prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「聖地には蜘蛛が巣を張る」

2023年04月23日 | 映画
主人公の女性ジャーナリストが言いそうで言わないことがあって、つまり囮捜査のために娼婦に変装していても、 私はあなた(犯人)の言う「汚れた娼婦」ではないといっことは一切口にしていない。 当然と言えば当然なので、それ言ってしまったら殺された娼婦たちと自分は違うと上から目線になるだろう。
それだとミソジニーに対する批判という重要なモチーフが成立しなくなる。

特に後半幻想シーンがかなり現実と区別がつかないような形で挿入されてきて、しかも それが本当に現実ではないのかどうか微妙なところが怖い。
つまり幻想で描かれるようなことが本当にありえないのかどうか疑わしいということ。

また犯人にとっても 都合のいい幻想の中で生きているのであって現実は神の救いがあるわけでも何でもない。ミソジニーが何もプラスの価値のものはもたらさないように。
ただし犯人の憎悪や悪意は確実に伝染するし、増幅もしていき、しかもそれを悪いことだと思っていないのがなんともいえずおぞましい。

ミソジニーに捉われるのが必ずしも男だけでなく、その影響下にある女子供も例外でない。支配被支配そのものに関わる問題だからだ。

犯人の首を締める手が、たとえば窓の外に突き出して受けた雨を神のお告げのように感じているらしい手と共鳴する映画的演出。

男たちのミソジニー感覚の中にどうやら兵役体験があるらしいのが暗示されている。戦友というのは、母親以上に精神的な支えになるといった意味のくだりが、先日読んだレマルク「西部戦線異状なし」にあった。

製作会社にwild bunchなどヨーロッパの会社名が並び、どういうわけかデンマーク王国大使館が後援している。
ヨーロッパ諸国(デンマーク・ドイツ・スウェーデン・フランス合作)がイランの内情を批判する映画をバックアップしている格好で、若干大きなお世話感はあるが、不当とは言えない。

死刑を12回執行するとか、死刑以外にムチ打ちの刑を付するという判決にはホントかいとびっくりする。

イランに死刑があるのは意外ではないが、拘置中の被告と家族が仕切りなしに面談できるのは意外だった。日本はまだ映画やドラマで見るように仕切りがあるのだろうか。