星のひとかけ

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TVを見てて思ったこと、、「坂の上の雲」最終話の「漱石」

2012-01-04 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
3年にわたる「坂の上の雲」のドラマ化、、 最終回はその日に見れなかったので お正月に見ました。 この3年、ほんとうに楽しませてもらったし、 俳優さんたちも、 ロケの見事さも、 すばらしいものでした。

が、、 ちょっと細かいことを…

先に見ていた友が、、 「漱石が出てきたんだけど… あんな話するかなぁ、、って思ったんだけど、、 見てみて」、、と。。。

《あんな話》、、というのは、 正岡子規の家にホトトギスの同人が集まっている席に、 漱石が『吾輩は猫である』の原稿を持って現れ、 そこで漱石が「大和魂」を茶化す発言をして 子規の妹・律になじられる、、、というもの。

「命懸けで戦地にいる軍人を馬鹿にしているみたいだ」、、と責める律に、 漱石は、、「文学者などはいざとなったら軍人を頼るしかない… その妬みです」と言って 「謝ります」と手をつく、 というシーン。


漱石がこの時期、 子規庵に行ってあんな風にぺらぺら喋るかしら、、というのがひとつ。

律に責められて、「謝ります」、、なんて言うかしら、、というのがひとつ。

そもそも英国から帰って来た後の漱石が、 子規と戯れていた学生時代の雰囲気のままなのはおかしい、、 というのもひとつ。。

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ちょっと検索してみたら、 このシーンは変だ、 と仰るブログなどがたくさん出てきました。 そうですよね。。 総合すると、 司馬さんの原作にはこのシーンは無くて、 今回のドラマ独自の脚色らしい。 漱石が「謝る」のはおかしい、 という意見もほとんどでした。

件の《大和魂》に関する漱石のことばは、『吾輩は猫である』の第6章に出てくる内容とおなじだったと思います。 『吾輩は…』は『ホトトギス』に連載されたから、 原稿を持ってきた漱石が、 つい先ほどまで面白おかしく書いていた原稿のノリで 《大和魂》を茶化すようなことを口走ったと、、 そういう脚色にしたと想像してみましょう。。

そこまではまぁいいとしても、 「自分などは結局は軍人を頼みにするしかない…」 と言って、手をついて「謝る」というのは、 漱石を読む人のほとんどが違和感を覚えるのではないでしょうか。 ましてや、 のちの文章で、 いっときの戦勝国になった日本への懐疑をさまざま書き残している漱石ですし、、、

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《大和魂》という言葉は、 漱石作品の中で、 ほぼ同じ時期にもう一度出てきます。 『吾輩は…』の翌年、 明治39年1月に発表された 『趣味の遺伝』という作品。

物語はいきなり 殺戮の幻想シーンからはじまる。 、、、歩きながら幻想に耽っていた語り手「余」が 我にかえると、 兵士たちの凱旋の行列にいきあたる。 旅順からの凱旋兵の列。。 それを見て「余」はさきほどまでの自分の幻想を、 こう思う…

「戦争を狂神の所為(せい)の様に考えたり、 軍人を犬に食われに戦地へ行く様に想像したのが急に気の毒になって来た」、、

、、つまり、 兵士たちが犬に喰われるシーンから物語は始まるのです。

そして、 色の黒い、 胡麻塩髯の将軍、 すなわち「乃木大将」とおぼしき人物の凱旋に、 通りの人々が「万歳」の声を上げる。 、、しかし「余」は… 

「将軍の髯の胡麻塩なのが見えた。その瞬間に出しかけた万歳がぴたりと中止してしまった。何故?」

、、、そして《大和魂》という言葉は、 将軍が通り過ぎたあとの、 兵士たちの場面で出てきます。

「…所へ将軍と共に汽車を下りた兵士が三々五々隊を組んで場内から出てくる。 …いずれもあらん限りの髯を生やして、 出来るだけ色を黒くしている。 これ等も戦争の片破(かたわ)れである。 大和魂を鋳固めた製作品である。 実業家もいらぬ。 新聞屋もいらぬ。 芸妓もいらぬ。 余の如く書物と睨めくらをしているものは無論いらぬ。…

、、、「坂の上の雲」で 漱石が「文学者などは結局は軍人を頼みにするしかない」と言った点と、 共通する表現とも言えます… が、そうなのでしょうか。。 、、この点は、 それぞれお読みになって判断いただければ、、と。。。

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第2章は、 旅順で戦死した友人の「浩さん」についての話になります。 「余」は「松樹山の突撃」の様子を想像し、 「浩さん」の最期の様子を想像します。 長い文章ですので、 ところどころだけ拾い上げますが…

「…塹壕に飛び込んだ者は向へ渡す為に飛び込んだのではない。 死ぬ為めに飛び込んだのである。… 横わる者だって上がりたいだろう、 上りたければこそ飛び込んだのである。 いくら上がりたくても、 手足が利かなくては上がれぬ。 眼が暗んでは上がれぬ。 胴に穴が開いては上がれぬ。…

「…寒い日が旅順の海に落ちて、 寒い霜が旅順の山に降っても上がる事は出来ん。ステッセルが開城して… 日露の講和が成就して乃木将軍が目出度く凱旋しても上がる事は出来ん…」

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、、このあと、 物語の筋は少々変わった展開になっていきます。 これも 漱石流の 妙な芸術論やら、 しまいにはややこしいスピリチュアルな話などになっていきますので、 大筋だけ、 ごくかいつまんで書きますが、、 

戦死した「浩さん」の墓参りに行くと、 見たことのない若い女性とすれ違う。。 「浩さん」の墓には白い菊が供えてある。 、、後日、 「浩さん」の家で母親から「浩さん」の遺品である日記を見せてもらうと、 そこには、 決戦を前にして仮眠中に「女の夢」を見たと書かれていた。 郵便局で一度見かけただけの女だという、、

、、そして 「余」は人づてに女のことを調べていくと、、、 結局は、 郵便局で一度見かけただけの女のほうも、 「浩さん」のことを慕っており、 それで墓参りをしていたのだと、、、 そういう 出来すぎた物語なのですが… 


物語の最後はこのように終わっています。

「余は色の黒い将軍を見た。…ワーと云う歓迎の声を聞いた。 そうして涙を流した。 浩さんは塹壕へ飛び込んだきり上って来ない。 誰も浩さんを迎に出たものはない。 天下に浩さんの事を思っているものはこの御母さんとこの御嬢さんばかりであろう。 余はこの両人の睦まじき様を目撃する度に、 将軍を見た時よりも、 軍曹を見た時よりも、 清き涼しき涙を流す。…」  

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抜粋ばかりなので、 もし関心のある方はぜひ 『吾輩…』の他に、『趣味の遺伝』も読んでみてください。 

、、なんだか、、 ここまで書いてみて思うのです。 最初の「坂の上の雲」の話に戻って、、 漱石は、 たぶん ひとりひとりの 軍人のためになら「謝る」かもしれません。 ひとりひとりの軍人に対して、 自分は無力だと思うかもしれません。

でもそれは、 「塹壕へ飛び込んだきり上って来ない」 無数の兵士のことが頭にあるから、、 なのでしょう。


ひさしぶりに 漱石について書いてみました。