書いていくのか、、 それも興味があります。

、、 エーランド島、、 4冊読むとだいぶ詳しくなって 行ってみたくなります。

J・M・シングが書いた『アラン島』(>>)も、 とても魅力的な島に思えましたが、、 今度は どんな土地、 どんな島、 どんな場所の物語を読みましょうか。。。


、、 やっぱり、 エルフが棲んでいそうなところがいいな。。


携帯はメールとフォトくらいしか使えない、、

2010-05-23 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
アナログ人間の私ですが、、 お友だちと i pad と電子書籍の話をしていて、、(そういう話をするのは好きなので)

、、私が あったらいいなと思うのは、、 外国の人の名前はすぐわからなくなるから、 人物紹介や相関図が呼び出せたらいいな と思ったり、 『ロード・オブ・ザ・リング』みたいな作品だったら、 地図が呼び出せて、 (今の舞台はこの辺)とか⇒印が出てくれたり、 googleマップみたくあっちこっちの方向から見れたらいいな、、とか、、 

かつての 田中元知事さんの小説みたいなのは カタログ小説とか言われた注釈だらけの本だったけど、 電子書籍なら いくらでもリンクで注釈貼れるしね。。。 なんなら、 出てくるブランドのショップにもリンク出来るしね。。 『ダ・ヴィンチ・コード』のような小説だったら、 ルーブルの絵画や、 記号論の解釈とか、 いっぱい画像や映像で注釈に飛べたら 勉強になっていいだろうなぁ と思います。

きっと そんなRPGのような小説や、 3D世界をたどっていく小説とか、、 出てくるのでしょうね。。。 面白いかも~。

 ***

ところで、、 前に エドガー・アラン・ポーの 『アッシャー家の崩壊』で ロデリク・アッシャーがギターで奏でる即興曲はどんなだろ、、 って書きましたが(>>
あの作品にインスパイアされて作られたクラシックギターの作品があるのですね。。 今日、 youtubeでたまたま poe usher guitar とか入力してみたら出てきて吃驚しました。

ニキータ・コシュキンと読むのかしら? Nikita Koshkin (wiki>>) というロシアの作曲家&クラシックギター奏者のかたが作った 「アッシャー・ワルツ(Usher-Waltz)」というのですって。  ジョン・ウィリアムズさんの演奏のが有名なのだそうです。

John Williams - Usher Waltz (Nikita Koshkin)

やっぱりちょっとロシア的? そんな感じがしますけど、、 でも ちょっと暗鬱な、 不安を誘うような音色が、 ミステリアスですね。 

 ***

アラン・ポーと音楽、、といえば、、、 ルー・リードさんがアルバム 『Raven』を発表して、 その来日公演を観に行ったのは もう7年も前になるのですね。。。 あの 新宿厚生年金会館も 取り壊されることになってしまいました。。。 あのルー・リードのライブは素晴らしかったです(2003年9月の日記>>

あの頃のルー・リードさんへの こんなインタビュー記事も見つけました。 ポーについても語っています。
http://www.slogan.co.jp/interviews/loureed.shtml

ルー・リードとロバート・ウィルソンが組んだ舞台、「POEtry」の映像も ちらっとyoutubeに。。。 これ観てみたかったな。
LOU REED POE-try in the news

MARUZEN 松丸本舗

2010-05-04 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
久しぶりに本の話。。

 ***

、、の前に、、 築地場外市場でお寿司を食べようと てくてく歩いていたら、、 なんだか物々しい機動隊、、、 なにごと?? と、、 

HIDEさんの13回忌が 築地本願寺で行われていました。。 3万5千人のファンが集まったそうです。  

お寿司をいただいて、、 ここもまた大勢の方が集まっていた 歌舞伎座の前を通り、、 

銀座から 京橋へとお散歩。。。

ブリヂストン美術館に行きました(HP>>)。 現在の企画展は「印象派はお好きですか?」、、、 えっとぉ、、、 そんなに好きでもありません(笑)、、、が

好きなのは、、 印象派が登場する前のものですが、、 此処にはクールベも、 コローも、 レンブラントもあってよかったです。

、、、印象派と言えば、 モネ。 モネは何度も見ていますが、、 今回 再発見したのは、、 モネの緑よりも 「薔薇色」。。。 夕暮れの空が蓮池に映った その薔薇色の光が 水面を描いているのに やっぱり「光」を描いているのでした。 あれは カタログでも、 絵ハガキでも、 印刷できない薔薇色で感激しました。

買ったクリアファイル、、、 窓にかざしてみた。。

 ***

東京駅を、 丸の内側へ、、、 以前からずっと行ってみたかった 丸善の中の「松丸本舗」。
松岡正剛さん編集による わくわくの本棚。 くわしくは ぜひこちらを↓
松丸本舗

本と本が ○○つながりで繋がって、、 専門書と文庫と絵本と漫画が一緒に並んでいたりする。 人様のお部屋の本棚を覗いてあるくような、、 前後重なっていたり、 横に積んであったり、、古本屋(古本じゃないけど)の棚をじっくりじっくり眺めてまわる感覚。

けっこうびっくりしたのが、、 なかなか手に入らない本たちがいっぱいで、、 大学図書館でもなかなか見つからなかったり、 ましてや自治体の図書館にもないし、、 ネット書店でも在庫切れになっているものがほとんどの本たち。。。 よく集められています。 (私の好みだから、 幻想文学やロマン派系のものですが、、)

蛇との契約―ロマン主義の感性と美意識

ヨーロッパの日記 (叢書・ウニベルシタス) グスタフ・ルネ ホッケ
(これは以前 神田の古本市で買った)

ゴシック名訳集成
このシリーズ、、 知らなかった。 2008年に発行だって。 これも9巻までのうち 最初の方はもう全然無いのね。。。

大鴉
日夏 耿之介の重厚(過ぎ?)な名訳に、 ギュスターヴ・ドレの挿絵を配した一冊。 これもまず手に入らない。。

星と伝説 野尻 抱影
、、 天文学や物理学の本と一緒に、 寺田寅彦の文庫があって、 その隣に並んでいた 野尻 抱影という人、、、 初めて知りました。 英文学者でもあり、 冥王星の命名者でもあるのですって。 とても魅力的な随筆のようだったので、 覚えておく事にします。 
 ***

著名人の本棚「本家」、、、 現在は 町田康さんや、 市川亀治郎さんの書棚がありましたが、、 出ました 奇才、、あ、超人だって、、 高山宏先生の本棚(>>)。

、、、 高山センセの本棚が 一間幅くらいに収まるわけがないのですが、、 この棚で見つけた「蛇との契約―ロマン主義の感性と美意識」(上記)、、、 (一万円ちかくするんだよぉ) 、、ついしゃがみこんで 気になる一章を 読み耽ってしまいました。。。

2時間近くがあっという間、、、 あっちの棚、、 こっちの棚、、、 但し、 此処のちょっと困ったところは、 気になった本をあとからもう一度見ようと思って探すと、、、 どの棚にあったのか わからなくなるとこ。。。(笑)

企画が新しくなったら また行ってみたい場所です。

 
店内でみつけた 今後のギャラリー情報。 エドワード・バーンジョーンズも展示される 「世紀末の天使とヴィーナス展」 、、、 19日から。 また行かなきゃ。
 

Closed on Account of Rabies : The Raven

2009-10-29 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
前回のつづきで、、

このCDで、 ポーの「大鴉」を クリストファー・ウォーケンが朗読しているものに ギュスターヴ・ドレの挿絵を配したVideoが、 youtubeに載っていてこれも見事な出来だったので載せておきましょう。

Edgar Allan Poe's --The Raven
http://www.youtube.com/watch?v=VFy7XidbnKw
ちなみに、ここでギターを弾いているのは Wayne Kramer さん(MC5)です。

最初、ウォーケンの朗読を聴いた時には、、 もともとポーはこの詩の韻律を「聴く」という 言葉の音楽性を目的に創作した、、というような事を読んでいたので、 予想と全然ちがって、、ええーー? とか思ったものでしたが、、 でも、 語り口は非常にウォーケンらしい! ですね。

ほんとはね、、 (詩の大鴉は、12月の夜となっているのに)、 このハロウィンの時期に書こうと思ったのは、、 たまたまこれらの映像を見つけたってこともあったのですが、、 別の目的が、、

そうです、 allan poeの詩 "The Raven" あってこそ創られた映画、、 永遠のダークファンタジー 「ザ・クロウ」を思い出していたからなのです。 物語の時期はハロウィン。 亡きブランドン・リー演じる主人公の名前は、 Eric Draven、、 名前にも「鴉」が埋め込まれているのですよね。 、、そして エリックはロックバンドのギタリストで、 冥府から蘇ったあと ギターを奪い返しに店に押し入る時に口ずさんでいるのが、 ポーの「大鴉」の一節、、 というわけで。。

エリックがギタリスト、、だというのは、 エレキギターの音色と鴉の鳴き声を合わせてある、、ってこともあるだろうし、 ポーのゴシック小説代表作 『アッシャー家の崩壊』の中でも、 ロデリク・アッシャーはギターで即興曲を奏でている、、というくだりがあるし、、 (よく考えられた映画なんですね! 、、ていうか、 1839年当時のギターの即興曲、、 しかも アメリカ南部、、って どんな音楽だろう・・・) 、、、 私にとっても すご~く重要。 エリックがミュージシャンじゃ無かったら、 こんなに印象に残る映画になってなかったと思うもの。。 、、そのギターソロ&ギタークラッシュシーン、、 ありました。

The Crow - Extended Guitar Scene
http://www.youtube.com/watch?v=0aeFkJvgnbk

これらを見ていて見つけた、、 ↓たぶん自作投稿Trailer、、なのかな。。 これはリマスター画像なのかしら、 すごく綺麗な画像。。 なので、、
' THE CROW ' Nine Inch Nails - ' ALL THAT COULD HAVE BEEN ' -, Brandon Lee Tribute.
http://www.youtube.com/watch?v=gUo1QWwxLLw

ザ・クロウも、 TV版とか、続編とか、 いくつか観ましたが、、 ブランドン・リーに敵うエリック・ドレイヴンは 現れないでしょうね。。。 
R.I.P.


Closed on Account of Rabies : Ulalume

2009-10-27 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
しばらく前から 街の中にハロウィングッズが見かけられるようになりましたが、、 その季節が近づくと私が思い浮かべるのは、、 (あぁ、、またポーが詠った万聖節がやってくるなぁ)、、ということ。 しばらく、 詩作品について書いてなかったので、 この季節にちょっと書いてみます。

Closed on Account of Rabies:
  Poems and Tales of Edgar Allan Poe (1997年 Amazon.com>>)

このアルバムを苦労して探したのはもうだいぶ前で、 そのことを書いた日記も昔のBBSで このBlogには載せてなかったですね。

エドガ・アラン・ポーが詠った万聖節、、 というのは、 ↑の中で ジェフ・バックリィがポエトリーリーディングをしている「Ulalume」という詩のこと。 詩の中で、 「私」が森の中へはいって行くのは  "lonesome October" の夜、としか書かれていませんが、 「私」は 自分の魂である「Ulalume」という女性について、、 去年のまさに同じ晩に 同じ場所をともに歩いたことを思い返し、、 そして、 その「Ulalume」は すでにこの世の存在ではなかったことを思い出す、 (つまり この晩「私」が彷徨っていたのは「Ulalume」の墓所だった) という内容から、 死者のよみがえる晩、 つまりハロウィンの夜の出来事、、 と考えられます。

アルバムのノートには、 97年2月13日の晩にジェフ・バックリィのリーディングを録音したと書かれており、 アレン・ギンズバーグが朗読の指導をした、とも書かれています。 ギンズバーグは、この年の4月5日に亡くなり、、 ジェフは5月29日にミシシッピ川で行方不明になりました。(Wiki>>) 

このアルバムの ジェフの朗読が、 余りに美しいというか、、「Ulalume」をこれ以上に朗読出来る人はいないのでは、、と思ってしまうほどで、、 ポーの詩と 「Ulalume」の詩と、ジェフの死と、、 神さまの為さることの不可思議さを感じずにはいられないのですが、、、

でも。 良い時代になりましたね、、 この素晴らしい朗読が youtube で聴けるのですものね、、、 いろんなオリジナル映像を載せたものがあるみたいですが、、 詩の内容にわりと合っているものを選んでみました(最初、眼がちかちかするのを我慢してください、、)

POE'S ULALUME (reading: Jeff Buckley)
http://www.youtube.com/watch?v=VesUJqm5rss 
ギターは、 Chris Speddingさんです。

詩をご覧になりたかったら、 poe と、ulalume で検索すればいくつか詩のサイトが出てきます。

 ***

以前に、、 ポーを好んでいた萩原朔太郎が、 この詩にインスパイアされた「沼澤地方」という詩で 「ULA」という女性をうたっている、、、ということを書きました(>>) その女性もまた、 今は亡き人。。 

、、、さて、直接 関係ないですけど、、 ↑の日記で書いてる ボブ・ディランの「Series of Dreams」という曲も、 youtubeの bobdylanTVで観れます。 久しぶりに観ました。

Bob Dylan - Series Of Dreams
http://www.youtube.com/watch?v=H-gamWTze6g

曲はほんとうに U2みたいだけど、、(笑)、、 過去からのディランのコラージュを見ていると、、 ディランて、 やっぱり格好好いわ。


ボルヘスとイギリス文学

2006-11-02 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
数年前に、
「オレが読むより、必要だろうと思って、、」と
故郷の友人が貸してくれた本、
『ボルヘスのイギリス文学講義』

今度、会いに行くので返さねば、、と思い、もう一度開いた。
中世から、現代まで、、、チョーサーから、エリオットまで、、さまざまな文学者について
ボルヘスのひとことコメント、のような形で、書かれている。
ひととおりは読んだ記憶があったが、今読んで、いちおうボルヘスの言わんとしてる事がわかるくらいには自分が成ったような気がする。本当に、ひとことコメント、という感じなので、「ああ、ボルヘスはコールリッジをこう見てるのね」という風な、、。
だから、これを読んだからといってイギリス文学が解るか、というと、それはまるで解らない。
色んな事が書かれているけれども、何かが解るわけではない、、というのは、ボルヘスの小説と同じですね。

読み飛ばしていた、訳者中村健二先生による解説「ボルヘスと英文学」、、これを読み始めたら、「いかん、、こんな大事な事が書かれていたのに!」、、と、返す前にコピーでもとっておかないと。。鋭いご指摘の数々、、。ボルヘスの文学の基盤は〈英文学〉にある、というのは、他からも聞かされていて、私もそう思うのですが、中村先生の解説では、ボルヘスとイギリスロマン派、そしてルイス・キャロルの〈アリス〉との相関など、書かれています。それを読んでて、はた!と思った。。

私の幼少時、、丸い手鏡を二つ向き合わせて、「ほら、タイムトンネル」と、兄と遊んだ事があった。。当時のTVでやってた『タイムトンネル』なんだけど、、あの鏡合わせは極めて意味深かったのだなあ、、と。。中村先生によるボルヘスのキーワードに、「無限後退」というのがある。総てであり、無限である『バベルの図書館』にも繋がる。。〈アリス〉にも繋がる。。そして、アラン・ポーの「渦巻き」(これはポーがイギリスロマン派から得た象徴だと私は感じているのだけど、、)にも繋がる。。

そういえば、、9月末に、早稲田で「ボルヘス会」の会合があって、、あとひと月後だったら行けたのになあ、、という、ボルヘスの「迷宮」をテーマにした講演などあった(と思う)。故郷の知人は、昨年「ボルヘス会」に行ったとか、行きたかったとか、、。帰ったら聞いてみよう。

ボルヘス会について>>

積ん読ものがまた、、、

2005-06-29 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
暑いのと坂道はダメ。
日が暮れてから図書館へ寄ったのだけど、
重い重い本を背負っていたせいか瀧の様な汗。
先週2日間食べられなかったせいもあるのね。

顔見知りの外人さんが愛想よく「こんばんわ!」って声掛けてくれても、階段を登っている途中なので、息たえだえ、、、、ちょっと恥かしい。

 ***

先週、職場近くの古本屋チェーンでバーゲンをしていた。見に行けばついつい買ってしまう。すぐには読めないのに。。
島田雅彦の「無限カノン」三部作、、、、彼の描くロシア舞台の恋愛歴史小説、、、気になっていたので手元に置いておく事にする。それから、新しい訳のモンテーニュ『エセー抄』、、、金子国義のイラストが美しい澁澤龍彦『城=カステロフィリア』、、、その他、、古い『ユリイカ』とか、、、。
この中に105円のものがあるなんて、信じられない。でも、貧乏学生には助かる、、、。

図書館で見つけて、今ちょっと、欲しい本、、、
『ドラキュラ』---恐怖の原典、完訳!---これの註がすごいんだ。こういうのだと詳細すぎて図書館で借りた程度では見きれない。。。オカルト好き、なのじゃありません(好きかも、、)。19世紀末英国文化史が、明治の文学史にも役に立って面白いのよ。、、、でも、、、高い。(古本検索って、探すときには全然無いのね)

ブラム・ストーカー『ドラキュラ』完訳版 新妻 昭彦、丹治 愛 (翻訳)

今年はミュージシャンによる舞台が私にいろいろ教えてくれます。

2003-05-26 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
 6月に引越しをすることが決まり・・・メールでお知らせ出来る方には追ってご連絡するつもりですが、なかなかページの更新も出来ない状態でゴメンなさい。
 新しく住む(といっても同じ都内ですが)街の暮らしはどんなだろう、と不安なようでいてとても楽しみにしているのです。まず最初にチェックするのは図書館・・今度は最寄の図書館が大きな公園のすぐ隣。家からは少し歩くけれど、その公園は私が都内でも最も愛している場所でとても落ち着ける場所なのが嬉しい。大きな樹木と自然の花々の咲く遊歩道を通り抜けていけば、買い物やお茶を楽しめる街へもつながっているし、これから暑くなっていく季節だけれど、大好きな森の匂いに包まれに出掛けよう。

 ***

 今年はずっとルー・リードのことばかり書いてきたけれど、そんな時に嬉しい番組が見られて、、NHK-BS1の「地球ウォーカー」で取り上げられたルー・リードの話題はまさに「E・A・ポーを歌うロック詩人」というテーマで、アンディ・ウォーホールとのツーショット写真を飾ったオフィスですっかり逞しい風貌になったルーがインタビューに答えていた(ルーは今カンフーで鍛えてるから)。現在のLIVEの模様も短かったけど見ることが出来て、嬉しかった。今回は語りに中心をおくためにギターとベースだけの編成になって、大鴉の叫びも、嵐も、アッシャー家の崩壊も、歪んだギターの音で表現されていた。こんなシンプルなステージも一度は見てみたい。60代のルーが10年前にポーを「理解した」と語っているのだから、私にはそれまでにもう少し時間があるんだし、じっくりとポーとルーの足跡を追ってみればいいよね、と少し自分を励ましてもみたり。。

 週末にはチェコの映像作家ヤン・シュヴァイクマイエルの短編で「アッシャー家の崩壊」をビデオで見て、チェコ語(おそらく)の語りでポーが低く朗読され、泥や木工でつくられた家具や棺のモノクロのアニメーションがとても想像力豊かな変化を見せた。そう、ポーの世界は言葉と音の想像の世界。。。

 ***

 「ヴォイツェク」・・(ベルク作曲の歌劇『ヴォツェック』として有名なのだそうですが不勉強な私はこちらを知りません。今度CDを探してみましょう)・・戯曲のテキストが見つかったので読み返してみました。

   自分たち貧乏人。つまり、中隊長どの、金(かね)、金なんであります。
   金のない者。そのくせ子供だけは、道徳的にこしらえろったって。
   貧乏人にも、血があり肉がありまさ。自分たちのような者は、
   どうせこの世でもあの世でも罰あたりですよ、たとえ天国へ行けても、
   まあ雷さまの子分がせきのやまで・・・

 このヴォイツェクは妻マリーと子供のために医学の人体実験の被験者になります。豌豆を食べ続けることによって次第にロバ化していく人間の実験。。そしてやがてヴォイツェクはマリーを殺害してしまうことになるのですが、、、彼らのように生きなければならない人間を象徴するようなお伽話を、老婆が子供たちに語る部分があって、それがこの戯曲の主題でもあるようなやりきれない悲しさなのです。

   むかしむかし、それはかわいそうな子供がいたんだよ・・・(中略)
   この世にはもう誰もいなかったので、その子は天にのぼろうと思ったんだよ。
   するとお月さまがやさしく照らして下さった、
   やっとその子がお月さまのとこまで来てみるとね、
   それは腐った木のかけらだったのさ、
   こんどはお日さまのとこへ行こうとした、
   その子がお日さまのとこまで来てみるとね、それは枯れたひまわりだったのさ、
   こんどはお星さまのとこまで来てみたら、
   それはちいちゃな金色の油虫だったのさ、
   まるでもずがすももの棘にさしとくように、串ざしになっていたんだよ、
   仕方がないのでまた地上に帰ってみるとね、それはひっくり返った壺だった、
   だからその子はほんとにひとりぼっちになって、
   そこに坐って、泣いたんだよ・・・
                     「ビューヒナー全集/内垣啓一訳」

 ロバート・ウィルソン演出の「ヴォイツェク」がどのようなものになるのか、まるで20世紀、今世紀の人間をあらわしたかのような、1830年代の作品と知って驚いてしまうこの作品。そしてこのヴォイツェクや子供たちの悲しみを、トム・ウェイツさんがどんな音楽に仕上げてくれたのか、上のお伽話は余りに悲しいけれど、きっとトム・ウェイツさんならその悲しみを包んでくれるような気がする。。。