星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

ロシアバレエと舞台デザイン展

2007-09-13 | アートにまつわるあれこれ
この空は、、いつぞやの空。。

この一週間なにをしていたのだっけ?
、、病院行ったり、、クリニック行ったり、、
お仕事行ったり、、お友だちに会ったり、、動き回るとやっぱり疲れますぅ。。
(音楽のお話はまた書きます)

夜遊びができるからだになるにはまだまだなんだな。。。(もはや夜遊びの年ではない?)

 ***

体調が良かった日、 東京都庭園美術館へでかけました。
とっても観たかったの、 ロシアバレエの衣装や舞台の美術展。
『舞台芸術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン』 (美術館HP)

もう20年前くらいになりますが、 おなじ庭園美術館で、パリオペラ座の舞台衣装展
というのを観たことがあります。
緑深い木立につつまれた旧朝香宮邸は、都内でも大好きな場所のひとつ。
アールデコ装飾のお部屋をながめるだけでも楽しいし、
そこに飾られた綺麗な舞台衣装を観て廻るのも それを着て優美に踊るすがたを想像したりして楽しい。

詳しくは、美術館のHPをみていただくとして、
20世紀初頭のバレエリュスの衣装をデザインした そのデザイン画がとにかく素晴らしかったです。



↑チラシに使われているのも、 衣装のデザイン画。

そして、 舞台公演のポスターやプログラムの絵も、 それぞれすばらしい美術作品なのです。



上の画で描かれている踊り手は、 伝説の人 ワツラフ・ニジンスキー。
「神話のナルシスの化身」といわれたのですって。。

でね、、HPにも載っていますが、今回 このバレエリュスの映像が見られる!と書かれていたので
すっごく期待して、(ニジンスキーの踊りが見られる!?)ってわくわくしていたのですが、
ニジンスキーは1910年代の人、、 動いている映像は残っていないのですって。。(悲)
映像は、1980年代のオペラ座公演のものでした。

でも、 ニジンスキーが振り付けをした『薔薇の精』も、『牧神の午後』も、 
もう、、、 うっとり 、、、。 
(上のプログラムが『牧神の午後』です)
ご覧のとおり半人半獣の牧神と、 泉に水浴にあらわれたニンフとのひとときの戯れ。。
半人半獣のうごきの表現がみごとで、 獣のようにしなやかに、 ときに歯を剥き、、
でも、、 ニンフの残していったスカーフを取り上げて頬を寄せようとするには 獣の手がむなしくて、、

、、、ふと、私は、Bowieのダイアモンドドッグスも、頭をよぎったりして、、

 ***

舞台美術のほうは、 1920年代を過ぎると ロシアアバンギャルドの世界になっていくのがまた
幾何学的で、 先鋭的で 面白かったです。

、、そのあと私は 館内のカフェで 窓外の翠色の雨をながめました。

珈琲、 飲めるようになったの、、 お砂糖とミルクを入れれば、、ね。

ダリ展@上野の森美術館 

2006-12-30 | アートにまつわるあれこれ
閉幕間近の「Dali展 2006 @上野の森美術館」へ行ってきました。
もっと早く、観に行くべきだったのに、
当人多忙&遊び呆け、、加えて、同行者もっと多忙、、ゆえ、、
仕事納め後のこの日に。。

、、、予想通り、、
冗談じゃない混雑ぶり、でした。。
もしも、行かれる方がいましたら、、開場時間より相当早目に行かないと、大変な行列で入場制限かかります。

、、、で、、感想は、、。
正直言って、どうしても見ておくべきかどうかは、、?
展示作品の満足度、鑑賞した満足度、、で言えば、福島県の磐梯高原にある「諸橋近代美術館」の方が良いかも、、(ただし、冬期休館です)。 それに、東京近郊であれば、横浜美術館にも、少数ですが、ダリの美しい絵があります(収蔵作品として4点あり)。

 ***

Daliは、、天才だけれども、
Daliは、、決して超人的ではないように、私は思うの、、でも、それも好きで。

ダリはいつも不安だし、、怖れているし、、絵画にはその不安を拭い去って支えてくれる〈永遠性〉への願いが、かわいそうなくらい、切実に込められているし、、。 切実、、とはいっても、、それは、ほんの小さく、つつましく、、一見わからないように描かれていたりして、、。(それがDaliの Daliたる絵画であるところだと思うし)

社交界での奇行も、、裏返しの表現、、よね。
総てに於いて、〈ダブルミーニング〉であること。

 ***

会場はとても空気が悪くて(余りの人の多さに)、、短時間で退散せざるを得なかったけど、でも、、心に残った何点かの作品に出会えて嬉しかったです。 同行の友も、(かつて彼はDaliに救われた、、んだと思う)、、画集で目にしたことの無かった作品が観られたようで、ひとまずは満足。。

、、私には、Daliの絵は、優しく、愛しく、映ります。

カタチに残るもの、こころに残るもの。

2006-08-28 | アートにまつわるあれこれ
アンガールズ、完走できて良かった~~。
完走できて、というより、無事で良かった~~。

私もやせっぽちだけど、ひとごととは思えない激痩せコンビ。。私など体育の時間、幾度となく膝の脱臼、捻挫を繰り返してたから、「走らなくていいよ~~、歩け、歩け」とひたすら無事を願うばかり。。でも、たまにちらとTVに映ると、よりひ弱そうな山根サンが後ろから田中サンを見守りつつ、声援にうなずきながら元気そうにしてたので、とっても嬉しかった。良かったよかった。

 ***

『芸術新潮』9月号が、「飛鳥」の特集だったので買いました。
京都は好きで何度か足を運んでいるけれど、飛鳥はまだ行った事がありません。
行っても、たぶん「石」しか観るものは無いのだけどね、、。

その「石」が、天武天皇だとか、持統天皇だとか、また、草壁皇子の陵墓だとかいろいろ言われているのだそうですが、考古学的なことは良くわからな~~い、、でも、その方達の「歌」はカタチは無いのに、1300年脈々と残っているって、素晴らしい事だと思いません?

   日並知の皇子の尊の 馬並めて 御猟立たしし 時は来向ふ

   (ひなめしのみこのみことの うまなめて みかりたたしし ときはきむかふ / 柿本人麻呂)

かつて草壁の皇子が馬を並べて狩猟をなさった季節にまたなろうとしています、という意味ですね。
キトラ古墳など、調査をするには「アウトブレイク」みたいな防護服に身を固めて、それでも、黴などの損傷に大騒ぎしなければならないけど、「歌」の中では、同じ頃に、こうして皇子たちが野に馬を疾らせていたようすが変わらずに生き生きと伝わってくるみたい。「カタチ」が残る、残らない、って、物質的な価値だけではないんだな、、と思う。そして、その無形のものと、有形の遺跡が、、長~いなが~い研究の末に結びつくかもしれない、、というのも素敵だな。。

、、ちなみに、この『芸術新潮』には、インゴ・マウラーへのインタビューも載っていました。東京オペラシティでの「インゴ・マウラー展」にも、過日出掛けてきました(教えて下さったお友だち、どうもありがとう)、そのことはまたいずれ書くといたしましょう。
10月からは大阪のサントリーミュージアムで開催だそうです。

『芸術新潮』(こちらで立ち読みもできます。>>)


終戦の日に。

2006-08-16 | アートにまつわるあれこれ
本郷新記念 札幌彫刻美術館 という所へ行ってきました。

今回の旅、何の計画も目的も無く、
唯、ホテルと航空券だけ予約して出かけた旅でした。
向うでも、朝起きて「きょうは何処へ行こうか」と。

この美術館へ立ち寄ったのは最終日でした。駅かどこかに置いてあったFreeペーパーに載っていて、もともと彫刻作品を見るのは好きだし、この春行きたかった西洋美術館での「ロダンとカリエール」展は見逃してしまいましたし、、。

はからずも終戦記念日。朝、ホテルのTVでは靖国神社がずっと映し出されていました。「終戦の日」ということばは、、年齢をかさねていく自分にとって、次第に以前とはちがう重さを持つことばになっていきます。国が戦いをやめた日、ではあるものの、、多くの人にとっては、それが戦いの始まった日でもあったのだから。。北方での話、南方での話、、子どもの頃からぽつぽつと聞いてきた、おじやおばの話は、、、決して全てが語られることはない、、。それに気づいたのは、、戦後50年以上も経ってからなのです。

「無辜の民」というシリーズ作品の展示がされていました。70年代の作品にもかかわらず、今の中東の状況が胸に迫ってつらくなります。本郷新という作家は、非常に多作で、活動も彫刻に留まらず、油彩、版画などほんとうに数多く、したがって、作品の印象もそれぞれにまったく異なってきます。だから、全般を通じて、好きな作家、という風には思えないけれど、「戦争」をテーマにしたこの人の作品には、特別な姿勢が感じられるように思えます。訴える強さが違う。その訴えには惹きつけられるものがあります。

石狩の浜に設置されている「石狩―無辜の民」は、今回初めて知りました。先に知っていたら、石狩まで足を伸ばしても良かったな、と思ったのでした(この旅、あまりに天候が良く、岬めぐりならぬ、浜めぐりも美しかっただろうと、、)。

本郷新記念 札幌彫刻美術館>>

本郷新と無辜の民(むこのたみ)>>(上の写真はこちらのページからです)

新しい年に、、いまの気持ち

2006-01-03 | アートにまつわるあれこれ
2006年が始まりました。
今年が皆さまにとって良い一年でありますように。

アンドレイ・ルブリョフの「聖三位一体」。
旧約聖書 創世記18に記された、アブラハムのもとを訪れた3人の天使をもてなす場面、というものですが、私はロシア正教信者ではないのでこれは美しい芸術として、見るたびにいつも心を穏やかにしてもらうことのできる、大事な〈作品〉です。戦乱で荒廃した国土の復活とそこに生きる人々の和を願って、空の青と、大地の茶と、作物の緑と、美しい薔薇色とで彩られた、睦まじい天使の姿。

新年の番組で、仏像100選をとりあげたものがありました。半分ほど見ていましたが、私も大好きなはなちゃんが、お仏像に「会いに行く」と表現していて、、本当にその表現の通りだと思うのです。出来たら仏像は美術館の展示ではなくそのお寺へ「会いに」行きたい。そうやって「お会いした」お仏像には、TVで再見した時にも、かつてのお寺の景色、お堂の静かさ、お香の匂い、その日の寒さあるいは暑さ、それらが同時に甦ってくるから。お堂の中でお会いする仏像には、長い長い時間、其処でずっと人々を見守ってきた〈時間〉が感じられるのです。自分の生命の前の果てしない〈時間〉が見えてくるのです。

宗教の境を超えて、「聖三位一体」は、お仏像と同じ気持ちで見つめられます。以前にも書いたことですが、ロシアの研究家が京都を訪れたとき、弥勒菩薩像にルブリョフの天使像と同じ美を感じたと語ったそうです。ルブリョフがイコンを描いた修道院や、この天使たちが収められたトレチャコフ美術館へ、私が「お会いしに行く」ことは、もしかしたら無いかもしれないけれど、世界中から宗教も人種の境も超えていろんな人がこの天使に会いに行って欲しい、、、いつまでも、、いつまでも、けっして戦乱などで破壊されることなく。。


ギュスターヴ・クールベとバイロン卿

2005-06-01 | アートにまつわるあれこれ
会期終了間近の『クールベ美術館展』を
観に行ってきました。

何に惹かれるのかわからないけれど
最も好きな画家。

スイス国境に近いフランスの<オルナン>が彼の故郷で、その生家が現在「クールベ美術館」になっているのだそう。三鷹駅南口のギャラリーに入ると、生家の内部、テーブルとか暖炉を実物大くらいに写した大きな写真に出迎えられて、あたかも、オルナンの生家に立ち寄ったかのような印象を与えてくれる。
しかし、クールベ自身は、パリ・コミューンの先頭に立った罪から亡命生活を送り、この生家へ戻ってくることは実際は無かったのです。

クールベと言えば<写実主義>!とどんな教科書、どんな美術書にも書かれてますが、私に知識が無いためか、余りそういう眼で観た事が無い。クールベの絵は、文字通りの写真そっくりに描いた絵ではないもの。クールベの精神は、多分にロマン主義的な熱情が始まりにはあろうとずっと思っています。初期の自画像や、恋人たちの絵も、狩人として鹿や狐の動きをとらえた絵も、権力に逆らってありのままの民衆の(美的でない)姿を描いたものも、、、すべては、圧力に屈せず本質を見据えようとし、その力が自分にはあると信じきる熱情を通過して生まれたものと思えるから。
リアリズムを<ありのまま>と解するからいけないのよね、<本質>が描けてこその、リアリズム。
(またおとといの論にもどってしまう・・・)

レマン湖のほとりに建つ「シヨン城」の絵(写真)。
カタログの解説に「バイロンがけっして捨て去ることのなかったロマン派の高揚した気持ちを、他のどの画家よりもみごとに捉えている」とあって、本当にそう! と頷きました。

 ***

   澄みきって静かなレマンの湖よ、その水を
   わが住む荒々しい人の世とくらべるとき
   その静けさは、悩ましい世の浪をすてよ
   澄んだ泉にかえれよ、と、いましめる。
   このしずかな帆は、音もない翼に似て
   わが心を、悶えのそとに吹きおくる
   かつての日、私は荒ぶる大洋の咆哮を愛したが
   いまこのやわらかなさざめきは、懐しい姉の声に似て
   烈しい快楽に心うごかしたこの身をたしなめる。

        (バイロン『澄明、静謐のレマン湖』冒頭部分 阿部知ニ訳)

 ***

シヨン城を詠った詩もバイロンにはあるそうですが、みあたらないのでレマン湖の詩を。
バイロンも、愛と青春の放浪生活のあと、ひとたびこのレマン湖で静かな時を過ごしたようですが、でも彼の熱情は再び燃えて、もう女も、故郷も、名声も、何も彼を惹きつけるものは無く、自由のため?それとも英雄的死を求めて? ギリシャ独立軍を助けに奔るのです。最期の有様はちがうけれど、バイロンの激情を理解できたのは、やはりクールベなのだと思います。

   青春を悔いるならば、なにゆえに命を永えるか
   栄光の死をとぐべき国がここにある
   起って、戦場に馳せてゆき
   おまえの生命をささげつくせ。
          (バイロン『この日、三十六歳を終る』より 9)

『魅惑の17-19世紀フランス絵画展』 損保ジャパン東郷青児美術館(~7/15)
ここにもクールベ作品が来ています。(こんにちわ、クールベさん。←いつ見ても偉そうね。笑)

ロウソク1本の祈り

2005-04-30 | アートにまつわるあれこれ
 小さな幸せ。
 電車の中の人々の、いつもとは違うやすらいだ表情。
 お堀端を彩る新緑と花々。
 
 上野公園前は、小さなリュックを背負った子供たちでいっぱい。
その一群と離れて、西洋美術館へ、、、。混雑を想像していたけれど、案外GWは遠くへ出かけてしまうものだし、それに明日の日曜美術館が、この「ジョルジュ・ラ・トゥール」の特集のはずだから、その後は急に混むかも知れない、、、そんな予想が当ったのか、とてもゆったり鑑賞できた。

私の知っている「ラ・トゥール」は、お花の絵をたくさん描いたファンタン・ラ・トゥールだけだった。でも、「ロウソク1本だけの光源に照らされた人物像を描いた画家」と教えられ、レンブラントや、カラヴァッジョのような光と闇の効果を思い浮かべて楽しみに見に行った。

・・・それはとても静かで、敬虔な祈りのような絵だった。
中でも、ラ・トゥールが多く描いたという「マグダラのマリア」をテーマにした、物思いの姿の1枚や、そして、、、
私が最も心惹かれたのは、ほんの12年前に発見されたばかりだという、「荒野の洗礼者聖ヨハネ」(写真)
マグダラのマリアも、洗礼者聖ヨハネも、ポーズは似通っている。聖ヨハネの子羊に向けたまなざし。性差を超えたような、優しい表情。なめらかな胸や手にも、中性的な美しさがあるけれど、でも、堅い肩から首は、若々しい男性のもの。その美しさ。

総てを見終わって、もう一度この絵の前に立って、「あの膝頭は、右脚だろうか、左脚だろうか」と話をしていた。
ふと見れば、前屈みに子羊の方を向いているので右脚に見える。けれど、絵の左端に向かう影が、もう片方の脚を包む衣服であるから、膝は左脚のものだとわかる。そうすると、子羊の前に屈んでいるしなやかな身体が、両脚を大きく開いて上半身を大きく捻った、若々しく逞しい、凛々しい姿であることに気づく。

この絵のA4版のものを買ってきて、家に帰って、今までずっと飾ってあったオフィーリアの絵と交換した。オフィーリアの美しさももう充分に堪能したから。。「荒野の洗礼者聖ヨハネ」と、小さなポストカード版の「書物のあるマグダラのマリア」が、リビングの片隅に置かれた。。。いつまでも見飽きないその絵を見ていて、、、この美しさが何かに似ていると感じていた、、、、そう、、弥勒菩薩のお姿、、。前屈みの、なめらかな胸と腕の、、、半跏思惟坐像。、、半跏ではないけれども、その静かな思索と祈りのようすが、私たちの祈りの対象になるのだろう、、、そんな風に思った、、、。

、、、夜、、、、。
クルマの少なくなった街では、いつもより街灯りが、ずっとずっと遠くまで、キラキラと見渡せることに気づいた。空気がいつもより透明なのだ。地平のはるかまでずっとずっと、無数に散りばめられた街の光は、宝石のように輝かしい。でも、そのひとつひとつはちっぽけな人間ひとりの生活の明かり。それが集まっているだけ。。だから華やかなようでも、じつはとてもささやかな光なのだと思う、、、、1本のロウソクのように。

恋人に会いに行くようです。

2005-04-17 | アートにまつわるあれこれ
高校生の頃から絵を見に行くのが好きだった。
たいがいは独りで、、あるいは、きっと好きになって貰えそうなお友達を誘って。
新しい絵との出会いに心躍らせながら。
田舎から東京へ遊びに来るたび、何かの美術展を見て帰った。
何の知識もなかったけど、、、
出会ったのは、ビュッフェ、デューラー、ヤンセン、シーレ、、etc
そして、芸術の<縁>で、、ここで暮らすことになった不思議。。

今年の春は、貴重な美術展がいっぱい、、、うっかりしていると見逃してしまう。
いちばん好きな画家、野生児のようなサロンへの反逆者、クールベがまた見られるのは嬉しい! クールベを好きなのはたぶん彼の故郷オルナンの山と湖の風景が、自分にとって近しく感じるからなのでしょう。

写真は「ベルギー象徴派展」、、英国のラファエル前派の作風、とくにバーン・ジョーンズの影響が感じられます。初めて見る作家ばかりだと思うので、とても楽しみ。

そして横浜美術館では、ダヴィッドの「マラーの死」という絵を観たいし、、、
そしてそして、
2005~6年は、<日本におけるドイツ年>ということで、美術展のみならず、音楽祭、映画祭、と素晴らしいイベントが続きます。今、ドイツ映画に注目してる私は映画祭もすご~く楽しみ!!(これはまた書くので、、ひとまず置いといて、、)

ドレスデン国立美術館展には、またフェルメールがやってきます。今度は「窓辺で手紙を読む若い女」
小説「ハンニバル」でしたか? 世界に点在するフェルメールを1点ずつ観に行くのが夢、、、という刑務所の看守が出てきましたが、日本にいながら、フェルメール作品を幾つまで見られるでしょうか。。。もちろん、世界を旅して、その国の美術に触れられるのが一番、、、だけど、、身体的なリスクを背負って長旅をするのは私は大変だし、、、貴重な文化遺産が海を越えて日本を訪れてくれる事に感謝して、、また双眼鏡もって観に行こう。。

これから論文で忙しくなるばかりだけど、、素敵な楽しみを心の拠り所として!

国立西洋美術館 ラ・トゥール展 (~5/29)

三鷹市美術ギャラリー クールベ美術館展 (~6/5)

bunkamuraザ・ミュージアム ベルギー象徴派展 (~6/12)

横浜美術館 ルーヴル美術館展 (~7/18)

ドレスデン国立美術館展 (6/28~9/19)

リンゼイ・ケンプ版 『真夏の夜の夢』

2005-03-05 | アートにまつわるあれこれ
前回の『夏の夜の夢』の話で 妖精パックの夢を見た、、、と書いたけれど(>>)、その直後、このVideoに出会って、ちょっと驚き。。

いま、自宅の近く、職場の近く、大学の近く、、など何箇所も都内の図書館に出かける機会があり、しかも最近はビデオやDVDの貸し出しもしているので、たまに思わぬ掘り出し物に遭遇する。それがこの『真夏の夜の夢』。。リンゼイ・ケンプ・カンパニー版の舞台を映画化したもの。

リンゼイ・ケンプといえば、(もう一昨年か)、ミック・ロックの写真展の中で、強烈なお化粧&お衣装の写真があった。。デヴィッド・ボウイの、パントマイムのお師匠さんだとか、、、余り詳しくは知らないのです。
そのスキンヘッドのケンプが妖精パックを演じる、相当に妖しく、いかがわしい、一種グロテスクな感覚も含んだバレエ劇。これは<夏の夜…>ではなく、、、まさに<真夏の夜…>がふさわしいタイトル。

Amazonにも情報が載ってないし、レンタルにだって無いかも、、、と思いつつ、なんとか画像を探し当てました(写真)。抱っこしている方は、妖精の王オーベロン。。抱っこされている方は・・・? この役柄って誰なの・・・?
と、、思いつつ観ていたら、どうやら妖精王オーベロンと、妖精王女タイターニアとが取り合いっこするインドのお小姓の役、、。このお小姓、原作では台詞も無いし、前回書いた ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの映画でも、5歳くらいの男の子がただ手を引かれて出て来るだけだったと思う。しかしケンプ版では、ここのダンス・カンパニーの花形によって演じられている。

頭に薔薇の花冠をつけた彼は、Francois Testoryという人で、腰帯をつけただけの姿で踊りつつ、中性的なハイトーンヴォイスで歌をうたう。・・・誰だろう、この人・・・カストラートなのかな・・? 私はそれほど美少年趣味はないけれど、裸体で踊る彼は美しいです。人間の体とは美しいのだな、と思わされます。

でもでも、、ケンプ版のこの劇は妖しすぎる。。特にパック(ケンプ自身)。
恋の媚薬の物語も、目覚めて最初に見るのが、男は→男、女は→女、、ちがうでしょ! そういう戯曲じゃないでしょ。。
・・・という部分はあるものの、美しい声で<妖精のララバイ>を歌い踊る場面は、いちばんの見せ場。このお小姓、<Changeling>というのは、伝説でいう<取り替え子>のこと。妖精の世界はあまりに長寿だから、ときどき妖精は人間の子供をさらいに来る。そしてさらっていった代わりに、その子のベッドには棒切れなどを残していく、というもの。。だから森の妖精たちの中で踊るこの子は、じつは人間。。でも、人間界にはもう戻れない、永遠の命を授けられて、妖精として暮らさねばならない。。

そういう、人間から妖精への<Changeling>を、性差における<Chengeling>としての[彼]に演じさせているのかな・・・
喪失したものの大きさとひきかえの、、、夢幻(無限)の美。

・・・フランソワ・テストリーについて、余り情報が無いので、少し検索してみたら、、、
現在でも舞台で活躍している様子で、2002年(?)にCDが出ていました。試聴してみれば、今何歳かわからないけど(40代だろうか…)、美しいハイトーンヴォイス。。買ってみる勇気は、、、う~ん。
あ、、あと、トム・クルーズとブラピのお化粧が不気味(笑)だった、『インタビュー・ウィズ・バンパイア』にも、フランスの吸血鬼、という役で出ているそうです。覚えてないけど、きっと美しい人なんだろうな。。また機会があったら観てみよう。

リンゼイ・ケンプ・カンパニー 『真夏の夜の夢』(Video) 紀伊国屋書店>> 


唐招提寺展の鬼さん

2005-02-27 | アートにまつわるあれこれ
土曜の明方までレポートはかかったけれど、なんとか終えて、国立近代博物館へ『唐招提寺展』を観に行く。
本当は美術展には平日に行きたいのだけれど、そうはいかない友もいる。
博物館へ着いてみて・・・びっくり・・お仏像が好きな方がこんなにもたくさんいるとは、、、入場券を買う人々の列、、、。
会場内は、夕刻のデパ地下を思わせる混雑でした。すかさず鞄から出してマスクを着用。。

唐招提寺は好きなお寺です。参道から金堂の前へ出た時、どっしりと1200年の歳月をびくともせずに超えてきた姿が眼前一杯にひろがり、ほっと安堵を覚えた事を思い出します。
お仏像は、人に押されながら見るものではないと思うけれど、こんなに間近に接する事が出来るのは本殿から出された時だけなので、大勢の人が見に訪れるのも分る。普段、大仏と観音像の後ろに控えて、暗がりの中でなかなか見えない四天王像を、ぐるっと全周囲から見上げられるのもこんな時だけ。

私が興味をひかれたのは、「隅鬼」、国宝です。。これは金堂の軒下、屋根と壁の境の、組み木になっているところに挟まれて、鬼が座った格好で、その背中一杯に、大きな屋根の重さを支えてがんばっているもの。ほら、肩に地球を抱えてふんばっているアトラス像があるでしょう、あんな風に四隅の軒下でがんばっている「鬼」です。8世紀からがんばって来たから、もうお顔も擦りつぶれてしまっていたけど、この解体修理が終ったら、また軒下に挟まれて、背中で唐招提寺を支えていくのでしょうね。お疲れ様、、よろしくお願いします。。

鑑真和上像のある御影堂には、東山魁夷画伯の「涛声」など、襖絵も展示されていました。この絵は、長野市の「東山魁夷館」にも、試作画が展示されていたので(今はどうかわからないです)、何度か目にしているもの。群青の海の色がうつくしい。。こちらも、できるならまた静寂の中で、その波の声を聞いていたい絵。

表慶館では、「踊るサテュロス」展示も始まっていて(写真)、シチリアの海から現代へ戻って来た森の精「サテュロス」にも逢いたいなあ。会期が短いので、行けるかどうか。。

青銅のサテュロスは、海の中で2300年沈んでいても、その姿は失われずに遺ったけれど、日本の木造の遺産は、ちいさな炎ひとつで消し去ることも出来る。・・・いつもあるあたりまえのお姿で、これからも在りつづけること、、、その貴重さを、ずっとずっと人は忘れないでいられるだろうか、、たまに不安になる。

東京国立博物館
唐招提寺2010プロジェクト(TBS)
信濃美術館・東山魁夷館

でも元気です。

2003-04-09 | アートにまつわるあれこれ
 この二日ほどちょっと寝不足。1ヶ月先のための原稿を書くのは、この情勢の中で常に考え込んでしまいます。時事と関係のない純粋な音楽や文学の話を書ければいいのかもしれないけど、私はそれが出来ない人間。「政治的なバンドではないけれど、政治はバンドの一部だ」(by ボノ)・・・それと一緒。私はジャーナリストではないけれど、時代は私の一部だから。

 ***

 今朝の新聞には驚きました。東京都写真美術館(恵比寿)で7月18日~8月28日までMick Rock写真展、と1面カラー広告。ルー・リード、ボウイ、クイーン、イギー・ポップらの華麗な写真が載っていました。数々の有名なレコードジャケットやグラビア写真は、ロック少女の脳裡に鮮明に残っていますものね。プラチナブロンドのスパイダー、Mick Ronsonさんの「Just Like This」に載っている伏目がちの写真、本当になんて美しい人なんでしょう、と心に残ってます。あれもMick Rockの写真。ボウイはもちろん展示されるでしょうけれど、ロノの写真もあったら嬉しいなあ。

 Mick Rockのオフィシャルはこちらです>>
http://www.mickrock.com/

 書いていたら聴きたくなっちゃった。Angel No.9だけ聴いて寝よう。

セーヌ左岸の恋

2003-02-22 | アートにまつわるあれこれ
 恵比寿でエルスケンを見た。仕事があったので、1時間しかいられなかったけれど、あさってで終わってしまうのでやっぱり見ておきたかった。展示されていた写真は、10年前の回顧展のカタログに載っているものも多くあって、サン=ジェルマン=デ=プレの愛すべき酔っ払いの姿は「やあ、また会ったね」と声を掛けたくなる懐かしさがあった。

 あの写真集のアンに、エルスケンが15年後に再会した時のフィルムが上映されていて、今回はそれを見たくて行った。70年代初め。アンは40代に入った頃か・・? そのころ画家になっていたアンも、サイケデリックとドラッグの時代に浸かっているようだった。見ていてこちらの胸が痛むのは、私の一方的なヤワさだろうけど・・。

 アンは、、、この2月12日に亡くなったそうです。たしか72歳位と書かれていました。

エレガントなダリ。ワイルドなクールベ。

2003-01-13 | アートにまつわるあれこれ
 ダリの絵は全てが「告白」みたいに思えます。ダリは本当のことは何ひとつ語らなかったかもしれないけれど、嘘はひとつも描かなかった、というような気がするのです。だから彼の絵が内在するものを信じられると思うんですよね。どんなにエロティックなもの、ショッキングなものを描いても、エレガントであることに魅了されます。私は女性だから、ダリにとってのガラ、という存在にも惹かれますが。

 ***

 絵の話で思い出しました。暮れに出かけたギュスターブ・クールベ展のこと、そのままになっていましたね。クールベは日本ではそんなに語られることは多くないでしょう。国立西洋美術館に「波」の絵、山梨県立美術館に「鹿」の絵、などがあります。非常に男性的な画風で、今回のテーマも「狩人としての画家」ですものね。リアリスト、クールベは理想化された女性像を描かなかったためにナポレオン3世は彼の絵を鞭で打ったとか。それでもひるまない自信家、革命家。

「醜い」と酷評される女性を描きつつ(でも醜くないと思うんだけど)、なんと自画像は極めてナルシスティックな表情を描くのです(笑)たしかに若き日のクールベはハンサムでしたが。。そんなところにも自信家で、ハンターの眼を持つ姿勢があらわれていますね。今回の会場にクールベのすごい言葉が提示されていました。「ひとりの女はすべての男のためにあり、すべての女はひとりの男のためにある」でしたっけ? これには一緒に行った女性友達と苦笑。どこかのフェミニズム議員さんなどがお読みになったら大変な剣幕で非難されることでしょう。

 でも、レマン湖のほとりにあるシヨン城を描いたものは、本当に美しいものでした。今年は関西方面へも巡回のようです。

リアリズム

2002-11-17 | アートにまつわるあれこれ
 「美の巨人たち」という番組で(TV東京)W・ブレイクをやっていたので見ました。彼の幻想的な絵や詩は生前はまったく理解されなかったそうですが、彼には天使の姿が「見えていた」のでした。ブレイクの絵は、レクター博士が登場する最新作『レッド・ドラゴン』の中でも、背中のドラゴンの刺青がブレイクの絵なんですね。そんなこともあってか、ブレイク再発見なのでしょうか。amazonを検索したらブレイクの詩画集の豪華本などが今、予約受付中みたいになっていました。

 幻視の人ブイレクも好きですが、「私は天使の絵など描けない、なぜなら見たことがないから」(本当にいるなら連れて来い、とまで言ったとか?)とおっしゃったそうなリアリスト、ギュスターヴ・クールベの絵は、わたし一番のくらいに好きなんです。別にリアリズムだから、というわけでもなく、彼の「黒」の使い方が好きでね、『傷ついた男』という若き日の自画像があるんですが、そのちょっとナルシスティックな表情が最初のクールベとの出会いかな・・? 自然の動物の描写もとても巧いのですよ。そのクールベの作品展が八王子で始まりました。

華の香り、花の匂い。

2002-10-27 | アートにまつわるあれこれ
 お友達とメープルソープ展を見ました。
 大丸ミュージアムで、東京の後は大阪か福岡に行くみたいです。場所がら、ということもあり、過激な作品はありませんでしたが、初期のコラージュ作品(ネクタイ掛けに描かれたマリア様がとても美しかった)とか、パティ・スミスを写したフィルム作品「still moving」が見られて良かったです。

 ・・私の感想だけど・・メープルソープの「花」は(匂い)がしない。人物も、たとえば写真から抜け出して今にも動きそう、という感じがしない。それは、もう二度と動かないその一瞬でしかありえない、永遠に閉じ込められた「美」という気がするから。。パティのベスト「Land」のジャケット写真は上に書いた映像の一場面でした。映像の中でパティはずっと動き続けているのに、メープルソープの捕らえたあの一瞬は映像の中にあるけど映像ではありえない、、すごく不思議でした。

 ***

 今日は日差しが柔らかです。。モスクワは雪が降っていましたね・・・なんだか降り止まない雪、だな。

 頭が少し休息中です、、メールのお返事、いっぱいあるけどあとでゆっくりさせて下さいね。よい休日でありますように。