還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

念願の明日香村など-2

2014年10月08日 | 旅行
翌日の10月5日は橿原のホテルを出て、唐招提寺に向かいました。唐招提寺は唐の高僧、鑑真和上が渡日後に建立したお寺です。鑑真は6回の渡日失敗の後、753年に7回目の渡日を試みようやく成功しました。鑑真はその時66歳になっていました。渡日後は東大寺唐禅院に住み、5年後に唐招提寺を建立しました。

唐招提寺金堂
唐招提寺というとこの写真ですが、これは金堂です。南大門側から撮影
金堂は2000年から2009年にかけて解体修理が行われました。柱の木材などの傷みはあまりなく、再度使用しても問題ないため、補強した以外は当時の材料をそのまま再度組み立てたそうです。ただし屋根両端の鴟尾は傷みが激しく、新たに作られています。

講堂側から撮影した金堂、左に見えるのは鼓楼
静謐な感じが良いです。

礼堂、左に見えるのは鼓楼


台風18号の接近に伴い雨が降ってきました。つづいて興福寺に向かいました。カーナビの示すままに停めてみると、すでに興福寺の境内でした。

五重塔


東金堂


興福寺は藤原氏の氏寺で、開創から戦国時代に至るまで強大な勢力を誇りました。北の比叡山延暦寺とともに南都北嶺と称され、太閤検地に至るまで幕府など武家の影響力を排除し続けました。
しかしその後は大伽藍の維持が困難になったのか、享保2年(1717年)の火災による焼失後、南大門、中金堂、西金堂は再建されませんでした。そして現在、中金堂を再建中で、5年後(2019年)に落慶の予定となっています。ほんの少しですが、勧進してきました。
その他明治初期の廃仏毀釈により、塀と食堂が取り壊されたままとなっています。

最後に国宝館を見学しました。この国宝館の展示は大変なもので、時間の経つのを忘れるほどでした。中でも興味を引いたのは舎利弗像でした。舎利弗は釈迦の高弟で舎利子とも言い、般若心経にも出てきます。その般若心経の最後の方
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶

は、サンスクリット語による「音」をそのまま漢語に移したものだそうです。

その後2時過ぎに、ならまちのこの店で食事(メニュー的には早い夕食)にし、帰宅しました。

念願の明日香村など

2014年10月07日 | 旅行
今年の秋はしまなみ海道スリーデーマーチに参加しようと考え、事務局から申込書を取り寄せました。まず宿を探してみると、地理的に良いところに取れないことがわかり、今年の参加は断念しました。それで予定の日が空きました。季節も良くなってくるし、どうしよう?・・・・奈良の明日香村はどうだろうか?
明日香村は40年ほど前、高松塚古墳に壁画が見つかったり、石舞台古墳などで名をはせています。
以前から、行きたいけど遠いからなあ・・・・と思い込んでいました。ある日何気なく地図を見て所要時間を調べてみると、道が整備されたこともあり意外に日帰り圏内です。妻に言ってみると、せっかく行くのだったら1泊ぐらいしようよと・・・・
と言うわけで、計画を進めてこの週末、1泊2日(10月4~5日)で奈良に行ってきました。

まず10月4日は明日香村です。レンタサイクルで回りたいと思いつつ、現役時代には行けませんでした。明日香村というとまずは石舞台古墳なのですが、着いたのが昼前になったので先に腹ごしらえです。他ではなかなか味わえない、古代米カレーをいただきました。


石舞台古墳

石舞台古墳内部、玄室です。

手塚治虫の火の鳥・ヤマト編は、石舞台古墳がモチーフになっています。

伝飛鳥板蓋宮(でんあすかいたぶきのみや)跡
蘇我入鹿はここで中大兄皇子らに暗殺されました。このクーデターが大化の改新の始まりです。

酒船石
元々はこれの2倍以上の大きさでしたが、何らかの事情で3分割され、その中央のものだけ残っています。

亀形と小判形石造物
わずか14年前の2000年に発見された石造物で、斉明天皇(在位655年2月14日-661年8月24日)在位中に作られ、その後平安時代まで250年にわたり、何らかの祭祀が行われたのではないかと推測されています。

飛鳥寺の本尊「飛鳥大仏」
飛鳥大仏は青銅製で609年に完成したとされ、大化の改新(645年)より古いです。鼻が高く立体的な顔立ちが特徴です。この本尊は撮影自由です。

水落遺跡
中大兄皇子が作らせた漏刻(水時計)の遺跡です。

亀石
長さ4m、幅2m、高さ2m、重さ10トンはあろうかという巨大な石造物です。900年以上前からここに鎮座しているようです。

橘寺全景

本堂(太子殿)
本尊は聖徳太子坐像です。この地に誕生した聖徳太子が、推古天皇の命により用明天皇の別宮を寺にあらためています。
その後レンタサイクルを返却し、都塚古墳に向かいました。

都塚古墳
6世紀後半の古墳で、蘇我稲目(馬子の父)の墓ではないかと推測されています。蘇我氏はさらに蝦夷、入鹿と続き全盛期を迎えますが、中大兄皇子と中臣鎌足によって滅ぼされます。鎌足はその功によって藤原の性を与えられ政権の中枢に躍り出ます。良房の代には摂関政治を行うようになり、道長の代にいたり栄華を極めます。道長の子頼道は宇治に別荘を構え、後に寺としました。それが平等院です。
なお古墳は、現在このようにシートがかけられています。

この日は橿原市内のホテルに宿泊しました。

マウス用電池の寿命は半年足らず

2014年10月05日 | パソコン・モバイル・オーディオ
4月の終わり頃に、ワイヤレスマウスの電池寿命という記事を書きました。そして最近取り替えた乾電池も寿命となりました。4月末から10月初めまで使えたので、寿命はおよそ5ヶ月となりました。ちなみに日立マクセル製単3のアルカリ乾電池(2本使用)でした。最初マウスに付属されていた乾電池は2ヶ月しか持ちませんでしたが、新品では5ヶ月使えたのでまずまずかなと思います。マウスが動かなくなったとき、電圧は1.2Vまで下がっていました。
これで単3の乾電池の買い置きはなくなったので、補充しておく必要があります。今度は違うメーカーにしてみます。

カーポート樋の雨水処理能力

2014年10月03日 | 日記
7月中旬、カーポートに縦樋を取り付けました。
この記事です。今までの鎖に比べ、雨がきちんと樋を伝って流れ落ちるようになりました。鎖はよほど少ない雨量の時しか、鎖を伝って流れることはありません。少し雨量が増えるとばらけてしまいますし、鎖自体もすぐに藻で汚くなります。

それで実際のどのくらいの雨量まで樋で処理できるのか、雨が多かった8月中旬に確認してみました。カーポート屋根の投影面積は実測で24平米です。これで雨量1ミリ当たりの流量を計算すると、約6.7ml/秒となります。したがって5ミリごとでは
雨量(ミリ/時間)   流量(ml/秒)
  5              33
 10              67
 15             100
 20             133
 25             167
 30             200
 35             233
 40             267
 45             300
 50             333
となります。

実際の雨量データについては、気象庁が市内にロボット雨量計を設置しており、その設置場所が我が家からそれほど遠くないので、その雨量計のデータをそのまま使うことにします。アメダスでは1時間ごとの雨量がわかるので、樋の流量とアメダスの雨量データを見て、どのくらいの雨量まで樋で処理できているか大まかにわかりました。
時間雨量40ミリの時で、樋から排出される雨水の量は267mlとなり、このくらいまでなら溢れずに、全量樋から流れ出ているようです。50ミリになるとさすがに溢れるようなので、流量が300ml/秒までなら問題なく処理できると思われます。
300ml/秒は1分当たり18l、およそバケツ1.5杯に相当します。1時間も降るとバケツ90杯になります。

カーポート樋における他の問題は、落ち葉やヘドロ状になった藻が詰まりやすいことです。家の屋根の樋が詰まることはほとんどありませんが、カーポート軒樋の流れ口の穴は直径が20数ミリと比較的小さいので、案外簡単に詰まります。