今年の秋はしまなみ海道スリーデーマーチに参加しようと考え、事務局から申込書を取り寄せました。まず宿を探してみると、地理的に良いところに取れないことがわかり、今年の参加は断念しました。それで予定の日が空きました。季節も良くなってくるし、どうしよう?・・・・奈良の明日香村はどうだろうか?
明日香村は40年ほど前、高松塚古墳に壁画が見つかったり、石舞台古墳などで名をはせています。
以前から、行きたいけど遠いからなあ・・・・と思い込んでいました。ある日何気なく地図を見て所要時間を調べてみると、道が整備されたこともあり意外に日帰り圏内です。妻に言ってみると、せっかく行くのだったら1泊ぐらいしようよと・・・・
と言うわけで、計画を進めてこの週末、1泊2日(10月4~5日)で奈良に行ってきました。
まず10月4日は明日香村です。レンタサイクルで回りたいと思いつつ、現役時代には行けませんでした。明日香村というとまずは石舞台古墳なのですが、着いたのが昼前になったので先に腹ごしらえです。他ではなかなか味わえない、古代米カレーをいただきました。
石舞台古墳
石舞台古墳内部、玄室です。
手塚治虫の火の鳥・ヤマト編は、石舞台古墳がモチーフになっています。
伝飛鳥板蓋宮(でんあすかいたぶきのみや)跡
蘇我入鹿はここで中大兄皇子らに暗殺されました。このクーデターが大化の改新の始まりです。
酒船石
元々はこれの2倍以上の大きさでしたが、何らかの事情で3分割され、その中央のものだけ残っています。
亀形と小判形石造物
わずか14年前の2000年に発見された石造物で、斉明天皇(在位655年2月14日-661年8月24日)在位中に作られ、その後平安時代まで250年にわたり、何らかの祭祀が行われたのではないかと推測されています。
飛鳥寺の本尊「飛鳥大仏」
飛鳥大仏は青銅製で609年に完成したとされ、大化の改新(645年)より古いです。鼻が高く立体的な顔立ちが特徴です。この本尊は撮影自由です。
水落遺跡
中大兄皇子が作らせた漏刻(水時計)の遺跡です。
亀石
長さ4m、幅2m、高さ2m、重さ10トンはあろうかという巨大な石造物です。900年以上前からここに鎮座しているようです。
橘寺全景
本堂(太子殿)
本尊は聖徳太子坐像です。この地に誕生した聖徳太子が、推古天皇の命により用明天皇の別宮を寺にあらためています。
その後レンタサイクルを返却し、都塚古墳に向かいました。
都塚古墳
6世紀後半の古墳で、蘇我稲目(馬子の父)の墓ではないかと推測されています。蘇我氏はさらに蝦夷、入鹿と続き全盛期を迎えますが、中大兄皇子と中臣鎌足によって滅ぼされます。鎌足はその功によって藤原の性を与えられ政権の中枢に躍り出ます。良房の代には摂関政治を行うようになり、道長の代にいたり栄華を極めます。道長の子頼道は宇治に別荘を構え、後に寺としました。それが平等院です。
なお古墳は、現在このようにシートがかけられています。
この日は橿原市内のホテルに宿泊しました。
明日香村は40年ほど前、高松塚古墳に壁画が見つかったり、石舞台古墳などで名をはせています。
以前から、行きたいけど遠いからなあ・・・・と思い込んでいました。ある日何気なく地図を見て所要時間を調べてみると、道が整備されたこともあり意外に日帰り圏内です。妻に言ってみると、せっかく行くのだったら1泊ぐらいしようよと・・・・
と言うわけで、計画を進めてこの週末、1泊2日(10月4~5日)で奈良に行ってきました。
まず10月4日は明日香村です。レンタサイクルで回りたいと思いつつ、現役時代には行けませんでした。明日香村というとまずは石舞台古墳なのですが、着いたのが昼前になったので先に腹ごしらえです。他ではなかなか味わえない、古代米カレーをいただきました。
石舞台古墳
石舞台古墳内部、玄室です。
手塚治虫の火の鳥・ヤマト編は、石舞台古墳がモチーフになっています。
伝飛鳥板蓋宮(でんあすかいたぶきのみや)跡
蘇我入鹿はここで中大兄皇子らに暗殺されました。このクーデターが大化の改新の始まりです。
酒船石
元々はこれの2倍以上の大きさでしたが、何らかの事情で3分割され、その中央のものだけ残っています。
亀形と小判形石造物
わずか14年前の2000年に発見された石造物で、斉明天皇(在位655年2月14日-661年8月24日)在位中に作られ、その後平安時代まで250年にわたり、何らかの祭祀が行われたのではないかと推測されています。
飛鳥寺の本尊「飛鳥大仏」
飛鳥大仏は青銅製で609年に完成したとされ、大化の改新(645年)より古いです。鼻が高く立体的な顔立ちが特徴です。この本尊は撮影自由です。
水落遺跡
中大兄皇子が作らせた漏刻(水時計)の遺跡です。
亀石
長さ4m、幅2m、高さ2m、重さ10トンはあろうかという巨大な石造物です。900年以上前からここに鎮座しているようです。
橘寺全景
本堂(太子殿)
本尊は聖徳太子坐像です。この地に誕生した聖徳太子が、推古天皇の命により用明天皇の別宮を寺にあらためています。
その後レンタサイクルを返却し、都塚古墳に向かいました。
都塚古墳
6世紀後半の古墳で、蘇我稲目(馬子の父)の墓ではないかと推測されています。蘇我氏はさらに蝦夷、入鹿と続き全盛期を迎えますが、中大兄皇子と中臣鎌足によって滅ぼされます。鎌足はその功によって藤原の性を与えられ政権の中枢に躍り出ます。良房の代には摂関政治を行うようになり、道長の代にいたり栄華を極めます。道長の子頼道は宇治に別荘を構え、後に寺としました。それが平等院です。
なお古墳は、現在このようにシートがかけられています。
この日は橿原市内のホテルに宿泊しました。