prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「オトシモノ」

2006年10月15日 | 映画
駅でオトシモノを拾うと、その落とし主の呪いがかかるという話なのだが、その落とし主がなんで呪いを抱くようになったのかというと別の何者かの呪いを受けて赤ん坊を「落とした」(流産した?)かららしくて、さてその別の何者かって何ですかというと、やたら死体がごろごろしているのだが、思わせぶりばかりでおよそ要領を得ない。

その何者かが住まう洞窟のロケ地というのが、他の映画でも見た覚えのある石切場らしくて、あまり神秘感がない。

シーンごとに狙いがいちいち変わってしまうようなたどたどしいつなぎ。
色調を寒色のモノトーンに落として凝って見せているのはいいとして、主演の沢尻エリカまで顔色が悪く見えてしまうのはまずいのではないか。

杉本彩が片目をつぶしたすごいメイクで出てきて誰だかわからないくらいだったが、役の方でもなんで目が潰れたのか、行方不明になった息子に襲われたらしいのだけれど、その後なんで襲われないのか、とかわからないところだらけ。
(☆☆★★)


「ザ・センチネル 陰謀の星条旗」

2006年10月13日 | 映画
キーファー・サザーランドが出ているとなるとどうしても「24」がちらつくが、ああいう掟破り続きのストーリーが出た後だと、アメリカ大統領が暗殺されるかどうかというサスペンスでひっぱっていくのは弱く見える。

マイケル・ダグラスの色好みがすべてのドラマの出発になっているのが楽屋落ちじみて可笑しい。
内通者の嫌疑をかけられたダグラスがシークレット・サービスとしての経験を生かして危機を突破していくあたりが一番面白いが、割とあっさり嫌疑が晴れてしまうのは惜しい。
田舎のドライブ・インみたいな場所でもインターネットが使えるのは不思議ではないが、ミスマッチみたいな情景。
(☆☆☆)


閉館して何年? 神田アカデミー

2006年10月08日 | 映画






ずっと前に撮った写真ですが、神田のガード下(!)にあったピンク映画専門館、神田アカデミーの閉館後の写真です。これは閉館して一年後。今どうなってるのか。
ついに入ることなかったな。


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中国の不思議な四人家族

2006年10月07日 | Weblog
かなり高級な店で隣の席でランチタイムにすき焼きのメニューをとっていた、言葉聞くと中国人らしい親子四人の客のうち、父親と思しい大きな男が肉が来るより先におもむろに持ちこみ(!)のリンゴを二つ取り出すと、やはり持参の刃物で皮を剥き始めた。といっても、ゴボウのささがき風に手前から削ぐように外側を削っていくという妙な剥き方で、皮だけ削ぐと、中身は写真のようにほとんど残ったままで、食べ終えて出ていった後も残されてた。

子供たちがちょろちょろしているのはわかるとして、親までつきあって食事中に何度も席を交換して、その子供たちが持っていてしきりとトランプ風に切っていたのが、ゲームの画面を絵柄にしたようなカード、というのもよくわからない。

マナーが悪い、というのともちょっと違う、フシギな客でした。


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「踊らん哉」

2006年10月07日 | 映画
フレッド・アステア、ジンジャー・ロジャース主演、マーク・サンドリッチ監督。

えらい古めかしい感じの邦題だが、原題は「Shall We Dance」。
1937年のアメリカ映画だから、もちろん「Shall We ダンス?」とはまったく関係ない。 

アステアの役名が、ピーター・P・ピータースというマンガみたいな名前。商売用でロシアン・バレエ・ダンサーと名乗っているが、実はジャズとタップが本職という役どころなので、ロシア人のことをからかって言う代表的な名前、イワン・イワノーヴィッチ・イワーノフをもじっているのかも。

客船の機関室のセットでジャズを演奏する黒人の機関夫たちに囲まれてアステアがタップを踊るソロ・ナンバーがあるが、この時代としてはジャズを映画に出すのは珍しかったのではないか。
ただ、黒人たちがどうも本物ではなくて、顔立ちや体型、みんな同じ肌の濃さなどから、白人が黒く塗っているのではないかと思った。
ジャズもタップも、もとは黒人のものなのを改めて認識。

当時の豪華客船というのは、郵便を運ぶ小型飛行機が発着していたらしいのにびっくり。

スケート靴を履いてのデュエットなどのおよそ言葉にならない数々のミュージカル・ナンバーは今こそ光輝いて見える。


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「キンキーブーツ」

2006年10月06日 | 映画
ドラッグクイーン役のキウェテル・イジョフォーが「堕天使のパスポート」で亡命先のロンドンのホテルでは下働きしているが故郷のアフリカでは医者というシリアスな役をしていた人と後で知ってぴっくり。全然違うのだもの。歌も自分でこなしているというから、立派。

ショー場面の音楽・美術センス、演出ともに見ごたえあり。ゲテモノ的な感覚はなく、ショーとしてこなれている。
古い靴工場がまた、本当に年代もの。

工場内放送設備の使い方などシナリオは練れているが、クライマックスのファッション・ショーで素人がステージに上がるのにはちょっと首を傾げた。

女は女性的な男が好き、というのは納得できるセリフ。
保守的な男たちが割と捌けていて最終的にドラッグ・クイーンを受け入れるのはイギリスならでは。アメリカの田舎ではああはいかないと思う。
(☆☆☆★★)



「X-MEN:ファイナル ディシジョン」

2006年10月05日 | 映画
優れた能力を持ったゆえに孤立・差別された種族というのは、第一作のオープニングからしてたとえばユダヤ人のあり方のアナロジーともとれる。
そう考えると、クライマックスの舞台をアルカトラズ島に設定して、イアン・マッケランたちが海を渡るのにゴールデンゲートを動かして本土の間の架け橋にしてしまう、というあたり、モーセが紅海を割って渡る場面に対応するのかもしれない。

選民と一般人とは共生できるか、どっちかがどっちかを支配することになるか、という構造は、結構重い。
原題はLast Stand(最後の状態って意味か?)。それがなんで宣伝だとファイナル・デシジョンになって、「人類が」選択するっていうことになったのか、よくわからない。
一般人の方のドラマって、ないんだね。見ている側は孤立する選ばれた者の方に感情移入するからか。

かなり高齢のはずのイアン・マッケランとパトリック・スチュアートが過去のシーンで大アップになると肌つやつや。どう処理しているのだろう。

エンドタイトルに並ぶスタントの数が凄くて、ざっと数えたところ144人。
(☆☆☆★)


「世界女族物語」

2006年10月04日 | 映画
GyaOで見たのだが、そこだと1時間16分。
しかし本来の時間は1時間35分で、20分は切られている勘定になる。

今やドキュメンタリーの皮をかぶった香具師としての名前ばかりが残るグアルティエコ・ヤコペッティが「世界残酷物語」の没フィルムを集めて作ったらしいのだが、なんだかワサビがきかないゲテモノとしても中途半端な場面ばかりで途中で投げたので、ここで紹介されている国辱もののシーンは見ていないのだが、カットされているかもしない。

(以下、引用)
「日本に駐留する2万人もの米兵との間に、何万人もの子供たちが産み落とされたのです。子供たちは洋服を着て英語を話します。日本の古い風習は失われましたが、子供に聖なる湧き水を飲ませる風習だけはまだ残っているようです。それはサムライが出陣の前に身を浄めるために口にした水です」
 画面に映るのは、ごく普通の子供(明らかに混血ではない)が神社の湧き水を飲むだけの風景だ。それだけのものをここまで拡大解釈して膨らませたヤコペッティの手腕はただものではない。
(引用終わり)

小沢栄太郎のナレーションで、色の褪せ具合といい、劇場公開版(1962年公開)どこから持ってきたプリントだと思う。
ヒドい映画をヒドい状態で見せられたもの。

まあ、ここまでヤラセと差別意識丸出しの似非ドキュメンタリーは今ではそれでは堂々と大手を振ってはいないが、自主規制で引っ込んだ以上の「進歩」がどのくらいあるものか、心もとない。


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「女と三悪人」

2006年10月02日 | 映画
西岡善信による驚異的な大セットといい、女一人と男三人の関係といい、「天井桟敷の人々」みたいだと思ったら、案の定。作る側がそう宣言してるのね。
とはいえ、ドラマの方は完全に別物。大勢の登場人物が入り乱れる場面の演出の捌きは見もの。
市川雷蔵が飛び入りで「弁天小僧」をやってのける場面、かなりはしょっているのが残念。



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