E・S・ガードナーの『最後の法廷』にまつわる余滴をいくつか。
同書の第6話「この事件から手を引け!」は、真犯人に迫った警部に対して上層部が圧力をかけて、警部を解雇して捜査を中止させてしまうというストーリーだったが、現在BS日テレ(BS141ch)で毎週放映されている「マークスの山」(高村薫原作)を思わせる。
それはそうと、BS560ch の「AXNミステリー」が10月から「ミステリー・チャンネル」に変わった。何が変わったのか分からないが、「オックスフォード・ミステリー」や「女警部ヴェラ」などは引き続き放映されている。フランスの女性予審判事が主人公の新番組の予告編には、水色のわがシトロエン2CV も登場する。
明らかに変わったといえば、同局のマスコット(?)の猫のイラストが変わった(下の写真)。
さて、ガードナーの「最後の法廷」は、「アーゴシ―」という雑誌に連載された。
「アーゴシ―」とはどのような雑誌だったのかと思って、常盤新平・川本三郎・青山南編『アメリカ雑誌全カタログ』(冬樹社、1980年、下の写真)を調べたが、残念ながら載っていなかった。
“Argosy” 誌をネットで調べると、1882年創刊、1978年廃刊のパルプ・マガジンとある。
パルプ・マガジンというのも正確な定義は知らないが、わら半紙のような粗末な紙に印刷された雑誌、たとえば、かつての「噂の真相」あるいは軽井沢の旧道の三笠書房の片隅に置いてあったアメリカの犯罪実話雑誌のような紙質の雑誌のことだろうと想像してきた。今回、「アーゴシ―」誌で気になったので辞書を引いてみると、“pulp magazine” とは「(安物のザラ紙に印刷された)エログロ[低俗]雑誌」とあるではないか!(プログレッシブ英和中辞典)。
雑誌の紙質については想像通りで異論はないが、ガードナーの「最後の法廷」を連載した雑誌を「エログロ、低俗」とはなんということか! 「アーゴシ―」を「パルプ・マガジン」と書いたネットの書込みが悪いのか、プログレッシブの語義が悪いのか。
ちなみに “argosy” とは「大型商船、大商船隊、豊富な蓄え」とある(ジーニアス英和辞典)。
ついでに、雑誌つながりで、蛇足をもう1本。
『最後の法廷』の著者アール・スタンリー・ガードナーの伝記が、アルヴァ・ジョンストンという人の筆によって「サタデー・イヴニング・ポスト」誌に連載されたことが同書に紹介されている(14頁)。
「サタデー・イヴニング・ポスト」というのは、サリンジャーの初期の短編の何編かを掲載した雑誌(新聞?)だが、以前にも書いたように、「サタデー・イヴニング・ポスト」に載ったサリンジャーの初期の短編はどれも好感をもって読んだ。かえってサリンジャー自身は有りがたがっていた「ニューヨーカー」に掲載された短編はあまり面白くなかった。
※サタデー・イブニング・ポストに掲載されたサリンジャーの作品は、「ヴァリオーニ兄弟」(1943年)、「当事者双方」「優しい軍曹」(ともに1944年)、「フランスの少年兵」(1945年)の4本だった(鈴木武樹訳、『若者たち』角川文庫、1971年)388頁以下の「年譜」による)。
サリンジャーの短編が時おり掲載され、ガードナーの伝記が連載される「サタデー・イヴニング・ポスト」というのは、どんな雑誌だったのだろうか。この雑誌も『アメリカ雑誌全カタログ』には載っていなかった。
ひょっとして、ノーマン・ロックウェルの挿し絵でも入った雑誌ではないかと思って、『アメリカン・ノスタルジア--ノーマン・ロックウェルの世界』(PARCO出版、1975年)をひっぱり出してみた(冒頭の写真)。すると、なんと! ロックウェルは「サタデー・イヴニング・ポスト」の表紙を40年にわたって描いていたというではないか。わが直観に我ながら感動した。
同書の解説(T・S・ブッヒュナー/東野芳明訳)によると、ロックウェルは「サタデー・イーヴニング・ポスト」(同書では「イーヴニング」と延ばしている)の表紙を描きつづけていたが、同誌(週刊誌だった)は経営難から一時休刊していた。ところが、1968年にロックウェルの才能を評価したある画商がニューヨークで彼の作品展を開いたところ、ロックウェル・ブームに一気に火がつき、その時からロックウェルはイラストレイターから芸術家になった。解説によれば、ロックウェルは「アメリカ国民が誇りに思っていた時代の記録者」であるという。
手元の『アメリカン・ノスタルジア』には、ロックウェルの訃報を伝える東京新聞1978年11月10日の記事と、TIME誌1978年11月20日号の記事が挟んであった(冒頭の写真)。
彼は、1978年11月8日にマサチュセッツ州の自宅で死去。1894年生れの84歳だった。22歳の時に「サタデー・イブニング・ポスト」の表紙を描きはじめ、以後同誌の表紙を360点描き、その他にも、リンドバークの大西洋横断時の「ポスト」誌や、アポロの月面到着時の「ルック」誌の表紙なども描いたという。東京新聞の記事は、見出しも含めてロックウェルを「イラストレーター」としているが、「イラストレーター」だろうが、「芸術家、画家」だろうが、ぼくはロックウェルの描く世界が好きである。
そして、この時のロックウェル・ブームのおかげで、「サタデー・イヴニング・ポスト」も復刊したという。Wikipedia によると、「サタデー・イブニング・ポスト」は1897年創刊、1969年までは週刊誌、一時休刊の後、1971年に季刊誌として再出発したという。
同誌には、ポー、フォークナー、スタインベック、サロイヤンらのそうそうたる執筆者が名を連ねており(サリンジャーの名はあがっていなかった)、ジャック・ロンドンの「野生の叫び声」が連載されたのも同誌だったが、F・ルーズベルトのニューディール政策に反対するなど、中西部の読者を対象とした保守系の雑誌だった(時期もあった)らしい。
ところで、日本の雑誌はどうだろうか。
10代後半から20代の頃にぼくが読んでいた雑誌といえば、「平凡パンチ」「週刊プレイボーイ」などだが、これは前にも書いたので省略。同じ頃、五木寛之のような作家になりたいと思って、「小説現代新人賞」でデビューした彼の小説が掲載された「小説現代」を時おり買っていた。そういえば、「エラリー・クイン ミステリー・マガジン」(早川書房、途中から「ハヤカワ ミステリ・マガジン」に改称した)を定期購読していたこともあった(数十冊あったが「平凡パンチ」などと一緒に20年近く前にポラン書房に売却した)。
表紙が印象的だったのは「推理ストーリー」(双葉社)だが、やや「パルプ・マガジン」的だったかもしれない。ただし「推理ストーリー」には推理小説だけでなく、犯罪実話や、正木ひろし、高木彬光による冤罪ドキュメントなども掲載されることがあったと記憶する。
2023年10月14日 記