豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

『FBI心理分析官』『殺人者の自伝』

2023年10月18日 | 本と雑誌
 
 ロバート・K・レスラー他/相原真理子訳『FBI心理分析官--異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記』(早川書房、1994年)、ジョーイ+デイヴ・フィッシャー/高田正純訳『殺人者の自伝--組織犯罪の25年』(早川書房、1976年)を読んだ。
 10月18日が資源ごみの回収日で、単行本も対象になっているので、捨てる前に読んでおくことにした。「資源」ゴミというのだから、焼却されたりしないで、誰か関心のある人のところに届くであろうことを祈る。

 『FBI心理分析官』は、「羊たちの沈黙」の原作かと思ったが、そうではなくあの映画のモデルになった実在のFBI捜査官が書いた本だった。著者のレスラーはあの映画には批判的のようで、実際には、あれほど単純に調査は進行しないし、ジョディ・フォスターのような訓練生にあのような調査をさせることはないと書いてあった。
 最初は、福島章の解説だけ読んで捨てようと思ったのだが、解説を読んで、本文をパラパラとめくっているうちに読みたくなって、結局全部読んだ。
 「面白かった」といったら語弊があるが、最終的に大量殺人を実行してしまう人間と、そういう犯罪に興味をもつが実際には実行しない人間との違いは何に由来するのか。その回答は、本書から得ることができる。

 FBIでプロファイリングを行なってきたレスラーが、自らがかかわった大量殺人事件の捜査における犯人像のプロファイリングと、犯人が逮捕された後にそのプロファイリングがどの程度正確だったかを分析する部分と、実際に大量殺人者にインタビューした結果、彼らがなぜそのような行為を行ったかを分析する部分からなる。
 登場するのは、シャロン・テート事件のマンソン、R・ケネディ暗殺事件のサーハン・サーハン、女子大生殺人事件のテッド・バンディなどの有名事件の犯人をはじめ、20件近くの大量殺人事件とその犯人であり、彼らに対するプロファイリング、その結果の検証、犯人に共通する特性の分析が書かれる。

 著者によれば、プロファイリングとは、発生した事件において、「何が」発生したのかを解明し、「なぜ」発生したのか、そして「誰が」起こしたのかを推測することである。
 大量殺人には、精神病的人格者(原文のままだが、今日の「人格障害者」か)による犯罪であることの痕跡が残る「秩序型」と、精神異常者による「無秩序型」があり、その混合型もあるという。
 犯罪現場に臨場した著者がまず把握するのは、「何が」起きたのか、「秩序型」か「無秩序型」かの判別である。いずれの犯人も幼少年期に不幸な家族体験をしていることが多いが、「無秩序型」は親が貧困、アルコール中毒、精神疾患などを抱えていて、目立たない学校生活を送っていることが多いのに対して、「秩序型」の親は経済的には豊かだが父親によるしつけが甘く、学校時代から攻撃的で話がうまかったりすることが多いという。

 大量殺人者のほとんどは白人であり、20代から30代の若者である(このことは福島の解説も指摘している)。そのため、ある殺人が大量殺人の一部であることが判明した場合、犯人像は一気に狭めることができる。
 連続する事件の発生場所の距離、遺体の遺棄の場所や遺棄の方法から犯人の居住地域も推測可能になる。殺害方法、遺体の状態からは犯人が軍隊経験を有する者かどうか、警察に向けた挑戦状などがあれば犯人の教育程度(ハイスクール中退かそれ以上か)、精神病院の受診歴の有無なども推測される。登場する大量殺人者の中には、17歳でシカゴ大学に飛び級入学した者や、スタンフォード大学の大学院生なども含まれている。
 
 彼らの最大の共通項は、幼少年時代の家庭環境の劣悪さである。彼らの多くは、実母や養親から愛されなかったり、父親から虐待にちかい厳格すぎるしつけを受けたりした経験をもっている。著者は親に愛されなかった子や、虐待を受けた子がすべて大量殺人者になるわけではないと何度も断ってはいるが、大量殺人者のほとんどが不幸な幼少年期を過ごしていることは事実のようだ。
 このことが原因となって、彼らは青年期になっても同年代の女性(というか他者)と自然な性関係を結ぶことができない。そして充たされない現実を離れて「空想」(妄想)を抱くようになる。普通であればそれは空想にとどまるのだが、彼らはその空想を実行に移してしまう。大量殺人は性的殺人であると著者はいう。
 犯行は動物虐待(惨殺)などの比較的小さな事件から始まって、次第に空想が拡大していくという指摘は、神戸の酒鬼薔薇事件を思わせる(小田晋「神戸小学生殺害事件の心理分析」カッパブックスなど)。

 著者は、「怪物と闘う者は、自分自身も怪物にならないように気をつけなければならない。深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ」というニーチェの言葉を後輩たちへの警句として引用している(47頁)。
 実際にインタビューするうちに彼らに魅了されてしまって、犯人(受刑者)に捜査情報を流すようになった捜査官もいたという。
 アメリカの犯罪ものテレビドラマにはしばしばFBIのプロファイラーが登場してプロファイリングによる推理を開陳する場面があるが、ドラマではその推理がシャーロック・ホームズ的でご都合主義的な感が否めないが、さすがに本書は実話だけあって説得力がある。一気に読んだ。

   *   *   *

 ジョーイ『殺人者の自伝』も、表紙の帯に「38人を殺した男の素顔!」とあるから、大量殺人者の自伝なのだろうが、殺人を生業にしてきたような者が起こした殺人には興味はない。1970年代に何でこんな本を買ったのか記憶もないし、読んだ形跡もまったくない。そして今回も読む気が起きないので、そのまま資源ごみに出すことにした。
 ただし、CBS記者(元警察官)による前書きには、この本はわが国の恥部を描き出しているとあるが、本書には20世紀アメリカの裏面史の一面もあるのだろう。
 フィッシャーという補筆者は、自分は(少なくとも初めて会ってから数回)は彼(ジョーイ)に魅了されていたと書いている。大恐慌のさなかの1929年に生まれ、孤児院をたらいまわしにされながら育ったジョーイにも「一分の理」はあると言いたげである。「地獄をのぞく者は、地獄からのぞかれている」というレスラーが引用したニーチェの言葉通りである。
 職業として、プロとして殺人を生業としてきたジョーイだが、彼を利用した政治家や、ニューヨーク市警察内部の腐敗も語っていて、その点ではたんなる殺人者(ヒットマン)の自伝にとどまらない。いったん彼を利用した政治家たちは、主客転倒して、それ以後は彼が主人となり、彼から逃れることができなくなってしまう。
 この本も高村薫「マークスの山」を思わせる。
 愉快な本ではないが、不要の本ではなかったのかもしれない。しかし、ぼくの人生にとっては不要になった。もう資源回収は来ただろうか。

 2023年10月18日 記
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