先週末から公開になった「指輪物語」について、日曜日の朝日新聞に慶応大の巽教授が評を書いていた。
私の中では、ファイナルファンタジーVIIIの頃にファンタジー小説のマイブームがあって、その頃「指輪物語」も読んでみたのだけれど、当時(といっても3,4年前)の出版界はファンタジーが全然売れない時代。紀伊国屋あたりまで行くのも面倒だったので、近くの図書館で古い「指輪物語」を借りたのだけど、どうも翻訳がしっくり来ない。まずは舞台である「中つ国」でひっかかった。そして妖精というか小人の国は「ホビット庄」・・「庄」って・・? 他にも「枝垂川」とか出てくると(いったいここはどこ・・?)って思ってしまって、頭の中にはアジア的風景しか浮かんでこない。。それで読むのを止めてその本の発行年を見てみたら、たしか昭和40年代だった。
ファンタジーの古典ともいえる「指輪物語」をさしおいて、現代の「指輪物語」とアメリカで評されたフィーストの「魔術師の帝国」シリーズを私は先に読み終えていたので、なんだかそっちの方が断然面白く感じられて、この翻訳はなんとかならないものか、と内心思ったものだった。
さて2002年、ハリーポッターにつづいての「指輪物語」の公開で、今、書店からは「指輪物語」の第1巻が消え失せている(売り切れで)。新聞の評で巽教授は、例の翻訳(瀬田貞二氏訳)にも触れている。剣士アラゴルンは「馳夫(はせお)」として親しまれ・・本来「夜盗」の意であったBurglarを「忍びの者」として性格付けたのは、瀬田氏の創造的名訳だった、と。。
う~ん、そうなのだろうか・・。ホビット族が「忍びの者」だとしたら、何か全員黒頭巾を被っているとしか思えないんだけど。でも巽教授がおっしゃるんだから、そうなのかなあ、と私もちょっと考えを新たにしようかと思ってはみたものの、「馳夫」は無いだろう、日本人じゃないんだから。
そもそもこの物語の舞台となる世界「中つ国」は「ミドルアース」との意からきているのだけれど、漢字は日本人にとって音より先に意味を感じさせるから、「中」と「国」の二文字があるという点だけでなんとなくアジア的な印象を受けてしまうのは私だけなのかな。ゲーム世代なら敏感にわかるだろうけれど、ファイナルファンタジーVIIの世界は「ミッドガル」だった。フィーストの小説では「ミドケミア」だった。それらも元祖であるこの「ミドルアース」をきっと意識しているはず。そういう世界に馴染んだ世代にとっては「中つ国」より「ミドルアース」の方が、妖精、魔法使い、ドワーフなどが登場する世界のネーミングとしては相応しいと思えるはずなんだけど。。
それにあくまで個人的な見方だけど、登場人物の名前というのは、作者トールキンにとっていかに多くのことを託したものだろうかと想像したら、たとえ日本人にこの物語を広く伝える積極的意志があろうとも、変えちゃいけないような気がするんだけどな・・。そしてすでにファンタジーゲームで育った子供が大人になってゲームや小説を作る時代だもの、たとえ昭40年代当時は「創造的名訳」だったにしろ、今は違う、と思う。翻訳、というものの意義にも深くかかわるこの話、いかが思われますか???
映画の紹介サイトでは、さすがに「馳夫」ではなく「アラゴルン」だった。ちょっとほっとした。
私の中では、ファイナルファンタジーVIIIの頃にファンタジー小説のマイブームがあって、その頃「指輪物語」も読んでみたのだけれど、当時(といっても3,4年前)の出版界はファンタジーが全然売れない時代。紀伊国屋あたりまで行くのも面倒だったので、近くの図書館で古い「指輪物語」を借りたのだけど、どうも翻訳がしっくり来ない。まずは舞台である「中つ国」でひっかかった。そして妖精というか小人の国は「ホビット庄」・・「庄」って・・? 他にも「枝垂川」とか出てくると(いったいここはどこ・・?)って思ってしまって、頭の中にはアジア的風景しか浮かんでこない。。それで読むのを止めてその本の発行年を見てみたら、たしか昭和40年代だった。
ファンタジーの古典ともいえる「指輪物語」をさしおいて、現代の「指輪物語」とアメリカで評されたフィーストの「魔術師の帝国」シリーズを私は先に読み終えていたので、なんだかそっちの方が断然面白く感じられて、この翻訳はなんとかならないものか、と内心思ったものだった。
さて2002年、ハリーポッターにつづいての「指輪物語」の公開で、今、書店からは「指輪物語」の第1巻が消え失せている(売り切れで)。新聞の評で巽教授は、例の翻訳(瀬田貞二氏訳)にも触れている。剣士アラゴルンは「馳夫(はせお)」として親しまれ・・本来「夜盗」の意であったBurglarを「忍びの者」として性格付けたのは、瀬田氏の創造的名訳だった、と。。
う~ん、そうなのだろうか・・。ホビット族が「忍びの者」だとしたら、何か全員黒頭巾を被っているとしか思えないんだけど。でも巽教授がおっしゃるんだから、そうなのかなあ、と私もちょっと考えを新たにしようかと思ってはみたものの、「馳夫」は無いだろう、日本人じゃないんだから。
そもそもこの物語の舞台となる世界「中つ国」は「ミドルアース」との意からきているのだけれど、漢字は日本人にとって音より先に意味を感じさせるから、「中」と「国」の二文字があるという点だけでなんとなくアジア的な印象を受けてしまうのは私だけなのかな。ゲーム世代なら敏感にわかるだろうけれど、ファイナルファンタジーVIIの世界は「ミッドガル」だった。フィーストの小説では「ミドケミア」だった。それらも元祖であるこの「ミドルアース」をきっと意識しているはず。そういう世界に馴染んだ世代にとっては「中つ国」より「ミドルアース」の方が、妖精、魔法使い、ドワーフなどが登場する世界のネーミングとしては相応しいと思えるはずなんだけど。。
それにあくまで個人的な見方だけど、登場人物の名前というのは、作者トールキンにとっていかに多くのことを託したものだろうかと想像したら、たとえ日本人にこの物語を広く伝える積極的意志があろうとも、変えちゃいけないような気がするんだけどな・・。そしてすでにファンタジーゲームで育った子供が大人になってゲームや小説を作る時代だもの、たとえ昭40年代当時は「創造的名訳」だったにしろ、今は違う、と思う。翻訳、というものの意義にも深くかかわるこの話、いかが思われますか???
映画の紹介サイトでは、さすがに「馳夫」ではなく「アラゴルン」だった。ちょっとほっとした。