ケタが違いますね。映画もここまでくると世界遺産みたいなもの。
画質はやや黄色っぽい感じで、ゴミなども目につく。IMDbによると撮影監督のジュセッペ・ロトゥンノが「山猫」完全版のスーパーバイザーをつとめたのは1983年のこと。今だったらデジタル処理でもっとクリアにできるのではないか。
お屋敷など豪華絢爛には違いないのだが、大スクリーンで見ると暖炉の石のあちこちが欠けていたり扉に傷がついていたりするのが見える。公爵が鏡を見るラスト近くのシーンの後、便器の壷がずらっと並んでいるのとともに、貴族の暮しの飾った部分にばかり目を奪われないヴィスコンティ流のリアリズム。
舞台演出家らしい空間のつかみ方の大きさと、人物を建築と風景一体になった装置の中で動かし一続きのタブローに描いて行く比類のない造型力。
新旧の世界が交代していくさなか、旧世界にしがみつきもせず、かといって新しい世界にも甘い期待を持たないサリーナ公爵=ヴィスコンティの醒めた認識の見事さ。
公爵が鬚を剃っている鏡の中に顔を出すアラン・ドロンの登場シーンなど、原作そのまんま。ドロンが選挙にうって出るのと言い出すのが、いかにもそれらしい。
バート・ランカスターがあまりに立派な体格なもので、まわりの人間をほとんど子供みたいに持ち上げたりするユーモア。
(☆☆☆☆)

本ホームページ
画質はやや黄色っぽい感じで、ゴミなども目につく。IMDbによると撮影監督のジュセッペ・ロトゥンノが「山猫」完全版のスーパーバイザーをつとめたのは1983年のこと。今だったらデジタル処理でもっとクリアにできるのではないか。
お屋敷など豪華絢爛には違いないのだが、大スクリーンで見ると暖炉の石のあちこちが欠けていたり扉に傷がついていたりするのが見える。公爵が鏡を見るラスト近くのシーンの後、便器の壷がずらっと並んでいるのとともに、貴族の暮しの飾った部分にばかり目を奪われないヴィスコンティ流のリアリズム。
舞台演出家らしい空間のつかみ方の大きさと、人物を建築と風景一体になった装置の中で動かし一続きのタブローに描いて行く比類のない造型力。
新旧の世界が交代していくさなか、旧世界にしがみつきもせず、かといって新しい世界にも甘い期待を持たないサリーナ公爵=ヴィスコンティの醒めた認識の見事さ。
公爵が鬚を剃っている鏡の中に顔を出すアラン・ドロンの登場シーンなど、原作そのまんま。ドロンが選挙にうって出るのと言い出すのが、いかにもそれらしい。
バート・ランカスターがあまりに立派な体格なもので、まわりの人間をほとんど子供みたいに持ち上げたりするユーモア。
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