9日に書いた 辻邦生さんと水村美苗さんの往復書簡集『手紙、栞を添えて』を読み返していました。
今読むと、 辻さんが長い長い文学人生を振り返りつつ ゆったりと広い心で水村さんのお手紙を楽しみながら お返事を綴られているのに対して、 水村さんは鮮やかに いくぶん気負って話題を切り返す様子が どこか初々しくも感じられてしまう、、
かつて読んだときには 文面にあらわれるこのような年齢差のことなど思わなかったのに…
お手紙の中で辻さんが、 幸田文の随筆から ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』へと 意外な方向へ話を展開させ、 マオ・ドルジェル夫人とフランソワ青年のふたりのことを 「つつましい恋」 と表現されている。。 本から本へ 連想の飛翔にも感心させられ、 その感想のつつましやかな事に 更に嘆息してしまいました。。
辻さんがフランソワ同様の真っ直ぐな青年のこころをお持ちでなければ、 そのような感想は生まれてこないだろうと思うのです…
***
古い新潮文庫の『ドルジェル伯の舞踏会』 、、表紙の色も変わってしまっています…
恥ずかしながら全部読み通した記憶がありません… 見れば、 ところどころ頁を折り返してあるのだから 読むには読んだのでしょう。。 でも、 記憶のどこにも 「つつましい恋」の物語を読んだという記憶がありません…
、、 あまりに遠い世界の 煌びやかな社交の集いに馴染めなかったかつての私も、 少しは広い心持ちで今なら読めそうな気がしてきました。。 ずいぶんとおとなになりましたし… (遅すぎますが…)
***
きょう二度目の珈琲をいただいて幸せ・・・
けれども気を付けないと 午後の珈琲はくらくらと効きます(笑) 、、 いいえ、 効いているのは ふたりのつつましやかな、 それでいてあまりに無防備な恋の病いにあてられたからなのかもしれません…
フランソワは気持のいい火にもっと温まろうと自分の椅子をそばに近よせ、コーヒー茶碗をドルジェル夫人のかけている腰掛の上へおいていた
暖炉の火が恋しいです。
どうぞ 良い週末を…
…
今読むと、 辻さんが長い長い文学人生を振り返りつつ ゆったりと広い心で水村さんのお手紙を楽しみながら お返事を綴られているのに対して、 水村さんは鮮やかに いくぶん気負って話題を切り返す様子が どこか初々しくも感じられてしまう、、
かつて読んだときには 文面にあらわれるこのような年齢差のことなど思わなかったのに…
お手紙の中で辻さんが、 幸田文の随筆から ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』へと 意外な方向へ話を展開させ、 マオ・ドルジェル夫人とフランソワ青年のふたりのことを 「つつましい恋」 と表現されている。。 本から本へ 連想の飛翔にも感心させられ、 その感想のつつましやかな事に 更に嘆息してしまいました。。
辻さんがフランソワ同様の真っ直ぐな青年のこころをお持ちでなければ、 そのような感想は生まれてこないだろうと思うのです…
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古い新潮文庫の『ドルジェル伯の舞踏会』 、、表紙の色も変わってしまっています…
恥ずかしながら全部読み通した記憶がありません… 見れば、 ところどころ頁を折り返してあるのだから 読むには読んだのでしょう。。 でも、 記憶のどこにも 「つつましい恋」の物語を読んだという記憶がありません…
、、 あまりに遠い世界の 煌びやかな社交の集いに馴染めなかったかつての私も、 少しは広い心持ちで今なら読めそうな気がしてきました。。 ずいぶんとおとなになりましたし… (遅すぎますが…)
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きょう二度目の珈琲をいただいて幸せ・・・
けれども気を付けないと 午後の珈琲はくらくらと効きます(笑) 、、 いいえ、 効いているのは ふたりのつつましやかな、 それでいてあまりに無防備な恋の病いにあてられたからなのかもしれません…
フランソワは気持のいい火にもっと温まろうと自分の椅子をそばに近よせ、コーヒー茶碗をドルジェル夫人のかけている腰掛の上へおいていた
暖炉の火が恋しいです。
どうぞ 良い週末を…
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