今日のフォト。 一世一代の断捨離をしました。
欲張って、もし自分が90歳まで生きるとしたら
私はもう 人生の「4分の3」を歩いている。
Web幽霊していた頃(笑)、ここで一念発起して
自分の持ちものの「4分の3」を 減らそうと決意しました。
(電気製品は別として。)
BSテレビ、「うち、断捨離しました」でお馴染みの
クラタ―コンサルタント=やましたひでこさんの本に巡り合い
やましたひでこさんとFacebookで繋がり、彼女を追いかけた。
戦後生まれの私は、親から「勿体ない精神」を
植え付けられて、育ってきました。
だから捨てる=勿体ない。
「捨てられない人間」だったのです。
そして私には、もうひとつ欠点がありました。
それは大人買い。 爆買い。 常に備蓄。
捨てるという罪悪感を先ず取り払い、好きなものだけに囲まれて
残り「4分の1」の人生を 身軽に生きたいと。
先ずは、売れるものを売りました。
貴金属、ピアノ、切手、本、ゲームソフト。
趣味のカメラも、絶対に使うカメラとレンズだけを残して
手放しました。
そしてガラクタを 捨てる。
捨てたものの中で1番デカいものは、タンス7棹(さお)
嫁入りタンス3、子供たちのタンス2、ベビータンス1、整理タンス1。
業者さんにトラックをお願いして、廃棄処分してもらいました。
有難いことに着物は、娘、嫁、ママ友がもらってくれました。
亡き母への 気持ちが済みました。 今は1枚の着物もありません。
1番厄介なものは、「家族の写真」でした。
結婚式から始まり、子供ができて、節目節目の記念撮影。
私の場合、自分の子供の頃からの写真もあり
卒業アルバムもある。
自分の思い出を、「捨てる」という言葉で、表現したくなく
思い出とのお別れ。 「私の卒業式」としました。
私の写真を次世代に託して、子供に処分してとは言えない。
自分のことは、自分で片付けようと思いました。
捨てた後の片づけは、近藤麻理恵さん。
断捨離も、「ときめく」 「ときめかない」に、分類していく。
コンマリさんの生き方も素敵で、
今、Instagramで繋がり、彼女を追いかけている。
そしてゴッドハンドで、クルクルって丸めて収納していく。
こうして収納すると、一目瞭然。
捨てる時は、心がポキポキ鳴ったけれど
4分の1になった時、「ときめくものたち」の片づけは楽しかった。
ごんおばちゃまの「あした死んでもいい 身辺整理」
「身辺整理」は、もうすぐ人生の終わりだからではなく
これから心地よく、暮らすための片づけだという。
片付けのこと、日常のこと、ご主人さまとのこと
私は、ごんおばちゃまのブログのファンでもあります。
今冬、たくさんの柚子をいただいて、柚子ジャムを作りました。
作ったけれど、入れる瓶がない。
急いで100円ショップへ買いに行く。
柚子ジャムを食べてしまった後、瓶は捨てました。
次の季節に、柚子をいただくかどうかわからないし
ジャムを作る可能性も低い。
送られてくる、写真の月刊誌。
新着3ヶ月分だけ残して、上の1冊は捨てよう。
高校時代の同級生が、地元に住んでいます。
彼女は、早いうちから「断捨離、断捨離」と言っていました。
ある日出会った時に、「私も、断捨離したよ」と言うと
彼女は言った。
「私は、エンディングノートを書いたよ」って。
エンディングノートなんてあるんだ。
知らなかった。
保険、年金、銀行口座、クレジットカード、家族・親戚・友人、
健康管理データ、告知、延命、介護。
まだまだたくさんの項目がある。 これは優れもの。
高校時代の同級生の彼女に、その後また出会った。
私は意気揚々として、「私も、エンディングノートを買ったよ」と言うと
彼女は言った。
「私は主人と一緒に、スタジオで遺影の写真を撮って来たよ」
「い・・い・・ 遺影の写真?」 私たち、古希までまだ何年かある。
ご夫婦は持病もないし健康な人。 遺影の写真とは、1本取られた。
そして彼女は続けて言った。
「きれいな自分を残しておきたいから、今撮ったの」
そうか・・・。 用意周到、優等生の彼女らしい。
彼女の残り4分の1の人生は、悠々自適だなと思う。
友人から学ぶことが多い。
私は今日も「何か捨てるものはないかな?」と、家中を見渡している。
何かとお別れした後には、新しい何かに出会う。
そう春が来た。 3月と4月のような関係かもしれない。
やましたひでこさん、近藤麻理恵さん、ごんおばちゃま。
本当にありがとうございました。