ロバート・ブロック/仁賀克雄訳『アメリカン・ゴシック』(早川書房、1979年)は、実在の連続殺人犯をモデルにしたフィクションだが、強烈なノンフィクションを読んだ後では、印象はきわめて弱い。「事実は小説より奇なり」である。
読んでもいないのだが、断捨離に迷いはない。
ただ、訳者による解説の中に、本書はゴシック小説の流れに属するが、ゴシック小説の元祖はホレイショ・ウォルポール(首相ではない方のウォルポール)の「オトラント城」(1765年)にさかのぼるとあった。
ウォルポール「オトラント城」には思い出がある。
息子が学部生の頃の英文学か英文学史のレポートで、この小説へのコメントを割り当てられたが、参考文献がなくて困っているというのだ。同僚の英文学の教授に質問したら、ペーパーバックながら1000頁をこえるずっしりと重いイギリス文学史のテキストを貸してくれた。定番の教科書だという。黄金のドレス姿で玉座に座るエリザベス1世かヴィクトリア女王のような肖像画が表紙を飾っていた。
かなり網羅的にイギリス文学史上の重要作品ごとに、その一部が抄録されていて、作者紹介と簡単な解説がついたものだった。残念ながら、ウォルポール「オトラント城」に関する記述はそれほど詳細ではなかった。
そこで、ウォルポールを探して、神保町の古書店街に出かけた。
英米文学の古書なら、小川図書だろうと当たりをつけていた。かつてサマセット・モームのハイネマン版「木の葉のそよぎ」を見つけた古本屋である。専大前交差点から数軒のところにある。さきの日曜日(10月15日)の雨の中のマラソン中継を見ていたら、神保町の古書店街を通って、この交差点を左折して走っていく選手たちがテレビに映っていた。
小川図書の店頭の路上におかれた段ボール箱を漁ると、すぐに、箱に詰められた古書の中に、柴田徹士他編「英國小説研究 第5冊」(篠崎書林、昭和36年)というのが目に入ってきた(上の写真)。
手に取ってみると、内多毅「Horace Walpole の小説 The Castle of Otranto について」という論説が載っているではないか!
ぼくは古本屋というか、古本との相性がよい。本のほうからぼくを呼んでいたとしか思えない体験を何度かした。
さっそく買って帰って、息子に渡した。選択科目か一般教養科目だから、この2冊で何とかなっただろうと思うけれど、息子からは「ありがとう、よく見つけたね」と言われたけれど、どんなレポートを書いたのかは知らされなかった。感謝されるほどの時間をかけて探し出したわけではないから、それでいいのだが。
この本(雑誌)も断捨離するか・・・。
ついでに、佐木隆三『復讐するは我にあり(下)』(講談社、1975年)と、清水一行『捜査一課長』(集英社、1978年)も断捨離する。『復讐・・・』の上巻は見つからない。
『復讐・・・』は佐木の第74回直木賞受賞作である。裏表紙に佐木へのインタビューが挟んであった(週刊読書人1976年2月9日付)。モデルとなった連続殺人事件の4人の被害者が、いずれも犯人と同じ階層の人間だったという指摘が印象的である。佐木に影響を与えたカポーティの『冷血』とはこの点で決定的に異なっているという。『冷血』では、被害者は富裕層で、犯人は下層だった。
佐木さんには、陪審裁判をめぐって伊佐千尋さんと対談してもらったことがあった。
ゲラは佐木さんが缶詰めになっていた新潮社の会議室(?)に届けたのだが、そこで中学時代の同窓の校條君に再会した。中学を卒業して以来10年ぶりくらいの再会だったが、その時は中学時代がとても昔のことのように思えた。それから現在までに50年近く経ったのだが、こっちの50年はあっという間だったような気がする。
佐木さんが座っていた大きなデスクの後ろの壁には、畳2畳分くらいはありそうな沖縄の地図が掛けてあった。学校の地理の授業で使うような壁掛け地図よりさらに大きな地図だった。
2023年10月19日 記