ケン・ローチは基本的に同じ出演者と二度組まないというが、ダニエルのデイブ・ジョーンズにせよケイティのヘイリー・スクワイアーズにせよ、役と役者といった二分法ではない出演者の存在が即一人の人間の在り方になっているのを撮りながら発見していくといった方法と思しい。そのひとりひとりの発見自体がそのまま理屈の絵解きではない、人間の尊厳を具体的に体現していく見事さ。
二人の子供の肌の色で、どうして父親と別れたのかわかる気がするキャスティングに見せる想像力。ひどく落ち着きがなく、すぐにどこかに行ってしまう男の子の方ははっきりとは言っていないがADHD(注意欠如多動性障害)ではないかと思わせる、なんでもないようなディテールの描き込みの細かさ。
特別に立派だったり特別なことではない、当たり前に働いて愛して生きてきた人間を尊重しろというだけのことだが、それが通用しない。フードバンクでのシーンは尊厳の欠如というのがどんなものか端的に具体的に見せて衝撃的。
働く意欲があるところを示さないと福祉の対象にならない⇔しかし、意欲を見せたところで医者に働くことをストップされている、というエアポケットに陥ってしまって抜け出せない、という論理の構築、というより社会構造の分析と指摘がおそろしく的確。
履歴書を受け取って雇う気を起こして電話してきた相手を心臓が悪いからと断らざるをえなくて、だったらなんで履歴書を置いていったんだとと怒らせるあたり、怒る方ももっともな分見ていて辛い。
役人たちが怠惰だったり性格が悪かったりするせいで状況が悪くなっているわけではない、むしろ本当に親身になって相談に乗ってくれる係員がいたり、車椅子に乗った障碍者も役所側で働いていたりするあたりの目配りの行き届き方。作品の射程は長く深い。
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