泥、というのは川底の泥からさまざまなもの、貝から天井にとりつける豪華扇風機の羽までを拾ってくるおじさん(マイケル・シャノン、おっかない顔しているから悪の一味かと思った)の語る、泥の中に埋もれているものの価値は拾って見ないとわからないというセリフともつながってくる。
この価値観の相違による齟齬というモチーフは、両親の間にも、父親と役所の間にも見られ、他人のものであるほったらかしになっているガラクタのエンジンを黙って持ってくる少年を、それで生計を立てている人もいるのだと厳しく叱る父親のセリフにもつながってくる。
全体にモチーフが周到に配置されて繰り返され、女を仲間に入れない男たちと、入れようとするとどうしても失敗してしまうという、アメリカ文学のむしろ正統的なテーマに連なってくる。
マッドが財産はシャツと銃しかない、と宣言することで、特にただシャツを脱いでかけておくだけの映像がおおいに触発力を持つようになった。
マコノヒーが地元出身なのにも関わらず、ふっと川向こうの島に現れる、どこか別の世界から降ってきた異人のように捉えられている。川や島といった自然の風景が人間の世界から距離をもった彼岸のように見える演出センスは脚本・監督のジェフ・ニコルズの前作「テイク・シェルター」とも通じる。
それにしても、敵役の一家が赤の他人の家族を巻き込むのもかまわずライフルをぶっぱなしてまわるのには唖然とした。あまりにアメリカ的というか。
主人公二人が少年の組み合わせで南部の川沿いが舞台となると、当然マーク・トウェインが生んだトム・ソーヤーとハックリベリー・フィンを思わせ、さらに木の上にひっかかったままでいるボートという不思議な光景が何かとんでもなく巨大な洪水が来たような、トウェイン式のホラ話のテイストと神話的なニュアンスを出す。
そういえば、ヘルツォークの「アギーレ・神の怒り」や「地獄の黙示録」にも木にひっかかった舟というイメージが顕れてきていた。
主役ふたりの髪型が、ひとりは長めでひとりはほぼ刈り上げと、「スタンド・バイ・ミー」そのまんま。
(☆☆☆★★)
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