豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

“男はつらいよ 寅次郎真実一路”

2012年06月23日 | 映画

 島田裕巳『映画は父を殺すためにある--通過儀礼という見方--』(ちくま文庫)の影響下にまだある。
 ただし、島田がいう「通過儀礼」(父殺し)という見方ではなく、小津安二郎や木下恵介らとのつながりを求めて、それと「昭和のマドンナ」の残像を求めて、“寅さん”シリーズをせっせと観ている。

 全作品をDVDで網羅した『男はつらいよ 寅さんDVDマガジン』(講談社刊)というやつは、最近号ならまだ書店で売られていることを発見した。
 そして、つい最近(2012年5月29日)出たばかりの第36巻、“男はつらいよ 寅次郎真実一路”を買ってきて、さっそく観た。

 『真実一路』は山本有三の小説の題名だが、“寅次郎真実一路”は、阪東妻三郎のというか岩下俊作のというか、いずれにしろ“無法松の一生”である。

 人妻(大原麗子)に恋をした寅さんが、その夫(米倉斉加年)の死を願っている自分に気づいて、「おれは汚い」と苦悶するあたりは、“無法松”の台詞そのままである。
 無法松は、軍人の夫を失った未亡人と幼い息子に仕える車挽きの松五郎が、ひそかに未亡人に恋心をいだく話であるが、寅さんのほうは大原麗子に恋するあまり、失踪した夫の死を願う自分を「汚い」(「醜い」だったかも)と思うのだから、松五郎より罪一等重いというべきか。
 
             

 岩下の原作(角川文庫版、昭和33年)を引っぱり出してきて、斜め読みしたが、原作には松五郎が「自分は汚い」と悩む場面は見つからなかった。映画(稲垣浩監督)のオリジナルだろうか。
 ただし、原作では松五郎が奥さんの手を握るシーンがある。その日以後、松五郎は二度と奥さんの家を訪ねることはなかった(角川文庫版91頁)。
 
 本の中に、映画“無法松の一生”の検閲に関する白井佳夫の記事が挟んであった(朝日新聞1993年11月2日付)。
 この映画の公開当時(昭和18年)、「軍人の未亡人に車引きが恋するのはけしからん」といった理由で、十数分にわたってフィルムがカットされたという。そのためこのストーリーの肝心の部分はまったく観客に伝わらなかったという。

            

 今回の“寅次郎真実一路”のほうは、そんな心配はまったくなく、しっかりと“寅さんシリーズ”のテーマである寅さんの人妻に対する「恋心」と葛藤がちゃんと伝わる。
 おいちゃんかタコ社長のセリフにもあったけれど、あんな美人の人妻では寅が恋してしまうのも当然だろう。
 酔いつぶれて米倉の家に転がり込み、翌朝目覚めると家には大原と自分しかいないことに気づいた寅さんが、慌てて家を飛び出すシーンが一番よかった。

         

 そして、寅さんに連れられて家に戻ってきた夫を迎える大原もよかった。
 往年のサントリー・オールドのCMを思い出した。どっちが先かは分からないけれど。
 そんな大原麗子ももういない。美人薄命とは言うけれど。

         

 2012/6/23 記

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