星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

思い知らされる、という読書体験:『海岸の女たち』トーヴェ・アルステルダール著

2020-08-12 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)

『海岸の女たち』トーヴェ・アルステルダール著 久山葉子訳 創元推理文庫 2017年


ん~~ 凄い読書体験でした。

もっと誰かに読んでもらいたい。 この気持ちと同じものをもっと誰かにも味わってもらいたい、と 本当に思わせてくれる小説でした。

まず 映像ではあらわせない 、 活字をたどって行くことでしか成立しない物語であること。 他の表現では再現できないミステリー小説として成功しているのが大きな価値です。

だから、本当は何も明かしたくないの。
書評とか、種明かしになるようなものは決して読まずに、この物語を味わって欲しいです。 解説も最初にはぜったいに読まないで、、。

 ***

登場人物は、 ニューヨークに住む舞台美術家の女性と、 ジャーナリストの夫。 夫はかつて優れた取材記事を書き、 ピューリッツァー賞の候補にも選ばれた事がある。

彼女はたった今、 自分の妊娠を知ったばかりだった。 でも、 ジャーナリストの夫は取材のためにパリに旅立ったきり、、 最後に電話が来てから十日が過ぎていた。。 

、、ジェットコースターのような波乱や、 わくわくどきどきが前半はないかも知れないけれど、 どうかどうか、 投げ出さずに 丹念に物語を読み進めてください。
三分の二ほど読んだところで、 ある事実が読み手に突き付けられます。 それは作者から貴方自身に突き付けられる鋭いメス、、

物語の真相であると同時に、 貴方が常日頃感じていることの真実、、 あるいは、 貴方の想像力の歪み、 、  自分自身が気づかないままだった想いを まざまざと突き付けられ、 思い知らされることになるのです。

ごめんなさい! と心で謝らずにはいられませんでした。 誰に対して? それは登場人物かもしれないし、 作者さんかもしれないし、 もっと広い対象かも。。

そして、 参りました! と思いました。 この物語を書いた作者さんに対して。。

もうひとつ、、 泣きました。
これも 誰のために と単純には言えないけれど、、 夫パトリックを探す アリーナの不安な気持ちもよく描かれているし、 彼が消えてしまったという状況になってから後の アリーナの心につぎつぎに浮かんでくる幸せのかけらのこと、、 二人の出会いからこれまでの日々の幾つもの思い出のこと、、。 
だんだんと切迫してくる物語のなかで ひとつひとつの思い出がとても大切なものに思えてくる。。

さきほど、、 丹念に物語を読んでいって欲しいと書いた理由には、、 アリーナとパトリックのちいさな思い出のひとつひとつ、 彼らの暮らしや会話の描写、、 住んでいるNYの記述、、 さらに言えば 作者トーヴェ・アルステルダールはスウェーデンの作家だけれど 舞台にアメリカNYを選んだ事、 そこからパリへ、 ヨーロッパへと物語が拡がっていくこと、、
、、それら全部に意味があって、 それら全部のピースが、 物語の残り4分の1くらいで 見事に合わさっていくからなのです。 その驚き。。

この作家さんの新たな翻訳作品が出たら、 またぜひ読んでみたい。

 ***

あ、そうだ、、 蛇足ながら 表紙のことを指摘させて下さい。 残念ながら この表紙のイラストはあまり内容に合っていない感じがします。 「女たち」は確かに出てくるけれど、 この淡い色調のイラストのイメージではない気がする、、 だから この表紙のイメージと、 背表紙に書かれた紹介文⤵

 「あなた、父親になるのよ──」それを伝えたくて、わたしは単身ニューヨークからパリへ飛んだ・・・

という文章からイメージを持つと ちょっと想像と違うことになるかもしれません。 

もっとシリアスな物語だけれど、、


でも 愛の物語です。 


 ***

今年は、、 いつもと違う夏。。 4月の緊急事態宣言以降、 わが家もテレワーク中心となり、 家族の日常、 日々の生活風景が明らかに変わりました。 

良い事のほうが 今のところ多いと思っているけれど、、 その反面、 ブログを書く時間がなかなか取れなくて、、 読書記もなかなか追いついていかないけれど、、


世界の物語をすこしずつ読み、、 現実の世界の出来事にも想いをはせ、、


暑い日々を乗り越えています。。



よい読書を。

ヴァランダーは寅さん?或は妖精さん?:『ファイアーウォール』ヘニング・マンケル著

2020-07-29 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
今、この状況下で大事なのはそれですか??

いまやるべき事ってそのことなの??

、、と 毎日のニュースや世の中のいろいろに接して、 日々 心の中で叫んでいる言葉ですが、、 ヘニング・マンケルさんの『ファイアーウォール』を読みながらも 同じ言葉を何度も言いたくなってしまいました。。

とうとう来月 刑事ヴァランダー・シリーズの最新で、最後の作品 『苦悩する男』が出版されるというので、 今まで勿体なくて読まずに我慢していた シリーズ第8作の『ファイアーウォール』を読みました。(『霜の降りる前に』はヴァランダーの娘リンダが主役なのでこれもまだ読んでません、こちらも今後の楽しみに…)



『ファイアーウォール 上・下』 ヘニング・マンケル著 柳沢由実子 訳 創元推理文庫

タイトルからわかるように、 今作はITの世界の物語。。 
でも書かれたのが1998年だということを考えれば、 ネット社会のセキュリティ問題を取り上げたこの作品は すごく先進的なテーマだったんでしょう、、 98年、 わたし 自分のパソコンまだ持ってなかったな… 職場の上司が 「インターネット! これからはインターネットだよ。 インターネットなら何でもすぐ調べられるんだよ」って騒いでいて、 「インターネットって何ですか?」って話をしてたのが 96,7年ごろだった気がする…

ヴァランダーのいるスウェーデンの地方都市スコーネでも 警察署でIT化が進み、 パソコンで書類作成やメールを打つようになって、、 でも ヴァランダー 50歳、 メールも打てないし、 インターネットの世界のことも解らない、、 容疑者のデータとかも 調べてくれ、って部下に頼むしかない、、

(自分のような人間はもうこれからの警察に必要ではないのか…) という 今までも少しずつヴァランダーを苛んでいた不安が、 今回の作品では それが主要テーマと言っていいくらい、 すべての根底にある、 事件に関しても 個人の問題でも。。

自分は足を使って捜査し 自分の勘を頼りにしてきたという自負、、 だけど パソコンを前に、 独りはずれて後ろから覗き込んでいると、 もう自分は必要ないのかと不安が押し寄せる。。 さらには 部下たちがもう自分の古い能力を認めていないのかも と疑心暗鬼が募る… 
役に立たない中年以上の社員のことを 「たそがれ社員」とか、 「妖精さん」と呼ぶのが 最近の日本ではありますが(ヒドイ言葉ですネ…)、、 そんな姿に見られているのか、 という焦りがヴァランダーの言葉の端々から感じる……

だけど 心の底では負けてない。。 仕事への炎も、 この孤独感を誰かと分かち合いたいという燠火のような恋心も、、

ただ、、
ヴァランダーが困りものなのは、 その自負心の強さ、 それに加えて思い込みの激しさ、 さらには淋しがりや疑心暗鬼という弱さも人並以上、、 もう、、 それらが急に とつぜん いきなり 意識に表面化して暴走するから ほんと困りもの……

今に始まったことではないので、 (第一作から)苦笑しつつ読みますが、、 でもねぇ 今回ばかりは ヴァランダーに同情する気持ちもある一方で、 (今それですか!?)と本に向かって叫んでしまいそうになる場面も…

だって、 明らかに貴方の行動が 人命の大きな危機を招いたんですから、、、


 ***

サイバーテロの危機を描いたミステリ小説としては、 22年も前の作品だから もう古くなってしまったコンピューターの世界 という感じは否めないです。 (サイバーテロがテーマという点では、 先日読んだ『カルニヴィア』三部作の 第三作密謀 は、 SNSやスマート家電を通じた情報収集やサイバーテロのことが書かれていて面白かったです、、がこれでも時代はどんどん先へ行っているのかも…) 
でも、 ヴァランダーシリーズは 事件解決へのプロットの巧みさ、斬新さや、 犯人捜しのトラップとかが主題ではないですものね、、

ヴァランダーという人間の物語だし、 スウェーデンの片田舎のスコーネと 世界の危機とが結びついているその問題提起がいままでも主題だったのですから、 パソコンが使えず 職場での疎外感におたおたしている姿、、(だけどつい違う方面の欲に負けてしまう情けなさとか) それが痛々しいほどよく描かれておりました。。


今度のヴァランダーは 59歳になってるそうです。。 そして タイトルは『苦悩する男』 、、 これがヴァランダーのことかどうかは判りませんが、、 刑事人生の最後に向けて 悔いなくまっとうして欲しいです、、 そして 出来れば幸せになってもらいたいです、、 誰かと。。


たぶん、 また勿体なくて なかなか読み出せないだろうと思うけれど……


 ***

余談ですが (ちょっとネタばれですが)

この『ファイアーウォール』の中に書かれていたある部分が、 ヘニング・マンケルさんの別の作品のモチーフであることに気づいて感慨深かったです。。 

そういう気づきがあると、 作家さんの創作の奥にある気持ちとか、 創作に込められた人生観とか、、 そういう大切なものに触れられた気がして……


ヴァランダーの人生は、 ヘニング・マンケルさんの人生でもあるのかも…


作品を創るひとって、、 きっと そういうものですよね…


人生のすべてを作品にこめて きっと そうやって届けたい、、 のでしょうね……


画家とコレクターと美術批評家のアーティフィシャルな関係:チャールズ・ウィルフォード著『炎に消えた名画(アート)』

2020-02-07 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)

『炎に消えた名画(アート)』 The Burnt Orange Heresy チャールズ・ウィルフォード著 浜野アキオ訳 扶桑社ミステリー 2004年


ミック・ジャガー出演で昨年映画化。 その原作小説とのことで どんな内容かしらと興味を持ちました。。 小説の内容紹介を見てみたら、 謎の画家に会いに行く若手美術批評家の話だと… てっきりその〈幻の画家〉がミック・ジャガーだろうと思って、、 生きていたらデヴィッド・ボウイあたりに話がいったのかしら… ミックはあんまり画家っぽくないけど、、 どんな画家を演じるのだろ? バルテュスみたいな 豪華なガウンとか纏った貴族みたいな画家なのかな…?

などと勝手な想像をしつつ、 読み始めたら文章のテンポも良く 美術界のペダンティックな話も面白く、 あっという間に読んでしまいました。。 

 ***

この小説が出版されたのは 1971年。。 なぜ今になって映画化されたんだろう…

ストーリーの冒頭は、、
新進の美術批評家の青年が、 ある美術コレクターのパーティーに呼ばれ、 そこで〈幻のフランス人画家〉ジャック・ドゥビエリューに面会する仕事を提案される。 

ドゥビエリューとは、 ダダイズムとシュールレアリズムの間の時代に現れ、 美術界の話題をさらった後 とつぜん隠遁生活に入り、 これまでに彼の作品を目にした批評家はたった四人、 どこの美術館もコレクターも誰ひとりドゥビエリューの作品を所有している者はいない、という幻の画家… 
その幻の画家に会い、 彼のインタビューと彼の新作を入手せよ、という依頼に 若手批評家は舞い上がる… 

とても興味深い物語の導入部です、が、、 展覧会もせず 美術館に作品もなく、 それでいて美術史に燦然と名を残す伝説の画家、、 そんな画家って いるの…? と無知な私は思って読んでいましたが、 美術に詳しい人ならすぐにピンとくる有名な人がいるのですね。。(名前は書きませんが) そっかぁ、余りにも有名すぎて その方がそんな隠遁生活をしていたなんて知りませんでした…

実在のアーティストかと思わせるようなジャック・ドゥビエリューの設定も面白いですし、 新進気鋭の美術批評家の青年が 金持ちコレクターと交わす美術談義もすごくリアリティがあって、 この若者の目利きとしての力量をコレクターが試すように会話しながら、 信頼を勝ち取っていくあたり、、 60年代~70年頃のNYなどの(この小説の舞台はフロリダですが)アートシーンに実在したかのような まるでノンフィクションを読んでいるようでとても楽しめました。

美術市場で取引されるアートの価値は、 決して自然に生まれるものではなく、 批評家や学者が作品を発掘し、 その価値を測り 鍛え上げ、 コレクターやバイヤーたちが さらに価値を吊り上げ(ある意味 捏造し)、 そういう力関係のなかでアートが創り出されて(拵えられて)いくもの、、 なんて書くのは穿った見方ですが、 それだからこそミステリーも生まれるわけですし。。

ずっと頭に浮かんでいたのが、、
ブルース・チャトウィンが美術鑑定士のキャリアのなかで、 晩年のジョルジュ・ブラックから 作品の真贋について、 「きみが贋作と言うならきっとそうだろう」と言うまで認められていた、、という話。(『パタゴニア』の解説に書かれています) 

チャトウィンのような知性と目利きの能力、 それから人を魅了する会話の技量、品性、美貌、、 もしこの小説の主人公の若手批評家がチャトウィンに並ぶ男だったら、 きっと幻の画家の心中にもさっと入り込み、 作品の謎も語らせることができるのではないかしら… などとちょっと想像しながら読んでいきました。

 ***

ただし そこはアート・ノワールと銘打った小説。 事がすんなり進むはずはありません、、 事件も起こります。。 あとは読んでのお楽しみ。
(この原作を映画化するとして、、 あともうひとひねり、 映画には必要な気がしましたが、、 映画の結末はどうなっているのでしょうね…)

それと、、 主人公(批評家)の恋人が…。。 う~~む、 71年のパルプフィクションと思えばそうかもね、、とも 思うけれども、、 新進気鋭の美術批評家の審美眼からしたら 女の趣味悪すぎないか? (スミマセン、私見です)


、、 ちなみに、 読後に今度の映画の予告編を見ましたら、 ミック・ジャガーは画家ではなくて 仕事を依頼する金持ちコレクターのほうでした。。 小説を読む限りでは この役はどうしてもミックでなくても良いような…

どちらかというと、 ひとを煙に巻いたような老画家のほうをやって欲しかったな。。 (こちらを演じるのは ドナルド・サザーランド (適役!!)

The Burnt Orange Heresy (2019) IMDb 

 ***

ブルース・チャトウィンと美術界のかかわりのことを不意に思い出してしまったので、 今度は チャトウィンがマイセン磁器の蒐集家について書いた小説『ウッツ男爵: ある蒐集家の物語』を読んでみなくてはなりません、、


余談ですが、、
さっき、 ちょっと検索していたら面白いものが…
この ウィリアム・ボイドの"Nat Tate: An American Artist 1928–1960" という本、 邦訳出ないかしら… ナット・テイトという画家の伝記、、 なのだけれど 全くの架空の人物で

だけど デヴィッド・ボウイらが協力して まるで実在の画家であるかのように仕立て上げ… という嘘みたいな実際の裏話つきの本、、⤵
デヴィッド・ボウイ、「架空の画家」のために打ち上げパーティーを開催!? rockinon.com

やっぱり アートシーンにボウイは似合いますね。。



体調にお気をつけて、、  よい週末を。

どの順序で読む?:ジグムント・ミウォシェフスキ著 テオドル・シャッキ検察官三部作『もつれ』『一抹の真実』『怒り』

2020-01-31 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)





現代ポーランド共和国の秀作ミステリ三部作。 
白髪長身痩躯、 法と正義を何よりも重んじる検察官テオドル・シャッキ、 別名が(…文庫のキャッチコピーによれば) 〈欧州一ボヤく男〉、、 中年男の愛と苦悩、 鬱屈と悲哀を、 笑いとボケと罵倒と嘆きによって描き出す、、(のが主題ではありません…)
物語の主軸はものすごく緻密で深い社会派ミステリーでありながら、 ひとりの中年男シャッキの(表に出せない心の声が描く)人生の物語でもある。。

この三部作、 書かれた順序と日本で翻訳が出版された順序が異なっていて、 最初に訳されたのが三部作完結編の『怒り』、、 私もこれを最初に読みました(読書記はこちらです>>) このときも 読み始めてすぐ 面白い!と思いましたが、 そのあと 第一作の『もつれ』を昨夏に読み、 それもなかなか読み応えありつつも なぜか感想を書くのは難しく… そうこうする間に 第二作の 『一抹の真実』が出版され、 昨年の終わりに読みました。
三部作ぜんぶを読み終えて、、 やっぱり 〈面白い!〉ですし、 読み応え十分だし、 なにより主人公テオドル・シャッキ検察官のキャラが抜群に〈好き!!〉です、 私は。。 この三部作、 シャッキを好きになるかどうかで評価が分かれるのかもしれません、、

 ***

簡単に 三作品の舞台と、事件の始まりと、 シャッキの背景をまとめておきましょう… (作品が書かれた順序に)

①『もつれ』 舞台はワルシャワ、 グループセラピー合宿の参加者の一人が殺される密室型の殺人。 シャッキ検察官は36歳、 妻と娘と一緒に暮らしているが…

②『一抹の真実』 舞台はポーランド南東部の古都サンドミエシュ、 シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)で首を何度も切られた女性の遺体が見つかる、その手口は「儀式殺人」を想わせるものだった。 シャッキ検察官40歳、 ①のあと離婚を経験し、 都落ちして地方検事となる…

③『怒り』 舞台はポーランド北部のオルシュティン、 戦時中の防空壕だった地下から 全身白骨化した(肉体を溶かされた?)遺体が見つかる。 シャッキ検察官44歳、 離婚した妻との間の娘①は高校生になり、 シャッキと、新しい女性パートナーと3人で暮らしている。

… といった具合に、 三作品それぞれにシャッキが暮らす街も、 シャッキをめぐる家族関係も、 それぞれ変わっていきます。 そのこと(街の違いや、 家族の違い)が、 事件の背景や原因を探るうえでも、 そして事件と向き合うシャッキの心情にもそれぞれ異なった関わり方をしているので、 三作品どれも違った雰囲気の面白さがあるのですが、、

さて、、 どれから先に読むのが良いでしょう…?

最初、 私も完結編の『怒り』を読んでしまったので、 (しかもその結末は、 事件の解決にほっとするというより、 かなり愕然とする衝撃的な終わり方でしたので)、、 「どうして第一作から翻訳してくれなかったのかしら~」と ちょっと不満に思ったものでしたが、、 今から思うと、 私個人は 最後の第三作から読むのをオススメします。 なぜかと言うと、 ①と②の事件が わたしたち日本人にはちょっと関心を捕えづらい、 難解な性質の事件だからなのです。 
だから、 殺人事件の内容としていちばん理解しやすい③で、 シャッキの人物像をまず〈好き〉になって欲しいのです、、 そして 衝撃の結末に愕然としてから、、 (え? なんで? なんでこうなってしまったの…?) という想いと共に、 ①と②を通じて、シャッキのこれまでの人生と、 ポーランドという国の〈独特な歴史を〉振り返ってみる、、 そうしてから 最後にまた③に辿り着いてみると、、 シャッキの毒舌も嘆きも、 ぼやきも、 かな~りダメだった私生活事情も、、 もう最後にはすごく愛しく思えてくるのです、、 涙なしには読めない、、(←私見です)

 ***

シャッキ検察官のキャラの魅力のほかに、 この三部作には〈ポーランド〉という 私たちは余り詳しく知らない国の歴史が大きく関わっています。 

例えば、 ①『もつれ』の事件は、 個人の悩みやコンプレックスを何人かのグループで疑似家族を演じたりして表現し合うことで解決していくという、セラピーの場が事件現場になっていて、 このグループセラピーの方法などに馴染みが無いと なかなか登場人物に感情移入できず、 読むのに苦労したのですが、、

でも、 そういう個人的な問題の陰に、 ポーランドの政治体制の変化という過去の問題も絡み合っていて、、 1989年の民主化以前の 一党独裁の社会主義体制時代に権力を握っていた者たちがまだ社会の中に少なからず存在しているという闇の部分が 事件を予想外の方向へ進ませていきます。

②『一抹の真実』では、 事件の様相がユダヤ教徒の「儀式殺人」を連想させるということから、 反ユダヤ主義の問題が大きく取り上げられているのですが、、 ポーランドで〈反ユダヤ主義〉?? ということなど全く考えたこともなかったのでとても驚きました。 だって第二次大戦中 ポーランドのユダヤ人があれほど迫害を受け、 悲惨な目に遭ったという歴史しか知らない私には、 ポーランドの一地方の民衆のあいだで言い伝えられた根拠のない「儀式殺人」の噂のために ホロコーストを生き延びたユダヤ教徒がさらにポーランド人の手で虐殺されたという話は衝撃でした。
(儀式殺人、 血の中傷についてのWiki >>

物語では、 メディアや街の人々が一様に この「儀式殺人」との関わりを訴える一方で、 シャッキは先入観の無いあくまで法と証拠に基づいた判断をしようと努めるものの、 次々に起こる事件とその状況に混乱していく。。 過去の言い伝えや民衆信仰や噂の中に、 果して〈一抹の真実〉はあるのか…と。

、、 折しも 先日 アウシュビッツ解放から75年、というニュースと共に、 再び急増している〈反ユダヤ主義〉という問題が取り上げられていましたね⤵
反ユダヤ主義に基づく犯罪急増 国連事務総長が指摘  NHK NEWS WEB

『一抹の真実』の中の事件はもちろんフィクションですが、 物語の舞台のサンドミエシュの歴史的建造物なども実在のもので、 キリスト教教会にある「儀式殺人」についての絵画も実在し、 こちらのサンドミエシュのWiki に画像が載っています。 こういう絵画のことも何も知らなかったので、 民族問題の根深い闇をあらためて知った想いです⤵
https://en.wikipedia.org/wiki/Sandomierz

そして、、 三部作完結編『怒り』では、 民主化以降に生まれた新しい世代の若者の、 歴史を直接知らないがゆえの歪んだ歴史観、 歪んだ正義観も、 物語に深く関係してきます。

 ***

テオドル・シャッキ検察官シリーズは この三部作で完結してしまいましたが、 この著者 ジグムント ミウォシェフスキさん、 とても力のある作家だと思うので、 また新しい作品が書かれたらぜひ翻訳を読んでみたいです。 英米のミステリにはない、 東欧ならではの複雑な歴史や文化に基づいたミステリ、、

北欧ミステリと共に、 東欧のミステリもたくさん読んでみたいです。


最後に、、 独り言ですが、、 
昨日 シャッキの結末を思い出しながら 『怒り』の下巻をぱらぱらめくりつつ、 たまたまこの曲をネットで聴いていたら 余りにもぴったりで胸が痛くなって、、

シャッキ検察官が 最後の決断の場所へ乗り込む前の、 ひとときの安らぎの場面がありますね、、 そのシーンをもし映像化するとしたら、 ぜひともこの曲をBGMに使って欲しい… そんな風に考えていたら涙なしには読めなくなってしまいました。。
Karen O and Danger Mouse - "Perfect Day" (Lou Reed Cover) [LIVE @ SiriusXM]



テオドル・シャッキ検察官三部作、、  良い読書でした。
 

ジグムント・ミウォシェフスキ著 『もつれ』『一抹の真実』『怒り』 田口俊樹訳 小学館文庫

史実に基づくエンタメ歴史小説:『戦場のアリス』ケイト・クイン著

2019-11-09 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)

『戦場のアリス』ケイト・クイン著 加藤洋子・訳 ハーパーBOOKS


第一次大戦下、 ドイツ軍占領下のフランスでスパイ活動をし、 英国側へ情報を伝える活動をしていた 実在の女スパイ組織《アリス・ネットワーク》を題材にした歴史エンターテインメント小説…

面白かったです。

、、 上のフォトで なぜ マイケル・オンダーチェ著の『戦下の淡き光』と 『イギリス人の患者』に挟まれて写っているかというのは、、 このところの自分の読書履歴でもありますし、 作品を読んだ方なら理由がわかるかもしれません、、 が オンダーチェさんの話はまた今度にして、、

『戦場のアリス』 面白かったですし、 《アリス・ネットワーク》なる女性スパイ組織がどんな活動をしていたのか、という点にはすごく興味を覚えました、、 が この作品はあくまで史実の部分に 虚構の語り手や虚構の伝説スパイらを付け加えてドラマ仕立てにしてあるお話。 その創作部分の物語に関しては、、 う~~む。。 なので感想はさらりと…

 ***

物語の展開は、 第二次大戦終結後の1947年、 アメリカ人の(虚構の)女子大生が 第二次大戦中にフランスで行方不明になった自分のいとこを探すため、 その手掛かりを求めてロンドンで孤独に暮らす中年女性を訪ねるところから始まります。 その中年女性がかつて 《アリス・ネットワーク》でスパイ活動をしていた伝説の女性とは知らずに…

そして アメリカ人女子学生と、 引退した元スパイの女、 そして元女スパイの面倒をみている運転手の若者、という三人組のロードムービー的な道中が始まり、 次第に元女スパイの過去が語られていくうちに第一次大戦時代の《アリス・ネットワーク》の様子が明らかになっていく、というもの。 

、、 良心的なのは、著者が「あとがき」の部分で、 この物語の虚構の部分と、 実際にあった部分とを詳しく説明してくれている点で、 主人公の女子大生およびロンドンで出会う元女スパイとその運転手の主要人物は ストーリーを進めるための虚構の人物。
元女スパイの口から語られる、 第一次大戦中の諜報活動にまつわる行動のうち 「この部分」「あの作戦」「こういった手口」、、 これらの部分は史実です、と説明されている部分には いろいろと驚くような事実があってとても興味をひかれました。

元女スパイが行動を共にしていたリーダー的存在、 《リリー》は実在の人物で ウィキにも載っていました。 美しい人です⤵
Louise de Bettignies(Wiki) 

また、 《アリス・ネットワーク》の女性たちを見つけ出し、リクルートする役割の英国軍のキャメロン大尉=《エドワードおじさん》として登場する人物も実在の人だそうで、 物語の中のこの大尉のエピソード、、 大戦後のその後のエピソード含めて、 私はこの人物にもとても興味をひかれました。 物語の中では まるで映画『ニキータ』の《ボブおじさん》のような、 任務と私情のはざまで苦悩するような役どころでロマンチックに描かれていましたが、、 その辺は脚色なのでしょう…
Cecil Aylmer Cameron(Wiki)


脚色部分…  ロードムービー的な三人組の道中の物語は、、 アメリカの(1947年とは言え、いまどきの娘…といった感じの)ちょっとドロップアウトしかけた娘の、 路を取り戻す成長物語&ラブロマンス、、
そして 元女スパイの過去の遺恨をめぐる展開は サスペンスアクション映画的な、、 というか なんだか『テルマ&ルイーズ』みたいな所も… 
著者がアメリカ人だからか 良くも悪くもアメリカンニューシネマな感じが 私にはしました、、 (書評などでは余りそういう意見は見当たりませんが…)

 ***

おそらく、 私がこういう感想になってしまうのは、、 現在の関心のありどころ というか、、 マイケル・オンダーチェさんの『戦下の淡き光』を先に読んでしまった流れのせいもあるのでしょうね、、

小説、、 言葉による世界の構築、、 文字から生まれる想像力の芸術、、 そういう領域の作品と、 読者に読む楽しさを与える物語とでは、 どちらかが優劣とかいう問題ではなく 別の領域のモノなのですから。。

、、 でも、 『戦下の淡き光』を読んで、 『イギリス人の患者』を二十数年ぶりに読んで、 その前提となっている『ライオンの皮をまとって』をまたまた読み返しているところですが(共通するのはふたつの大戦にまたがる時代だということ)、、 
『イギリス人の患者』には《イギリス人》など何処にも出てこなかった事… ハナも、ハナの父親のパトリックやカラヴァッジョもカナダから何をしに戦争に加わってイタリアにいたのか、、 (恋におちる相手の)人妻のキャサリンはなぜ砂漠へ来たのか、、
、、全部の背後に隠れていた英国軍の戦争… 秘密裏の戦場…

そういう、、物語の中で語られていなかった部分が、再読すると、 (そして別の作品を読むと)、、 強烈に浮かび上がって来て、 気づいていなかった新しい《物語》の可能性に 頭がくらくらしてきます。。 その《可能性》の拡がりの為には 今回の『戦場のアリス』もとても良い刺激剤にはなりました。 その意味ですごくおもしろかったです。


、、結局 ちょっとまだ マイケル・オンダーチェさんから抜けられそうも無いな…


 ***


秋が深まってきました。。


これからの季節の光の色、 街の色、 樹々の色が大好きです。。 自然が、、 季節が、、身終いをしていくとき…


身仕舞い ではなく…


 
その季節を 自分も共に感じています…


もうしばらく この時間がおだやかにつづきますように。。




大戦下の友情: ユッシ・エーズラ・オールスン著『アルファベットハウス』/ ピエール・ルメートル著『天国でまた会おう』

2019-09-30 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)

『アルファベット・ハウス』ユッシ・エーズラ・オールスン著、鈴木恵 訳、ハヤカワミステリ文庫
『天国でまた会おう』ピエール・ルメートル著、平岡敦 訳、ハヤカワミステリ文庫


両者ともにミステリ小説界の人気シリーズをもつ作家。 オールスンは『特捜部Q』シリーズがベストセラーとなったデンマークの作家で、 一方のルメートルは、カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズで人気のフランスの作家。 、、とのことなのですが、私、 両シリーズ共読んでいません。 そして今回の両作品は ハヤカワミステリ文庫から出ていますが ミステリ小説というわけでもありません。

殺人事件や 犯罪といったものが登場する意味では 広義のミステリ小説かもしれませんけれど、 大戦を背景にした(日本で言うなら)純文学作品になると思います。 だから、 両作品とも 出版者の謳い文句では 「特捜部Q」の作者… 、 「その女アレックス」の作者… 、、と掲げられて そちらを経由して読む方も多いと思うのですが、 クライムノヴェルのスリルや謎解きなどのミステリ要素を求めて読むと ちょっと期待と違うことになるでしょう。 特別ミステリファンでない読者のほうが興味深く読めるのではないかしら、、 例えば カズオ・イシグロの『わたしたちが孤児だったころ』に関心を持った方など…  

大戦に出征した若者たちの悲劇と友情をテーマにした物語、、 という点で 両作品には共通するところがあるのですが、 作品の趣きというか 雰囲気というか、 読んだ印象は正反対に感じるものでした。 片やドイツが舞台、 片やフランスが舞台の違い?、、 というより、 作家さんの《戦争の持つ悲劇性》へのアプローチの違い、、 そんな風にも感じました。

 ***


『アルファベット・ハウス』ユッシ・エーズラ・オールスン著


第二次大戦末期。
英国空軍のパイロット、 ブライアンとジェイムスは ドイツ上空の偵察中に撃墜されパラシュートで脱出する、、 敵地の領内で命からがら彼らが乗り込んだ列車は ドイツ軍兵士の負傷者や病人を運ぶ車両だった。 英国人であることを隠すために 二人は言葉もなにも理解できないほど精神に障害を負ったドイツ兵のふりをして病人たちに紛れ込み、 ナチ監視下の精神病院に送られる…

そこで二人がいかに見つからずに生き抜き  生還への道を探るか、、 その精神病院の日々の描写が、、 (著者は父が学者で、幼少時に精神病院の様子を見て育ったというだけに) ナチの実験的な精神療法の事など、 シリアスな面もリアリティがあって読み応えはあるのですが、、 とても重い… そして 二人を取り巻くほかの患者たちとの日常が、、 とても悲惨、、。 上巻の終わりのほうまでその毎日の描写がひたすら続くので、、 いつまでこれが続くんだろう… とちょっと読むのをやめようかと思ってしまいました、、

しかし、、 そのあと物語が動いて 舞台は急に1970年代へ…
精神病院に身を隠していた二人のうち、 英国へ生還したのはブライアンだけでした。。 時は流れ、 第二次大戦は遠い過去のものとなり ブライアンはビジネスマンとして成功もしている、、 しかし、、 かつての相棒 ジェイムスの事は片時も頭を離れることは無かった…

、、 戦時下という異常な状況がふたりの運命を分け、 そして それぞれに繁栄を遂げ戦争が過去のものとなった英国とドイツの現在の状況が、 過去の記憶を遠く深い霧の中に沈ませる、、 その中でかつての友の消息を追い求めるブライアン。。 そこから先の話はサスペンスフルな動きのある物語になって一気に読ませますが、、 心に残るのはずっしりとした重さと せつなさ、 悲しさ。。

、、ストーリーからは少し逸れますが、、
幼い日の友情というのは、 友も自分も同じ速度で時間が過ぎていくものだと(少なくともそう感じていたと) それが子供時代なのだと思います。 しかし大人になり、 互いの環境が変わり、 例えば一方は急激な変化を強いられ、 また一方は時が止まったまま生きていくこともあるかもしれない、、。 戦争のような特殊な状況下でなくとも、 それぞれが別々に生きていけば 時間の経過の速度や自身の変化は同じではいられない、、。 それと共に 私の中の君の記憶と、 君の中の私の記憶とは、、 まったく同じものではいられなくなる… その差が生まれてしまうのは《罪》なんだろうか…  
、、互いにいつまでも変わらない《友情》って (そう信じたそのままの友情って)有り得るんだろうか…
 
、、と、、 遠い子供時代の友情など振り返り、、 そのような事まで考えてしまう物語でした。。


 ***

『天国でまた会おう』ピエール・ルメートル著

第一次大戦末期の西部戦線。
気弱な一歩兵アルベールは、 膠着した塹壕戦の末、 武功をたくらむ上官プラデルの突撃命令で塹壕を飛び出すが、、 上官プラデルの不正を目撃した為に 爆撃に見せかけた生き埋めにされてしまう、、 アルベールは仲間の青年エドゥアールによって助け出されるが、エドゥアールは顔の半分を失うほどの傷を負ってしまう…
野戦病院に送られたアルベールとエドゥアール、、 しかしそこでも二人を生還させまいとする上官プラデルの策略が…。 肺血症で死にかけているエドゥアール、、 自分の命を救ってくれた友を助けるためにアルベールは…

こちらも生死を賭けた深刻な物語なのですが、、 語り口は前述の作とは異なりスピーディーで ややもするとコミカルなほどです。 気弱なアルベールが必死で策をめぐらせて エドゥアールを助けようと奔走する様子、、 悪役を絵にかいたような上官プラデル、、 帰還兵を扱う政府機関のお役所仕事ぶり、、 死んで帰れば英雄で、傷病兵はただの厄介者という戦後の困難、、 そういった戦争のおぞましさくだらなさ不毛さをカリカチュアしてみせる、、

顔を半分失ったエドゥアールと、 彼のためにどこまでもお人よしなアルベールのキャラクターがとても魅力的です。 エドゥアールは上流階級の出身でお金に困ったことが無い、、 絵の才能があり芸術家のような彼と、 何をやっても不器用で臆病でただ生真面目なだけのアルベールとが、 戦後の困難を生き抜くために一世一代のとてつもない計画に挑んでいく… 

このスリリングな風刺画のような物語を読みながら、、 もしこれを映像化するなら、 エドゥアールは 若き日のデヴィッド・ボウイみたいな人がいい、、 と思っていました。(ボウイが第一次大戦の兵士を演じた『ジャスト・ア・ジゴロ』という映画のイメージが頭にあったせいもあるのですが) 
こんな描写があります…

 「…エドゥアールは長椅子に色っぽく寝そべり、紐で縛った包みのひとつに素足をのせている。 ルイーズはその端にひざまずき、エドゥアールの足指に真っ赤なエナメルを塗っていた。… エドゥアールは歓喜の笑い(ラァフゥウルゥゥゥ)を轟かせると、満足げに床を指さした。出し物が大成功したあとのマジシャンのように…」

、、口も顎も失くしてしまったエドゥアールが発する奇妙な笑い声、、 1920年代に足の爪に真っ赤なエナメルを塗っているエドゥアール、、 富裕な生まれの彼は子供の頃から美しく着飾ることが大好きだったけれども、 エドゥアールには決して得ることの出来なかったものが…

破天荒な物語でありながら、 ピュアでせつない、美しい物語だと思いました。 悪役プラデルを始め、若者二人を取り巻く人々の運命が同時進行で転がっていくのも面白いです。


、、とここまで書いてきて、、 さっき検索したら 
『天国でまた会おう』は映画化されて、 今年の3月に日本でも公開されていたのですね、、 知らなかったです。 映画化できたなんて、 あの個性的なエドゥアールを映像化できたなんて、、 素晴しいわ、、

ピエール・ルメートル原作の仏映画「天国でまた会おう」 ラストを変えた理由(好書好日 Asahi.com) インタビュー

映画 オフィシャルページ


↑上記のインタビューに、 「ラストを変えた」って書いてありますけど、 どんな風に変えたんだろう… 小説のラストは私はとてもとても素敵だと思っていますが、、 

『天国でまた会おう』は、 フランスで最も権威ある文学賞 ゴンクール賞受賞作。 たしかに受賞にふさわしい(でも決して堅苦しい文学作品ではなく) エンターテイメント性と文学性を兼ね備えた傑作だと思いました。

そして、 この作品は三部作で もうすでに昨年、 第二部の『炎の色』上下巻が翻訳されているのだということもさきほど知りました(←無知) 第二部は、 エドゥアールの姉マドレーヌを主役にした続編なのだそうです。

、、でも、 まだ翻訳されていない 第三部のほうが楽しみかな、、。 エドゥアールの爪に赤いエナメルを塗っていたあの少女、、 エドゥアールが唯一心を開いた少女ルイーズの成長してからの物語だそうで、、 とても気になります。


映画の予告編もなんだか素敵だった、、 プライムビデオですぐに見られるのですね… (プライム会員ではないんだけど、ね)


、、 観てみたい映画もたくさんあるなぁ…


でも 秋の夜に読むべき本も次々に控えているのです、、 


頑張ろ…

旅の仲間のその後に期待…:ロバート・ゴダード著『謀略の都、灰色の密命、宿命の地 1919年三部作』

2019-08-21 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)



この夏の読書記がぜんぜん追いついていきませ~ん、、 実際はとうに読み終えてほかの本も読み終えているのですけど、、 

ロバート・ゴダード著 《1919年 三部作》については前回ここ(>>)と こちら(>>)に書きました。

今からちょうど百年前の1919年、 第一次大戦の戦後処理をめぐる《パリ講和会議》を背景に始まった物語。。

英国空軍の凄腕パイロットだったマックスと、 優秀な整備士のサム。 この二人の関係について どこか《指環物語》のフロドとサムを想わせる… と前に書きました。 
マックスの父の死の謎を探るために始まった旅は、 その後 英・米・仏・独・日を巻き込む巨大スパイ網を暴くという 大掛かりな《旅》へと発展し、、

英国の情報機関《MI5》の人間や、 米国の情報請負人(情報を金で売る仕事なのだけど、ここに登場するのはまるで傭兵のように逞しい猛者)とか、、 はたまた特別な身体能力を持った謎のアラブ人少年とか、、
『指輪物語』で言うなら 〈ストライダー〉や〈エルフ〉に当て嵌まりそうな《旅の仲間》も加わって マックスとサム、その協力者たちは 世界を揺るがす巨大スパイ網の謎に迫っていく…

… というのが 第二部『灰色の密命』までの展開で、、 第二部の終わりでは 登場人物に最大の危機が…。 旅の仲間はちりぢりになった感じで、、 互いの生死も確認できないまま それぞれが謎の最終目的地を目指して行動を続けていく、、

その最終目的地は ここ日本。
第三部では 巨大スパイ網を操り 失われた帝政ドイツの復権をもくろむレンマー& 日本の政界・軍部を陰で動かす戸村伯爵という 二大巨悪を斃すために 《旅の仲間》たちは さまざまな痛手を負い犠牲を払いながらも 此処日本へ集結する…

と、、 少し 『指輪物語』になぞらえてまとめてみたのですけど… 指輪物語で言うなら 世界を破滅に陥れる力を持った《指環》を棄てることが最大の目的なので、、 《1919年 三部作》では きっと 世界を危機に陥れようとするレンマー&戸村という闇の権力者(とその背後に組織化された軍部)との対決が最大の焦点になるのかな、、と、、

実際そうではあるのですが、、 でも話はラスト 思わぬ方向へ、、

全6冊にわたる壮大なスパイ小説としては (え…? そっち??) といういささか肩透かしというか拍子抜けする方向へ 最後、物語は進んでいき、、 (そこで明らかになる事もそれはそれで興味深いのですが)

日本を舞台にして、 東京の銀座や上野や 深川などの下町の長屋や、、 鎌倉観光もするし、、 温泉にも入るし、、 食いしん坊のサムが日本のお茶や納豆やご飯に辟易する場面もあるし、、 京都も舞台になって、、 しまいには謎の《城》(まるで織田信長の安土城をマンガで描いたみたいな怖ろし気な城…)も出てくるし、、

ラストの地は なんと《琵琶湖》で…

ものすごく楽しめはしましたが、、 やはり結末が、、(そっちなの…?)という少々物足りなさも。。 《旅の仲間》にしても、 さっきストライダーと書いた傭兵を想わせる米国人モラハンや、 エルフのような身体能力を持ったアラブ人少年といった とても魅力的なキャラクターが登場しているのに、、 もう少し彼らの個人的な背景や、マックスや マックスの父とのそもそもの関係を深く描いて欲しかったなぁ、、という気も。。
あっけなく 物語から姿を消してしまう人物もいて、、 いつも緻密な人間背景を組み立てるゴダードさんの作品にしては ちょっと物足りない人物や少~し無茶な設定の人物もあるかな、、 


 ***

でも、 エンターテインメントのフィクションではありながら、 第一次大戦以降の 軍拡・侵略へ歯止めが効かなくなっていく日本の「描かれ方」には考えさせられるものがありました。。 《残虐》という言葉が、 日本の特高警察や第一次大戦での軍部や 架空の人物ではあるけれど戸村一族に関して、、 何度《残虐》という言葉が使われたでしょう、、

さきほど書いた 若干肩透かしの結末、、 というものに関しても、、 世界規模のスパイ小説という視点から外れて、 一個人、 一日本人の《残虐性》を象徴させたような、 そんな結末とも考えられるし、、

マックスが国家=英国に対する想いや、 自分が戦争中に撃墜したドイツ軍機についての想いを語る部分があります。 その描き方と 日本を描く部分との《違い》があることにも考えさせられました。


話は少しとびますが
この8月、、 過去の資料から明らかになったということで 戦時や戦後の秘められた事実がニュースになったり、 TV番組になったりしていましたね。 過去への《反省》という内容についても取り上げられていましたし…

いつまで反省すれば良いのかとか、 未来志向という言葉にすり替えて省みることを拒否する向きもあります。。 けど、 日本国内ではどうであれ、 世界がそのことをどう見ているのか、 たとえ文学作品、フィクションの世界といえども、 歴史の中の日本はどう描かれ、どう受け止められているのか、、 それは永劫に自ら省みていかなければならないことと思います。 戦時の非人道的な行為を無かったことにはできないのだし、 外側からの視点で描かれた作品を 現実にいま世界は読んでいるわけですから…


 ***

話をもどして…
解説によれば、 ロバート・ゴダードさんは《1919年 三部作》のあと、 この5年後を描いた 《1924年》の物語を執筆されているそうなので、 翻訳されたらきっとまた読むことでしょう。。 今度の舞台はドイツのようです。 
できれば今回の《旅の仲間》も、、 ふたたび出てきてくれると良いな…
 

あ、、そうそう

前に予想した通り、、 (サム、 君がいてくれてよかったよ) という台詞は やっぱり出てきましたよ! 



できたらサムに素敵な彼女も……

(注: 主役はサムではなく全てにMAXなマックスです)

ちょうど100年前の7月、不忍池で…

2019-07-30 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)



先月 少し書きました(>>) ロバート・ゴダード著 《1919年 三部作》

第二部の『灰色の密命』上下を読み終わり、 第三部『宿命の地』、、 物語は佳境に入りつつあります。。 いまごろあらためて気づくなんて馬鹿みたいですけど、 ちょうど100年前の世界が描かれているのですよね…

第一部 第一次大戦後のパリ講和会議を背景にして始まった物語は、 その後、 スコットランド、 ロンドン、 パリ、 マルセイユ、 スイス を経由して、、 第三部では すべて此処 日本が舞台=《宿命の地》なのです。。

本の裏表紙に書かれている「紹介文」は読まないようにしているので 英国人の元パイロット、 マックスの父親の変死事件に始まった物語が、 英・米・仏・独・日 入り乱れての諜報、暗殺、政治駆け引き、、 そんな大きな歴史の地図へと 物語が発展していくとは思っていませんでした、、 ましてや 日本が最終地点などとは…

でもそこは 歴史学を基盤としたゴダードの物語ですから、、 史実をしっかり踏まえたうえで 架空のスパイたちを 事実と空想のつづれ織りに入り込ませていきます、、。 

日本が舞台の第三部で言えば、、 西郷さんの《西南戦争》1877年(明治10年) まで話がさかのぼって そのころからすべての事件の《芽》が動き出していたことに ちょっと驚き、、 

感想は 読み終えてからまた書きますが、、 きょう読んでいたら ちょうど100年前の1919年の7月、、 七夕の二日後(かな?)、、 上野の西郷隆盛像の前で とある英国人と とある日本人が ひそかに落ち合って 蓮の花が一面に咲いている不忍池のほとりを歩いているのでした。。 そこに…

  「花が開くときにぽんと音がするという人がいます。音などしないという人も。すると信じるのはたやすくありません…… その音を自分が聞かない限りは」

、、というくだりがありました。 《密約》を交わすためには 蓮が開く音を聞こうとしなければ… と。

、、 ゴダードさん、 よくお調べになっていますね。。 一昨年 実際に不忍池で蓮を見た思い出がよみがえってきました(>>) ゴダードさんが この蓮の音について知ったのは、 石川啄木の詩からでしょうか… それとも 南方熊楠の論考からでしょうか… どちらも100年前のこの物語のころに(それ以前に) 生きた人ですね。。

そして、 一昨年の不忍池も暑かったけれど、、 百年前の東京も 西洋人にはとてもとても 蒸し暑い様子が 書かれています、、(苦笑)


 ***

百年前の日本とヨーロッパ、 そして隣の大陸との関係…

それらはもう過去のこと、、 現在生きているわたしたちには関係の無い事、、 時が経つほどにそう思いがち、、 特に私たち日本人は過去を忘れて先へ急ごうとしがちな民族です。。 でも、 100年前の物語と 現在は、、 確かにつながっている、、 今のさまざまな軋轢や感情のもつれは あのころの私たちの国とまっすぐにつながっている…

、、 ゴダードさんの三部作は そのことも考えさせてくれます。。 


物語は残すは 下巻のみ。。 今度の週末くらいには読んでしまうでしょう、、。 ゴダードさんの手腕はいつも、 たくさんの伏せたトランプカードを 最後の最後につぎつぎとめくってあっという間にすべてのカードが開いていく神経衰弱のよう… と前に書いた事がありました。。

どんな 手の内を明かしてくださるのか、、 楽しみです。。

 ***


、、 蝉がいっせいに鳴き始めましたね、、


100年前の上野公園でも それはそれは 蝉が賑やかだったことでしょう…


(ゴダードさん 蝉の声は書いてないみたい、、 英国では蝉時雨ありませんものね・笑)

domestic な想い、思い入れ、思い込み、思い違い…:ジグムント・ミウォシェフスキ著『怒り』

2019-07-01 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)

ジグムント・ミウォシェフスキ著 『怒り』上下巻 田口俊樹・訳 小学館文庫 読了。
(原著は2014年、 英訳『RAGE』2016年からの重訳)

 
ポーランドのクライムノヴェル、、 面白かったです。 上巻を読んでいる間にすでに友に「これ、なかなかの傑作だから…」と薦めました。
凄惨な事件のはじまりにもかかわらず 《面白い》と表現してしまう意味には、  登場人物のキャラの造形、 ひとつの事件の解明に留まらない物語の進展、 語りの妙で読者を惹きつける巧さ、、 などの作家さんへの称賛の意味かな。。

特に、 《笑い》の要素がすばらしいです。 ユーモア、というのとちょっと違う、、 パロディ感覚やブラックさや、 いわゆる《滑る》ネタ風の失笑や、 ツッコミを入れたくなるボケ?や、 トホホな笑いや、、(そのうち笑ってられなくなるんですけどね…) 前半はずいぶん爆笑させられました。。

主人公は 検察官テオドル・シャッキ。 40代半ばの敏腕検察官、、(だと思う、一応) 長身痩躯、髪はすでに銀髪(白髪)、、 服装は《法の守護人》らしく寸分の隙も無く…
最初のほうの描写から少し、、

 「その日の装いは彼が勝手に"ボンド・ファッション"と呼んでいるものだった。自分を印象付けたいときに着て、決して期待を裏切らないブリディッシュ・クラシック。(略) …それに上着のポケットから一センチほど出した、粗い手触りのリンネルのハンカチ。シャツの袖にはカフスボタン、つや消しをしたサージカルスティールの腕時計――真っ白で豊かな髪に合わせたものだ。まさにポーランド共和国の強さと安定の権化と化したような恰好だ…」

、、、 こういう文章、、 これはマジ? ギャグ? 著者の目線なの? それとも本人(シャッキ検察官)の思い込みなの? 、、こういう含みを持たせた文章が随所に。 ちなみにこの《ボンド》ネタはちょこちょこと後まで出てきて(カフスひとつで笑えますよね…)、 その度にプッっとふき出すことになります、、 

、、で このシャッキ検察官はワルシャワから オルシュティンという北部の都市へ赴任してきているのですが、 12月のオルシュティンの気候やこの土地の地元の事情への なんというか、 ぼやき? 罵声? 呪い? も随所に出てきて、 それがいわゆる『坊っちゃん』の松山非難に近いコミカルさがあって、、 そこまで言わなくても… と思いつつ笑えるのです。 

さきほど ボンドが出てきましたが、 その他にも音楽や映画への言及が多いのも楽しめます、、それぞれが意味深で… 、、シャッキ検察官がラジオのトーク番組で家庭内暴力の会話をした後に、 DJが

 「…気分を変えて刺激的な音楽をひとつ…」 と言ってかけるのが Aerosmith の「Janie's Got A Gun」
https://www.youtube.com/watch?v=RqQn2ADZE1A

、、わ、わらえるのか…?(汗) と思いつつ、 「巨大な口の男が歌う…」とかいう記述にふき出してしまいます。。

 ***


事件については…

ひとつの事件にとどまらず、、 それこそ笑ってはいられなくなるのですが…。 ここには さまざまな《ドメスティック》な関係性が登場し、、 それは 夫婦であり、 恋人であり、 親子であり、 職場などの同僚であり、 さきほども触れたオルシュティンという一地域のことでもあり、、 そういうさまざまな関係性のなかで、 一方が思っていることと 他方がそれに対して認識していることの《大きなズレ》、、

タイトルにも挙げましたが、 「想い」は 思いやりだったり慈しみだったり愛情だったり ある一途な想いではあるものの、 それは「思い入れ」の押し付けであるのかもしれないし、 自分の あるいは相手の勝手な「思い込み」かもしれないし、、 一方の想いとはまったく異なる「思い違い」を他方がしているかもしれないし、、 ドメスティックな距離で見えない関係の中にある大きな《齟齬》 、、ドメスティックなものだからこそ 誰にも気づかれず 誰も助けてくれない、、 怖ろしさ…

、、最初に笑いのネタとして "ボンド・ファッション"の事を書きましたけど、 この「思い込み」なのか「勘違い」なのかの伏線は 事件と物語のすべてを象徴するものだったのですね、、 と次第に気づいていく後半は、、 本当に笑いも凍りついていきます。。 巧いです…(作者さんに)

英語版タイトル「RAGE」を『怒り』と訳されていますが、 rageと angryが違うのは、 レイジはもっと強い怒り、、 ここで言うなら「逆上」が一番近い意味かと、、。 


本当は、、 現代の残酷な犯罪や 救いの無い暴力事件などは苦手で、 そういうなまなましい描写の多い作品は読みたくないのですが、 この小説は事件そのものよりも 人と人との関係性、、 人の《想い》の複雑さに、 こちらの感情が二転三転させられ、 いろんな感情が揺さぶられました。 感動したり、 ほろりとさせられる部分もあったし、、

 ***


主人公シャッキ検察官のシリーズは これが最初の邦訳ですが、 シリーズでは3作目で完結編、なんだそうです。 昨年末にシリーズ一作目にあたる『もつれ』という作品が邦訳されていました、、(こういう順序で出版するのはできればやめて欲しいなぁ、、 いろんな出版事情もあるんでしょうけど、、知ってたら絶対一作目から読みたい…)
◎編集者コラム◎
『もつれ』ジグムント・ミウォシェフスキ 訳/田口俊樹


でも、 シャッキ検察官のキャラ造形はとても素敵で、 ミステリ小説界版「エクスペンダブルズ」をやるなら、 ヘニング・マンケルさんのヴァランダー警部を筆頭に ぜひこのシャッキ検察官も入れて欲しいと思うのでした。。

… なんてことを思っていて、 さっきこのジグムント・ミウォシェフスキさんのインタビュー記事(英語)を見つけてみたら、、 やっぱり! ヘニング・マンケルさんをお好きなんだそうです。
The Author and His Translator: Working Together Is All the ‘Rage’ publishingperspectives.com

マンケルさんの「社会の影と弱者、隠れた病弊」そういったテーマを ポーランド版で書いてみようと思った、と。。 確かに、、 納得です。 自国とヨーロッパ、 そして世界の繋がりを常に意識している部分も(読むとそれがわかります) マンケルさんの姿勢を感じましたし、、。
ヴァランダー警部シリーズが何作も続いたのに こちらのシャッキ検察官はこれで終わりだなんてちょっと勿体ない気もしますが。。


ポーランド、、 という国について ほんとうに ワレサ議長と ヨハネ・パウロ二世(ローマ法王)と 『戦場のピアニスト』以外ほとんど何も知らなかったけれど、 こんな優れたミステリ作家さんがいるなら また他の作家さんも邦訳されていくと良いなと思います。

ちなみに…
作中で シャッキ検察官が冬のオルシュティンという街をずーっとけなし続けていたので どんなにかヒドイ場所かと思いきや、、 (湖が11個あるというのが特色らしい) こんな素敵な街でした⤵
https://www.olsztyn.eu/en/nature/lakes.html


 ***

ようやっとこの読書記を書きましたが、、 ほんとうはめっちゃ体調わるいんです…(泣) かろうじて本は少しずつ読めますけど、、

あぁ、、 梅雨の無い国に行きたい… シャッキ検察官が冬のオルシュティンを呪う気持ちが少しだけわかります、、 (人間は身勝手です) 雨の被害が出そうな地域もあるというのに自分の体調など…


お日さまはしばらく望めそうもありませんけど、、 できるだけ 元気で…


指輪物語も少し…?:『謀略の都』ロバート・ゴダード著

2019-06-21 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)


ロバート・ゴダード著 『謀略の都』上・下巻 訳:北田絵里子 講談社文庫 読了しました。。

でも、 これは 《1919年 三部作》の第一部で、 あと4冊つづくので、 今回はきちんとした感想ではありませんの。。

前回書いた フォルカー・クッチャー著のシリーズが 1929年からのベルリンが舞台。。 そして、 GWに観に行った クリムトとウィーン分離派などの「世紀末ウィーンのグラフィック -デザインそして生活の刷新にむけてー」展が 主に1900年代初頭の20年間くらいのもの、、 というわけで、 少しこのあたりの時代に凝っているのです。。(ていうか、知らない事が多すぎるので…笑)


『謀略の都』の舞台は、 第一次大戦終結直後の1919年春、 パリ講和会議が行われている場所です。 英・仏・米・伊・日の五か国が中心となって、 大戦後の処理について話し合いが重ねられている年、、 ということなのですが、 ストーリーの主役はその会議とは全く関係の無い 第一次大戦時には英空軍のパイロットだったマックスという青年。

マックスの父親は 英政府の代表団の一員としてパリに出かけており、 そこで謎の死をとげます。。 急遽パリへ向かったマックスは、 父の死に疑問を抱き… 

 ***

パリ講和会議のことは ウィキなどを見ても (第一部読み終えても) 今もってさっぱりわからないのですが…(汗) いろんな国の利害やら密約やら スパイやら まさに謀略が入り乱れていて、 マックスにもいろんな危険が押し寄せる… たいへんな目に遭い続けるのですが、 そこは元パイロットの生還者、、 決してめげない、 信念をまげない、、 あきらめない、、 なんとも強い人なのです

そして、 マックスの戦友というか、 部下だったサムという飛行機の整備士がいて、、 このマックスとサムの関係が、、 どうしても どうしても 『指輪物語』を想い出してしまうの、、

もう戦争は終わったから上下関係は無いというマックスに、 サムは今でも敬語を使って 「あなたは・・・ですね」 と喋る口調や、 なんたって名前が《サム》ですもの、、

ストーリーの最初のほうの、 謎解きには全然関係ない部分だから 引用してしまいますが…

 「…ドイツ兵を相手にわたしができることはたいしてありませんが、あなたのために抜かりなく点検することぐらいはできますからね」

、、 この台詞読んだ時、、 これは完璧にサム=サムワイズだ! と確信してしまいました。 ゴダードさんもきっとそのつもりで書いているハズ、、 で、 訳者の北田さんもきっと意識して口調を考えているハズ、、 と思って。。 (勝手な想像ですが…)

Samwise Gamgee の名言でしたね、、

 “Come, Mr. Frodo!' he cried. 'I can't carry it for you, but I can carry you.”


自分は指輪を運ぶことはできないけれど、 フロド様、 あなたを(背負って)運ぶことはできます! 、、、もう 涙、、 涙、、 どれだけ涙したかわからない あのセリフ (今、本を見て書いてないので正確な訳ではありませんが) 


ゴダードさんの主人公マックスは、 フロドのように辛そうな悲しそうな表情は全然見せないタフガイですが、、 でも この後の三部作で まだまだいろんな危険な目に遭うのでしょう、、

で、、 きっと (サム、 君がいてくれてよかったよ)、、 っていう場面もいっぱい出てくるのでしょう、、

 ***


『指輪物語』、、「ロード・オブ・ザ・リング」三部作の 夢のような映画に涙したあの頃から また、、 世界は、、 この国は、、 もっと混沌とした わけのわからない国になっている気がします。。 さまざまな事が起きて、、 気持ちが鎮まらないうちに また何かが起こって、、 気がつくと、、 以前の事を忘れている、、  そのことが無性にせつなくなるときがあります。。


、、 自分は空も飛べないし 走れないし 指輪も運べないし あなたを背負うこともできないけれど、、


せめて、、 あなたがよろこぶような お話を、、



、、それができたらいいのに、、 とせめて思う。。



穏やかな愉しい週末でありますように。。
 


TVドラマも気になるが続きが読みたい!:フォルカー・クッチャー著 創元推理文庫

2019-05-14 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)




前に BGMのことだけちょっと書きました ドイツの刑事小説シリーズ。(ろくでなし野郎のBGM >>

フォルカー・クッチャー(Volker Kutscher)著 『濡れた魚』 『死者の声なき声』 『ゴールドスティン』 創元推理文庫 酒寄進一 訳
詳細は創元推理社のほうへリンクしておきます>>


最初の『濡れた魚』は1929年のベルリンが舞台。 そこから1作ごとに1年ずつ物語が進んでいく警察大河小説なのですが(ドイツでは8冊出版されているようなので いま1936年かな?) けれども日本では3作目の『ゴールドスティン』以降 翻訳されていないので読めません…


世界史に疎い私には、 1929年のドイツがどのようなのかまったく知らず、 政治状況も警察組織の言葉も最初はわからずにちょっと読むのに苦労しましたが…

世界恐慌の年、だというくらいは知ってる。。 でも、ベルリンの街で社会民主党と共産党などのデモ隊が溢れ、 警察と衝突が起きて死者が出たり、 それから ほとんど街のチンピラと変わらないようなまだ子供がナチの突撃隊を名乗って徒党を組んで歩いたり、、 ナチズムや第二次世界大戦はまだ10年も先のこと(と思っているから) そのような政治状況や 街の不穏な空気が最初はうまくつかめず…

ちなみに デモ隊の衝突で死者が出たという 1929年の「血のメーデー」についてのWikiはこちら>>
↑ここにも出ている警察長官ツェルギーベルなども 実名で物語の中に出てきます
(そのほか実際の歴史上の人物や出来事も 多く物語に入ってきます)

けれども、 そのような社会や政治の動き、 不穏さは、 あくまで小説の背後というか底辺に流れているもので、 物語の主役はあくまで刑事が事件の謎を解くサスペンスですから、 私のようになんにも知らずに読み始めても大丈夫。。

主人公ゲレオン・ラート刑事(警部になる)は、 ケルンからベルリンに赴任してきたベルリンでは新参者。 でもラートの父親はケルンの警察でトップに上り詰めた人なので、 ラートもけっこうな野心家。。 過去にケルンで何事かを起こし(この件はあまり明かされないままで)、、 その過去を消すようにベルリンへ移って来て、 ここベルリンで名を成そうと抜け駆けのように同僚を出し抜いた行動もとるし、 いざとなれば闇社会さえも利用する、、 恋人にも言えないような秘密もひとつやふたつではなく…

著者フォルカー・クッチャーが巧いなぁ と思うのは、
*事件の犯人を追う謎解き
*主人公ラートと警察署内の人間模様
*ベルリンの闇社会を牛耳るギャング組織の勢力争い
*ラートと恋人との行く末
*台頭してくるナチズムの影

これらがすべてが 関連がなさそうでいて緻密に絡み合って物語が進み、 最初の本で謎のまま残った部分もぜんぶ伏線になって、 第2作、 第3作、、にも関係して出てくるので、 人間関係や背景がわかってくると 第3作の『ゴールドスティン』がいちばん面白く読めます。 (だからなおさら 続きが気になるんです、、 残された謎もあるし…)

最初に書いたBGMのところで、 ラートを「ろくでなし野郎」などと書きましたが、 ろくでなし ではあるが ぎりぎり ひとでなし、ではないかな。。 だけど、 こんなに秘密を抱えちゃってどーすんだよ、ラート? この先 墓穴を掘ることになりはしないか? 闇組織はどうするの… 恋人はどうするの… 、、と 心配にもなります。。 けど、 恋人に関してはけっこう純でもあって、 眠れない夜を過ごしたりもする可愛さも、、。


3作品読んで、 時代は1931年になり、、 経済は破綻して銀行も潰れたり、、 貧困層も増えて 不満を抱えた若者はそれぞれが支持する政党に入れ込んで対立したり、  ナチの突撃隊の子供らが正当な理由もわからないまま人種の異なるひとを襲ったり、、 ベルリンの街のきな臭さ、 不穏な影がひたひたと怖さを増していきます。。 
でも そんな時代でも(そんな時代だからか) 人々はダンスホールで浮かれ騒いだりもするし、 映画館や劇場でデートもするし、 自分の仕事のキャリアアップを夢見たりもする、、

ひとびとの普通の生活や 普通の夢、、 その背後で 確実に変化していく時代の空気、 ベルリンの街の怖さが、 読み終えてようやく  ようやくひしひしと、、 感じられるのでした。

このあと、 ナチズムが権力を掌握していくなかで、 ラートはどうやって警察官として生きていくのだろう、、 いまの8作目、 1936年にはどんなベルリンになっているのだろう、、と すごく気になります。。

 ***

この小説はドイツでTVドラマ化されて、 シーズン3まで出来ているようです。
そのドラマ「Babylon Berlin」のオフィシャルサウンドトラックのMVがありました。 ミュージックビデオなので 出演者らがミュージックホールで踊ったり、という演出はありますが、 挿入されているドラマのシーンを見ると こればあの場面かな、 この人はあの人かな、、とか 本の内容と重ねて見ることもできて興味深いです。

警部ラート、 かっこいいです。(もうちょっとやさぐれたイメージを持っていたけど、1930年代のかちっとした服装の警部であれば、 こんな感じなのかもしれません)
恋人も美しいです。。

なによりも 当時のベルリンの街の雰囲気が セットなのかCGなのか再現が見事で、、 興味があったらぜひみてみて
Severija - Zu Asche, Zu Staub (Psycho Nikoros) – (Official Babylon Berlin O.S.T.)




ドイツ語はさっぱりだけど、 ドラマも観てみたいなぁ…


でも、 やっぱり続編の翻訳がされて欲しいです。。 お願いします…
 

二十年後に…:『渇きと偽り』ジェイン・ハーパー著

2019-04-13 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
前回 ミステリー小説の読書記を書いてから 四半期が過ぎてしまいました。。

ずっとイアン・ボストリッジさんの『冬の旅』の読書記(>>)をつづけてきたからなのですが、 でもミステリーを読んでいなかったわけではなくて、 感想を書く時間がなかったのです…
、、もう読後の記憶もちょっと消えかけてしまっているけれど、、 少しだけ書いておきましょう、、(フォトには別の本も写っていますが気にせず…)


『渇きと偽り』 ハヤカワミステリ  ジェイン・ハーパー著 青木創 訳

オーストラリアのミステリー小説。 
生まれ故郷の幼馴染みの葬儀に参列するために 連邦警察官のフォークは20年ぶりに帰郷する。 それは 友人として参列するためでもあったが、 幼馴染みの《死の謎》を解明して欲しいと彼の父親に乞われたためでもあった、、 そして フォークにとって故郷の地を踏むことは 過去に起きたもうひとつの《謎の死》と フォーク自身の20年前の《過去》に再び向き合わねばならないことを意味していた…

舞台はオーストラリアの広大な農場や牧場がひろがる土地。 かつては豊かな緑がひろがっていたこの地は 異常気象がつづき干ばつに喘いでいる。 死んでいく家畜、 ひび割れる農地、、 住人の心も疲弊し、 隣人や共同体のひとびとの関係にも乾いた亀裂がひろがりつつある…

、、フォークがここで暮らしたのはティーンエイジまで。。 その頃には いつも行動を共にしていた仲間がいた、、 幼馴染みの友や 恋心を抱いた少女や…

、、 そして《事件》が起き、 フォークはこの地を去った。。 ティーンエイジ後半だった彼はいま 30代後半になっている。。 かつてこの地で過ごした少女らも同様に年を重ね、、、 新たな家族をつくり 人生の半ばを迎えている…

 ***

読み進めて、、 (このシチュエーション、、似てる…) と。。 大人になって故郷へ帰ってくる主人公の捜査官… という設定はミステリーには結構ありがちですが、、 辺鄙な土地の濃密な、しかし厄介な人間関係、、 逃げるように土地を去った主人公、、 過去の記憶の中の忘れられない《過ち》…

昨年の夏に書いた ピーター・メイ著の『さよなら、ブラックハウス』のことを想い出していました(>>読書記) 、、そうしたらなんと、 訳者さんが同じ方なのでした。。 確かに 主人公が故郷へ帰る物語でした。 あちらはシェトランド諸島の小さな島、、 こちらは広漠なオーストラリア、、 でもいろんな点で似ているのです。。 同じ訳者さんなので 文体などに似た所を感じたのか、 或は この訳者さんがこのような物語に惹きつけられるものがあって翻訳をなさったのか…

『さよなら、ブラックハウス』に感銘を受けた人なら こちらの『渇きと偽り』も興味深く読めるかと、、。 辺境の土地で暮らすことの困難や人間関係の息苦しさ、、 また、自分がその土地でティーンエイジを過ごした思い出の 決して消えない痛み、切なさ、歓び… 

 ***

主人公フォークと関わりのあった 周囲の人々についてもそれぞれが深い物語を携えて よく描かれています。
、、 ティーンエイジだった彼らも 30代後半になり、 新たな家庭や家族を持っています。 『さよなら、ブラックハウス』でもそうでしたが、 主人公の捜査官だけが独り身で… (なぜかミステリー小説では主人公は必ず恋人と破局しているか、離婚しているか、死別しているか… なのですよね)
、、 主人公フォークの人生だけが 未だ宙ぶらりんのままで…

この『渇きと偽り』の作者は 創作教室で学んでそれで書いた第一作がこのミステリーだそうです。 設定は先ほど書いたように ありがちとも言えますが、 干ばつの土地の暮らし、 人々の心の渇き、、 脇役の人物像まで、 なかなか見事に描かれています。 女性作家ですが ストーリーに妙な甘さもなく、 乾いた筆致で好感が持てました。 続編が出されるなら是非また読みたい。。


、、 主人公フォークとかつて仲良しだった ある少女の物語が深く心に残りました。。 ラストの仕上げ方も、、 見事でしたね…


それにしても、、 30代後半を迎えていまだ宙ぶらりんの人生途上にいるフォークに較べて (別に彼を否定するわけではないんです… なかなか魅力的な人でもあったし) 、、この乾いた土地で生きることを選んだ幼馴染みのとある女性、、

 「二十年後に会いましょう…」

と言い切ったあの女性… 


… 強いな、、


、、 30代後半の二十年後は 50代後半。。 その年齢になったフォークやこの女性の物語も、 ちょっと覗いてみたい… 

そんな余韻を残す良い作品でした。


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『忘れゆく男』 ピーター・メイ著 青木創 訳

上で触れた 『さよなら、ブラックハウス』の続編が 『忘れゆく男』です。

刑事フィンのその後の物語が読めました。。 『~ブラックハウス』の読書記の時に書いた (物語の最初に出てくる「女の人」と、 物語の最後に出てくる「青年」…) どうしても忘れられなかった 彼らの人生が気になっていて、、 その「彼ら」も再び出てきます。

今度の物語は ルイス島の生活というよりも、 ルイス島の老人(フィンとも繋がりのある人物)の知られざる過去の人生、、 シェトランド諸島を離れ スコットランド本島のエジンバラに実際に在った孤児院なども重要な場所として出てくるのですが、、 そんな重い歴史の物語も心に残りました。

、、 ただ、 『忘れゆく男』は是非とも 『さよなら、ブラックハウス』の後で読んでいただきたいです。 単独で読んだら 登場人物の過去からの重要な物語がわからないままになってしまうから…
(早川書房さんには これが刑事フィンの3部作の物語だということをちゃんと明記しておいて欲しいかな、、と。 そして 未刊の最終編の翻訳をぜひとも… フィンの根本の謎が不明のままで気になります)

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『凍りつく心臓』 講談社文庫  ウィリアム・K・クルーガー著  野口 百合子 訳
『狼の震える夜』 同上


こちらは アメリカミネソタの森と湖の自然を舞台に 元保安官コークの家族やネイティヴアメリカンの居留地の人々などが暮らす地域での ハードボイルドシリーズ。
コーク・オコナー・シリーズは7作くらいあるようです、、 また読むかも…

ただ、、 例によってちょっとダメな中年オヤジ、 家庭崩壊しつつも ここぞの時には大事な家族のために体を張って命がけで頑張るダイ・ハード的なところは いかにもアメリカンな物語かな。。


、、 今は ドイツのミステリーを読んでいます。。 今年はちょっと大戦前、 大戦下のベルリンを読もうかと…

現代史に疎いので 東プロイセン とか書かれていても全然わからない…(恥) 、、現代史を学ぶにはミステリが一番、 ですね。。
そちらの話は、、 またいずれ


本も読みたい。 音楽も聴きたい。。 TVも見なくちゃ、ね。
、、そして 美味しいごはんを つくらなくちゃ…


… リフレッシュしてね。  どうぞ良い週末を…

距離と不在と…:『愛おしい骨』キャロル・オコンネル著/『嵐が丘』エミリー・ブロンテ

2018-12-03 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
12月になりました、、 早3日…

週末やや臥せっていたらアドヴェントカレンダーの窓を開けるのも忘れてます…(笑) 
、、こうして師走は疾走(失踪)していくのですね、、



お天気予報は曇りだったけど、 思いがけなく夜明けの空が綺麗でした。。

 ***

先週からの本のつづきは読んでいます。 …でも じつはもう一冊 並行して読んでいる本があるのです。


『嵐が丘』エミリー・ブロンテ 新潮文庫 田中西二郎訳

もう少し古い版も持っていますが この表紙のヒースクリフとキャサリンが好きです。 これは92年に映画化された時の表紙ですね、、 アーンショー家に拾われてきたロマ(ジプシー)の子ヒースクリフはレイフ・ファインズ、 この家の娘キャサリンはジュリエット・ビノシュ。。
でも映画は見てないんです… 本当のところ『嵐が丘』をちゃんとじっくり読んだ事がなくて…(恥) 映画を先に見るわけにはいかないと、、。

、、昔、大学の必要にかられて読んだ事は読んだのですが 人物造形の強烈さと愛憎劇を味わえなかった(共鳴する心境じゃなかった)、、 必要にかられて読むような本ではないですね、、 だから いつかはちゃんと読みたいと思いつつ……

 ***

、、今年 ミステリー作品をたくさん読んできて、 夏の終わりに キャロル・オコンネルの『愛おしい骨』(創元推理文庫)を読みました。


表紙の画、素敵だと思う…


二十年ぶりに故郷へ戻った青年が主人公。 子供時代に弟と森へ出かけ 弟は消え、彼だけが家へ帰ってきた。 弟の失踪から二十年経ち、 なぜか家の玄関の前に骨が届くようになる… 、、そう始まるミステリー小説なのだけど、、

、、事件解決への謎解きよりも、 この青年が戻った故郷の町 そこの人々がなんとも不可思議というか強烈で、、。 なんとなくツインピークスに出てくるような 謎めいた奇妙な人々… 、、読んでいくうちにこれらの謎めいた人物たちの過去が複雑に絡み合っていく愛憎劇と(そのなかには青年自身の二十年越しのまだ行き着いていない愛も) そして弟の未解決の死の謎が 次第に明かされてくるのですが、、

、、奇妙な人々の愛のかたちが およそ尋常とは言えないにもかかわらず、 表面(世間的)には見えない想い、 二十年、それ以上 在り続けた想い、、 決して普通に見えないこれらも《純愛》なのだと思わせられ…… その純愛になんだか心動かされました。。
年齢、 婚姻、 性差、 生死、、 隠れていること、 離れていること、 憎むこと、 傷つけること、 叶えられないこと、、 失うこと、、

あまりに突拍子もなくて 映像にしたらコメディになりかねないような部分もあったのですが、、 秋が過ぎて細部を忘れかけても 愛のかたちは胸に残り続けました。

、、 それで 『嵐が丘』が今なら読めるかな… と。。

 ***

先週からの本の続きに ロマン主義の核心ともいえる事が書かれていて、、(だから今日はタイトルを伏せます) その部分は音楽のロマン派について述べた部分なのだけど、 私が読んできた英国ロマン主義の文学にもまさに当て嵌まると思い……

それは 《距離》と 《不在》と… もうひとつ…

距離とは 対象との地理的距離でもあり、 立場的距離でもあり、  時間的距離でもあり、 生命の距離でも、、

不在とはそのまま、 今ここにいないことや、 もはやいないことや、 初めからいないこと(非在)も、、

もう一つは… 本の中では別の言葉で書かれていましたが、、 ここでは「追想」としておきましょう、、 距離を想い、 不在を想い、、 振り返り、 記憶を辿り、 回想し、 夢をみる、、 
そして「想う」ことで 距離を 不在を、、 なんとか手繰り寄せようとする。。

 ***

今年、メアリー・シェリーが書いた『フランケンシュタイン(あるいは現代のプロメテウス)』の出版から200年ということで、 『メアリーの総て』という映画がつくられましたね。 『フランケンシュタイン』は現代のSFホラーにつながる小説ですが、 自然描写と、《彼》の想いが、 大変美しい小説です。 《旅》の物語でもあり、 叶えられない愛の物語でもあります。


『嵐が丘』の出版は1847年(でも物語の舞台は1770年代~1802年)。 ロマン主義の時代への追想のような、、。 ロマン主義の核心を踏まえつつ でも、 時代も距離も不在も生死も すべてを越えていく物語。

  My love for Linton is like the foliage in the woods: time will change it, I'm well aware, as winter changes the trees. My love for Heathcliff resembles the eternal rocks beneath: a source of little visible delight, but necessary. Nelly, I am Heathcliff! He's always, always in my mind: not as a pleasure, any more than I am always a pleasure to myself, but as my own being.

 「あたしはヒースクリフです!」


ようやく このキャサリンの叫びに心から共感できます… 心から。。 いつか自分の墓碑銘にしたいくらい… (笑・墓所は要りませんけれど)

そして、、 この台詞の中の 《樹》の喩えと 《巌》の喩え、、

距離も不在も生死も すべてを越えて eternal と always へ…



明日からまたつづきを読む《旅人》の本へも つながります。。

深まる秋に…:『深い森の灯台』『夜を希う』マイクル・コリータ

2018-09-14 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
長かった夏も終わったようです…

この夏はミステリーだけを読んでいました。。 現実から逃避するためと、 世界中を旅するためと、、。。 
前に、 ある土地で起こる犯罪についても、 その土地の歴史や文化や人が生きて来た土地の記憶と無縁ではない、、ということを書いた気がしますが、、 エンターテイメントの犯罪小説の奥に見える その国その土地ならではの自然の営みや暮らしぶりや 人々のものの考え方を味わうのが好き。。 たとえ 拳銃の弾がとびかっていても、、 それはお話の中だけだとわかっているから。。。 その悲劇が現実化している場所が確かにあることを 読み終えて我に返って思い出し、、 やりきれない思いに沈むこともしばしばだけれど、、

でも、、 ミステリー好きの友と、 (ヴァランダーの女への迫り方ってほんとダメよね…)とか、 (ウールのセーターにフラノ地のスラックスで海岸散歩するダルグリッシュには 草の種=バカ とかいっぱいくっついちゃってるのよ、きっと) なんて妙なところで話が盛り上がったりして、、 (意地のわるい楽しみ方デスね…)

 ***

今回は 北米の 深い森と湖のミステリーをふたつ。



『深い森の灯台』マイクル・コリータ 原題 The Ridge
『夜を希う』    同上      原題 Envy The Night
 (青木悦子訳・創元推理文庫)

二冊載せましたが べつにシリーズものではありません。全く別のお話。

先に読んだ方が 『深い森の灯台』で、書かれたのはこちらのほうが新しく、 2011年 コリータ29歳での作品。 
『夜を希う』は2008年 26歳での作品。。 早熟のミステリー作家なんです。

『深い森の灯台』はケンタッキー州ソーヤー郡の 山深い森に独り住み、 森の中に灯台を築いて周囲に煌々と夜の光を投げかけ続ける奇妙な男、、 その死から始まるサスペンス。

この地でかつて起こった事件に関わった保安官代理、 このソーヤー郡の百年余りにわたる歴史を伝え続けてきた地元新聞の記者、 この地に自然動物保護施設をつくった女性、、 などなど次々に登場し、 森の灯台の周囲に謎と恐怖が満ちていく…

森の灯台、、という設定も興味深いように、 この作家さん 冒頭の話のつかみがとっても巧い。 状況の描写、 自然描写もうまいし、 登場人物の会話も おもわせぶりな台詞を小出しにしながら 何が起こっているのか明かさず引っ張る、、 

8歳くらいからミステリー作家にお手紙を出し、 スティーヴン・キングを大変尊敬していたという早熟の少年だったらしく、 どんどん読ませる文章力も。。 それで巧いなぁ… と思って、 ただ『深い森の灯台』は スーパーナチュラルな要素が強い、 ホラーに近いミステリーなので、、 私としては超自然的要素の無い事件のほうを読みたく、、 『夜を希う』を手に取りました。

 ***

『夜を希う』は、 ウィスコンシン州のウィローフローウィッジ(Willow Flowage)という湖をめぐるたいへん美しい場所が舞台の、 ハードボイルドサスペンス。

主人公が作家さんの当時の年齢とほぼ同じ、 25歳くらいで若々しくてかっこいい。。 でもその出生と育ちには重い重い血の継承が…。 あとFBIやら、 プロの殺し屋たちやら、、 最初はいったい何が起こっているのか、 この青年にまつわる過去に何があったのか、、 ぜんぜんわからないまま次々に人物が絡んでいくのは 『深い森の灯台』同様、、 話のつかみは最高なんだけど… 
ただ、 こちらの方が若書きというか こなれていないせいか、、 話の順序が混乱しやすく、本当はずっしりと重いものを抱えた人物たちなのだが、 その理由が明かされない
がゆえに苦悩の深さが今一つ読み手に伝わりにくい。。

読み終えて、、 もう一度振り返って やっと積年の苦悩の謎が解けるのですが…

でも、 美しい自然描写も良かったし、 心になにか抱えて生きてきたこの青年の、 この年代らしいほのかなラブストーリーもあって、、 血なまぐさいわりには瑞々しい読後感でした。

 ***

『深い森の灯台』の舞台でもある ケンタッキー州の自然動物保護区のサイト。
小説にも出てくる、 Mountain Lions 、、ほんとうにいるのですね⤵
https://fw.ky.gov/Wildlife/Pages/Mountain-Lions.aspx

この小説 The Ridge を検索していたら、 作者さんのインタビューが npr で見つかりました。 いつも音楽紹介で聴いているインディペンデントラジオ局でこういう若手作家さんの紹介もしていたのですね
Sanctuary Of Suspense: A Lighthouse On 'The Ridge' 

『夜を希う』のほうは、 ウィスコンシン州の The Willow という湖と森の美しい場所
https://dnr.wi.gov/topic/lands/willowflow/
↑こちらの picture gallery で美しい湖やフィッシングの写真が見られます。 小説の舞台はまさにこういう場所でした。


、、 自分も 生まれ育ちがわりと自然児なので、 全面結氷した湖まで徒歩で山を登ってスケートをしたり、 キャンプをしたり、、 針葉樹の森や湖の朝靄や 夜の嵐や、、 いろいろ体感としての記憶があります。 そのことが 何十年も経って大人からもう老境に近く(?)なりつつある今、 その記憶があることがすごく嬉しい。。


山はもう すっかり秋、だろうな…


ノワールなモノローグが流れる…:『ピアニストを撃て』デイヴィッド・グーディス

2018-09-01 | 文学にまつわるあれこれ(鴉の破れ窓)
 「どうかピアニストを撃たないでください」

・・・この本の解説(ミステリ評論家 吉野仁)の冒頭に、 上の言葉が書かれている。。 アメリカ西部開拓時代の酒場には、 こう書かれた紙が貼ってあった、と。

吉野氏の解説のつづきにも、 オスカー・ワイルドがアメリカを旅した時、 この言葉の張り紙を目にした事が書かれている。 、、ここを読んでいて、 私もこの文言を前に読んでいた事を思い出しました。


『ピアニストを撃て』 デイヴィッド・グーディス著 真崎義博訳
ハヤカワポケットミステリ 2004年

原題 'Down There' (Shoot the Piano Player)

 ***

先の解説では 西部開拓時代、「当時はピアニストを東部からわざわざ招いており、彼らは貴重な存在だったからだ」 と説明している。

…あ、 そういうことだったんだ、、 と私はやっと納得しました。 どうしてかと言うと… オスカー・ワイルドの講演記 「アメリカの印象」(『ユリイカ』所収)で読むと、


「ピアニストを撃たないで。 最善をつくしているのですから」

という張り紙をワイルドは見た、、と書かれていたので、 だから、私は 酒場の酔っぱらった荒くれ男が ピアニストが下手だとかいちゃもんをつけて それで撃ち殺してしまうのかなと思っていたのです。
、、でも、 上記の吉野氏の解説を読んで、 どうやらピアニストに腹を立てて撃ち殺す(のもあったかもしれないけれど)ほかに、 荒くれガンマン同士の喧嘩のとばっちりで、 流れ弾に当たってピアニストが犠牲になるのを避けようと、 そういう意味らしい、と。。 

だいたい酒場のピアノは壁際に置かれて ピアニストはその前に坐るので、 お客たちに背中を向けているのです。 だから、 客同士の騒ぎに咄嗟に気づかないかもしれない、、 それに東部から来ているピアニストは拳銃だって持ってないかもしれない、、 だから 
 「どうかピアニストを撃たないでください」 、、って事だったんだ。。 成程。



 ***

本書『ピアニストを撃て』は、 西部開拓時代の物語でも 西部ガンマンの話でも無くて、 時代は1950年代のフィラデルフィア、 ポート・リッチモンドの労働者たちが集まる酒場の物語。。 でも、 先の開拓時代の「ピアニストを撃たないで下さい」という文言はきっと有名な文言なのでしょうね、、 それを知っていると踏まえての上で このタイトル、、 『ピアニストを撃て』

、、この小説は フランソワ・トリュフォー監督の映画で有名なのだそうです。
「ピアニストを撃て」(1960年)Wiki>>
… でも映画のほうは見ていないし、 舞台がフランスに変わっていたりするので、 あくまで小説の感想だけ書きます。 ただ いかにもヌーヴェルヴァーグの仏映画に似合いそうな、 そんな小説だというのは間違いないです。

、、 物語は、 二人組に追われた男が逃げ惑いながら酒場に飛び込んでくる場面から始まります。 金曜の夜、 労働者たちでテーブルは満員の酒場、、 追われてきた男はへとへとになりながら音楽のするほうへ… ピアノの音色のほうへ…


 「おれだ」男はミュージシャシンの肩を揺すった。「ターリーだ。お前の兄貴、ターリーだ」
 ミュージシャンは音楽を奏でつづけていた。ターリーはため息をつき、ゆっくりと首を振った。彼は思った、こいつには聞こえない。 まるで雲のなかにいるようだ、こいつを動かせるものは何もない。


、、 この追われている兄貴と、「雲のなかにいるよう」な 無関心な弟=ピアノ弾き、 そして酒場の喧騒、、 そういった描写がとてもいいんです。 モノクロームな画面、 切羽詰まっている兄貴がまくしたてる言葉、、 無関心に、 穏やかに笑って、、 あるいは肩をすくめて、、 ピアノに向かいながら兄貴の言葉を遣り過ごしている弟…

 「だめだ」エディは静かに言った。それが何にしろ、おれを巻き込まないでくれ」

 ***

この小説の要は 文体なのだと思います。 事件=サスペンスの筋書きを追っているだけだと何てことは無いストーリーに思えるかもしれないけれど、、 大事なのは台詞と、 心の中の言葉=モノローグ。 それが全て。

、、 とにかく、 このピアノ弾きの空虚感がとても際立っていて… それはきっと、 厄介ごとの種ばかり重ねてきた兄貴達と縁を断って、 酒場の隅っこに居場所を見つけ、 闇に紛れるようにしてピアノを黙って弾く、、 そうしていれば何にも巻き込まれずに済む、、 兄貴だけでなく、 酒飲み達の喧嘩やもめ事にも。。 とばっちりを受けずに生きていくこと… 「ピアニストを撃たないでください」 、、そういう風に危険から逃れて生きていく術を、 エディは身につけたんだ、、たぶん、、 きっとそれが唯一の方法、だったんだと思う。。。

ピアノ弾きエディは言葉に出さず、 心の中で思いを反芻する。 兄貴のこと、 それから女のことも、、 同じ酒場で働いているウェイトレス、、

 「…なのに、どうしたんだ? 何で、こんなふうに考えているんだ? 関わらないほうがいい。 カーヴの多すぎる道路みたいなものだし、第一、おまえは自分のいる場所もわかっていないじゃないか。 それにしても、彼女があまり話したがらないのはなぜだ? それに、滅多に笑顔を見せないのはなぜだ? …」

 ***

、、 そんな空虚な 「雲のなかにいるよう」な ピアノ弾きエディが 否応なく事件に巻き込まれてしまう物語なんだと思って読んでいったら、、 じつは そればかりではなかったのですよね。。。 エディ自身の過去… つづきは書けないけれど…

ピアノ弾きの名はエディ、、 エディ=本名はエドワード。 そう! エドワードなんです。 (ここからは小説と離れた話になってゴメンなさい)

上の西部劇風の酒場の写真。 クイックシルバー・メッセンジャー・サービス(Quicksilver Messenger Service)の1969年のアルバム 「Shady Grove」のライナーにあった写真を借りました。 そこにいるピアニストは ニッキー・ホプキンスさん。 ニッキーの代名詞は《エドワード》 

どうしてニッキーのニックネームが《エドワード》なのか、というのは この「Shady Grove」のウィキに載っていますが、 ストーンズとのセッションの中でブライアン・ジョーンズがニッキーに発した言葉 「Eの音をくれ!」が聞こえなかったことから来てるみたいですね⤵
https://en.wikipedia.org/wiki/Shady_Grove_(Quicksilver_Messenger_Service_album)

「Shady Grove」にも収録されている ピアノインスト曲「Edward, The Mad Shirt Grinder」 この副題の The Mad Shirt Grinder がどういう意味なのか、 私知らないんですけど、、 いつも大人しく隅っこでピアノを弾いていたエドワード(ニッキー)のイメージと 《The Mad Shirt Grinder》、、 なんだかこの二面性が…

、、こじつけですけど 『ピアニストを撃て』のエディ=エドワードにも繋がっていくイメージなのです、、 これ以上は書けませんけれど…

、、 カートゥーン雑誌が大好きだったというニッキー・ホプキンスさん、、 スタジオで出番を待っている間ずっと隅っこで大人しく漫画を読んでいたというニッキー。。 もしかして、パルプフィクション出身のこの作家のペイパーバック「Down There」(1956)を読んでいた… なんて想像したら、、 ちょっと面白いな。。

 ***

思いきり話は脱線してしまいましたが、、 『ピアニストを撃て』、、 ピアノの黒鍵と白鍵のごとく白黒のフィルムノワールな世界観。 
エドワードのモノローグと 女との会話(ダイアローグ)の対比や、、 夜の闇に包まれた街と そこに降ってくる雪の白…

そして、、 この物語に出てくる女がまた良いんです。。 場末の労働者ばかりが集まる酒場に普通こんないい女(ウェイトレス)はいないよ… そればかりか、 エディが住む同じアパートにいる女(娼婦)だって こんな理想的な女は普通いないよ… って思うんだけど、、 (理想的、というのは 見た目だけではなくて、 自分の境遇に対して強くて信念があって、 だけど優しい)
、、パルプフィクションだから、、ね。。 有り得ないくらいいい女でも良いよね、、


ところで、 この作家 デイヴィッド・グーディスさん、 いろんな作品が映画化されているらしいです、、 Wiki>>
↑上記の日本語のウィキには載っていないけれど(翻訳本が出ていない)、、 ジャン・ジャック・ベネックス監督の映画 『溝の中の月』(ウィキ>>) の原作 「The Moon in the Gutter」もこの人の本らしい。 ナスターシャ・キンスキーとジェラール・ドパルデューのこの映画、、 たしかビデオで見てるはずなんだけれど全く内容が思い出せなくて… ナタキンの美しさだけが朧に残っているだけ…

『溝の中の月』も 小説の言葉で読んでみたいなぁ…

だって、、 ナスターシャ・キンスキーみたいな美しい(しかも強さのある)人はもうなかなかいないもの、、 『ピアニストを撃て』に出てくるウェイトレスも、 娼婦も、、 ナタキンだったら どちらを演じても …たぶん 理想的だと思う。。

 ***

9月になりました。 夜が次第に長くなっていきます。。


夜のモノローグに 

耳を澄ませましょう…