星のひとかけ

文学、音楽、アート、、etc.
好きなもののこと すこしずつ…

この星の思い出を歌に…

2018-06-21 | MUSICにまつわるあれこれ
サッカー、、 日本代表 誇らしい試合でしたね。。 みんながとても落ち着いていたし…。 サッカーのことはよく分らないけれど、 浮足立っていなかったところが勝利に結びついたように思います。 


それで昨日、、 「WINNER」を聴こうかと思って… 
、、 吉井さんとサッカー、、 殆んど結びつかない、、 似合っているのかいないのかよくわからないユニフォーム姿のジャケ写…でしたね(笑) 、、 でも これが出た2007年は忘れられない年だし、、

それで「WINNER」を取り出したけど、 せっかくなので、、 シングル盤を全部引っ張り出して最初からぜんぶ聴くことにしました。。 順番を確認するためにオフィを見ながら、、。
あら、「超絶ダイナミック」って14枚目のシングル盤という扱いだったんだ、、 (知らなかった) そういう認識がなかったし聴こうという気もなかったのでゴメンなさい、持っておりません。。


ソロ作品 15年の歩み。。

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昨日ぜんぶ聴いて、、(B面というかカップリング曲も聴いて) 、、また 泣いたり、、 おなか痛くなったり、、(笑って…)

ずーっと聴いていって Love & Peace のあたりからギターの音色がイヤホンの耳に刺さる感じになるので音量を下げました… あんなに優しい歌なのにね。。
 

、、 ソロ15周年とのことですけれど、、 私には(私だけじゃなく?) もっと長い時間がありました。。 2001年7月にはもう 「ソロ活動やるべきです」って 書いていますしね…(>>

、、 独りになった吉井サン見守り隊としては みんなあの年からずっと(今どうしてるかな) ってずっと話してきたのですものね。。 そして10月にレノン音楽祭で、 身のやり場に困るような恥ずかしそうな表情でステージに出ていらして…(>>

だから 「TALI」が出た時には、、 やっと… というか ようやく… という気持ちで 壊れそうな気持ちでコワレモノに触れるようにCDの音に耳を傾けた。。
 だからそこから15年が始まっていった気持ちよりも、 2001年からのここまでの道のり… という気持ちのほうが強いかな。。 (私事ですけど… TALIの頃の日記が残っていないのは、 訳があってではなくて旧ブログからココへの移行が間に合わなかったのです、、 どこかにバックアップがあると思うけど…自分でももう分らない)

自分…  2001年から社会人兼大学生として学業に戻ったのも 前年の秋には願書を出して決まっていたことなので、 THE YELLOW MONKEY の活動休止とも関係はないけれど、、 でも 偶然にも新たな試練の日々がそこから自分も始まったから、 ずっとずっと吉井さんの歌にはそばで支えて貰った。。 ほんと 今思えばよくぞあそこまで頑張れたと、、 死ぬほど勉強して(しかもフジロックにも いろんなLIVEにも行って) 全単位取って論文書いて5年半かけて卒業~~、、

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だからどの曲にも強い思い出があるし、、 「トブヨウニ」はカップリングの2曲を含めてミニアルバムと言っていい位の名盤だと思うし、、 「Beautiful」の3曲もこれがシングル1枚に入っているのが奇跡なくらいそれぞれ重要な曲だと思う、、

2007年に出た 「Shine & Eternity」からの3枚は どうしてこんな名曲たちが(しかも全く雰囲気の違う曲で)次々に出されたんだろう… と思う充実感で、、
(そしてカップリングでは この年の私の術後の傷に障るほど笑わせてもらいましたし…)

「クリア」はね、、 聴いたときから、、 どうしてこんな意地悪な歌をうたうの? って思いました。。 理由はあとから分かったわけですが。。 「クリア」は 「プライマル。」と同じくらい 意地悪な(でも正直な)歌ですね、、 クリアになったのは貴方だけで 聴いていたこちらは全然クリアな気持ちになれなかった。。 「ボンボヤージ」と同じくらいせつない気持ちが残されて。。


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また別の機会に書きますが…
今、 ブルース・チャトウィンの『ソングライン』という本を読んでいて、、
(チャトウィンについては前に書きました>>


アボリジニの人たちによって先祖からずっと歌によって伝えられてきた道「ソングライン」、、 それは目に見える交通の道の意味ではなくて、 一族のアイデンティティであり履歴であり、、 生きる知恵や教えであり、、 歌によって存在せしめられたこの世界の意味でもある、、 (まだ読みかけだからよくわからない…)

 「歌うことで世界を存在させていった先祖たちは、詩(poesis) 本来の意味、すなわち〝創造する”という意味において詩人だった…
  信心深い彼らの人生の目的はただひとつ、土地をそれまでどおりの、あるべき姿のままにしておくことだった。 ”放浪生活”は儀式としての旅だったのだ。彼らは自分の先祖が残した足跡をたどった。そして一音一句変えることなく、先祖のつくった歌を歌い、そうすることによって“創造”を再創造していったのである」


、、わかりそうで はっきりとはわからない…

(poesis)の意味を引くと、 "the activity in which a person brings something into being that did not exist before."  と書いてある。 存在しなかったものを存在させる、、 という意味だけれど、 チャトウィンの説明だと地上に存在していなくても大地の中に眠っているんだという、、。 新しい科学が持ち込んだ飛行機も、鉄道も、、  きっとチャトウィンが書いた時代には無かったスマホも、 大地から呼び出されてアボリジニの人たちは使っているんだろう… そうすると新しい歌が増えるのかな、、 (やっぱりわかりそうでわからないけど)

でも、、 雨も風も 地震も、、 この星の中に眠っていたものが呼び出されて生まれて、、 人も塵から生まれてまた塵に還っていく、、 それはわかる気がする。。

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何を書きたかったんだかよくわかんなくなってきたけど… 「歌」がもし 呼び出されるのをじっと待っているのだとしたら、、 その時を待てばいいのかな、、 と思うし、、

何度でも 何度でも 自分の足跡でもあり誰かの思い出でもある同じ歌を繰り返し聴くことも、歌うことも、、 世界をそうあって欲しいと願う世界に「再創造」する、、ってそういうことかもしれないな、、と思う。。 だから、 あのとき力をもらった歌をうたい聴く時、 同じ力で私の世界が「再創造」されると思えば良いのかな。。

とにかく、、
、、ただ純粋に、 もう一度歌が聴きたい、、 歌うことで生み出される世界に自分ももう一度身を置きたい。。 その気持ちでいっぱいなだけ…。


、、 嬉しいことに、 コンサート会場への道はちゃんと呼び出されて私達の元へ来てくれました。。 あとは お帰りなさい、を待つだけです。。