新聞再掲載の続いている 漱石先生の『三四郎』も大詰めです。
、、それにしても、、一日一回分ずつ 何日もかけて読んでいくと、 はっと気づかされる事がいっぱいで、 ほんと 漱石先生のたくらみ(←企みでは言い方が悪いですね、 仕掛け? 謎懸け? 暗号?)には 驚かされるばかりです。
、、けど、 本来どんな読み方でも良いと思うのですよね。 大学生になった三四郎の成長物語として、でも良いし、 「新しい女性」として描かれる美禰子に着目するも良いし、 明治時代の本郷界隈の情景に想いをはせるのも良いし、、
ただ現在の自分の興味としては、 今までわからないまま読んでいた事柄がちょっとでも謎解きできたら嬉しい。 「ターダー・ファブラ」だの「ハイドリオタフィア」だの、 漱石はしょっちゅうペダンティックな言葉や、 外国文学の知識を作品中に使いますが、 その「意図」に少しでも接近できたら嬉しい。 「広田先生」の不思議な夢の意味、などもね。。。
***
今回、 広田先生が三四郎に渡す本『ハイドリオタフィア』の記述の中で、「content with six foot」(六尺に満足する)という語句をヒントにして、
三四郎(95)前回、広田先生の病気見舞に三四郎は樽柿を買ってきた。7回で子規が樽柿を十六食ったという話を覚えていたのだろう。で、はっと思った。「六尺の狭きもアドリエーナスの大廟(ハドリアヌス帝の巨大な墓)と異なる所あらず」…樽柿を伏線に子規の『病床六尺』を追悼したのか? (twitterより)
、、と気付いたり、
与次郎が演説会でさかんに繰り返す 「ダーター・ファブラ」の語源、 ホラティウスの諷刺詩を読んで、
Quid rides? Mutato nomine, de te fabula narratur
- Why are you laughing? Change the name, and the story would be yours.
この意味から、 「偉大なる暗闇」の論文を三四郎が書いたものと誤報された事件について「ダーター・ファブラ」が伏線だったか? と考えてみたり、
三四郎(104)「何故、君の名が出ないで僕の名が出たものだろうな」…63回「ダーター・ファブラのために祝盃を挙よう」「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」…名前を変えればお前の事だ…ダーターファブラの笑いはこの事件の暗示だったの!?…たぶんあの演説会の中に犯人はいるね (twitterより)
、、自分なりに面白い考察が出来ています(それぞれはどうぞ twitterをご覧下さいませ)
salli_星の破ka片ke
***
さて、 今日の本題。
不思議な魅力のある広田先生=「偉大なる暗闇」が、 三四郎に渡す不思議な古い本『ハイドリオタフヒア』、、 これについては 学生時代から興味を持っていたのですが、、
上記写真、 左から、 「ハイドリオタフヒア、あるいは偉大なる暗闇」という大変参考になる論考の載っている 飛ケ谷美穂子氏の 『漱石の源泉』(慶應義塾大学出版会 2002年)、
Sir. Thomas Browneの Religio Mediciと Hydriotaphia の翻訳書 『医師の信仰・壺葬論』(生田省悟・宮本正秀訳 松柏社 1998年)
一番右が、 漱石も熊本時代に取り寄せて原書を読んだ Theodore Watts-Dunton の Aylwin の初翻訳書、『エイルヰン物語』(戸川秋骨訳 大正4年、写真の本は大正15年再販本)
これらと、 現代の利器 ネット検索で得た情報で、 少しずつわかってきたことを 慌ただしくおぼえがきにしておきたいと。。。 きちんとした文章にする時間がありそうもないので、 ほんと おぼえがき程度ですみません。
***
飛ケ谷さんの著書では、 漱石が熊本五高時代の、1897~98年頃に『ブラウン全集』全3巻を取り寄せて読んだ事が調査されています。 、、が、ここでは飛ケ谷さんの論考とは重ならない事について 書いてみたいと思います。
漱石が何故、ブラウンに関心を寄せたか、と考えればそれはおそらく(前にもこのブログに書きましたが) 五高時代にテキストとして使っていた ド・クインシーの『オピアム・イーター』中で、 ブラウンの『医師の宗教』が言及されているからでしょう。
I do not recollect more than one thing said adequately on the subject of music in all literature; it is a passage in the Religio Medici {14} of Sir T. Brown, and though chiefly remarkable for its sublimity, has also a philosophic value, inasmuch as it points to the true theory of musical effects.
{14} I have not the book at this moment to consult; but I think the passage begins―“And even that tavern music, which makes one man merry, another mad, in me strikes a deep fit of devotion,” &c.
(http://www.gutenberg.org/files/2040/2040-h/2040-h.htmより)
「あらゆる文学の中で、音楽について適切に語られた言葉は一つしか思い出せない。それはT・ブラウン卿の『医師の宗教』の中の一節である。(注14)それは主として崇高な文体ゆえに非凡なものであるが、音楽的効果に関する真の理論を示唆している点で、哲学的価値をも含んでいる。
注14:今、手もとに同書がないので参照できないが、確かその一節はこんな文章で始まっていたと思う―――「そして、人を愉快にも気狂いにもする、あの[俗悪]な酒場の音楽でさえ、私の身内に一種発作にも似た深い敬虔の念を惹き起こす」云々
(野島秀勝訳『トマス・ド・クインシー著作集』より)
原典、ブラウンの『医師の宗教』では第九節にこの文章があります。
For my selfe, not only from my obedience but my particular genius, I doe imbrace it; for even that vulgar and Taverne Musicke, which makes one man merry, another mad, strikes in mee a deepe fit of devotion, and a profound contemplation of the first Composer, there is something in it of Divinity more than the eare discovers.
(http://penelope.uchicago.edu/relmed/relmed.htmlより)
、、じつはこの文の続きの箇所にも、 漱石作品に影響を与えたのでは?と思われる一節が続くのですが、 それは置いておいて、、
、、こんな感じに、 ド・クインシーもその文体を 「sublimity」と讃えたブラウン卿の著作に、 当時ド・クインシーを教えていた漱石も、関心を寄せたのでしょう。
もう一つ、 漱石が熊本時代にわざわざ取り寄せた Theodore Watts-Dunton の『エイルヰン』にも、ブラウン卿への言及が出てきます。
I have never been a reader of philosophy, but I understand that the philosophers of all countries have been preaching for ages upon ages about resignation to Death―about the final beneficence of Death―that 'reasonable moderator and equipoise of justice,' as Sir Thomas Browne calls him.
(http://www.gutenberg.org/cache/epub/13454/pg13454.htmlより)
私は哲学を味ふ人間ではありません。併しあらゆる国々の哲学者は、過去幾代も幾代も、死なるものに諦めて服従すべき事、死が最後の恩恵を與ふるものなる事――サア・トマス・ブラウンの所謂『正當なる緩和者、正義の均衡』である事を教へて居たと了解します。(戸川秋骨訳)
注記:上記 Aylwin 原文の下2行に下線を施しましたが、東北大学所有の漱石蔵書「Aylwin」の p.453に、このように下線が引かれ、さらに右欄外にチェックするように縦線も書かれていた点も確認済みです。
画像が公開されていないので載せることはできませんが、東北大学漱石文庫データベースの↓この本です。
(http://dbr.library.tohoku.ac.jp/infolib/meta_pub/CsvSearch.cgi)
ブラウンの原書では『医師の宗教』38節に 『正當なる緩和者、正義の均衡』である「死」―という部分があります。
When I take a full view and circle of my selfe, without this reasonable moderator, and equall piece of justice, Death, I doe conceive my selfe the miserablest person extant
***
、、このような経緯を経て、漱石がブラウンに関心を持ち、全集を読むに至ったと考えられるのですが、 では、『三四郎』に出てくるのは 何故、最初に触れた『医師の宗教』ではなくて 『ハイドリオタフヒア』なのか。。。
広田先生の弁によれば、 「此著者は有名な名文家で、此一篇は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生は其の話をした時に、笑ひながら、最も是れは私の説じゃないよと断られた」(十の二)
、、それが誰の説なのか、は私も解りませんが、三四郎が読む末節 「朽ちざる墓に眠り、伝はる事に生き、知らるる名に残り・・・此願も此満足も無きが如くに果敢(はか)なきものなり・・・ 六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るが儘に成るとのみ覚悟せよ」、、、 やはり、この部分が『三四郎』の物語には重要だったのでしょう。
病床六尺の中で、 最期の最期まで生き切った友、子規への想いも込められているでしょうし、 漱石が熊本で書いた『エイルヰンの批評』は、1899年に「ホトトギス」に発表しているので、 子規らも読んだでしょうけれど、 病の床にあっては原書を読むことも出来なかったでしょうし、 熊本の漱石が子規の元へ出掛けてその話をじかにする時間も無いままだったでしょう。
『エイルヰンの批評』では、 主人公と離れ離れになってしまう少女「ヰニー」のことを、 「ハムレット」の中で狂気に陥ってしまう恋人「オフエリア」や、 ド・クインシー『阿片常用者の告白』で生き別れになってしまう少女「アン」に喩えたりして漱石は書いています。(下のデジタルライブラリーで読めます)
いずれも、 子規や、ホトトギス同人の間では、 「オフエリア」「アン」と言えばすぐに解る、 きっと学生時代から互いの会話に登場していたお気に入りの女性像だったのではないでしょうか。 (子規や寅彦宛ての書簡にも登場します) この辺りに、 広田先生の夢の少女も関係がありそうですね。
、、、だからきっと、 子規も小説『エイルヰン』を読みたかったことでしょうし、 そこからさらに漱石が読み進めた トマス・ブラウンの『ハイドリオタフヒア』の内容も、 子規に話してあげたかったことでしょう。 、、だから 死して横たわる場所、を表した一文「content with six foot」のくだりを読んだ時、 すぐに子規を想い出したに違いありません。
『エイルヰンの批評』近代デジタルライブラリー
(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/957315/119)
『エイルヰン』もすごく長い物語ですが、デジタルライブラリーにあります。 秋骨先生曰く、「ラファエル前派の画を小説にしたというのが適評ではないか」という、 幻想的、超自然的なファンタジー小説です。 ちなみに、作中に登場する画家のモデルは、 D・G・ロセッティ。
(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950219)
***
、、ところで、 広田先生の人物像を評する与次郎の論文 「偉大なる暗闇」という語句について、 先の飛ケ谷さんの著書では、 『ハイドリオタフヒア』第二章中の「A great obscurity」という箇所を挙げておられますが、 それとは別に、あくまで私の想像として、、
やはり三四郎が読んでいた末節付近から少しだけ遡って最終章の、、 人間の生きる意味の貴さを謳った部分、、
Life is a pure flame, and we live by an invisible sun within us.
(生命は清らかな炎であり、私たちは目に見えない内なる太陽によって生かされている)
(同上 生田・宮本訳)
、、この部分の 「an invisible sun」を挙げてみたいと思います。 「暗闇」ではないけれども、 「見えざる太陽」=「偉大なる暗闇」、 つまり、世間で名を上げるとか、 大学教授になるとか、 そうではないけれども、 豊饒な知識を持ち、 自分の学問にこつこつと取り組んでいる広田先生の「内なる太陽」、、此処を重視してみたいな、と思っているのです。
Hydriotaphia (http://pages.uoregon.edu/rbear/browne/hydriotaphia.html)
この一文は、Thomas Browne の Quotes(引用集)でも取り上げられている名句なのでしょう。
(http://www.goodreads.com/author/quotes/53520.Thomas_Browne)
そして、「invisible sun」と言えば、、(突然、ロックの話題になるのですが…)
The Police の曲に 「Invisible Sun」があります(Wiki>>)
これは、 北アイルランド紛争の時代、ベルファストでハンガーストライキによって受刑者が命を落とした事件に触発されたものと、 スティングは説明していますが、 ザ・ポリスのこのアルバムだけ持ってなかった私は、この歌を覚えてません。 政治的内容ゆえ、あまりラジオとかでもかからなかったのでしょうか…
上記 Wikiの中では、 この「Invisible Sun」の語源として トマス・ブラウンについても言及されています。
The Police - Invisible Sun
***
話が逸れました。
広田先生は三四郎に『ハイドリオタフヒア』を渡して、 何を伝えんとしたのでしょうか。。。 先生は『ハイドリオタフヒア』の意味を説明する代わりに、、 昼寝の夢の話をしますね。。 そこがまた、、 わかりそうでわからなそうな、、課題です。
さて、、 『ハイドリオタフヒア』で三四郎が読む部分に、 墓に投げ入れる花として「アマランサス」が出てくるのですが、、 それについての話も、、
それはまたの機会に。。。
長々、おつかれさまでした。
トマス・ド・クインシーに関する過去ログ>>
、、それにしても、、一日一回分ずつ 何日もかけて読んでいくと、 はっと気づかされる事がいっぱいで、 ほんと 漱石先生のたくらみ(←企みでは言い方が悪いですね、 仕掛け? 謎懸け? 暗号?)には 驚かされるばかりです。
、、けど、 本来どんな読み方でも良いと思うのですよね。 大学生になった三四郎の成長物語として、でも良いし、 「新しい女性」として描かれる美禰子に着目するも良いし、 明治時代の本郷界隈の情景に想いをはせるのも良いし、、
ただ現在の自分の興味としては、 今までわからないまま読んでいた事柄がちょっとでも謎解きできたら嬉しい。 「ターダー・ファブラ」だの「ハイドリオタフィア」だの、 漱石はしょっちゅうペダンティックな言葉や、 外国文学の知識を作品中に使いますが、 その「意図」に少しでも接近できたら嬉しい。 「広田先生」の不思議な夢の意味、などもね。。。
***
今回、 広田先生が三四郎に渡す本『ハイドリオタフィア』の記述の中で、「content with six foot」(六尺に満足する)という語句をヒントにして、
三四郎(95)前回、広田先生の病気見舞に三四郎は樽柿を買ってきた。7回で子規が樽柿を十六食ったという話を覚えていたのだろう。で、はっと思った。「六尺の狭きもアドリエーナスの大廟(ハドリアヌス帝の巨大な墓)と異なる所あらず」…樽柿を伏線に子規の『病床六尺』を追悼したのか? (twitterより)
、、と気付いたり、
与次郎が演説会でさかんに繰り返す 「ダーター・ファブラ」の語源、 ホラティウスの諷刺詩を読んで、
Quid rides? Mutato nomine, de te fabula narratur
- Why are you laughing? Change the name, and the story would be yours.
この意味から、 「偉大なる暗闇」の論文を三四郎が書いたものと誤報された事件について「ダーター・ファブラ」が伏線だったか? と考えてみたり、
三四郎(104)「何故、君の名が出ないで僕の名が出たものだろうな」…63回「ダーター・ファブラのために祝盃を挙よう」「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」…名前を変えればお前の事だ…ダーターファブラの笑いはこの事件の暗示だったの!?…たぶんあの演説会の中に犯人はいるね (twitterより)
、、自分なりに面白い考察が出来ています(それぞれはどうぞ twitterをご覧下さいませ)
salli_星の破ka片ke
***
さて、 今日の本題。
不思議な魅力のある広田先生=「偉大なる暗闇」が、 三四郎に渡す不思議な古い本『ハイドリオタフヒア』、、 これについては 学生時代から興味を持っていたのですが、、
上記写真、 左から、 「ハイドリオタフヒア、あるいは偉大なる暗闇」という大変参考になる論考の載っている 飛ケ谷美穂子氏の 『漱石の源泉』(慶應義塾大学出版会 2002年)、
Sir. Thomas Browneの Religio Mediciと Hydriotaphia の翻訳書 『医師の信仰・壺葬論』(生田省悟・宮本正秀訳 松柏社 1998年)
一番右が、 漱石も熊本時代に取り寄せて原書を読んだ Theodore Watts-Dunton の Aylwin の初翻訳書、『エイルヰン物語』(戸川秋骨訳 大正4年、写真の本は大正15年再販本)
これらと、 現代の利器 ネット検索で得た情報で、 少しずつわかってきたことを 慌ただしくおぼえがきにしておきたいと。。。 きちんとした文章にする時間がありそうもないので、 ほんと おぼえがき程度ですみません。
***
飛ケ谷さんの著書では、 漱石が熊本五高時代の、1897~98年頃に『ブラウン全集』全3巻を取り寄せて読んだ事が調査されています。 、、が、ここでは飛ケ谷さんの論考とは重ならない事について 書いてみたいと思います。
漱石が何故、ブラウンに関心を寄せたか、と考えればそれはおそらく(前にもこのブログに書きましたが) 五高時代にテキストとして使っていた ド・クインシーの『オピアム・イーター』中で、 ブラウンの『医師の宗教』が言及されているからでしょう。
I do not recollect more than one thing said adequately on the subject of music in all literature; it is a passage in the Religio Medici {14} of Sir T. Brown, and though chiefly remarkable for its sublimity, has also a philosophic value, inasmuch as it points to the true theory of musical effects.
{14} I have not the book at this moment to consult; but I think the passage begins―“And even that tavern music, which makes one man merry, another mad, in me strikes a deep fit of devotion,” &c.
(http://www.gutenberg.org/files/2040/2040-h/2040-h.htmより)
「あらゆる文学の中で、音楽について適切に語られた言葉は一つしか思い出せない。それはT・ブラウン卿の『医師の宗教』の中の一節である。(注14)それは主として崇高な文体ゆえに非凡なものであるが、音楽的効果に関する真の理論を示唆している点で、哲学的価値をも含んでいる。
注14:今、手もとに同書がないので参照できないが、確かその一節はこんな文章で始まっていたと思う―――「そして、人を愉快にも気狂いにもする、あの[俗悪]な酒場の音楽でさえ、私の身内に一種発作にも似た深い敬虔の念を惹き起こす」云々
(野島秀勝訳『トマス・ド・クインシー著作集』より)
原典、ブラウンの『医師の宗教』では第九節にこの文章があります。
For my selfe, not only from my obedience but my particular genius, I doe imbrace it; for even that vulgar and Taverne Musicke, which makes one man merry, another mad, strikes in mee a deepe fit of devotion, and a profound contemplation of the first Composer, there is something in it of Divinity more than the eare discovers.
(http://penelope.uchicago.edu/relmed/relmed.htmlより)
、、じつはこの文の続きの箇所にも、 漱石作品に影響を与えたのでは?と思われる一節が続くのですが、 それは置いておいて、、
、、こんな感じに、 ド・クインシーもその文体を 「sublimity」と讃えたブラウン卿の著作に、 当時ド・クインシーを教えていた漱石も、関心を寄せたのでしょう。
もう一つ、 漱石が熊本時代にわざわざ取り寄せた Theodore Watts-Dunton の『エイルヰン』にも、ブラウン卿への言及が出てきます。
I have never been a reader of philosophy, but I understand that the philosophers of all countries have been preaching for ages upon ages about resignation to Death―about the final beneficence of Death―that 'reasonable moderator and equipoise of justice,' as Sir Thomas Browne calls him.
(http://www.gutenberg.org/cache/epub/13454/pg13454.htmlより)
私は哲学を味ふ人間ではありません。併しあらゆる国々の哲学者は、過去幾代も幾代も、死なるものに諦めて服従すべき事、死が最後の恩恵を與ふるものなる事――サア・トマス・ブラウンの所謂『正當なる緩和者、正義の均衡』である事を教へて居たと了解します。(戸川秋骨訳)
注記:上記 Aylwin 原文の下2行に下線を施しましたが、東北大学所有の漱石蔵書「Aylwin」の p.453に、このように下線が引かれ、さらに右欄外にチェックするように縦線も書かれていた点も確認済みです。
画像が公開されていないので載せることはできませんが、東北大学漱石文庫データベースの↓この本です。
(http://dbr.library.tohoku.ac.jp/infolib/meta_pub/CsvSearch.cgi)
ブラウンの原書では『医師の宗教』38節に 『正當なる緩和者、正義の均衡』である「死」―という部分があります。
When I take a full view and circle of my selfe, without this reasonable moderator, and equall piece of justice, Death, I doe conceive my selfe the miserablest person extant
***
、、このような経緯を経て、漱石がブラウンに関心を持ち、全集を読むに至ったと考えられるのですが、 では、『三四郎』に出てくるのは 何故、最初に触れた『医師の宗教』ではなくて 『ハイドリオタフヒア』なのか。。。
広田先生の弁によれば、 「此著者は有名な名文家で、此一篇は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生は其の話をした時に、笑ひながら、最も是れは私の説じゃないよと断られた」(十の二)
、、それが誰の説なのか、は私も解りませんが、三四郎が読む末節 「朽ちざる墓に眠り、伝はる事に生き、知らるる名に残り・・・此願も此満足も無きが如くに果敢(はか)なきものなり・・・ 六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るが儘に成るとのみ覚悟せよ」、、、 やはり、この部分が『三四郎』の物語には重要だったのでしょう。
病床六尺の中で、 最期の最期まで生き切った友、子規への想いも込められているでしょうし、 漱石が熊本で書いた『エイルヰンの批評』は、1899年に「ホトトギス」に発表しているので、 子規らも読んだでしょうけれど、 病の床にあっては原書を読むことも出来なかったでしょうし、 熊本の漱石が子規の元へ出掛けてその話をじかにする時間も無いままだったでしょう。
『エイルヰンの批評』では、 主人公と離れ離れになってしまう少女「ヰニー」のことを、 「ハムレット」の中で狂気に陥ってしまう恋人「オフエリア」や、 ド・クインシー『阿片常用者の告白』で生き別れになってしまう少女「アン」に喩えたりして漱石は書いています。(下のデジタルライブラリーで読めます)
いずれも、 子規や、ホトトギス同人の間では、 「オフエリア」「アン」と言えばすぐに解る、 きっと学生時代から互いの会話に登場していたお気に入りの女性像だったのではないでしょうか。 (子規や寅彦宛ての書簡にも登場します) この辺りに、 広田先生の夢の少女も関係がありそうですね。
、、、だからきっと、 子規も小説『エイルヰン』を読みたかったことでしょうし、 そこからさらに漱石が読み進めた トマス・ブラウンの『ハイドリオタフヒア』の内容も、 子規に話してあげたかったことでしょう。 、、だから 死して横たわる場所、を表した一文「content with six foot」のくだりを読んだ時、 すぐに子規を想い出したに違いありません。
『エイルヰンの批評』近代デジタルライブラリー
(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/957315/119)
『エイルヰン』もすごく長い物語ですが、デジタルライブラリーにあります。 秋骨先生曰く、「ラファエル前派の画を小説にしたというのが適評ではないか」という、 幻想的、超自然的なファンタジー小説です。 ちなみに、作中に登場する画家のモデルは、 D・G・ロセッティ。
(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950219)
***
、、ところで、 広田先生の人物像を評する与次郎の論文 「偉大なる暗闇」という語句について、 先の飛ケ谷さんの著書では、 『ハイドリオタフヒア』第二章中の「A great obscurity」という箇所を挙げておられますが、 それとは別に、あくまで私の想像として、、
やはり三四郎が読んでいた末節付近から少しだけ遡って最終章の、、 人間の生きる意味の貴さを謳った部分、、
Life is a pure flame, and we live by an invisible sun within us.
(生命は清らかな炎であり、私たちは目に見えない内なる太陽によって生かされている)
(同上 生田・宮本訳)
、、この部分の 「an invisible sun」を挙げてみたいと思います。 「暗闇」ではないけれども、 「見えざる太陽」=「偉大なる暗闇」、 つまり、世間で名を上げるとか、 大学教授になるとか、 そうではないけれども、 豊饒な知識を持ち、 自分の学問にこつこつと取り組んでいる広田先生の「内なる太陽」、、此処を重視してみたいな、と思っているのです。
Hydriotaphia (http://pages.uoregon.edu/rbear/browne/hydriotaphia.html)
この一文は、Thomas Browne の Quotes(引用集)でも取り上げられている名句なのでしょう。
(http://www.goodreads.com/author/quotes/53520.Thomas_Browne)
そして、「invisible sun」と言えば、、(突然、ロックの話題になるのですが…)
The Police の曲に 「Invisible Sun」があります(Wiki>>)
これは、 北アイルランド紛争の時代、ベルファストでハンガーストライキによって受刑者が命を落とした事件に触発されたものと、 スティングは説明していますが、 ザ・ポリスのこのアルバムだけ持ってなかった私は、この歌を覚えてません。 政治的内容ゆえ、あまりラジオとかでもかからなかったのでしょうか…
上記 Wikiの中では、 この「Invisible Sun」の語源として トマス・ブラウンについても言及されています。
The Police - Invisible Sun
***
話が逸れました。
広田先生は三四郎に『ハイドリオタフヒア』を渡して、 何を伝えんとしたのでしょうか。。。 先生は『ハイドリオタフヒア』の意味を説明する代わりに、、 昼寝の夢の話をしますね。。 そこがまた、、 わかりそうでわからなそうな、、課題です。
さて、、 『ハイドリオタフヒア』で三四郎が読む部分に、 墓に投げ入れる花として「アマランサス」が出てくるのですが、、 それについての話も、、
それはまたの機会に。。。
長々、おつかれさまでした。
トマス・ド・クインシーに関する過去ログ>>