翌日の10月5日は橿原のホテルを出て、唐招提寺に向かいました。唐招提寺は唐の高僧、鑑真和上が渡日後に建立したお寺です。鑑真は6回の渡日失敗の後、753年に7回目の渡日を試みようやく成功しました。鑑真はその時66歳になっていました。渡日後は東大寺唐禅院に住み、5年後に唐招提寺を建立しました。
唐招提寺金堂

唐招提寺というとこの写真ですが、これは金堂です。南大門側から撮影
金堂は2000年から2009年にかけて解体修理が行われました。柱の木材などの傷みはあまりなく、再度使用しても問題ないため、補強した以外は当時の材料をそのまま再度組み立てたそうです。ただし屋根両端の鴟尾は傷みが激しく、新たに作られています。
講堂側から撮影した金堂、左に見えるのは鼓楼

静謐な感じが良いです。
礼堂、左に見えるのは鼓楼
台風18号の接近に伴い雨が降ってきました。つづいて興福寺に向かいました。カーナビの示すままに停めてみると、すでに興福寺の境内でした。
五重塔
東金堂
興福寺は藤原氏の氏寺で、開創から戦国時代に至るまで強大な勢力を誇りました。北の比叡山延暦寺とともに南都北嶺と称され、太閤検地に至るまで幕府など武家の影響力を排除し続けました。
しかしその後は大伽藍の維持が困難になったのか、享保2年(1717年)の火災による焼失後、南大門、中金堂、西金堂は再建されませんでした。そして現在、中金堂を再建中で、5年後(2019年)に落慶の予定となっています。ほんの少しですが、勧進してきました。
その他明治初期の廃仏毀釈により、塀と食堂が取り壊されたままとなっています。
最後に国宝館を見学しました。この国宝館の展示は大変なもので、時間の経つのを忘れるほどでした。中でも興味を引いたのは
舎利弗像でした。舎利弗は釈迦の高弟で舎利子とも言い、般若心経にも出てきます。その般若心経の最後の方
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶
は、サンスクリット語による「音」をそのまま漢語に移したものだそうです。
その後2時過ぎに、ならまちのこの店で食事(メニュー的には早い夕食)にし、帰宅しました。