星のひとかけ

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9月になりました…『吾輩は猫である』読書の終りに

2017-09-01 | 文学にまつわるあれこれ(漱石と猫の篭)
9月になりましたね。

先週末辺りから、 秋の涼しい風に唐突に入れ替わる日も増えて、、 今年は雨の多い 曇天の多い東京でしたけれど、 9月の空はできれば青く澄んでいて欲しいですね。

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2月からの 漱石『吾輩は猫である』の読書も、8月末で一段落となりました。 7カ月間の読書でした。 (主なツイートは、salli_星の破ka片ke のモーメントに一応まとめました)

でも、本当は…

まだ触れていない箇所が、いくつか残っているのです。 それは… ラストの「吾輩(猫)の死」と、 十章の「華厳の滝」と藤村操との問題について、です。

、、理由はいくつかあって、、 
両方とも、 短いツイートではなかなか考えをまとめ難い(説明し難い)複雑さを持った問題だから、ということと、、

それから、「猫の死」についてはおそらく、漱石は創作の早い段階から結末に猫の死を置くつもりでいただろう、と想像していて、、 だから、小説の結末ではあるけれども、 猫の死が作品の「結論」ではないのだろうと思うためです。 予定通りに終わらせた、ということであって… 
(これも様々な別の意見もあろうと思いますが)

第二章で、「グレーの金魚を偸(ぬす)んだ猫」に言及しています。 この詩は Thomas Gray の「Ode on the Death of a Favourite Cat Drowned in a Tub of Goldfishes」(金魚鉢で溺れた愛猫の死についてのオード)というものです。 英詩はこちらに>>

おそらく、この詩について触れた段階から、 (もしも、物語が長く続いて吾輩の身の上に何らかの結末を与えなければならなくなった時には) 吾輩は苦沙弥家で末永く暮らしました…でもなく、 伴侶を見つけて出ていきました…でもなく、 結局、グレーの猫と同じ運命に至るように漠然と考えていただろうと、 そう思います。 第一回を「ほととぎす」に掲載した時のように、 猫が苦沙弥家に拾われて住みつくだけの短い話で終わらせたら、吾輩の死はなかったでしょうけれど。。

寒月さんが「吾妻橋」で、水底から呼ぶ声を聞き、 欄干から飛び降りてしまう場面(実際には橋の内側へ、ですが)、、 この飛び降りについても、 グレーの猫が水に映った自分の瞳に誘われて鉢に飛び込んでしまう事との呼応があると思いますし、、
吾輩がもしこの世から去るとしたら、 それは水死でしかないだろう、と。

ただ、、もう一度書きますが「猫の死」は、この小説の結末ではあるけれども、 結論ではないだろう、と。

結論は、 十一章で苦沙弥はじめ、 迷亭、独仙、寒月、東風、という全くバラバラの個性を持ったメンバーが顔を揃えて、 寒月さんがバイオリンを弾くまでの長い長い勿体ぶった話を、 飽きもせず(一部飽きていますが・笑) 時おり茶々を入れながら、 楽しそうに語らっているという、 その事。 ツイートでは、、
『吾輩は猫である』十一章 寒月のバンオリン夜話と庚申講、および「クブラ・カーン」 というモーメントにまとめました。

この夜の集まりが、 皆の健康・長寿を願う 《庚申講》の夜を意味しているのではないか、と思い、 そしてその場には、故子規も交わっているだろう、と。。 
だから、 かつて寅彦が子規庵を訪問した日と同じように、 畳の上に秋の日が差していて、 その日がなかなか暮れないように(いつまでも話していられるように)、、 「秋の日がかんかんして」、 そして子規が好きだった甘干の柿を取っては食い、取っては食い…

そして、、 文章上には書かれていないけれども、、 寒月さんのバイオリン話は 「琴を弾く天女」への想像へとつながるだろう、と。。 それは 「眼に見えない大切なもの」を想像する力、、 漱石の好きな言葉《無絃琴》=無絃の琴を聴く、と同様に、 そういう想像力の必要を暗に説くものではないか、と。。 


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では、なぜ その《庚申講》に似た 秋の夜長の集まりが「結論」なのか、と言えば、、 その後の、、
『吾輩は猫である』最終章 探偵・自覚心・神経衰弱、そして日本の未来記へ  にまとめましたが、、

二十世紀の世(『猫』における現代)、、《自覚心》ばかりが強くなった現代人は個性を主張するあまり、神経衰弱に陥るだろう… という苦沙弥らの「未来記」に照らして考えれば、 互いの個性を主張するだけの世には「文学」も「芸術」も、存在できないから、、 なのです。

『猫』十章では、 苦沙弥、奥さん、子供たち、雪江さん、がみんなてんで勝手に振る舞い、 自分の事ばかりをそれぞれ勝手に喋り、 可笑しなディスコミュニケーションの場面が繰り広げられていました (『吾輩は猫である』第十章 己を知るという事
、、この十章は、 いわば《個性》と《自己主張》の二十世紀の縮図でしょう。 ただ、 苦沙弥家の人々はべつに相手に自分の考えを強要もしないし、 すぐに忘れる平和な一家ですから、 二十世紀的神経衰弱には縁が無さそうです。

最終章の、苦沙弥、迷亭らのメンバーの集まりが「貴重」なのは、、 迷亭は美学者でホラ吹き、 独仙は昔風の禅学者、 寒月は科学者でかつ神秘主義者、 東風は愛と芸術が至上の詩人、、 それぞれの個性はそのままで、 誰も相手を否定せず、 互いの話を聞く耳を持ち、 互いの考えを面白がる好奇心を持っている、、 だからコミュニケーションが成立する。 
それが《個》の時代=二十世紀における最良の在り方なのではないか、と、、。 だから、吾輩(猫)の死が結論ではなくて、、 苦沙弥家の集いのあり方が「結論」なんだろう…と そう思うのです。

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少しだけ付け加えて、、 
十章の終わりに「華厳の滝」における藤村操の死がほのめかされます。 この「死」については、 『吾輩は猫である』の作品とはまったく《別》の、 複雑な意味を考えなければなりません。

それを今つづけて書くのはよしましょう。 ただ思うのは、 藤村操の死こそ、 『猫』最終章で語られる現代人の《自覚心》そのもの、であろうと思うのです。 自分が他人にどう思われるか、 どう自分が記憶されるか、 死の間際まで求めたものは《自意識》への手応え、だったのでは。。 《自覚心》の為の自死、、。 そういう死に対して、 漱石がどういう考えを持っただろうかについては『猫』とはまた別の問題です。

十章の「古井武右衛門くん」がいたずら心でラブレターに名前を書いて、 それで放校を苦にして死んでしまいそうなくらい悩んでしまったこととは、まったく別の問題です。

ただ、 確かにこの部分では 漱石は「華厳の滝」を笑いの種にしています。 あえて笑いの種にしている、という点には、 確かに重い《意味》が込められている、と思います。 それを考えるには、 寅彦に宛てた「水底の感」という漱石の詩、 それに対する寅彦の「女の顔」という短文、 子規の病死、 寅彦の妻の病死、 漱石の身内の病死、、 そういう生きたくも生きられなかった者たちへの漱石の思い、 あるいは漱石の生い立ち、、 等々いろいろと考えなければ導き出せない、、 とても複雑な問題なのだと思います。

(これらに関しては、 ツイートにも書きましたが、 山田一郎氏の著書『寺田寅彦覚書』 岩波書店、1981年、が大変参考になりました)





長くなりました…

お読みくださった方 (ツイートについても、お読み下さった方) ありがとうございました。

漱石作品の読書については、 またおりおりに、、 時間をみつけて書いていけたら、と思います。 『猫』もたいへん有意義な読書でした。

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、、 しばらくは、 好きなものを読んで、 好きな音を聴いて、 好きな場所へ出かけて、、 大好きな秋の訪れを楽しみたいな。。。 


、、 ご無沙汰してしまったお友だち、、 元気でいますか?  


みんなの大好きな、 秋… だね