還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

今夜は皆既月食

2014年10月08日 | 天文・気象
今夜が月食のことを一昨日知りました^^;;;
幸いよく晴れて、始めから終わりまで見られました。
皆既に入った直後の19:31


皆既が終わった直後の20:33

普通の望遠レンズなので、これ以上の解像度は難しいです。
撮影データはいずれも
f6.3
シャッター速度1/50秒
ISO感度25600
露出補正はマイナスめ、±0にすると明るすぎました。

皆既月食の間は月を見ながら、インターバル速歩をしておりました。

念願の明日香村など-2

2014年10月08日 | 旅行
翌日の10月5日は橿原のホテルを出て、唐招提寺に向かいました。唐招提寺は唐の高僧、鑑真和上が渡日後に建立したお寺です。鑑真は6回の渡日失敗の後、753年に7回目の渡日を試みようやく成功しました。鑑真はその時66歳になっていました。渡日後は東大寺唐禅院に住み、5年後に唐招提寺を建立しました。

唐招提寺金堂
唐招提寺というとこの写真ですが、これは金堂です。南大門側から撮影
金堂は2000年から2009年にかけて解体修理が行われました。柱の木材などの傷みはあまりなく、再度使用しても問題ないため、補強した以外は当時の材料をそのまま再度組み立てたそうです。ただし屋根両端の鴟尾は傷みが激しく、新たに作られています。

講堂側から撮影した金堂、左に見えるのは鼓楼
静謐な感じが良いです。

礼堂、左に見えるのは鼓楼


台風18号の接近に伴い雨が降ってきました。つづいて興福寺に向かいました。カーナビの示すままに停めてみると、すでに興福寺の境内でした。

五重塔


東金堂


興福寺は藤原氏の氏寺で、開創から戦国時代に至るまで強大な勢力を誇りました。北の比叡山延暦寺とともに南都北嶺と称され、太閤検地に至るまで幕府など武家の影響力を排除し続けました。
しかしその後は大伽藍の維持が困難になったのか、享保2年(1717年)の火災による焼失後、南大門、中金堂、西金堂は再建されませんでした。そして現在、中金堂を再建中で、5年後(2019年)に落慶の予定となっています。ほんの少しですが、勧進してきました。
その他明治初期の廃仏毀釈により、塀と食堂が取り壊されたままとなっています。

最後に国宝館を見学しました。この国宝館の展示は大変なもので、時間の経つのを忘れるほどでした。中でも興味を引いたのは舎利弗像でした。舎利弗は釈迦の高弟で舎利子とも言い、般若心経にも出てきます。その般若心経の最後の方
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶

は、サンスクリット語による「音」をそのまま漢語に移したものだそうです。

その後2時過ぎに、ならまちのこの店で食事(メニュー的には早い夕食)にし、帰宅しました。