なぜだかわからないけれど、このところ亡くなったカメラマンのことを思い出して仕方がない。私と同じ年、同じ星座の享年26という若さだった。彼とはほんの短いつながりしかなかった。でもその短い日々に話したことは結晶のように残っている。
私は彼を夕食に招待した。深夜におよぶ取材につきあってもらい、長い道のりを運転してくれたお礼に、といういきさつだったと思う。車の中で彼の好きなギタリストのテープを聴いて、そのまま眠らずに早朝のバイトに行くのだと話していた。写真家として一人前になるまではそんな生活も全然苦にならない、と。ふたりきりの夕食はとても楽しい食事だった。欠けてたのか透いてたのか、そんな歯を見せて笑った顔をよく覚えている。彼はスペインで撮影した素晴らしい作品を見せてくれた。自然の光をとても愛している人だった。信州、という土地で育って、最も光を愛したと言うのはわかる気がする。突然の事故で彼が逝って、それを知り合いから聞かされたのも、故郷の街の光の中でだった。全ての音が消えて、頭の中は光だけになった。家で新聞を確認して「カメラマン」という文字に泣いた。
なんでこんなこと思い出すのだろう、と遺作を開いてみたら、15年前の今、彼はスペインの撮影旅行中だった。きっとスペインにいるんだね。日射しはきれいですか・・?
私は彼を夕食に招待した。深夜におよぶ取材につきあってもらい、長い道のりを運転してくれたお礼に、といういきさつだったと思う。車の中で彼の好きなギタリストのテープを聴いて、そのまま眠らずに早朝のバイトに行くのだと話していた。写真家として一人前になるまではそんな生活も全然苦にならない、と。ふたりきりの夕食はとても楽しい食事だった。欠けてたのか透いてたのか、そんな歯を見せて笑った顔をよく覚えている。彼はスペインで撮影した素晴らしい作品を見せてくれた。自然の光をとても愛している人だった。信州、という土地で育って、最も光を愛したと言うのはわかる気がする。突然の事故で彼が逝って、それを知り合いから聞かされたのも、故郷の街の光の中でだった。全ての音が消えて、頭の中は光だけになった。家で新聞を確認して「カメラマン」という文字に泣いた。
なんでこんなこと思い出すのだろう、と遺作を開いてみたら、15年前の今、彼はスペインの撮影旅行中だった。きっとスペインにいるんだね。日射しはきれいですか・・?