見ている間はまったく退屈はしないし、映像がよくできているのと役者がいいのとはわかるけれど、あちこちで微妙に、「ん?」とひっかかるところがあるのをまあいいじゃないと思い直すのを繰り返した。
いくら出撃しても無傷で帰ってくる戦闘機乗りってもし仲間にいたらむしろ神がかって見えるのではないか。臆病者とそしられるという設定があとになるとどこか納得しきれないまま進む。まさか敵前逃亡したのだったら銃殺だろうし、圧倒的な物量の相手が本気でかかってくるのだから、戦闘に入って敵と対峙したら逃げるだけで助かるものだろうか。必死で戦って相手を殺さなければ生き延びられない、という感じではないのです。
日本の戦争映画には敵が描かれない、というのは佐藤忠男の言葉だが、これがぴったりあてはまる。ここでの敵はアメリカとしても内部の軍隊悪としても形象化されていない。
ビンタくらいで描ききれるものではないだろう。ビンタだったら今でもあちこちでやっている。
ネタばれになるけれど、終盤は「一枚のハガキ」と似たモチーフになる。つまり戦争で生き延びた男と死んだ男とが一人の女をはさんで対峙するわけで、それって現に一本の映画になっている大ドラマです。
戦後の長い間、女の方にどんな葛藤があったかというのが後になって思い返すとごく簡単に済まされているのがわかる。二人の男、生きているのと死んでいるのとを同一視するという理屈になるのは、何かひっかかる。あくまで別人でしょう。娘の父親とそうでない人の違いもあるのだし。
祖母の遺品が最後の方で提示されるわけだが、これって最初の方で見つかり、これは何だろうという興味を孫に持たせるものになるのではなく、ずっと後まで見せるのをとっておくというのもちょっと。それで孫が捜索を途中で挫折していたらどうしたのだろう。それに三浦春馬が祖父だと思っていた夏八木勲が血がつながっていないというのを知るというのがはっきり打ち込まれない。知ったらびっくりするし、微妙な感情も疑問も持つものだと思いますよ。
総じてストーリーエンジンが十分起動しないという印象は持ち続けた。
原作はかなり前に読んでかなり忘れていたが、読んでいてそれほど違和感はなかった、ような気がする。
ちなみに「戦場では生き残ることが栄光だ!」というセリフが出てきた「最前線物語」という映画では、数多くの戦闘に参加しながら負傷ひとつしない「ザ・ビッグ・レッド・ワン」=原題・赤ら顔の大男という主人公が出てきた。関係あるのかどうかわからないが、参考まで。
夏八木勲の遺作はこれで何本見ただろう。映画の内容と強いて結びつけるつもりはないが、生きている姿を見ると何かどきりとするものはある。
(☆☆☆★)
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