prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「TAKESHIS'」

2005年11月15日 | 映画
裏表混ぜたトランプをシャッフルして並べているみたいな構造だな、と思った。

オープニングの明らかに荒唐無稽な戦場のシーン(「戦場のメリークリスマス」を思わせる)の後、場面変わって顔を見せないで寝ているタクシーの運転手の足を見て、実はこの運転手がたけしで、オープニングはその夢ともとれるのではないかと思うと、実際たけしが運転手になるシーンが後になって出てくる。あるいは、わざわざ「夢で会いましょう」のレコードかかったりする、という調子で、モチーフをひねったり裏返したりしてあちこちに散らしてはいるが、一貫しているのはわかるようにしてある。

ただ、それを読み取ってまっすぐに並べ直しても一貫した意味を読み取ろうとしてもはじまらない。ここで描かれるのは夢と現実といった二分法にひっかからない、「映画の中の出来事」にすぎないからだ。
社会的に成功したビートたけしに対してシケた役者志願の北野の前に、やたら威張るラーメン屋、暑苦しいデブ二人組、やたらと理不尽にからむ女、つまらない漫才(?)を続ける男女二人組、花束から出てくる毛虫、など色々なうっとうしい連中が並列して並べられるが、それを鬱憤晴らしに銃でなぎ倒したからといって、別にフラストレーションが解消されるわけではない。映画の中で願望を達成する、あるいは挫折させるといった決着をつけることもないからだ。

原色の使い方や異化効果はゴダール、さまざまな次元を交錯させた自伝的作品という意味では「8 1/2」、同じ役者が違う役であちこちに顔を見せるのは「オー・ラッキーマン」などをそれぞれ思わせたりするが、別に作っている方は意識していないだろう。
観客の見たいものを見せる、願望に従うという意味では、まあこれくらい娯楽になっていない映画もない。その分、逆に見ている側が色々とあてはめたくなるのだろう。
(☆☆☆)