星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

今年の始まりは『物語』から… : 『物語』 ボリース・パステルナーク著

2018-01-05 | 文学にまつわるあれこれ(詩人の海)
今年の初詣、、 

おみくじを引いたら そこに書かれていた和歌がとても今の自分の気持ちに嬉しいことばでした。 だから 「大吉」とか「小吉」とかに関係なく 幸せな気分で一年の通常運転を今日から始めます。。 あ、、 「勉学に励みなさい」ということ、 書いてありましたね、、

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今朝の占いでは、、 今年の計画を立てなさい と言われたので (別に占い好きというわけじゃありません・笑) 、、いま頭の中にある大ざっぱな今年の計画を、、

、、5月くらいまでに 文学の宿題を二つ、かかえています。 時間がまだたっぷりあるようだけれど、、 日常のやるべきことの時間の中では4,5カ月はあっという間、、 それは経験上よくよくわかっているから 日々 頭の片隅で進捗を意識していないといけません、、

、、ここ何年もそういう作業から遠ざかっていたから できるかどうか。。 それを体調が許してくれるかどうか。。 (ぼやけた文言ですけど課題はちゃんと決まっているのです)

、、 その中で、 たくさん音楽も聴きたい。 美しい物語も読みたい。。 って、 やっぱり時間はたっぷりなわけではないのだぁ、、 

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年明け 最初に何を読もうかと考えて、、 ボリース・パステルナークの『物語』を開いています。


『物語』 ボリース・パステルナーク著 工藤正廣訳 未知谷 2010年

、、 年末に ヤコブセンを読んでいた頃、、 工藤正廣先生が訳された パステルナークの『ドクトル・ジヴァゴ』(未知谷刊>>)が 2013年に出ていることを知り、、

工藤先生の訳されたパステルナークの詩集は、 ウチにもあり、 過去にもこのブログにも書いたことがありますが、、 ずっと読んでいなかったので この新訳の750ページにもなる 『ドクトル・ジヴァゴ』、、 いつかは読んでみたいな、、 読まなくちゃ、、と心に決めて、、 

でも この春はやらなければならない「宿題」があるから 750ページに取り組むのは少し後にして、、 先にこちらの短い 『物語』を読むことにしたのです(『物語』未知谷刊>>

詩人であるパステルナークが書く散文は 比喩に溢れた描写がつづき、 それが文字通りの意味なのか、 心理描写なのか、 風景の抒情的描写なのか、 一文を読み解くだけでも難しいことがままあります、、 でも、 はっとそれが自分の中の気づきとして取り込まれた時、、 その美しさ・正確さにおどろき感嘆するのです。

例えば…

 「…このとき大学の近くは、誰かがまるでネコヤナギのジャムのびんを叩き割ったとでもいうような路面だったが、かくして彼は、その苦いネコヤナギの毛の漿果の中に、都市全体と一緒にはまって、そのむっちりした錫色のしわしわの揺れに身をゆだねた。」

、、こちらはまだ 「~とでもいうような」という言葉があるため理解がしやすいほうですが、、 その数行後には

 「…空(から)の四輪馬車の列が、たったいま臓物を抜かれたばかりの、何かお伽噺的な脊椎動物の背骨になって、夕べの空に持ち上がっていた。」

、、 え? 「持ち上がっていた」・・・?? 


、、最初はこのような文章にほんとに戸惑いましたけど、、 これらが決して現実離れした夢想でも幻想でもなくて、 詩人の眼に映った現実を詩人のことばで写生するとこうなるのだ、、と気づいてからは この『物語』をものがたりとしてなんとか読み通せる気がしてきました。 (まだ中間点です)


パステルナークに関する過去ログ>>

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どうして 今、 この『物語』を手に取ったのかと 自分で思うに、、 短い会話で成り立つような「わかりやすさ」への抵抗もあるのだと思います。 その一方で、 単純な事をわざわざ「わかりにくく」して有難がる表現への抵抗もあるのです。 そもそも両者は同じ事、、 対象の「単純さ」では同じこと。。

いみじくもルー・リードさんが言った事、、 師であるデルモア・シュワルツから学んだ事、、「簡潔な言葉でもっとも創造的な詩をつくる」 そこからどんどんかけ離れているような昨今の現実じゃないかしらと… 詩にかぎらず、 小説にかぎらず、 歌にかぎらず、、 メディアや政治家の発言にかぎらず、、

、、 もちろんぜんぶ自分にも当て嵌まることなんですけれど、、


年の初めに、、ね。 もう一度 思いをあらたに。




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今日は小寒。 暦のうえでは寒の入りですけど、、




春一輪…


日差しに映えていました。。