ゲルマニウムの夜
2005年/日本
総合 85点
ストーリー 85点
キャスト 85点
演出 85点
ビジュアル 85点
音楽 0点
東京芸術大学美術館にて。
全体としてまず一つの形、一つの流れ、一つのベクトルを成しているような造形。
同じ「苦行僧」を小さな漆喰像、大きな胡桃材像を並べて見ると、前者に比べて木そのものが持っていた全体としての流れ、ベクトルがより豊かに移されたかのよう。
多くが、当時すでに彫刻の素材としては廃れていた木像というのも、そのせいか。
多くの全体としての形が底辺の広い三角形をなし、足を広げて踏ん張っている人物に対応している。人=像の持つ流れが、何か上から降りてくる大きな力に耐えているとも受けとめているともとれる形。
表現主義とはいっても、映画の「カリガリ博士」のような異様な圧迫感や不安感、歪みとは別物。全体としてのデフォルメはともかく。
全体としてまず一つの形、一つの流れ、一つのベクトルを成しているような造形。
同じ「苦行僧」を小さな漆喰像、大きな胡桃材像を並べて見ると、前者に比べて木そのものが持っていた全体としての流れ、ベクトルがより豊かに移されたかのよう。
多くが、当時すでに彫刻の素材としては廃れていた木像というのも、そのせいか。
多くの全体としての形が底辺の広い三角形をなし、足を広げて踏ん張っている人物に対応している。人=像の持つ流れが、何か上から降りてくる大きな力に耐えているとも受けとめているともとれる形。
表現主義とはいっても、映画の「カリガリ博士」のような異様な圧迫感や不安感、歪みとは別物。全体としてのデフォルメはともかく。