prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」

2009年02月04日 | 映画
レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットの「タイタニック」のコンビ再び、というのがこの場合売りになるのかどうか、役の深みも演技の彫りも比較にならないくらいこっちの方が上で、なまじ意識させる分ジャマなくらい息もつかせない共演ぶり。

図式的に現実主義と理想主義との対立、というのを夫婦に割り振ったら、ふつうは妻=女が現実の側、夫=男が夢見る側に割り振られると思うが、ここで夫に仕事をやめてパリに行こう、と夢みたいなことを言い出すのも、その「邪魔になる相手」をとんでもない方法で排除するのも、妻の方だ。
夫の方は、現実から理想に飛ぼうとして妻子=生活に縛られて飛び立つことができないのではなく、飛べるようにお膳立てを整えられることで、かえって飛び立つ能力も気力もないのが暴露されてしまい、自重で押しつぶされてしまうように見える。俗な意味の「女の怖さ」とは正反対のようで通じている怖さ。
子供が二人いるのに大事な局面では顔を出さないあたり、ちょっとベルイマンの「ある結婚の風景」のようにドラマを男女の話に絞りきっている。

精神病院に入院していたという隣人の息子が、普通だったら思っていても言わないことを言わせる作為。

通勤する男たちが全員中折れ帽をかぶっているのが、クラシックな雰囲気(日本でも小津安二郎の映画の勤め人あたりは帽子をかぶっている)であるとともに画一性に飲み込まれた夫の姿を典型的に出す。帽子をかぶった顔の見えない男たちが曇った空の下にたむろしている、妙な不安に満ちた絵画を見たことがあって、なんといったか忘れたが、あれを思い出した。

アメリカが最も豊かで夢に満ちていたと思わせる時代のカラーを出した中に、何か不安をたたえた撮影と美術。素晴らしいスタッフワークの上に、「アメリカン・ビューティ」の監督らしい、イギリス人がアメリカを描くときによく見せる意地の悪さが出ている。

出だしの数カットで出合った二人がたちまち親しくなり、シーンが飛ぶと結婚している、どころか倦怠期に突入している省略法のなど、随所に間と省略と沈黙(ラストカット!)による暗示を生かした演出。
(☆☆☆★★★)


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レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで - goo 映画

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